第一章 白百合十字団 第三節 オレンジ色の瞳と耳羽と
三
「おたまじゃくしとか言い出したじてんから、なにか変だなーとは思ってたんだけど」
同日午後三時。
私立白藍植物園大学付属高校の一角、和フクロウカフェ部が暖簾を掲げる喫茶店『和福ろう』で、ぼくは妹と一緒に、ある人物を待っていた。
衛生面に関しては世界一問題がない。
なぜなら彼らはガラスの向こう、木漏れ日の降る屋外にいるからだ。
「おたまじゃくし?」
「よくわかんないけど、見た目のことみたい。馬鹿にする系のあだ名? からかいの口調だったし」
ふうんとぼくは相槌をうつ。
その虹彩はデルフィニウムのように神妙な、深みのあるブルーだけれど、目尻に関していえば如何せん艶っぽくたれ気味で、ふわふわの大人ポニテは漆黒。前髪は長め。
なるほど。
薄ピンクの蝶々リボンを外せば、そういう風に見えなくもない。
「で、それがどうして『不気味』にまで繋がるんだ?」
小学3年生の男子が余計なことを言って、同じクラスの女子を傷つけた――これは確かに後味の悪いものではあるけれど、気味が悪いとは、少しニュアンスが違うような。
「だいいちに。普段は絶対にそんなことをしない男子だったから」
「しない? ああ。じゃあ、まず『おたまじゃくし』とからかった。それで、その次にも何かしたんだな?」
「うん。いまだに信じられないけど、休み時間に。私とやぁちゃんがお話してたら、その子がやぁちゃんのスカートを、いきなり、め、めくって……!」
「なにっ!?」
ぼくは身を乗り出した。
「そ、そんなのは、極悪非道な犯罪行為じゃないかっ!」
「そうなの! 聴いて! それでね!?」
立ちあがった刃楼ちゃんはしかし、見開かれたオレンジ色の瞳と目が合って――耳羽と連動――、声のボリュームを下げた。
「いっしゅんにして教室の空気が凍ったわ。でもそんなきょうあくじけんが目の前で起こったときって、人はみな、こうちょくしてしまうものなの。彼は大胆にも私の目の前で、やぁちゃんのぱんつをまじまじけんぶつしてから、『ヘーイww』みたいなことを言いながら、楽しそうに、とびはねた……?」
本当にあれは現実の出来事だったのだろうかと訝しむ表情で、心持ち語尾を上げる刃楼。
「夜々ちゃんは大丈夫だった?」
「うん……。ちょっとだけ泣いてたけど……でもそれで終わりじゃなくってね? その、罪を犯した男子も、熱を出して寝込んだ――とかで、学校に来なくなったの」
「それは……先生とか親御さんに叱られて、ショックを受けたからじゃないの?」
「それなら初めからしなきゃいいのに」
まったくそうだなとぼくは首肯する。
いくらか興味が湧いた彼の素行を訊ねる前に、
「お前はなんもされてないのか。他に変な男子はいないか」
「されてないー、いないー」
それならよかった。まあ、何の前触れもなく突然奇行に走る男子がいないと断言できるのもおかしな話だが、いると断言できたらもっとおかしいので空気を読む。
「最近は女子みたいな男子ばっかだからねー。元気でも基本無口っていうか。さっきの男子も女子全員で注意したらすぐ泣いちゃったし。いみふめい」
それが決定打になったのでは……?
昨今の溌剌な女子連中が、言葉という武器を最大限に活用して、悪漢を撃滅する光景がありありと浮かぶ。
刃楼ちゃん、やはりお前がリーダーか。
まあ今回は親友が被害に遭ったんだから当然なんだけれども。
「でもねー、ポニテをやめて髪おろしたらー、超美人さんなのが他の男子にもばれちゃってー、ちやほやされだしてー、守ってあげたいっ♪ みたいな? そしたら今度は女子のうちの何人かが、あの子なんか気に入らないとか、かげぐちを言いはじめてー」
「なんだそのえげつない悪循環は」
「だから最近は一緒に筋トレしてるの♪ みんなで筋トレ読書部で」
「若者は、三半規管強いなあ」
初めて同じクラスになった男子。
一週間やそこいらで、自室における真の人格まで知ることなどできようもなく。
聞いた話から憶測するのにも限界があるわけで――。
それに、低学年の頃のパーソナリティが判ったところで、一体何になるというのだ。十中八九、『性に目覚めた』が答えなのだから。
インターネットで悪影響を受けたのだろうということで、この話は終わった。登校してこないのなら、一応のところ、多少強引ながらも解決できているわけだし。
「おほん。ではそろそろ、本題に入りたいと思うのですが」
と、刃楼ちゃんは対面で居住まいを正し、しかし、顔面の力を抜いて、やっぱりやめた。
机にぐたーっとスライムする。
「ねえー、心ちゃんはなんか苦手ないのー?」
「んー、お母さん?」
「うそばっかり……」
「アマガエル! あれ、梅雨時期になると道路にうじゃうじゃ湧いてさ、朝夜のジョギング中に絶対踏んじゃう、」
「ギャーッ! やだ! 私もそれ嫌い! うえぇ~~~っ!」
「アジサイの葉の上でひとやすみ――的な絵面だと和むんだけど、足元でぴょんぴょんされたら、あー、もう! わー、踏む! ってなるんだよね。あのドキドキは、苦手かな」
「う~ん、納得っ!」
本題。
要するに彼女、握刀川刃楼は、例のあれが苦手なのだ。そして同時に、それを克服したいと強く想っている。こんなにも早い時節から。まあそれはいいとして――
ぼくは言う。
「一番の問題は、誕生日と被ってるってことだよな」
「オンザス……」
妹は一度、神を責めるようにそう呟いた。




