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第一章 目的捜し夢探し 03 三夫婦にりるの右顧左眄

「『胸部エックス線検査』ぁ?」


「そう!」


 妹の前の兄貴顔負けのドヤ顔である。まあそれはいいとして。胸部エックス線検査――要はレントゲンを撮って、心肺に異常がないかを調べるあれだ。


「で、それがなんなの?」


 やっぱり事件でもなんでもなかった。エナントカティックなイベントの発生を期待しないでよかったぜ、ほんと。


「はあーっ、だからこないだまで中学生だったお子ちゃまは。なんにも知らないのね? ハッ」


 どうしてだろう。家であいつらにやってるみたいに、飛びついてくすぐっててやりたくなる衝動にかられるのは。これも女きょうだいがいるデメリットか。もう茶ぁやらんぞお前。


「もういらないしー」


 ああ、そうかい。

 にりるは妙にかしこまって、こほんとひとつ咳払いをした。勿体だけはつけられるんだな。


「いーい? 個人で勝手に風邪ひいて病院で看てもらうのとはわけが違って、今回のこれは、学校における身体測定の一環として行われるわけ。エックス線を扱う機器なんか保健室に置いておけるわけがないから、当然レントゲン車が来ることになるわけよ」


「へえー、で?」


「だからぁ、身体測定の一環だって言ってるでしょ!」


 んん? 確かに身体測定はエロかエロじゃないかで言うとエロに分類される単語だけれど。でも卒倒なんかするかよ。病魔に侵されているかもしれない半透明の内臓が映ったモノクロの骨の写真なんか見たところで。


「ばか、いつまで待っても写真なんか見せてくれないわよ。知らされるのは良いか悪いかの結果だけ。そうじゃなくって、身体測定の一環だから、男子だけ、または女子だけに授業をするわけにはいかないってこと。だから身体測定だというのに、男女同じ時間に行うことになるの」


 ふんふん。それで?


「それでぇ、勿論車は別だけど、効率を優先して同じ場所に停車。男女が別々に体育の授業に向かうように着替えを済ませて――」


「着替え? 何を着替えるんだよ?」


「ああ、もう! だから胸部は、地肌にシャツ一枚じゃないと検査できないのよ!」


 ばん、と机を叩くにりる。別々の教室で着替えて、男女が同じ場所に集合し、ひとりずつ検査していく間、全員地肌にシャツ一枚……。車の中で着替えたら駄目なのか?


「車の中で女子の全員が着替えてたら、時間的に、午後の授業に差し支えるわ……」にりるはふるふると頭を振った。「高校生って妙に多いし、勉強もしなきゃで時間ないし、微妙にまだガキちゃんだからいいでしょってことで、どうしてもこうなるのよ。ほんと、何もかも最悪の巡り合わせだわ」


「じゃあ、なんか上着羽織れよ。若しくはタオル巻くとか」


「それも駄目。多分ノーブラにTシャツ一枚のスタイルでも、ランウェイを歩くファッションモデルみたいに、背筋を伸ばして堂々と、何の羞恥も覚えないわってすまし顔及び普段と変わらない態度で、普通に男子と喋るのが格好良い大人女子ってことになると思う。女子の間で」


 成程。そうなると、確かにこれは――、


「大事件じゃないか!」


「だからそう言ってんでしょ!」


「いやー、なんか俺ら得したな」


「ああ」


「減雄までそんなこと言って! 最低ーっ、もう、最っ低ー!」


 最近の男子ってエロくなくなったんじゃなかったのぉ? とにりるがしくしく机に突っ伏す。エロくなくなったわけじゃなくて、あからさまなエロに食傷気味なだけなんだが。奥ゆかしいエロスや、特殊なフェチにはおじさんたちよりも貪欲なんじゃないかな。


「シャツの中に手ぇ入れて、こう、腕組んで隠しとけば?」


「そしたら自分で自分のバストを直に触ってる姿を見られるじゃない!」


「誰もお前の胸なんか見ねぇーよ」


「……ほんとは?」


「見ないわけがない!」


「おぅ!? うぐ……! あ、ああ……、あほう……。ばか。ばぁーか!」


 ばばっと胸を隠し、頬を染め、こちらに背中を向けるにりる。可愛い反応をしているんじゃない。男子だけじゃなくて、女子も最近おかしいぞ。昔の女子なら目の端に涙をためながらも眉を吊り上げ拳を握りしめて何かを叫び、ぶん殴られた男子が鼻血出して白目剥いてぶっ倒れて、みんながあははと笑って終わり――うん。

 昔も大概おかしいな。今も昔も全員おかしい。


「あっ、こうやって背中向けておこうか? 見えそうなときは他の子に隠れてー」


「にりる」俺は時計へ目をやった。もう昼休みも終わるころだ。「じゃあそろそろ……」


「やだ!」


 やれやれとまではいかないまでも、俺は大体そのような顔で減雄と顔を見合わせる。


「だって欲しいんだろ?」


「欲しいけど過呼吸になるから無理っ!」


『らしい』『多分』『なると思う』『女子の間で』――こうした単語からも判るように、『さっき聞いた』というのも、今日もまた、平静を装って颯爽と歩きながら耳をそばだてつつ、自分の友だちから――ではなく、誰かが誰かの友だちと話しているのを聞いたのだろう。そうでなければわざわざ俺たちに話したりはしない。


