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第一章 目的捜し夢探し 03 化物論と人間ベン図

「大事件、大事件!」


 明るくて元気な声でおなじみの、ポジティブ顔な女子の言う『大事件』及び『絶対に面白い話』以上に期待半分で聴いておくべき話はないというのが、お笑いを僅かでも研究したことのある人間の常識ではあるのだが、


「さっき聞いたんだけどね? やばいよ! これはもう、男子卒倒!」


 話す前に自分でハードルを上げるなと何度言っても聴かないのが、明るくて元気な声でおなじみの、ポジティブ顔な女子なのである。


「こんなにもエロティックなイベントの発生が、健全たる教育機関である高等学校という学び舎で、果たして許されてもいいのだろうか!?」


 折角俺が期待値を下げてやったのに、また無駄にガン上げしているんじゃない。なんだよエロティックなイベントって。そんなん絶対起きねえよ。〈R15〉って書いてるだろ。


 その、ストレートなライトブラウンのベリーロングと、えくぼのように魅力的な、口づけを誘われる膝裏の方が、この後確実に聞かされる――白け顔を向け、『なにその顔!』と元気よく突っ込ませてやっと笑いが成立するだろう話の千倍エロティックだ――と言ったら、白け顔を向けられるだろうか。

 ううむ、実によくあるボケ役の取り合い。


「あっ。ジュース買うの忘れた」


 コンビニ弁当を手にわーっとやってきた三夫婦みみょうとにりるは、くるりと回転して何の色気もない体操服の短パンを、しかもちらりとだけ見せ、またわーっといなくなった。忙しないやつだ。俺たちはまた、弁当をちまちまつつきつつ、今していた話に戻った。


「昔、飼ってたペットが死んだとかはないか?」


 二〇加屋にわかや減雄へりおが、その色白で儚げな容姿にそぐわぬ、活力に溢れたバリトンで言う。出会った当初は違和を感じたものだけれど、流石にもう慣れた。


「――ある。俺が小一の頃だけど、拾って育ててた雑種が事故で死んだ」


 とは言っても、犬の寿命はせいぜい十数年。

 お別れを経験していない人の方が少ないだろう。


「対応に問題があったのかもな。普通の人は犬が死んでも、我が子が死んだほどのショックは受けない。でも人より犬の方が好きな人にとってはどうだ? 逆に考えてみると解ると思うが、愛する我が子と死別しただけでも毎秒殺され続けているようなものなのに、周りの人間に『下らない』『甘えるな』と、『自分たちの意見に共感し、自分たちを愛せ』という意味を込めて諭し続けられたら、少なくとも『共感による癒し』は一切得られない。『貴方たちは間違っている』と激怒したらまた『やれやれ』と言われるのなら、みんなの望み通りに自分の心を、意見を、感情を押し殺すしかなくなり、最終的には――、肉親を失うレベルの悲しみにさえも平気な顔で耐えられる、禁断の人間が出来上がる」


「ああー……」


 年を重ねて人間的に成長した結果だと思っていたけれど、確かにあのとき以来、人間らしく感情的に泣きじゃくることはなくなった。その代わり攻撃的に笑うか、煽情的に嗤うか、猟奇的にうたくことしかしなくなった。

 これのどこが人間的に成長した結果だったというのか。


 となると瞑鑼が今こうなっているのは、あのとき取り乱すことができなかった俺の所為でもあるのか。でも一体どうすりゃよかったんだ? 嘘の涙を流しても駄目なんだろ?


