第三章 鬼謀 A‐04 侠の仕事
こういったシチュエーションなら、こんなに近くにいても大丈夫なのかと、おれは密かに感心していた。
マイナス30度を下回る、厚着した温血の恒温動物にはギリ耐えられる冷気が、全身にびっしり開いた毛根という毛根から立ち昇るあの侠気を相殺してくれているためだろう。
嗚呼、今のおれたちはまさしく、女性という名の宝を守る番犬、四つ首のクアドラベロス。兼、犬ぞりを喜んで引くシベリアン――ハスキーアイの、王女はさっき攫われたけど……。いや、あれは他の娘たちを守った結果だったのだ。今すぐ助けに――! は、行かないけど。なあに、あの四人の頭脳が合わされば――、
今度は名前も知らない下っ端たちが心配だ。
見ず知らずの他人に実の妹がさらわれたのならまだしも、その逆。たとえ成功しても、いたちごっこ必至。ねえ……。まあ武力でいきなり仲を引き裂かれたわけだから、友だちとして会いに行って話をしたいという欲求までもが間違っているとは思わないが。
荷物も全部ここにあるし。
あいつの女嫌いも、未だ克服し終えていないわけだし。
「で、この家も、そっくり元通りに組み直すのか?」
おれはまた木材を肩に担いだ。
「いや、それだけはするなと、きつく止められた」
どちらに止められたのだろう。
チョビヒゲも不快とか言って禁止されるし。
万能杉梃子丸。
改めて名は体を表しすぎだと、おれは思った。
「んじゃ本当に大浴場を作んの?」
「それも電気代がかかるから、やっぱりボツになったよ。銭湯へ行った方が安いとさ」
どうやら母ちゃんの方に言われたようだった。
人間とアイドールって、結婚できるのかなあ。
「じゃあ何を建てるんだよ」
疲れているのか万能丸は、雑多な木材をサイズごとに分別する作業を続けながら、顔だけをこちらに向けて、あからさまに『ちょっと考えりゃ解んだろ』という眼差しを寄越した。
(……巨大トイレかな?)
「ああっ、もう、ちゃんと運べよ!」
「すすす、すみませぇん……!」
「こらーっ! 熱造! その娘泣かせたらぶん殴るぞ!」
「よりにもよって黒飴一個! 黒飴一個が一飯かよ!? 冗談じゃないぜまったく!」
「ううう、重いぃぃ~……っ! あっ」
足を滑らせた彼女の肩から木材が高速で射出され、熱造の後頭部へ直撃。
「あだーっ!?」
「きゃーっ!? ごめんなさいぃぃぃっ! 大丈夫ですかぁぁっ!?」
たかたかと駆け寄った彼女に患部を触られた熱造が大袈裟に悶絶。万能杉父ちゃんが仕事を放りだしてふたりのもとへ向かい、おれが深呼吸して解説役を担う。
みんな、いやいやいやいやと言わずに聞いてくれ。細流氷麻は、先刻オリザが後先考えずに繰り出しちゃった必殺技、身の毛もよだつ《不法憑依》の後遺症で、心身ともに女性になった。
外見に関しては正直没個性だったとも言える超絶イケメンから、庇護欲そそられる女性恐怖症持ちの、男心くすぐり紫大根とでも表現すべき、個性的すぎる超絶美少女になった。
広義のつり目に属する三名の眦が更につり上がりそうな、控え目な垂れ目になった。
本人が元に戻せと憤慨しなかったところから察するに、おそらくずっとこのままだろう。
(不思議なことってあるもんだなあ)
お前マジでふざけんなと憤る乙女の気持ちも多少は解るが、まあまあ、中途半端に男の体でこんな感じの内面でも――一縷の希望があった方がよかった?
むん……。
それならオリザを倒せ――じゃなくて、実際にこの目で見たわけじゃないから、このあと一緒にお風呂に入って、確かめてあげましょう。本当に仕方がない。
(では笑顔のオリザが現れた場合、おれは誰と男嫌い克服活動をすることになるんだ?)
待てよ、それならこの場所にはそもそも、年の近い男なんかいなかったのか!
(なんだ、せっかく成長できたと思ったのに……)
ソローやトルストイなら、このような状況下の家屋建設及び庭いじりにも、喜びを見出し得たのだろうか。まさか、いや彼らなら……。
ついにおじさん杉とふたりきりになった。おれはあいつ実はそこまで女の子苦手じゃないんじゃないのと考えながら、例の探偵活動を脳内で再開した。