第一章 白百合十字団 第四節 パンダ!
四
悩み相談というものも、したい側としてほしい側の気持ちがうまく噛み合わないもののひとつであるとぼくは思う。
親きょうだいに関する悩みを親きょうだいに打ち明けるわけにはいかないし、友だちが欲しいという悩みを友だちに相談することは物理的に不可能だからだ。
そもそも生徒会の役員様に話しかけられるレベルの勇気と行動力を初めから持ち合わせていれば、大好きなあの娘が属する仲良しグループにだって、平気で入っていけるはずである。
職員室は恐ろしすぎるし教室でさえ怖すぎる。もとより学校というものが、刑務所にしか見えない。十余年に渡る刑期を、何の罪も犯していないのに強いられて、出所の日を指折り数える地獄の毎日……。
死にもの狂いで本音を絞り出せば、自分でできるところまではやってみましょうねの空気。うんうんうなずいておけばいいというマニュアルを、本質を理解せずに暗記して、淡々と事務的に行っていることが嫌というほど伝わってくる声色。
またその反対に、運よく聞き上手な人に出会えても、今度は甘やかされすぎたりする。世間の荒波は半端でないのだ。弱者が安全圏で全てを肯定してもらえたところで、そんなものには実際問題、何の意味もない。ヒョロガリのハツカネズミが、勇気を振り絞って野良猫たちの井戸端会議へ突撃したら、即、遊び感覚で殺害されるに決まってる。
持って生まれたコミュニケーション能力に差があるという事実から負の連鎖が生じ、格差が目に見えるものになる。ある人は些細な悩みでも、恋人にすり寄ってあのねと聴いてもらって、より一層幸せになる。ない人は重大な悩みでも、消化・排泄することができず、吐瀉物が腹の内で腐敗して、ついには、誰も彼もを不幸にする、醜い大爆発を引き起こす。
してほしい人は一生懸命、声をかけてねとビラを配る。全部自分で抱え込んで命を絶ってしまいかねない人が大勢いる現実世界で、自分だけ幸せなままのうのうと生き永らえるなんて、とてもじゃないけど耐えられない――と、心に痛みを覚えているからだ。
しかし何度も言うように、豆腐メンタルな人間にとっては、相談することそれ自体が、その悩みに耐え続けるのと同程度――いや、時にはそれ以上に、激痛を伴う苦行なのである。
では一体どうすればいいのか?
そこで、《白百合十字団活動》である。
第一印象は、粉砂糖の衣が物足りないと感じる、普通のブール・ド・ネージュだった。
マドンナリリーの中に、赤い十字架と緑のイッカククジラ。
あれが現白百合十字団の紋章。
F、A、Mの三文字から成る、中央にGを抱いた逆正三角形。
あれが旧白百合十字団の紋章。
荘厳なる大聖堂の中には、今日も芳ばしい香りが漂っていた。
氏名、五百蔵五百良。身体の性別、男。年齢、13歳。今年の春から中学2年生。背は低く、伏し目がち。気力よりも体力の方がなさそうな雰囲気。眼鏡でも太眉でもない。
「それじゃまずはパンだ」
「パンダ!」
「こっちの元気なのがぼくの妹、握刀川刃楼。小学3年生」
「ど、どうも、こんにちは……」
「それでは刃楼お姉さん。パンのやつ教えたげて。決して驕らず媚び諂わず、」
「いつでもあくまで紳士的に!」
五百蔵中学生の手を引いた刃楼ちゃんが、棚の前で立ち止まって手を合わせる。目を閉じて、マタイによる福音書、第六章、十一節の内容を静かに暗唱。薄手のビニールを手に装着。好みのパンをひとつとる。ひっくり返してできあがり。
「私は硬いのが好きだから、かためー。いおろいさんは、どれが好き? 『ふつう』?」
「僕は、『やわらかめ』……かな?」
「基本はひとり一個だけどー、お腹が減ってるときはー、大きいのを選べばいいです」
「はい」
手を合わせ、目を閉じて同じお祈り。ふたりして戻ってきて、妹がフランスパンをガリッ。ぼくも同じやつにするかな。交代というわけでもないけれど、ぼくたちも向かって手を合わせお祈り。腰にさげた牛乳アメフクラガエルバッグに入れさせてもらう。
「絶対に生きて帰ってこいよ」
『はいっ!!』
「ところで刃楼、今日こそ頭、撫でさせろ」
「やーっだ。やめ……、行ってきまーす!」
作業用エプロンを身に着けたベーカリーシスター、米餅搗ユリノさんに見送られて、ぼくたち四人は外へ出た。
何も気を張ることはない。
犬の散歩だって、ほとんどのお店に入られないのに楽しいじゃないか。
ほら、暇な大学生も束になって歩いてる。
そうだなまずは――いや、公園は最後か。
まあとりあえず、電気駄菓子屋さんでも目指そう。