「共感から癒しを得られなければ、別の方法で得ればいい。と俺は思うが」


「初めから人間に拒絶反応があった時点で、遅かれ早かれ化物になる運命だったってことか?」


 そう言うと、減雄はルーズリーフを取り出し、何やら無言で書きはじめた。


 一、化物に生まれて、中身が化物だったことを喜ぶ者。『俺は人間を殺す』。

 二、化物に生まれて、外見が化物だったことを悲しむ者。『僕は人間になりたい!』。

 三、人間に生まれて、中身が化物であることに無自覚な者。『ぼくが人間だ』。

 四、人間に生まれて、中身が化物だったことに憤る者。『私は人間だ!』。

 五、人間に生まれて、中身が人間だったことに甘えている者。『おれが神だ』。

 六、とにかく生まれて、色々あって、何もかもを受け入れた者。『全ては神だ』。


 七つの大罪にかけたのか、タイトルは六つの化物だった。

 実兄の贔屓目で見たところで、今の瞑鑼は二、三、四、五の化物とは違う。地雷を踏んでしまえば一へ豹変する危険性をはらんだ六――と言ったところだろうか。減雄はあれだ。そして無理矢理分類するならば、俺や寧鑼、にりるといったその辺のモブは五の化物になる。つまり――、


「全ての生き物が化物――ってことか」


 俺がそう呟くと、減雄は塩サバをもくもくと食べながら頷いた。


「人間の姿に産まれて、中身が人間だったことに甘えていない者――は、」


「もしいたら、化物じゃないが」


「人間社会で生きてゆく上で、そうすることは事実上不可能、か」


「ああ……。衣服や文明の利器だけでなく、読み書きそろばんの能力まで放棄して、人との交流を一切絶ち、裸一貫で暮らすようになった人はもはや人ではない。それこそ化物だ」


「なんの話してんの?」とここでにりるがもう一度帰ってきた。


「妹の」


「ふーん……。お腹減ったー、ぱか。いただきまーす。あむ。んー♪」

 

 真っ先に大事件とやらについて話し出すかと思っていた俺は、まだまだ乙女心が解っていなかった。と、残しておいた甘辛いミートボールが、いたずらっぽい笑みで摘ままれた。別にいいけど、たまには減雄のとこから盗れよ。


「私白身魚嫌い。でも人参は好きだから偉いでしょ? ふふん」


 カロテノイドを摂取することに関しては、こいつらふたりが両極か。


「ああっ、返してぇ!」


 しつこくやれば世間からいじめ認定されるため、すぐに返してやると、にりるはストローの先端をべろべろ舐めて俺からぐいんと遠ざけた。


「べえーっ」


 たまに配役が間違っているんじゃないかと思うことがある。瞑鑼が姉で、寧鑼が友だちで、こいつが妹だったらしっくりくるんじゃないか、と。


「うそうそ。飲んでいいよ? はい♪」

 

 ここで俺がそれを喜んで口にくわえて手に入れられるメリットは何だ。生憎そこまで女の子成分を渇望することは、男きょうだいに渇していないわけでもない俺にはできない。潔癖症のきらいがないでもないし。というか肉を返せよ。人参が好きなら人参だけ食ってりゃいいじゃん。

 俺はウケるぞ、さあやるんだ! という心の声に、おう。と格好よく答えながらも、結局女子の唾液がついたストローに怖気づいて男子からサバを奪い、教室内を見渡した。

 

 昨今、無感動を伴う無気力症候群を患っている者はそうそう珍しくない。家にもいたら教室にもいる。あいつが来ればあの子が来ない。どこでもこんな感じじゃないか? 残念ながら、クラスメイトが全員そろう日は簡単には訪れなさそうだった。


「――正直言って、俺にはペットが死んで悲しむ気持ちは解らない。だって犬や猫が死ぬよりも、妹や姉ちゃん、両親、そしてお前らが傷つく方が悲しいもの。この意見がいくらあいつらを傷つける結果になろうと、こっちだって生まれつきこうなんだ」


 減雄は俺をじっと見据えながら、にりるのジュースに手を伸ばし、何を気にするでもなく口をつけた。


「『ペットロスを理解できない。たかが犬畜生だろ。甘ったれるな。犬より人の方が上』『ペットロスを理解してくれない。たかが犬畜生ではない。甘えてない。犬は人と同じ』――こういった、両極端の意見が対立している現状が問題なんだ。どちらも『自分だけが絶対に正しい』と思っている。だからどちらも『お前は間違っている』という非難に苦しむことになる」


 次に減雄が描いたのはベン図だった。左の円には『A:世界に生かされる存在』。右の円には『B:人間社会の中で生きなければならない存在』。そして重なり合った部分には『C:人間』と書き込む。


