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第二章 幸せすぎて涙出る 02 見当違いな努力は

 何も好きになられないあいつとは決定的に違う。それは解ってる。それどころか広く浅くタイプの俺は、狭く深くタイプの人よりも日常生活を楽しめている可能性がある。スポーツに関しても勉強に関しても人付き合いに関しても。でもだからこそ何かに熱中・熱狂できる性分じゃないという点は同じなんだ。俺にもこれといった夢、確固とした目標はない。これだけはといったこだわりも、絶対に譲れない信念も、墓まで持っていきたい秘密もない。あの漫画が終わるまでは死ねないとか、あのゲームがある限り生きていられるとか、そういうのが一切ない。少なくとも一位の人ほどは持っていない。即ち無趣味、よって無目的。


「だから不安になったというか。いや、瞑鑼めいらのせいってわけでもないぜ? でもなんか『あー、そう言われれば、特に興奮するようなことでもなかったな』『冷静に考えると、別に必死こいて手に入れるものでもないよな』『家で冷蔵庫の残り物食って、ネット見ながら妄想してればいいじゃん』――こう思わなかったってことはないんだ。最近」


「へぇー、そうなんだ」


「感情移入しすぎたのかな?」


「んー、そうかもね?」


 カメの価格についてひとしきり驚いて。髪を乾かし終え、ちゃんと服を着てもらって。部屋に入り、揉もうか? 揉みたいの? 揉みたかったら別にいいよ? ということで、俺は今、寧鑼ちゃんの肩を揉んでいた。ぐっ、ぐっ。

 どれかひとつを死ぬほど苦手になってもいいから、大得意な何かが欲しいとまでは言わないけれど……。


「なんにもなくなっちゃったの? 夢?」


「瞑鑼が社会に出られなかったら養ってやりたいとか、お前に貰い手がつかなかったら養ってやりたいとか、そういうのはある」


「じゃあそれじゃない?」


「そうか?」


 いや、そうだな。ああ、俺にはちゃんと夢も目的もあった。俺はまた安堵の溜息をついた。ただ単に揺らぎがちで、染められ易い気質なのだった。だから自然、プチ不安にもなる。不安な人が周りにひとりでもいる限り。こんな特性、人間嫌いや人見知りと比べたら大したことないのはわかってる。でも、してもいいときには相談するんだ。


「あと、自分の家庭も持ちたいな。お前がいて俺がいて犯罪歴のない瞑鑼がいて、離れには親父と母さんがいて、どうにかこうにか妻がいて。それで一姫、二太郎、」


「三太郎!」


「四姫、五太郎、六太郎!」


「うひゃー」


 このように、結婚するとか金持ちになるとか長生きするとかいった、ある意味漠然とした、遠くにある夢は誰でも持っているだろう。ただそういったものが、今日飯を食うことや今夜眠ることと全く同価値な瞑鑼たちには、そこに至るまでの日常を越えることができないのだ。手に入っているものを手に入れるために、一体どうやって奮起するのだ、という話らしい。


 人間に関すること全部と、娯楽に関すること全部と、記憶を集めに何かを経験することの全部が無理。勝利して喜ぶことも入手して楽しむことも、一緒に分かち合うことも騒いで我を忘れることも嫌い。本音をさらけ出さなければ非難され、本音をさらけ出したら叩かれる――。そりゃあ現世に生きてて疲れるはずだ。することないじゃん。できることがない。


 そうだな、俺たちには身近に同類がいる。あいつにも身近に同類がいれば、また人生が違ってくるのだろうか。外でも明るくなったり、昼でも生きやすくなったりするのだろうか。


「お前は大丈夫なのか? なんか悩みないの? 愚痴でもいいから言ってみ?」


「んー、ないこともないけど……」


 ないこともないのか。それは珍しい。しかしどうも歯切れが悪いな。そう思いながらも黙って筋肉をほぐし続けていると、寧鑼は自分からぽつぽつと話し始めた。ミヤマカラスアゲハを髣髴とさせない、純粋に『つやのある美しい黒髪』という意味の、漫画的表現でも決して緑色にはならない緑の黒髪を改めて触る。かなり伸びてきたなと言うと寧鑼は力なくうんと呟いて、ベッドにぽふんとうつ伏せになった。


「本編にもためになる情報はあったけどね……、やっぱり厳しかった」

 

 ふうん、たとえば?

 膝の上にやってきたジャージ脚を揉む。揉む揉む。揉みにくい。


「若いころ小説を書こう書こうとしててね? 三年もかかってやっと、語るべしってことに気づいたんだって。小説家になるには文章力よりも先に、トーク力を磨かなきゃいけないみたい。そういや『物語』とか『語り部』って単語、文中でよく見かけるもんね?」


 小説って普通そういうもんだろ。とは思ったけど言わずに、俺は膝から脚を退けてベッドへ上がる――体勢を整え直した。よし、これでだいぶん揉みやすい。


「だから一人称も三人称も、根本的には違いはないんだって。主人公になりきった作者ひとりだけが全文を語ってるのがいわゆる一人称で、作者本人が主語を抜かして語ってるか、作者が『物語を語ってるキャラクター』を語ってるのが三人称なんだとか」


 ほお……。今度のはちょっと難しくて、頭に入らなかった。


「なんか一生懸命文章力をつけよう、つけようとしてたのに、トーク力の方が大事だとか今更知っちゃって、見当違いな努力をしてたなー私。って感じ」


「お笑い芸人じゃないんだから、いずれは文章力も要るだろ」


「そうなんだけどー、今度は一から話術を学ばないといけないわけよ。ほんとまぢ途方もない。トークの才能がないって絶望したからこそ、小説家を目指すんじゃなかったのー? もーっ」


「だからみんな苦労してんだろうな」


「苦労とか。見当違いな努力は、そんな格好良いものじゃないわよ……」


 どうしてなのかと思ってはいたけれど、今やっと分かった。あいつと違ってこいつの悩みはどう悪化したところで誰も死なないから、真剣に考える気にはならないんだ。それにもう自分の中で答え、出てるっぽいし。となると俺にできることは、


「じゃあ寧鑼、今から一緒にあそこに行こう!」


「えっ、焼肉!? やったぁ♪」


「いや別に焼肉でもいいけど……」


 ほらな?

 激烈な欲求がある人間に、憔悴するまで物事を思いつめることなんか、土台無理なんだ。


「百五十万円分食う! がぶぅ!」


「そんなことを言うのは、このお腹かっ!」


「うひーっ! はははあは!」


 他愛ない会話をし、筋肉をほぐして飯を食う。

 これだけで簡単に元気になられる俺たちは、きっと世界一の幸せ者なのだろう。


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