第三章 鬼謀 B‐31 #広瀬ボブの正体
顔面蒼白、目の下には隈、頭髪だけが悲壮にやせ衰え、唇は真っ紫。
「オジさんもう無理! やっぱ年取ってるわぁ! みんな若いなァ高校生まぢ元気!」
(やれやれ系語り部世代の全盛期に、実質シア充な思春期を過ごしたんだろうなあ)
タクシーで帰るよ、と、罪悪感を減らせる上に、幸運にエンカウントできる確率も上げられる超お得なキャッチボールを期待して放ってみたボールは、埋火一族の敷地内へ、吸い込まれるように転がってゆき、
「先生、ガソリンスタンド寄っていぃ?」
YESしか答えられない別の魔球を、キャッチャーミットのド真ん中へ投げ返されていた。
私も付き添いますと頑張った、千見錦ツァールピュイアが、未成年だから襲われたらマジで洒落にならないからと、実に現実的な説明を真面目な顔でされて、結構あっさり切り替える。
着替えてプールを出てロサ姉の車で、今要らない荷物と、今要る荷物を各自取り換える。
その“非日常”は、おれたちがぞろぞろと『ずうふぁ飯』を目指して歩いていた、まさにその道中で起こった。
顔見知りが寄越してくれた謎ならば、比較的早めに解答を知ることができもしよう。
それはすなわち小話を更に今風に、コンパクトにまとめられることにも繋がる。
今回のケースではそれができない。
つまりおれは今、このことをただ、断っておきたかった。
気がつくともう既に発生していて、心の中で右往左往しているうちに、いなくなった。立ち消えになった。本日の悩みで上書きされた先月の今頃の悩みのように自然消滅した。いきなり山場から始まっていて、解もオチもあるはずがなく、唐突にブツ切りになって終わった。
勢いよく転倒したヤサ男へ、追いついた美少女は広瀬ボブ。
安直に痴情のもつれを連想する。
未だに白い息が珍しい。
(そういえばさっき、すれ違った覚えが――)
少女は何かを叫――ば、なかった。
まるでそれが計算外の出来事ででもあったかのように?
わさわさと足掻いたひょろ長い手足が、胴体と、何やらメンズらしくないバッグを――?
担ぎ上げた。
(ひったくり!)
傍からは言える。無責任に命が一番大事だと。しかし今のスマホは、消しゴムのカスよりもどうでもいい文房具その一なのか? どう見ても屈強ではないのだ。女は愛嬌と言わされた時代でもない。憧れの女性なら勇断すると、理性に囁かれなかったとは誰にも断言できない。
しかし追いつけたところで、取り戻せるかどうかは別の話だった。触れられるかどうかは別問題だった。触ることができたところで、その判断はどの程度まで正しいと言えるのか? それで先の躊躇いへ繋がった――。
感情を肯定したがる男子というものも、この世には生きているのだ。今にも破裂しそうな毒入りの風船に、保身を忘れて爪を立てる馬鹿は居ない。
「あ、あ……」
こんなとき。
埋火カルカも白亜木てぃら美も、意外と見て見ぬふりをする。
潔く助けに入らない。
勿論、わけもなく女子助けをする語り部世代とは差別化を図りたい世代の傍観者も動かない。
(暖かい世界観だったらどうしたかまでは判らないが)
光の角度と前髪で、こちらからの瞳の曖昧な彼女は、再び意を決してしまった。
実際に見た衝撃の映像に、予想できてた証拠のない慢心が蹴り飛ばされる。
「ブヒィィッブ、ブタタ!?」
ぶん殴られた味噌顔ティシューペが、3メートル近く吹っ飛ばされていた。
スプリンター顔負けの走りっぷり。
だったような……。
吐く息をわざわざ口を窄めてでも、無色透明にしたくなる。
一丁前に格好つけて止めに入ったのだ。『深追いしてはいけない』的な眉毛で。返り討ちに遭ったらご両親が悲しむよという憐れみの表情で諭すように。
動機と実行力がなかっただけで、誰が考えてもあの選択は、圧倒的に善であったはずなのだが……。
「味噌顔くん、ごちそうさま♪ だって最下位が全員に奢るから……」
「オイちょっと待て白亜木ぃら!? 2、3人での外食でならまだしも!?」
人一倍頭の悪いおれはもう既に、頭の中でいきなり肩車をしてみて、返ってくる様々な反応を楽しんでいた。