「これが人間だ。Aにおける命は平等で、Bにおける命は平等ではない。だから、犬は人以下という意見も、犬は人と同じだという意見も、どちらも平等に正解で不正解が『正解』なんだ」


「…………」


 喧嘩両成敗恐怖症の人に伝えたら、その場で刺殺されかねないような結論だった。そもそも人は人であるだけで、ひとり残らず、永遠に矛盾し続ける偽善者だったなんて……。嘘をつかないを信条に生きている人に面と向かって、お前は嘘をつかないという嘘をついている。って言ってるようなもんだろ。まあ真理というものは得てして、受け入れるのに激痛を伴うものらしいけれど。


「あの、ごめん。アホすぎる質問かもしれないけど、世界に生かされるって、具体的にはどういうことなんだ? 世界に生かされていない人ってのはいないのか? たとえばペットを一切飼わない人とか、緑あふれる自然に触れなくても生きていける人とか――都会派の人というか、なんというか」


「……たとえば酸素。これは人が汗水垂らして創り上げたものではない。世界に見放される、生かされなくなるというのは、酸素を取り上げられることにたとえられる。だから、誰ひとりとして、世界に生かされていない人はいないんだ」


 成程……。確かに今すぐ酸素の供給を止められたら、即死できる自身がある。しかし、また酸素か。


「『生かされていて、生かされていない』。これが唯一絶対の真理だ。これ以上の答えはない。お前も一端の新時代人なら解るだろ? 矛盾していないことには最早価値がないってことが」


「姉ちゃんも愛していて、妹も愛しているようなもんか?」


 俺がさほど熟考せずにそう言うと、減雄は静かに微笑んで、パックをぐっと握りつぶした。女子の大好きな総指伸筋がすらりと浮かび上がる。そこから登って肩幅も結構あることを再確認。女顔なんだよなー、と思う。筋肉があって剛毛ではない。ううむ実に、

 いかんなこれは女子目線。


「あっ、全部飲んだ!? なんで!? うわーん! 私のりんご!」


「茶でいいだろ、茶ぁやるよ」


「わーい♪」


 ほんとに妹みたいだな。こいつ。背は俺より高いけど。小生意気なデカ妹ってこんな感じか? 中学の頃から使ってる魔法瓶の蓋に、とぽとぽとお茶をついで差し出すと、にりるは唇をつき出して縁をはむっとつまみ、んくんくと静かに飲み干した。

 不覚。


「おかわりー」


「あんまり飲むと授業中おトイレ行きたくなるぞ」


「うるさい。のど渇いたのー。ほれ、はやく」


 ああ、うちの女連中には『可愛げのない可愛さ』がないんだ。今の台詞を内寧鑼に言うと、『あー?』。外寧鑼に言うと『はぁい♪』。表瞑鑼に言うと『…………』。裏瞑鑼に言うと『お兄ぃのえっち。んふっ』……。

 いやいや流石に今夜はもう来てくれないだろう。来たら逆に恐ろしいわ。そういや『今日で世界が終わるかもしれない』とか言ってたけど、あのときはもう今日になっていたんだっけ?


 化物論と人間ベン図が書かれた紙をもう一度見る。こういうの、あいつ好きそうだな……。俺はまた、くれと言ってもらっておくことにした。そう。俺がドヤ顔で妹に披露している知識は、だいたいこの男から仕入れている。たまににりるに披露しちゃって、それ一緒に聴いたと言われることもある。そういうときは曖昧にはぐらかし、適当に喋らせておしまいだ!


「そういやお前、さっき言ってた大事件ってなんなの?」


「ごっほぉっ!?」


 ああ、駄目だ。いい感じにお茶を吹き出したことそれ自体は面白かったけれど、ここが山になっちゃった。それがねー、聴いてよー、すっごくヤバいんだから! ええこれはもう事件と言っても過言ではないわ! 男子卒倒必至! というさっき聞いたような、面白さを更に半減させる煽り文句を、会話文では再現しないという技法でやり過ごし、ふと閃いて、なんで忘れてたのと訊いてみて、あんたらが喋ってたからでしょ。お腹もすいてたの。まあそれはいいじゃんと言われ、


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