第二章 幸せすぎて涙出る 05 手を出すといえば? 診断
紀元前四世紀の終わりごろ、ギリシア北方のマケドニア王国がギリシア世界を支配したことに続き、紀元前三三四年、マケドニア国王アレクサンドロスが東方遠征を開始して、以後約三百年続くヘレニズム時代が幕を開けた。
あっ。
今からちょっとだけ説明するから、水平線と交わる空に白い歯と焼けた肌が映える、ラテン系のミュージックビデオを、絶対に思い浮かべないように。
現在のマケドニアからエジプトをかすめ、インド西北部までを領土とする大帝国が誕生したこの時代、都市国家という狭い枠組みから解放された人間は、良い意味では自由を手に入れ、悪い意味では束縛を失って、世界市民主義や個人主義を重視するようになった。
巨大な国家。自宅がぐーんと広くなったと考えてみてほしい。人は大が小を兼ねたところで、幸せにはあんまり関係がなかったことを知った。ご飯がまずいと文句を言おうにも、ママはむっちゃ遠くにいて、でも食材はここにあるので、自分で作る方が楽になったからだ。
戦時中は不幸の全てを、攻め入ってくる敵国の所為にしておけばよかったし、それで正解だったけれど、いざ全てがひとつになると、今度は『外からの暴力が一切なくなったところで、自分が幸せになられるとは限らない』という真理を、人は知らされる羽目になったのである。
これ以降、人々は、不幸の責任が全て自分の肩にのしかかった自由の世界で生きてゆかなければならなくなった。これじゃあ家から放り出されたのと同じだよなあ……と、ぼやきながら。戦争が終結する度に。毎度毎度。
そんな人々の心を慰めるものに、このとき生まれたエピクロス派とストア派の哲学がある。どちらも『心が平静であること』という、同じゴールを目指しているのだが、前者は快楽主義で、後者は禁欲主義。よって表ではずっと対立しているわけだ。飽きもせず、紀元前から今日に至るまで。アタラクシアの対極『心が平静でないこと』の意味が、それぞれ違うということを理解しないままに。
エピクロス派における『心が平静でないこと』とは、『心が快楽にとらわれている状態』を指す。快楽への欲求を根絶せずに、適度に残して生きる力に変えよう。人様に迷惑をかけない程度の快楽で我慢できるよう頑張ろう。すげー可愛い娘が目の前に現れても、すぐに手を出したりしないように、心を平静にして生きよう。――これが、真の快楽主義的思想なのである。
ストア派における『心が平静でないこと』とは、『心が破壊衝動にとらわれている状態』を指す。破壊への欲求を根絶せずに適度に残して、下賤な欲望や負の感情へ向けよう。そして善だけでできた人間を目指そう。すげーむかつくやつが目の前に現れても、すぐに手を出したりしないように、心を平静にして生きよう。――これが、真の禁欲主義的思想なのだ。
紀元前三世紀ごろ、ストア派の哲学者、禁欲主義の祖、キプロスのゼノンは、世界の全ては『善』と『悪』と『どうでもいいこと』の三つに分けられる。と説いた。余談になるが、のちにここへ、『善になるかも』と『悪になるかも』が、以上三つの要素の中からサルヴェージされて加わることになる。
何度同じことを繰り返すんだ。先人がとっくの昔に悟っていたというのに。時間を無駄にした罪は何より重い。といった厳しい叱責を受け、格好悪い見当違いな努力をしていたことを悟るはめになるのは、何もアニメの原作者や憧れ型のクリエイター志望者だけではない。
最近になってやっとプロエーグメノンの存在を知って、悪及びアディアフォラに分類していたものの中から絶賛サルヴェージ中の瞑鑼だってそうだし、どれだけ理性の力を総動員しても、夜な夜なエロワードで検索をかけちゃう俺だってそうだ。……これはちょっと違うか。
まあとにかく、初めに世界の全てを学んでから行動しよう――なんて考えで、人生をやっていける人間なんか、ひとりだっていやしないってことだ。学んでいれば行動しろと言われ、行動していれば学べと言われる。そんなもんさ。みんなそうなんだ。
昔の人はどれだけ激烈な欲望にとらわれていたのだろう、とも皮肉交じりに記そうと思っていたけれど、ついさっきエピクロス派にとっての平静と、ストア派にとっての欲の意味を自分で分析してしまったから、なんだか微妙になっちゃった……。
