第三章 鬼謀 A‐10 四捨御免
人質の取り合いという泥試合を最速で抜け出す方法は何か?
諦めて即帰宅、諦めずに即死亡の二択を除けば、さっきのように第三者の手でリセットしてもらうより他にない。よってそれは計算に入れられない。だからおれは今驚いていた。何故かというに、現在決して肉眼で見られるはずのないものが、見上げた闇に浮かんでいたからだ。
本物とは似ても似つかない伊達政宗。
始まりの金環日食を鏡写しにしたものこそが、地球の影が落ちることによって欠けてほしいと願う人の、理想の上弦の三日月だった。
雲より手前にあること、そして何より黄緑色に自ら発光していることから、あれは本物ではないということが、今のおれたちには解っていた。
そして、それ以上のことも。
「ええ――っ!? マジで!? なんで!?」
熱造に続いてそのお友だちも、歓喜と驚愕の入り混じった雄叫びをあげた。
降下してきた三日月が、家屋よりやや上空で静止。
拳銃の銃口が更におれの顎に食い込む。
オリザ姉はじっとこちらを見つめている。
埋火ミュウダはきっと今、動揺させられまい、隙をつかれまいとしているのだろう。
(これは本当に、一体どういうことなんだ?)
(いま何が起きている? 誰かが知り合いなのか? それとも――?)
後ろ髪をどれだけ前衛的に束ねようとも、彼女の個性を最後まで守り通す、形状記憶の燕前髪。純金のミニクラウンと、ハ音記号のヘアピン。復活を夢見る神の滴、冬のウォールデン湖のように澄み切ったブルーの瞳……。
静かにグラスハーモニカの音色が聞こえはじめて、疑念は頭から完璧に消し飛んだ。
(間違いない、これはあの曲のイントロ部分だ!)
おれは兄貴の腕の中で戦慄した。そんな馬鹿な話があるだろうか!? アイドルの彼女が、実はアイドールだっただなんて!? そんなことが、いやまさか、でもしかし――!
(実際そこまで寒くもないのか、この駄洒落……?)
いや、問題はそこではない! 今、何よりも問題なのは、彼女、《Red eyece》のセンター、花松音那ちゃんが今ここにいることだ!
イントロが終わると同時に、彼女の喉から聞き慣れた電子音が。背後から幾何学的に折り畳まれた背景が飛び出した。きらきらと川が流れるように。ガシャガシャとロボットが変形するように。瞬く間にそれは大気中を広がって、要塞と見紛うほどの巨大なステージへと膨らんだ。
まさかの空中ゲリラソロライヴ。
完全に意味がわからん。
こうすれば万人の心が溶けるのだろうか?
幼児向け土朝、日朝アニメみたいに?
『音那ちゃあああああああああああああああんっ!』
潜在的ロリコン男子がこの世にどれだけいるのかはさておいて、逆再生するとサンタを湛える言葉が聞こえるともっぱら噂の《Crescendo Melon》を生で聴いたおれも、無意識のうちに一緒になって叫んでいた。イタリア語足す英語! 『Melon』と書いて『ムーン』の当て字! 日本人の換骨奪胎力は恒久に未来だぜ!
だんだん強くなる~メロンの味~♪ そうそう、メロンってスイカと違って、どれだけ高級でもたらふく食べると、舌が麻痺して苦くなって、最後にはまずくなるんだよな。てきりょう、てきりょう、イェイ、てきりょう♪
埋火ミュウダが真上で何かを叫んで、おれは我に返った。そしてふたつのことに気が付く。第一に、このごうごうと静寂を焼く楽曲によって、『動くと撃つ』が言えなくなったということ。第二に、ひとりの女子がまっすぐおれたちを目指して猛ダッシュしてくるということ。
どっちなんだ、誰なんだ。お前は身内に抵抗できないんじゃなかったのか、それとも同意の上で不法憑依してもらったのか、今は脱がされた眼鏡の方が丸出しになっているのか!?
