第一章 白百合十字団 第二節 練乳入り苺アイス
二
中学2年生にしては長すぎると思えなくもない生脚が、エミューのように軽快に、時速60キロで車道を駆ける。
「何を考えているのかはいつものごとく私のようなサポートタイプには皆目解らないけれど、それでも言わせてもらいます! ――絶対に無理よ! 貴女もう、あのこと忘れたの!?」
「え? あのことって?」
「つい一昨日! いつものごとく軽すぎるフットワークで揉め事に首を突っ込んだら、『お前みたいな奴がいるからヒーローに憬れる目立ちたがり屋の馬鹿がこんなにもつけあがるんだ!』って、即、お腹、ぶん殴られたじゃない!?」
「ああー、あれ? いや別に、生身の女子のグーパンなんか、寒天みたいな歯ごたえよ?」
「刺戟が足りなかったみたいな言い方してるんじゃないわよ……、じゃなくて!」
ふたりで同時に歩道橋を飛び越える。その姿はまさに、おでこを丸出しにしないフィギュアスケーター。頭髪をオールバックに固めないアーティスティックスイマー。そしてほんの少しだけ着飾った、女子バレーの日本代表選手だった。
下からのアングルは、どんなミクロの世界をも一瞬で、マクロの世界へと昇華させられるがために素晴らしい。
「リ・ア・ジュー!」
『きゃあ―――っ!?』
「リアージュ! リッア―――ジュウ!」
「かわいーっ♪」
「ちょっと! それは違う!」
眼鏡の方、紫の黒髪の優等生が、両目を逆三角にして相方へ突っ込む。
しかしそれも無理はないのだ。
何故ならあのでかぶつの容貌は――、
「それに貴方も! 本物のリア充は自分で自分のことをリア充って言わないから!」
「リッ!? リアージュ……!?」
「だっ、だめだよヴァイオレットタイド……! 画像修正必須メンな短足小太りキョロさんに、本当のことを言ったら、痛みを味わう余裕もなく頸動脈をメッタ刺しにされちゃうよ……!」
「魔法少女が日曜の朝から、痛みを味わうとか言うな」
「実は昔付き合ってた男にぃ、JY顔の超ロリキューな彼氏がいてぇー?」
「魔法少女のピンクが新学期早々、昔付き合ってた男の話なんかすんな」
「リッアージュウッ!?」
ゴリラの着ぐるみベビー服を着たゴリラ顔のゴリラが、大声で頭をかきむしる。
「いや、何の理由もなく初めから女の子大好きって言う女の子の方が、なんか胡散臭くない?」
空飛ぶベビーベッドから繰り出された紙オムパンチを、華麗に蹴り返してピンクオーロラが言う。
「男性ファンに媚び売ってる感満載っていうかさ? わかりみ?」
「貴女がその過去のトラウマを理由に、女子だけを好きになる女子へと変貌を遂げていたら、その言葉の信憑性も少しは増したでしょうね」
「チッ」
間、髪を容れないまさかの舌打ちを耳にした彼女、ヴァイオレットタイドの顔がまた、信じられないものを見た顔を経て、もう少しらしくなさいとでも言わんばかりに渋柿。
しかしこれも仕方がないのだ。天然の博愛主義者に対して、未来の旦那様だけを好きになれというのは、発電所で生産した電気を、夏場に扇風機を回すためだけに使用しろと言うようなものなのだから。
弱者を守るためだけのバイタル――そんな都合の良いものは、二次性徴が現れる前の脳内にしか実在しない。
人は電気があり余っているから、夏場に扇風機を回すんだ。
「あっ! ピンクオーラだ! 脚はえー!」
「よっ、ひろし! それにたかしも! 元気してた!?」
「ええっ、だれ!? おれ、風有魂!」
「僕、夜邦九……!」
「ファルコンにナイトホークかぁ、超、鳥だね!? がおーっ!」
『!? !?』
こうした何気ない、法定速度を厳守しながら、後部座席の子どもたちと会話するといった場面に置いては、ヴァイオレットタイドの方が劣等生だった。
彼女は今までに、成人男性よりも上品な、やんちゃな男子小学生というものに出会ったことがなかった。べたべた触ってきたら苛々するし、どう見ても性に無自覚だとは思えないからだ。
(魔法少女らしさって何?)
