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第三章 鬼謀 B‐01 誰無

 現役、あるいは経験者だったんだな。

 この高揚感は、小手先からでも理屈じゃない。


 不可思議で間違いない。理屈は始めからおかしい。業務用スーパーで、最安値で入手できたとしても、等価なる金銭と交換した時点で、数式は綺麗に完結しているはずだから。


 特にガキの頃なんかは、手に入れた商品を一刻も早く嗜むことしか頭になくて、買ってやった俺の方が感謝の言葉を述べる、なんて選択肢は、思いつきもしなかった。


 ところが立場が変わって言われてみると、なんだろうな。相手の今後を思い遣って、親切心から間違いを正してあげたくなどなるはずもなく。かといって、相応の奉仕をしてやったんだから、言われてやっとぴったり腑に落ちるなんてことも当然ない。


 コンビニバイトで得られる最大の教訓と言っても過言ではない。

 女の人のやわらかい掌に触れても構わないことも驚きだったが。


 少なくともクレーマーな“老”よりは、善人に近いことを実感できる。よく似た身分の自分を慰めているだけ。第三の理由は、その店員さんに対する印象を良くできるから。このご時世、嫌われて得をすることなどひとつもない。まあ、どうしようもない袋小路には、忍耐で立ち向かうより他にないが。


 我が子にも是非、体験させたく思うが、おれが親父になる頃にはきっと、完全自動化はされていなくとも、店長の身内だけで事足りるようにはなっているのだろうな。


 美人ちゃんにはいつだって仕事がある。


 仕事ができる奴は誰? 先輩に強い関心を示せる奴だ。友が増えて頭を抱えるのは、人生を全クリした長者だけだろう。駐車場の掃除、ごみ袋の交換、商品の補充、トイレ掃除に棚掃除に肉まんの蒸し器の掃除――を、おれだって懸命に頑張りたいが、いま陳列棚を整頓しに行くだけでも逆鱗に触れるのだ。わかるだろ? その間にお客様がやってくると、レジ打ちをさせることになる。そんな後輩は仕事ができない。勤労とはお手を煩わさないことだったんだ。


「あの……? すみません」


 レジ番にも天からの甘露はある。


「藤谷……こるんさんですよね?」


 よく訊いた。

 おれもなんとなくそんな気がしてたんだ。


「卍卍卍卍卍!?」


 どうやらまじ卍だったらしい。

 しかしこの大SNS時代、写真嫌いは肩身が狭いぜ。


「ぶっちゃけあの、隣で喜んでる娘の方が可愛くない? 俺はタイプだなー」


「男性だけにウケるわけじゃない、テレビ映えするタレント性があるから、タレントをやっているんだと思いますが。というかまずいですよ、そういう発言は」


「いや実は俺は、今年で十七歳になるんだよ?」


「そんな昔の漫画みたいな……」


 うちに置いていないカードゲームをうちの息子が万引きしましたと、母を騙す息子を連れて謝罪の演技を見せてくれる母親に闇を見せられる以前は誰でも、入ったことのないコンビニを見つけるや否や、異世界に来ちゃった証拠を探してる語り部ごっこをやりたい衝動にかられるように、こうして長時間拘束されていると、瞳が勝手に異世界人を探しだすものだ。


 順序としては、異世界感を肌に覚えるのが先だ。きみは屈強なアフリカン・アメリカンに、実際に対峙したことがあるか? 豚肉は入っていませんかと訊ねてきた中東系の男性に、ちょっとだけなら大丈夫的な注釈を、陽気な口調で加えられたことは? 大丈夫なのかよ?


 臭すぎるゴミ屋敷の主が食玩を吟味する。話の通じない奇人が女の子の店員を強めに押す。利用者さんが職員に悪態を吐かれる。時代錯誤の不良が笑顔で当たりくじを全部持って帰る。美人がひとりくらいしか居なくてもコンパニオン。同級生が詐称してお水に従事している。


