第一章 目的捜し夢探し 02 ブラックジョーク
一体なんだ!? とその辺のやつらその一である俺は普通に驚いてしまったけれど、落ち着け、俺。これは切り替わっただけだから。『お話』が約束通りに終わって、『寝る』に切り替わっただけだから! 真面目! くそう、最後一個だけとか言わんけりゃよかった……。
いや、明日も早く起きないといけないから、これでいいんだけど……そわそわ。なんじゃこの不安。時計の音が怖すぎる。アホか寝れんわ。ごろりと体の向きを変えて触る。さらさらー。で、ふわふわー。自分の語彙力に幻滅ー。
胸を触るのもなんとなく気乗りがしない。牛乳プリンを素手で触ってうひぃ、気持ちい~い、とか言うやつなんかいねぇだろ? スイーツは口で味わうものだ。でもお腹は触る。予想通りの触り心地。ふにふに。ああ、もう手が疲れて飽きちゃった。時計の音、怖~い。やっぱり甘えるなら髪の毛! ふがふが。いいにお~い。
……俺はこんな夜中にひとりで何をやっとるんだ。
暑いしこの年でベッドにふたりって本当に狭いし結局仰向けになって腕の外側を互いにくっつけ合うのが一番楽な密着だしどうなんだこれ? 密着ってこんな棺桶の中的なものなの? そりゃ結婚して暫くしたら夫婦別々に寝るようになるはずだわ。
いや、そうじゃなくて――、
寝よう。
俺は空気をゆっくり吸って、全身の力を抜いた。
「お兄ぃ、本当に私のこと好きなの……?」
寝ようとしたらこれだよ、ちくしょう!
嬉しいけど明日朝寝坊確実っ!
「好きだよ、瞑鑼、愛してる!」
思いっきり口で味わってやろうと思って勢いよくそちらに体を向けたら、ぐいぐい押されて背中を向けさせられた。ぴとり。ああ……。
「恋とかじゃなくて、性別も種族も超えた、酸素とかペットとかと同じレベルで愛してる?」
「うん。お前的にじゃなくて俺的にはそれ以上に愛してる。恋愛的な意味じゃなくて」
「ふーん……。なんで? 意味わからん。キモイとか死ねとか思わんの?」
「は? そっちの方が意味わからんだろ。なんだよ、死ねって」
「だってよその家って家族であんまりべたべたしてないらしいよ? 『兄貴? まぢヲタクw』『顔マヂラノベ作家w』『短足天パw』『小太り眼鏡w』みたいな?」
「ものすごい偏見だと思うが……そんなん言ったら現役の中高生らしい語り部や主人公と、同い年で同じ長身で同程度にイケメンな声優も漫画家もイラストレーターもいねえだろ」
ひとりとして。
というかお前もそんなにべたべたしてないぜとは、人生が『足場の崩れてゆく吊り橋』であるこいつには言わない。
「あと魔法少女にそっくりなベテランアニメ監督もいねえ」
「マヂウケるwww」
「お前、今日ちょっとハイすぎるぞ。もう少し落ち着け」
「学校なんか行かなくってもいいのよ? うふん。義務教育じゃなくても。いやん」
「俺は超行きたい人なんですけど。超寂しがり屋だから」
「まあ、めずらしい子。お母さん将来が心配だわ。お腹の中に戻してやろうかしら?」
「母ちゃんってときどき、そういうどす黒いブラックジョークを平気で言うよな」
受精卵まで戻したところで、卵巣へ仕舞う前に精子を引き抜く時点で殺害になるだろうに。いや、胎児の状態で止めて、一体となった状態で生き続けたいってことか? でもそしたら結局会いたくならねえ?
