第一章 三目人形 11 クリスマスプレゼント for you 2017
二時間は経過しただろうか。
よくやった。もう無理だ。限界だ。諦めよう。
幸だろうが不だろうが、運に恵まれたどこかの誰かとは違って、おれは天に選ばれなかったんだ!
内からのそんな弱音が、とりわけ大きくなってきた。しかしおれはここで投げ出すわけにはゆかなかった。十余年もの努力を、こんなところでふいにするわけにはゆかなかった!
悔しさに顰めた瞼の裏で、無数の星が瞬いた。奥歯を噛みしめながら鼻から息を吐き出すと、あと五分だけ足掻いてみようという声が聞こえた。そうだ、チャンスは明日ではなく、今日掴むべきなんだった。俺は取り戻した勇気を胸に、全神経を耳目へ集中させた。
だからといって、内側から鍵のかかった密室を攻略する方法など、やはり今日も思いつきはしなかったのだけれど……。
半分安心で、半分残念。
いやおれは頑張っているんだぜ? 父さん、母さん。しかし、暗闇で横になった状態では、眠ってはいけないと自分に言い聞かせるほど……、眠気が……、睡魔が……、
夢と現が交錯する。
現実世界よりも数倍明るいきらびやかな世界で、現実世界よりも万倍暗い物語がおれを襲う。会ったこともない父と見たこともない母。いろいろあって他界した、祖父と祖母とおじとおば。弱った心はきょうだいが欲しかったと腹を立て、将来幸せな家庭を築きたいと欲張り、結局この手で何もかもを台無しにする未来を直視させられて嗚咽した。
ハッと飛び起きる。どうやら数刻――数時間かもしれない――眠ってしまっていたらしい。深呼吸をしても、拍動の加速が止まらない。
(そうか。おれはまだ生きているのか……)
これもまた、半分安心で、半分残念なことだった。
おい、ちょっと待ってくれ。おれだって涙を流す男なんか嫌いさ。見つけたと同時にぶん殴ってやりたいと常々思ってるほどにな。しかしだな、悪夢の中でまで理性百パーセントで居ることなんか、どれだけ精神を鍛えても、誰にもできやしないんだ。これは擦りむいた皮膚から血が流れ出るのと同じで……ああ、言い訳をする男も嫌いだった。そう、おれは、何かを嫌うことによってのみ、現世で自我を保っていられる、実に嫌な男だった。
どちらの可能性もあった。
今夜だからこそ。
おれは布団から飛び出して駆け寄った。鍵を開け、カーテンを強引にむしり取る。直接会うことは叶わなかったけれど、眩い光が勢いよく雪雲へ突き刺さる瞬間を両目ではっきり捉えることができた。慌てて目を落とすと、そこには確かに何者かが雪を踏みつけた跡。凍える風に吹きつけられたけれど、そんな攻撃、今更どんな悲しみにも変わりはしなかった。
「はくちょぅ!」
おれは引き千切った布きれをぞんざいに投げ捨て、その上に飛び乗って夜空を見上げた。
「サン――!」
いや、待て。
タさんはやっぱりいたんだと快哉を叫ぶには、証拠があまりにも微妙すぎる。
それによく考えたら、真夜中のベランダに人影チラって、何ひとつ嬉しくなかったし。
いやでもしかし、シュバッて真上へ逃げたのはアレだな。泥棒的な動きではなかったな。
かといって、トナなんたらが引く例の、ソリなんとか的な動きでもなかったが。
とにかく。
夢オチだと判った瞬間に良いリアクションを取るためには、今ここにぬか喜び用のプレゼントがなければならないし、それがないのなら、悪夢よりはましな夢が見れたじゃんってことで、起きてすぐに水を飲みほし、濡れタオルで顔を拭いておしまいだ!
とりあえずここには何もない。いや……束は無理でも一万円くらいなら雪の下へ隠せないこともないか? と腰を屈めたそのとき、おれは部屋の中、しかもおれの枕元で、何かが眩い光を放っていることに気が付いた。
(嘘だろ……)
おれは障壁をすり抜けられなかった微細粒子と、シェイクスピアになられなかったサルを心の中で罵りながら、後ろ手に扉を閉めて、目的地までジャンプした。どん、着地と同時に靴下を払いのけ、リボンを外して蓋を開ける。
(爆弾だ、爆弾だ、絶対に爆弾だっ!)
放り投げた蓋が床にぶつかる音を聴いてから、おれはゆっくり目を開けた。
するとそこには、ラグビーボール状のかたまりが、ご丁寧にふたつも入っていた。
「ガチで爆弾じゃねぇーか!」
脳内にハピネスホルモンがほわほわ分泌するほどに、気持ちよく決まった渾身の突っ込みは、おれ以外に誰もいない一軒家に虚しく響いて、やがて消えた。
「い……、一周回って、逆に親切ぅ~っ……!」
これで現世の修行も終わりってことだね♪ ハッピー♪ やっとみんなに会えるよ♪
てへぺろ☆片目☆横ピース!
片意地に五秒間スマイルをキープしたのち、何もかもが嫌になって次第に白目。
「えーと……?」
おれの顔へいい感じの影を寄越す、碧い光に魅せられて、初見では気付けなかったけれど、よく見ると爆弾の中央にある丸い円の中に、何やら文字が書かれていた。
《3iD - 009 Canine》
《3iD - 019 Oryza》
「すりーあいでぃ、ぜろぜろないん。きゃん、きゃにーね……。と。ぜろいちさん、おあー、おる……、おりぃ、おらいざ」
うん。
絶対に違うだろうけど、とにかく名前ってことだな。
爆弾に名前というと、あまり良いイメージは湧かないが……、基本的にどんな爆弾にも名前はあるものなのだろう。それでも刺戟しないに越したことはないが。別にこの町が吹き飛んでもいい――こともないけれど。
おれは町のみんなを守るために、この茶化せない爆弾を必ず起爆させないでみせる!