 逆算しない方が疲れる。

 それなら退屈は哲学の父だな。

 与り知らないミクロな分野も異世界のひとつだろう。


「誰彼構わずの誰に、誰でも無いの無で『誰無だれむ』という」


「珍しい苗字ですねー?」


 アロハシャツ姿なのも異様だが、おれは成人男性に対しては、特にノリが悪かった。

 子どもをあつかうのが特別上手だというわけでもないけれど。

 大人なら車の中でいくらでも着替えられるじゃないか。


「おおかみ……くんは、『にこりん』より『こじまる』の方が好きそうな顔をしてるな?」


 どんな顔だ。

 そして誰なんだ、誰も彼女も。

 というかそれは、さっきから全部あんたの好みだろ。


「最近の子は本当に、テレビを見なくなったんだなあ」


「いや、見ますけど、高校生にもなったら、小学生の頃ほど遊べる時間はありませんよ」


「休みは週に何日あるの?」


「火曜にバイトが休みで、土日は学校が休みです」


「それって実質、週休0日じゃない?」


 毎日々々、十七時から二十一時半までの間に、八時間以上経過すればな。


「誰を待ってるんです?」


「んー、誰というわけでもないけど。もしかしたら、君かもしれない☆」


 おれは背筋の凍るトゥインクルを見なかったことにして、大急ぎでトークテーマを変えた。


「将来を誓い合ったガールフレンドはいないのかい?」


「いますよ、バリいます。五、六人います。七、八人」


「ああ、だからこんなに働いてるのか」


「働いているかどうかはともかく、自分の夢はATMになることですからね」


「二世タレントだったね? 俺は二世タレント、大歓迎だよ。完璧に全肯定」


「面白味に欠ける自分も実は肯定派ですけれど、世間では『真面目に頑張ってる人が報われなくなるから自重しろ』って正論が、圧倒的に支持されているわけじゃないですか?」


「善行なのか、悪行なのかで考えよう。たとえばよくある『すごい親父』に、自分が恵まれていたとする。それなのにコネクションを使わないというのは、ある意味『手抜き』だと言える。全力で戦いを挑んでくるライバルをナメてかかってる。他人を見下す行為は紛れもない悪行さ。後ろ指をさされたくないからとかいう仕様もない動機で、苦心して築いてくれた土台を蹴って、選ばなくても構わなかった普通なる険しい道へなぞ、あの時進んでいなければ、結局心身ともに傷悴し切って帰ってきて、両親を悲しませることもなかったんだ。え? 善を行うためには、遡って就活の時点で、資産をありがたく頂戴するより他にない。ではその後で、手に入った阿堵物あとぶつを、私利私欲のためにのみ使うのは善か悪か? 一般的に考えて、資産家とそうでない者、どちらがより多くの金銭を、慈善的な方向へ注ぐべきか? コネの時は自分に都合よく善悪を論拠にしておきながら、分配するべき空気を嗅ぎつけると途端に、何者にも縛られない自由と権利を議論の主軸に据える――こういう蝙蝠こうもり系はむしろ、叩かれるのが娯楽なんだろうよ」


 こるんちゃんはまだ、初めて会った女子高生と、お喋りしてあげていた。


「『努力』についてどう思う!? 実質無名のエリートは決まって、ヒトは何者にでもなられる素質を平等に生まれ持っているという『信じたい仮説』を、強く信じれば真実へ変えられると念じながら、自分で選んだ好みのゴールへ真っ直ぐに突き進むことだと口にする。違うね! 努力とは既に手許てもとにある運や才能を、最大限に活かすことだ! 夢は叶うさ! ――そいつが上等な皮を被せた欲望でなければな。俺は今までに一度だって『将来就きたい職業』を訊ねた覚えはないよ。『運にも才能にも頼りたくない!』――こんなものは『給料と善人の称号を同時に入手したい』という強欲の発露に過ぎない。『やりたいこと』なんて、『善人になるための善行』なんて、稼いだお金で、仕事の後に、手淫に費やす時間を削って実行すればいいのにwww」


 芸能人と入れ違いに入ってきた、可愛らしい彼女の彼氏らしい男が怒鳴る。この寒さの中、三分間も待たされて、死にそうになったからキレたらしい。

 振り下ろされる拳を掴んだのは、今さっきまでここでおれに長広舌を揮っていた、誰無だれむとかいうアロハのオッサンだった。


 あれってアロハじゃなかったか?




 この寒さの中。せっかく入念に温めたうな重がカチカチに凍っている。本日聞かされた種々雑多な大声が思い出される。店の裏に停めておいた自転車の傍で、数時間前におれを罵倒した、見た目は中年の男性が、頭から血を流して倒れていた。

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