「てかお前だって寧鑼にはあんまりくっつかんだろ? そういうことだよ」
「ほなってお姉ぇはテレ中やもん。テレビ消してって言うたら、『あー?』とか言うもん。どこぞのオッサンみたいに。ほなけん無理なん」
確かに顔まで親父そっくりだけど。でもこいつがお姉大好きっ子になってしまえばここへ来る回数が格段に減ってしまうので、この件も『最悪解決できないかもフォルダー』へ入れる。
「お父ゎね、テレビ消してぇ……? っておねだりしたら、すぐ消してくれるよ? んふw」
「ぐぬぬ……!」
「五分ぐらいしたらまたそろぉ~っとつけるけど。いや意味ないからそのそろり! うひ!」
「あの人もテレビ中毒者だからな……」
言ってしまえば母さんもそうで、俺もそうだけど。
「お前今日学校で、お前をさんざんイジってた男子に告られたの?」
「お父が一番。お兄ぃは二番。それでも私のことが好き?」
なんだその質問。
「……違うだろ」俺が苛立ちを隠しもせずにそう言うと、瞑鑼は背中で静かになった。「親父が一番で、お前の未来の旦那が一番で、俺は三番だ。男の中ではな」
「未来の旦那……」
「一番好き、じゃなくて、一番まし、ってことはわかってるから。そういう意味だから」
「ふーん……」
「それでも好きだよ。当たり前だろ」
「お母が一番で、お姉が一番で、私が一番って意味でね」
「ぐぬぬぅ……!」
「あとアーティカちゃんも一番で、にりるちゃんも一番で、出会った女子は老若問わず全員一番! うひwww」
知ってるなら訊くなよ。と思ったけれど、そんなことを言ったら『じゃあ訊かない』と唐突に絶縁されて、それ以降本当に死ぬまで口を利いてくれなくなることが判っていたので、俺は堅く下唇を噛んだ。
何を好きになっても安心できない瞑鑼にとって、心の底から何かを大好きになることでこそ生きていられるタイプの人間は、文字通り想像上の生き物だ。だからこうして時折確認したくなるのだろう。『それって不安ってことじゃね?』と言ってはいけない。これは『甘えに来ちゃ駄目』と叱ったら、『はいそうですか』と簡単にこちらを切り捨てることができる上位存在に、『甘えに来て下さい』とお願いしている状況なのだから。
(嗚呼、瞑鑼様超可愛い柔らかい良いにおい愛してるでも乳首はやめて……)
「お前は生まれつきの好きになられる側なんだよ。だからそこは自信持っとけ」
「生まれつきの、好きになられる側……?」
「リーダーになりたがる系の人間とかにはなかなか好かれないだろうけど。ライバルだからな」
「ふうん」
「俺としては好かれすぎて悲しくなる未来が見えて不安なくらいなんだが」
「ちゃんとごめんなさいって言うたよ?」
「最近の男子は全然潔くないからなぁ……」
特に『ワンフォアオール』を抜かした『オールフォアワン』をスローガンに、お前がオレのために奉仕して当然と考える勘違いイケメン改め自称イケメンその実内面キモメンとかは。
ふん縛ってでも登校させない方が正しいような気もしてきた。死ぬ思いをして学校へ行って、自意識過剰で粘着質な男子に目をつけられ、そいつの夢が叶うまで、諦めずにしつこくつきまとわれる――あほらしすぎて鼻水出るわ。いい加減にしろ、ばかやろう。
「もし次そいつになんかされたら、即行逃げて帰ってこいよ」
「うん」
「そいつは『オレには人を好きになることも許されないのかよぉ!』ってのた打ち回ると思うけどな、『当たり前だろ。経済力のないクソガキの分際で調子乗んな。エロいことしたかったらエロ動画見てろ。金持ちになっても振られたら潔く諦めろ』以外の台詞を俺が言えると思うか? 言えるわけねぇーだろ。ぶん殴ってやる。……実際にはぶん殴らないけど」
「ふふっ」