「でもほら、今はまだ新学期始まったばかりだから、同中なんだってことで、みんななあなあで受け入れてくれてるけど」


「うう~っ、こわいっ!」


「ずっとこのままってわけにもいかんだろ。『あの子、男子には態度違う』とか、『二股なんだって』とか、噂されていじめられるぞ。少なくとも確実にハブられる」


「人見知りは努力や根性じゃ治んないの!」


 人見知り――三夫婦にりるは生まれてこの方、十五年と数か月、人間嫌いとは似て非なるこの問題に悩まされ続けてきたのだった。明るくて元気でポジティブ顔なのは生まれつき。世界には、暗くて地味でネガティブでかつ人見知りといった、何重もの苦しみを抱える、ある意味主役級の人間意外にも、悩める乙女は沢山いるのである。

 そりゃまあ何重もの苦しみを抱える乙女の方が大変なのは知ってるけど、だからといってそれが、俺たちに目の前のこいつを冷たく突き放す理由になるかといえば勿論そうではない。


「毎年々々クラス替えとか、もうやだぁ~、疲れたぁ~っ」


「じゃあ連れてきたらお話できるのか?」


「……何の話すんの」


「胸部エックス線検査の話すりゃいいじゃんか。『みんなどうする~?』って」


「『むしろ見られたいわ。いえ見せたい、シャツ越しで!』とか言われたら共感できない……」


「こないだまで中学生だったお子ちゃまの中にそんな変態いるわけねぇーだろ。心配しすぎだ」


「連れてきた」


「はやいな!」


「ひぃっ!」


 ひぃってお前。お化けじゃないんだから。脚フェチだからというわけではないが脚を見る。どう見ても可愛いクラスの女子連中である。綺麗な子もいるけど。俺は弁当を片づけてから、あとは下の名前の百倍、俺の百万倍美男子な減雄に全部任せてその場を離れることにした。だってほら、イケメンに女子が群がってる方が、画的にもなんかいいだろ?


「ちょっ、ちょっと待って……!」


「いや、俺、トイレに行くんだけど」


「ごっ、ごめん、ちょっと緊張で……!」


 こちらへ体を向けて、床を見つめている格好だけれど、これは減雄が連れてきた女子に対して言っているのだと俺には判った。


「き、緊張でっ、ごめんなさい。御手洗いに、行ってきます……、ごめんなさい!」


 言うが早いか、にりるは俺の袖を掴んだまま、びゅうっと教室を飛び出した。おいおい。うちの高校は男子トイレが女子トイレからかなり離れた位置にあるから、そっちに連れて行かれても本当に困るんだけど。『トイレに行く』が逃げ口上だった手前、本当に。


 しかし本当の本当に困ったな……。俺は窓の向こうの薄暗い空を眺めながら思案する。こうなるともう、減雄狙いの女子は、俺とこいつがデキてるって噂を流すより他にないじゃないか。いや俺はいいんだが――女の子ってこう、理想が高いというか。本音と建前が違うというか。正直、彼氏にするなら減雄だろ? もっと言うなら年上で優しくて大金持ちで、仕事も家庭も両立させた上でお料理とお裁縫が大得意で、頭が良くてスポーツ万能で、酒も煙草も嗜まず、浮気もギャンブルもせずに、聞き上手でありながらもトークが超面白く、捨て猫を見捨てはしないけれど他の女には一切なびかない、脚が長くて髪の毛がフサフサで加齢臭のしない大富豪がいいはずだ。


 そんなんおらんか。

 女児向けアニメの中にしか。


 ああ、理想ばかり追ってたら青春が終わってしまうから、みんなどこかで妥協するんだな。ふうむ。どいつもこいつも危なっかしいぜ。一見大人しそうな外寧鑼が、胸のことでクラスの女子連中にのけ者にされていないかも心配だし、一見従順そうな表瞑鑼が、自称クラスの人気者系その実ただやかましいだけのムカツクキョロサイコ男子の喉笛を噛み千切って皆をひとり残らずドン引きさせながら血だまりの中で愉しそうに微笑んでいないかも――、


 こいつはマジで心配だ。

 あいつが一番心配だ!


 地球を救ったり宇宙を守ったりするためには、もしかしたらも何もなく、俺が今すぐあいつのもとへ駆けつけて、抱きしめて、唯一の弱点である耳をチロるしかないんじゃないのか!? 待ってろ瞑鑼、愛してる! 俺は今、お前のうひゃへだけが聴きたいっ!


「お、おまたせ、ななめちゃん」


 我が母校に懐胎される血を分けた麗しの実妹のもとへ、心が飛んでいってしまっていた所為だろうか。不意に後ろから声をかけられて、お、おうとしか言えない俺だった。「ほん」「ご」とふたりの言葉が重なったとき、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。


『あ……』


 人見知り女子とではなく、俺たちが独占していた一見寡黙そうな男子とお喋りができた彼女たちには、特に謝罪する必要はないとして(いずれにせよ減雄が説明してくれているだろう)。


「にりる、お前、今日はすっごく頑張ったな!」


「えぇ~? おトイレに行っただけなのに~?」


 明日がある。

 怠惰を貪る者ではなく、努力に勤しむ者にとっては、実に良い言葉である。

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