共感できそうなおとなしめタイプは、オラ、もっと話しかけて来い、とどれだけ念じても、どうせ僕なんか駄目なんだオーラを、自分のために発して、自分の心を守ってばかり。寄ってくるのはウェーイ系のキョロばかり。そしてそんな奴らは基本的に、全ての女子をただ単に、分け隔てなく平等に、下品な目で眺めているだけなのだから、本当に困ったものである。
そして、今回も。
「もっとオレをッ、気持ちよくしろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」
『って、喋れるんかいっ!!』
いや、それどころではない。このままではあの、特大哺乳瓶から射出されるミルクが、二次、三次災害を必ず引き起こす。それも、自分たちの所為で。
――と、ヴァイオレットタイドは考えたらしい。
頬と眼鏡に付着した白濁を、心底煩わしそうに拭い、眉をひそめて、
「――今回は! 欲張った貴女の負けよ。こんな迷惑で邪魔なゴミ、今直ぐ私が掃除します。文句があるのなら貴女を今直ぐ骨格標本に変えてでも!」
「文句ない♪」
思わず舌打ちが出そうになった。彼女はそんな風に口の端を噛み潰して、空高く跳び上がった。私は一位の手駒その一なのだという事実から、良い意味と悪い意味を同時に読み解いた人間に、不言実行以外の選択肢は残っていない。
そもそも全ての分野に秀でた超人など、そうそうこの世にはいやしないのだ。だからこそ普通人は、または女性は、そして魔法少女は、それぞれ異なった分野の専門家同士で徒党を組む。
「手を洗って蛇口を洗ってもう一度手を洗いなさい!」
空高く跳んでなお、ゴリメンの自称リア充は、自分よりも遥か彼方の虚空にいた。
「《超滅菌O3潮流》!!」
指揮棒に従う音譜ちゃんよろしく、杖の指す方向へ菫の渦が勢いよく迸る。
爆発音に断末魔が続き、反動でヴァイオレットタイドが地表方向へ急降下して、サーフボードを溶接したオリジナルの箒が筋斗雲。
背中の翼は小さすぎて非効率なのである。
「すげー! さすが、むらさきなのにバイオレッド!」
「違うよ、バイトレッドタイガだよ、お兄ちゃん……!」
どちらも全然違うのだが。
その辺りは彼女にとって、別段どうでもいいらしかった。
「うわーっ! 来た!」
「わかってるわよ! 今のはあの哺乳瓶を狙ったんだからこれから……!」
「違うの電話! 電話来た! あの子から!」
「はぁ!?」
溶けかけの練乳入り苺アイスみたいになってた主役が、適当な超高層ビルへ跳び乗って、吸いつきたくなるような笑顔でもしもし?
鋼鉄のサーフボードで、あんまりにも物理的に黒の拳を受け止める。
背中の翼を使った代価でお腹が彼女に空腹を訴え、紫なのに真っ赤になった。
「《鬼閻魔の波乗り斬り》オオォッ!!!」
小気味よい斬撃音が下から上へ、りんごのようにそれを割り、まるで墨を流したような。
「うあ~~~ん! 切られた! 私、お母さんなんて一言も言ってないのにぃ~~~っ!」
確かにあの名前はややこしいけれど。
「でも居場所はばっちり判ったわ!」
「貴女の耳ってちょっと変よね?」
「こっちへいらっしゃい! イケメンさん♪」
「私が倒すって言ってるのに……」
「ん~、すぐそこだから♪」
今直ぐこいつを処分したら、今度は自分が消されそうな予感がなんとなくしたりしたのだろうか。
ヴァイオレットタイドはビルから飛び降りたピンクオーロラを拾って、あーもう、汚い、ひっつかないでよと口にした。
ハンカチが間に合わなかった。
子犬みたいにぶるぶるされる。
眼鏡が多重の理由で真っ白に――なんだこの淫猥な絵面は――
《超滅菌O3潮流》!
四月の新しい魔法少女に、仲間集めイベントはつきものだ。