いや、でも確かにストア派の哲学者は、何ものにも心を惑わされない『無感動』を目指していた。禁欲主義者は全員、時代に関係なく、『味わう』とか『楽しむ』とかいった、過程に重きを置く行動を忌み嫌う。しかしそれでも、昔の禁欲主義者の方が『解っているけど欲求が邪魔をする!』と、頭を悩ませていたことは間違いがない。無気力症候群なんて言葉が誕生したのは最近だからだ。
よって昔の禁欲主義者には、内部から沸き起こる烈々たる性欲等もあったのだろう。そしてそれらを克服したいと強く願った。『こんなにも無駄な欲求を抑えることに、こんなにも無駄なエネルギーを使わなくてもよくなれば、きっともっと善なる活動に心血を注げるに違いない! それこそが理想の人間だ!』――と。
その結果。
欲望の否定を突き詰めた結果。
一心不乱にアパテイアを目指した結果。
皮肉にも、『アパシーシンドロームに陥った無感動人間』が、現代になって沢山誕生したのであった。諦めずに成功を信じて努力した夢がついに叶ったというわけだ。めでたし、めでたし。
だから俺の妹、七七七瀬瞑鑼が慢性的な無気力にとらわれているのは、基本的にはこのためなんだ。元気が出ない、やる気が出ない、生きる気力が湧いてこない、どうせ死ぬんだし何もかもどうでもいいとしか思えないのは、ストア派の先輩哲学者たちが、無感動人間の誕生を心の底から願って戦った結果なのである。
従って、欲望を取り除くことと、何ものにも惑わされないことは、実は関係がないのかもしれない。『何ものにも惑わされないようにするためには、欲望を取り除けばいいんだ!』という発想が、そもそも間違っていたのかもしれない。
先人に不平を述べたところで現在の問題が解決できるわけではないので、俺たちは一体何をどうすればいいのかと考えると、次のようになる。『手を出すといえば? 診断』で、自分はどっち派なのかをしっかり見極めて、お互いに喧嘩しない。エピクロス派ならエピクロス派こそ欲張りを極めないでいようという教えだったんだなと素直に受け入れ、ストア派ならストア派こそ、破壊して人のためになるものを探して、合法的に破壊を楽しもう。
快楽主義、禁欲主義という名称それ自体も、内容を誤解させる結果に大いに繋がっているように俺は思う。創造主義と破壊主義……いや、快楽主義と破壊主義にすれば、平等にはなるのかな? 駄目だ余計誤解される。どちらにも属したくないと言いだす人、続出必至。
無気力症候群という名前もそうだな。無感動、無感情、無関心、無気力、無目的は、厳密にはそれぞれ意味が違う。非人間症候群とすれば、適切に言い表せているかもしれないけれど、今度は差別的表現になるのだろう。誤解されるのがいいか、不快にさせられるのがいいか……。無生きる力症候群ならどうだ? ――簡潔でない上に憶えにくい。
さておき木曜日の夕方、帰宅して自室のドアを開けると、妹が俺の学習机の上で仰向けになっていた。今年度になってからやけに甘えデー多いな。一抹の不安を覚えながらも、俺はとりあえず何かあったのと訊ねた。
「人並みの記憶力ないけん、何があったんかもう忘れた」
「そうか」
俺は荷物をその辺に置いて、椅子に座った。
「あんな? IQが超高い人ってな? 忘れられない方が辛い。とかよぉ言うけど、『方が辛い』は言いすぎやと思わん? 憶えれん方も辛いわ! 日常生活、送れんわ!」
また自分の対極ばっかり考えてる……。いや、対極だからこそ大勢いるのか。口頭でさっと説明されて、『? ?』ってなって、みんなにくすくす笑われたのかもしれない。
「スキル『人間嫌い』なんか、なんの役にも立たんわ! もぉーっ!」
そういやそんな問題もあったな。俺は机の電気をつけた。無気力に、瞬間記憶能力の欠如に、人間嫌いね……。あと五感過敏もあるんだよな。眼帯と防音イヤーマフを見る。効果は微妙でも、『チッ、それなら先に言っといてくれよ』殺しにはなるらしい。
「学校にもどのチャンネルにもどんな教科書にも人、人、人! どこ見ても人ばっかり!」
プラスのスキルも度が過ぎたらマイナスだ。映画館が明るかったらむかつくし、全く暗記できない悪口を、ひとつ残らず聞き流せなかったら地獄だろう。別々に食べればごちそうなのに、チーズバーガーとフレジェと海鮮丼をミキサーにかけたらゲロにしかならない。