「お兄ちゃん! だめぇっ!」
まとめてハグされて、今更ながら、身内に駆け寄ることはできて当然だったなと納得。
「人殺しの妹とか嫌だよぉ! やめてよぉ、ううぅ……!」
ここだった。
俯いた実妹の頭に触れたいと兄貴が思ったこの百分の一秒が、勝負の分かれ目だった。
事前に示し合わせていたのか、テレパシーで通じ合ったのか、おれには知る由もなかったが、もしこれが戦略なのだとしたら、彼女たちはまさしく、ヴェロキラプトルじゃない方のアーティストだった。
躍り上がったオルルーザが、頭上で禍々しく完全システムキッチン化。鉤爪よりも鋭い調理器具が、激辛調味料が、全開になった各扉から矢継ぎ早に突出。
「列刀流奥義……」
囁き声が聞こえたときにはもう既に目の前で、確かにあちらの空にもいる花松音那ちゃんが、コーンフラワーブルーサファイアに透き通る刀を構えていた。
え? 劣等流? なに?
「《四捨御免》ッ!!」
見下ろした背中に刀身の残像。
一拍遅れて光る筋。
おれの体にも、何かが侵入して通過した生温かい感覚。
え? こいつ今、おれたち三人を纏めて斬ったの? おれごと殺れなんて誰も言っていないのに? 劣等流奥義? 死者御免? え? これで終わり? まさか自分が切り捨てられるモブだとは思っていなかった?
三日月状に口を裂いた詼笑が一瞬、ギラリと闇間を彩って、海外のニキとネキがエキサイト。それは殺されて嬉しいということなのか、いや絶対にそれだけはありえない。どっと仰向けに倒れると、下半身があるかどうかを確かめる前に、容赦なく銃口を向けられた。
グリップ部分しか残っていない、9mm拳銃を。
『…………』
だしぬけにペンギンちゃん型かき氷機が、ゴゴゴとスペースシャトルして星になった。
『…………』
特設ステージが銅の炎色反応に呑み込まれ、JSアイドルごと狐火のように雲散霧消。
『…………』
おれたちは死んだのか死んでいないのか。自分の探偵を触ってみようとしてリーシアさんのをふにっと触っちゃったような気がした直後、
「んん?」
ごめん、悪気は無かったんだ。ただ、その、ちょっと、ごはん・メカ複合型のアイドールの探偵の形状に興味があっただけで――、いやおれって他に類を見ない高校生探偵々々だから!
「あなた、もしかして……?」
今度はおれをポイっと捨てて埋火ミュウダの顔へ飛びつく。両手でぐっと鷲掴む。この野郎。世界一の面食いめ。超絶M字バングを掻きあげたオリザが、隠れS丸出し顔でにやりと含笑。目を細め、顎をつまんで、唇でも奪うように耳元へ何かを囁くと、
「! ……、……、どうしてお前がそんなことを知っている……!?」
「あら、教えてほしくないの? それならいいのよ。自力でどうぞ」
「……嘘じゃねえだろうな」
「本当だったらこの町くれるの? 黙って信じた方が得じゃない?」
「…………」
『? ?』
アホには謎が多すぎて、答えを全部知ることが、煩わしいとしか思えない。謎が一つなら、一つだけ種明かしを聞かされて、あーそうだったのかって言えたのに。
とにかく助かったのか? それだけ判りゃあ、おれはいい。埋火ミュウダがバラバラと、予備の拳銃だったのだろう何かを懐から捨てる。
うん、とにかく助かったっぽいな。
「ううっ……、俺の、魂がぁぁぁっ……!」
熱造の右超絶NMA以外。
いいじゃないか右超絶NMAくらい。また伸ばせば。音那ちゃんの生歌も聴けたことだし。強制的に女性化させられるよりはよかっただろ? ん? そうでもない? 待て待て、お前が今更女性化したところで、氷麻ちゃんのときとは違った形にしきゃいけないからあれだぞ? 体だけ変わって顔一緒だぞ? 容易に想像つくだろ? 修正アプリ必須の三白眼メンよ。
かにん空間へこの六名が乗り込む。