どうなんだろう。そいつの家庭環境は想像するしかないので何とも言い難いが、それでもこいつが『好きだからいじめちゃう系の男子』を好きになることはあるだろうかいや絶対にない。たとえあったとしても、その男が将来こいつと別れたいがために浮気をする可能性はあるよな? ああ、大いにある。それで縁が切れるなら素直にハッピーだし、縁が切れないのなら浮気を許す女を手に入れられたということになるからだ。
勿論、俺にしこたまぶん殴られても死なないという条件を呑んだ上で、就職してとりあえず三億ためるまではキスもしません当然酒も煙草もギャンブルもやりません上司に誘われても呑み会には行きませんでも出世しますと自発的に申し出るのなら話は別だが……。
「もしかしたらそいつは余命幾許もない、色と影と幸の薄い草食系なのかも知れんけど、瞑鑼、お前、そいつが嫌になったら本当に学校行くなよ。学歴神話は崩壊したし、受験産業も完全に衰退したんだからな。何も考えなくても生きていける時代は、永遠に終わったんだ」
「はい」
「自分より愛されてないやつがどれだけ愛してくれと喚いても、年がら年中愛し続ける必要はどこにもない。時には自分を優先して見限れ。余裕がないときは積極的に見捨てろ。世間の目なんてどうでもいいから見放せ。気分が悪くなったらいいから冷たく手を振りほどけ。自分の悪行は全部棚に上げるくせに、他人の悪行に限っては見て見ぬふりができないようなやつは、正義の見方じゃなくてガチガチのサイコパスだ」
「やっぱりお兄ぃは心配しすぎた」
自分でも過保護だと思う。
最後の辺りは論点がずれていたとも思う。
それでも言ってくれてありがとうだ。
「俺はお前が殺された後で犯人を殺してやると今から思えるほど、自分を愛しちゃいないんだ」
「大丈夫よ? 私よりお兄ぃの方が先に死ぬから」
「そうか。なら安心だ」
肉体的にも精神的にも、男性よりも女性の方が強靭でよかったぜ現代人。
「前から思っとったけど、お兄ぃってな? 二年連続で担任だったはずやのに、それ以上の情報は何一つ思い出せない、特に慕われも蔑まれもしない系の先生っぽいよね? 顔的にも」
「こいつう~……っ」
「んんわぁ~……っ」
ボケにもツッコミにも覇気がない。
流石にもう寝よかとさりげなく抱き寄せたとき、
「おーい、起きてる――って、ありゃ?」
ノックなしで扉が開いた。びっくりして俺の背中に爪が刺さる。痛ぇ。
「今日は珍しく私の部屋に来ないと思ったら……」
月に一、二回ある妹の甘えデー以外の大半は兄のお仕事をお休みして弟の特権を振りかざし、『おねーちゃん一緒に寝よー』を高校生になった今でもまだやってることがばれるような発言はやめろ。俺は妹がいる手前格好をつけて一端の兄貴振り、要件を言えと手短に言った。
「要件て……ちょっと見に来ただけ。そいだけ。じゃあおやすみー。ばいばーい」
「瞑鑼、お姉ちゃんも怖いから一緒に寝たいって」
「えっ、いや、そういうわけじゃ……!」
「いいよ」
しかしベッドを譲る気も姉に寄り添って眠る気も毛頭ないらしく、俺をずるずる乗り越えて、
「だって今日で世界が終わるかもしれないから」
「寧鑼お前下でもいい?」
「うんいいよ」
こうして俺たちはきょうだい三人で、上から見たら一応川の字になって眠ることになった。瞑鑼は友だちの発言を額面通りに受け取っていたようだけれど、俺はそうじゃないと思う。自己中で不潔な人が拒絶されるのは、ヲタ・非ヲタ、家庭内・外に関係なく当然だとして。
さておきぐっすり眠れ過ぎた所為か、翌朝はばっちり寝坊した。それでも遅刻はしなかったので、人生ってなんだか微妙だなあと俺はひとりごちるのだった。
そして昼休み。