「うおーっ、原子に還りたいっ!」
原子に還られては困るので、俺はまたいつものように、当たり障りのない慰めの言葉を口にする。
「犬恐怖症の人が狼の檻の中にぶち込まれたら、一秒も正気でいられないのが普通だって」
「そうよ! まさにそうなのっ! でもなんか行かなきゃなんないしぃ! ぐるるうっ!」
だから別に行かなくていいって言ってるのに……。今は学校に行きたくない子は、無理してまで行かない時代だろ。一体何と戦ってるんだよ。というか昨日ひとりで頑張りすぎたんだよ、お前は。右脇腹をさわさわすると、瞑鑼は「んへっ」と笑って俺の腕から口を離した。
「もぉ、お兄ぃのえっち」
「がおーっ! ふがふが」
「んへへっ……!」
顔と指でお腹を演奏。瞑鑼ピアノが身をよじり、また変な声で笑う。
「へへへっ、もお! 行かなくていい行かなくていいって、そんなん、その場しのぎにしかならんでしょ! お兄ぃは人間に拒絶反応ないくせにっ、狼の檻の中へ入れるぞ、人間っ!」
やめてくれ。そして姉妹そろって髪の毛に攻撃を加えるんじゃない。
「そんで狼を嫌がるのが普通とか言ったら、鞭でしばいてご飯抜き! びしぃ! からん」
どれだけルサンチマンため込んでるんだよ。お前もうマジで明日学校行くなよ。というか明日から行くな。
暫くお腹に手を置いていたら、瞑鑼はまた口を開いた。
「……なあお兄ぃ、人間が好きな人って、人間のどこが好きなん?」
どこが好きなん、と訊かれても……。
「汗かいたら臭いし、フケも垢も出るし、近くで見た肌も不気味やし。爪も髪の毛も無駄毛も処理する前から汚物やろ? 眼球単体には怯え、内臓にはキモイと吐き捨て、血液を見たら卒倒し、全身骨格には悲鳴を上げ、肉付けした人体模型には腰を抜かし、人そっくりのロボットには罵声を浴びせる――そうね。私には、全ての人間が、最初期の人型ロボットに見えている――と言ったら、解ってもらえるかしら?」
「解るよ」
うーん、何と言えばいいのか……。ちょっとおへその中を確認。綺麗……。
「だから『私、人間だぁい好き』とか自分で言うやつに限って、自分のことが一番大好きってアレだ。俺にしても、正直言って、『好きだ嫌いだ』を考えないレベルって感じであってだな。『好きな人は好き』『嫌いな人は嫌い』――と、こういうことなんだよ」
「ほな自称平等主義者――つまりただの差別主義者、よって完全なる悪人ってことやね?」
「そうだ」
というか全人類を平等に愛することを目指してたのかよお前は。
そんなこと神さまにもできっこないだろ。
ナデをやめたら即座に乳首を攻撃されたので、俺はまた喜んで再開した。
「ねえ、私みたいなのって、どうやって生きていけば良いのかしら? 何か言ってよ」
「……大丈夫だって。人の頭が良くなっちゃった昨今、凡人の方が少ないから」
「? どういう意味?」
「お前みたいなのが七人にひとりはいるってこと」
「七人にひとり!?」
ごりっと首をこちらへ向け、隈に染まった右目をギョロリと見開く。太眉ではない。
「そうだよ。集まりたくない気質だから本人たちには判らないだけ。非凡人だけで考えると、五人にひとりは確実にいる。更に、生まれたときから死ぬまでずっと超前向きな凡人なんて、言ってしまえばひとりもいない。心がどれだけ強くても、車に撥ねられたら体を壊すし、そうすれば強制的に挫折させられて心を病む。お前が今悩んでるようなことをな。『誰も理解してくれない』『自分なんかもうこの世には要らないんだ』『死んだ方がみんなは喜ぶだろう』――。だから挫折とか絶望を先取りできてるお前の方がラッキーなんだよ。今からもう夏休みの宿題やっちゃったって感じ」
「ふーん……。お兄ぃ、もっとお話しして?」
じゃあちょっとそこどいて、明日の用意するからと言うと、瞑鑼は俺の体に絡みついてきて――重い――ずるずると床に降り、だらだらと絨毯に寝そべった。
リラックスはしてるようだな。
「むかしむかし、人はみんなアホだった。アホで、しかもアホだった」
俺は日記に簡単なメモを書きながら話を始めた。
「だから全員が『オレって頭良いよな』と、本気で思い込んだまま一生を終えることができた。でも今は違う。新時代人はみんな、アホだけど、アホなことに自覚があるんだ。だからほんとに自他ともに認めるアホしか、この世にはいなくなったというわけさ?」
