第二章 USBジャントー 16 熱造
神は何故万人に、超絶ガチモミアゲになられるチャンスを与え給わなかったのだ!?
バイト帰り、家に荷物を取りに行くと言ってタクシーに乗ったあいつと別れたおれは、人通りが少なくなった駅前で、小さな喧嘩に出くわして憤っていた。
「オレは男女平等主義者なんだよ、妊婦さんでも関係ねえ! ぶつかったら謝りな!」
サイドヘアで捏造した超絶ニセモミアゲをモサつかせながら、大人悪ガキがいきりたつ。スカジャンに大きく『熱造』と書かれているから、あいつの名前は熱造なのだろう。
「だから謝ってるじゃないですか……!」
見たところ二十代前半、いかにも優しい専業主婦といった感じの、おれの脳では普通すぎて憶えられない顔をした女性が反論する。
いやそれはうちの女連中が、憶え易すぎる超個性的な顔をしているからか。
「それが謝ってる態度かよ! 慰謝料払えなんて言うつもりはなかったけどやっぱやめた」
「いくら払えって言うんですか!?」
「いくらって、お前……! 今考えるからちょっと待て」
やむにやまれぬ事情があって、ひとりで外出したのか。それともまだ十時前だから、大丈夫だと思ったのか。いくら女性の時代が訪れたとは言っても、筋肉を鍛えれば、男の方が力では勝ってしまうものだから、こういう揉め事も起きちゃうんだよな。
「急いでるんです、早くしてください! 一万ですか、二万ですか、それとも……!?」
「ああ、もう、急かすな! それに寒い! あっ、決めた、ちょっとそこの喫茶店で話そう」
「……なんですかそれ、ナンパですか……?」
「別にワゴン車に連れ込もうってんじゃないんだぜ? 大人の話すらビビッてできない女なんだったらもういいよ、あっち行け、馬鹿女。あー、痛い。骨折れた」
「馬鹿女じゃありませんっ!」
「じゃあちょっとお話しようぜ、なに、これが運命の出会いかもしれないよ? 旦那がいたら、こんな時間にこんなところを、君みたいな人が出歩くはずないもんなあ? うん?」
「…………」
そういうことか。
おれは今、全てを理解した。
できることなら代わってやりたい、超絶ニセモミアゲで満足するしかないあの男の肉体と!
あいつも超絶ガチモミアゲをたくわえられる肉体に生まれついていれば、悪の道へ足を踏み入れることはなかったはずなのだ……!
(おお神よ、モミアゲとか超ダサいよねとしか思えない、罪深いおれをお赦し下さい!)
ああっ、結局言いくるめられて、車へ誘導されてゆく……、プライドを刺戟されたんだ! そんな場合じゃないのに……! これってけっこう重たい事件なんじゃないの!? 天真爛漫川がいたら、と、どうしても考えてしまう。いや、それでいいんだ! あいつなら一体どうすると考えた先に活路が見出せるはずだという直感は間違ってはいない! はず!
声もかけずに笑顔でいきなりぶん殴るだろうか。それとも『見てしまった事件に限って見て見ぬふりができないなんてただの甘えよ。人前でする善行は全て偽善です』とか言って、さっさとこの場から離れるだろうか。いいやあいつなら更にその上を行くはずだ。『屋外でする善行を偽善だとは一言も言っていないわよ?』とか言って、誰にも気づかれないようにあの女性を助けるに違いない。
「ちょっと待て、そこの犯罪者!」
はい、なんでしょう!? と反射的に背筋を伸ばして振り向いてしまったおれを、そいつは睨みつけていなかった。
まさか。
嘘だろ。
発情の熱造を冷却するのに、こんなにも相応しい名前を持った男が他にいるだろうか!?
犯罪者という自覚が微塵でもあったらしい熱造も振り向く。その直後、正義の心を燃やした細流氷麻が、護身用に持ち歩いていたのか、ホームセンターで男子の気分を高揚させる仕事に従事しているあの、特大バールを手に躍りかかった。
「ウオオオオオオオオオ――ッエアイ!」
金属の棒で横顔を殴打された熱造が無言で宙を舞い、軽~く六メートルは転がる。
「キャァ――ッ!」
「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッイィ!」
動かなくなった熱造に執拗に、初めから赤かったに違いないバールを振り下ろす氷麻を見かねて、流石にこの決断力に欠けるおれも飛び出した。
「やめろ! 氷麻! 殺す気か! なに考えてんだ!」
うおーっ、男臭い! おえーっ! 手が震えて目まいがする!
今度は女子を虜にしてやまない脚で、何度も何度も頭蓋を踏む。
「やめろって! マジでお前、人殺しになるって!」
というか細流家は子どもに一体どんな教育をしてんだ!? いろんな意味で極端すぎるよ!
「あんたは逃げて! 主義とかこの際どうでもいいから! 妊婦さんじゃなかったら残っててもよかったけど邪魔すぎる! こういうプレイだったのなら逃げなくてもいいけれどッ!?」
一昨日のお姉さんだったような気もするが、原色ドギツいあいつらの半裸スマイルで、おれの脳内女フォルダーはいっぱいおっぱい(もう見た)になっていて、今それに乗り込んでいなくなった彼女と同様、どちらの顔も、記憶からやがて消えた。
「取り消し取り消し! あの発言はなし!」
不快にモサつく超絶ニセモミアゲを必死でこらえて熱造に肩を貸し、氷麻の腕を引っ掴んで、どこへ逃げりゃいいんだとにもかくにも机の下か!? そんなものはねぇーよ屋外のどこにも! 正式名称なんか知るか!
なんかの戦闘機が目の前に落下してぐっちゃぐちゃに潰れる。
(しかもこんな、男と男に挟まれて!)
願いは虚しく紅蓮に爆発。灼熱の炎に吹き飛ばされて擦過傷。地味に痛え! ふと見ると衣服が燃えていた。ゴミになった気分がした。死んだ。と思ったその直後、バケツをひっくり返したように大雪がドサドサ降ってきて――!?
「て、天真爛漫川!?」
「よかった気がついたのね、ゆう太!」
せっかく本名で呼んだのに。