「自分がアホってことに自覚がない人も、まだまだ沢山おると思うけど……」
「瞑鑼、そういうのはな、人じゃなくてサルっていうんだ。ゴミサルだ」
「お兄ぃってときどき私よりひどいこと平気で言うよね」
ああ、俺に言わせればお前の方がよっぽど人格者だよ。同類以外も殺害しないように、日々頑張っているんだからな。俺はお前や寧鑼を守るためなら、人間だって平気で殺すよ。
まあこの思想も、女王に仕える歩兵のものとしては、ごく普通のものだが……。
「誰ひとりとして『幸せ百パーセント』で生きてるやつなんかいないんだ。だって自分が運よくそうだったとしても、身内に必ずそうじゃないやつが現れるんだから。アホを自覚した賢い子へ育て上げたら必然的に我が子がアホになるし、今時分親が最期まで健康な人なんかどこにもいない。そんな中で自分だけが幸せだったら地獄なだけだよ。宝籤を当てたやつは、オレにも寄越せって理不尽な嫉妬を、周りから半端なく受けると言うぜ?」
「宝籤も勝負事も、興味なくてよかった。ふふ」
「人は必ず無気力になる! 手に入らない人は手に入らないと死ぬまで嘆き続け、手に入れた人は最後の最後に奪われて、死ぬまで嘆き続ける! そして無感動になって、無感情になって、無感心になって、無目的になる! ……お前が直面してるのは、遅かれ早かれ誰もが必ず向き合わされる問題なんだよ。だから全くおかしくない」
「へえー」
「やる気なんか出るかよ。こんな終わりに終わった世の中で、生きる気力が湧いたらそれこそ頭おかしいだろ。だから『ガチで笑えない』という点から出発して、『お前も笑うな』『オレの様にもっとふさぎ込め』と、共感を強要することでみみっちい幸せを得るのか、『自分だけじゃなくて、みんなもガチで笑えないんだな』というところに着目し、人を笑顔にする立場を目指して、遠回りながらも本当の幸せを手に入れるのか、と、こういう話なんだ。わかるか?」
「あー、だから娯楽関係の人って、潤ってるんやね~?」
「そう」
俺は寧鑼の部屋へお泊りに行ってるグルミスコティのことを考えた。あのGどうぶつシリーズだって、発売中止にしたら暴動が起きるレベルだぞ。原作者がどれだけ守銭奴呼ばわりされたくないと渇望しても、最早買えない側が泣き叫ぶ状況になってしまっているから。
「芸能人の不幸話とかって、笑えるから大したことないように聞こえるけど、よく考えると、大したことだからこそ笑えるんだよな。『笑えないからこそ笑わせる』。こんなことは並大抵の人間にはできないよ」
「普通は偽りの幸せで満足するか、周りの人間を自分と同じ不幸のレベルに落として満足する」
「その通り。だからお前はどうにかこうにか頭を使って王になれ。俺はひとりで地獄に落ちる」
「あはは」
「だからさ、そんなとこに寝っころがるんじゃなくて、ちゃんとお布団に入りな」
そう言うと、丸出しで床に突っ伏していた瞑鑼は、また蛇の真似をして、ずるずるとベッドへ上がった。
「今日はここで寝よ。産まれて初めて、今日だけここで」
「うん」
「お兄ぃも今ちょっと寝る? ぎゅーってしてとんとんする?」
「じゃあ何か本読もうか、何がいい?」
「四字熟語辞典と故事ことわざ辞典とジーニアス英和辞典」
「お前はほんとに欲張りだなあ」
「んひひ……!」
でも本当、人間が無理なやつって、現実問題どうすりゃいいんだろうな?
気力とか記憶力とかは努力と根性でどうにかなるとしても、恐怖症ってのは心の持ちようでどうにかなる問題じゃないんだろ? 作家以外で考えると――お嫁さんぐらいしか俺の頭では思いつかないが。いや、それも夫が人間なら無理だ。犬扱いされて喜ぶ男だったらいいんだけど……。犬を飼う……は、逆に駄目なんだよな。『私より先に死ぬものは要らない』らしいから。
ああ、そうだ。あそこにはある意味絶対に死なないやつがいた。流石に檻の中へ入れてはくれまいが、こいつに限って会いたくなさすぎて仕方がないということはないだろう。
「瞑鑼、動物園行こう、今度の土日に」
「ええー? いいけど。でもそういう約束って、お兄ぃに悪気がなくてもお流れになりがち」
そう言いながらも瞑鑼の右目は、いつもよりも格段と、本物の水銀に近づいていた。