「あっ」
そうじゃなくって、これって、もしかして――!?
銀色の楕円をそっと持ち上げ、矯めつ眇めつくるくる回す。
「イースター・エッグ的な、ペイント済み卵?」
ついに日本人は、降誕祭と復活祭をごっちゃにするようになったらしい。
しかしハロヰンが定着してしまって暇になったにしても、これは一体どういうことなんだ? 三月・四月にはイベントが沢山あったから? いや、それじゃあ答えになっていない。それともそういう変なサンタさんが、おれのところに来ちゃったの?
まあ、なんでもいいか。
「でも、ダチョウの卵食うなんて、おれ、初めてだな……」
ちょっとずつ飲めばとりあえず明後日までは生きられそうだ。ああ、今が冬でよかったな。などとぼんやり考えていたら、持っていた方が爆発した。
「!?」
すまない、お喋りしたことがあるという接点しかない女子たちよ。恋してないのにもかかわらず、夜な々々思い出しては妄想して、ほんとごめん。更にこんな日に命まで奪っちゃって、マジでごめん。いや、でも、みんなするだろ? サンタさん捕獲活動くらい。ほんと気になっちゃって。え? 起爆条件も知らないまま、不用心に触るからだって? あっはは白目。
地味ながらもラブリーなエプロンを着た女の人がそこにいた。
同い年くらいに見えるけれど、随分と落ち着いた表情をしていて、目上というよりは姉上って感じ。こういう形の爆弾である可能性も捨てきれないが――ともあれ。彼女は今、あの卵から孵ったらしい。
「か……、母さーん……?」
「おおーっ、よしよし。ぎゅぎゅー。ただいまっ♪」
とりあえず甘えてみると、あったかいリアクションが返ってきた。ふむ。そういうキャラか。欧米の方なのだろうか? 名前的にもそうなのだろうと、なんとなくおれは思った。
「って、ホログラムなのに感触がある!?」
「うん? ホログラム?」見上げた先で、唇が可愛らしく動く。「ぶぶーっ。半分正解♪」
「? っていうかすげーいい匂い! なにこれ!? ふが、ふが」
「えっ? ごはんよ? ごはん。炊きたてごはんのいい香り~♪」
「いや、それはわかってたけど……」
今は炊きたてごはんの香水があるのか?
都会とかでは、流行ってんの?
「がぶー。はむ、はむ」
「ぶぶーっ、つぅ! 私は食べ物じゃありませ~ん」
「ええー、無茶言うな、よぉー……?」
もう、自分でも何を言ってるのか分からなくなってきた。
なんだこれ?
あっ、これが現実へ帰る兆しか。
「それじゃなんか作りましょうかね?」おれを一度強めに抱きしめてから、両手をさっと後ろ髪へまわし、肩甲骨のあたりでゆったり結わえる。「お腹減ってるみたいだし?」
「えっ、でもうち、水しかないよ?」
「あー、そうなの? じゃあなんか狩ってくるわ」
「え? あ、ああ……よろしく……?」
彼女が離れて寒くなったので、おれは傍にあった枕を膝に乗せた。
(生まれてすぐに、お金とか、持ってるものなんだなあ……)
いや、だから、こうやって目が覚めるんだって。ほら、内容はしっちゃかめっちゃかなのに、現実とのリンク具合だけは無駄に綺麗な夢って、割かしよく見るじゃんか。
目が覚めたら、不法侵入してきた野良犬か、酔いつぶれたお姉さまに、添い寝されていたらいいなと考える。彼女がすっと立ち上がる。エプロンの名前を見て、あっそうだ、何と読むのか本人に訊こうとしたそのとき、おれの背後でガラスが割れた。
「……どうやら手間が省けたようね」
桜でんぶ髪の彼女が、真っ赤な梅眼をぎらぎらと光らせながら言う。
慌てて後ろを振り向くと、そこには巨大な猫がいた。
「それ、貸して!」
言うが早いか彼女はおれの右手から、峰のないパン切り包丁をひったくった。ビッと風を切る音に続いて金属同士がぶつかり合い、おれの懐に卵の入った箱が落下。咄嗟に抱きとめる。
「うおーっ、今夜は豪華な猫鍋斬りっ!」
猫鍋ってそういう意味だっけ?
バキンと折られた刃が飛んで、猫科の何かがシャーと啼く。
「ぁあっ!」
抵抗虚しくあっけなく――いや、猫だからこそ、まだ息の根は止めていないかもしれない。冷たく光る瞳と目が合う。視線をそらさず、彼女を口に銜えたまま、奴がぐっと首をもたげる。
ライオンを遥かに超える巨躯。それでいて細身。夜の所為で色や模様が判らないことを差し引いても、おれは今まで、こんな動物を見たことがなかった。
「――っ、《聖夜にお雑煮を喰らえ》ッ!」
突如として出現した特大の赤いお箸が、謎の巨獣へ次々に命中。彼女が牙から解放される。箸の頭でロケットブースターが稼動、奴が部屋から押し出される。そしてぐんぐんと遠ざかってゆき――、
きらりと輝く星になった。
「はぁっ、はぁっ……! ふぅっ! 勝~利☆」
大きく開いた掌を、天高く振り上げて決めポーズ。
おれは揺れに揺れるおっぱいを見つめながらもう解っていた。
ここは夢の中ではないと。
「あのー、ええと……?」
「はい?」と彼女が元気にこちらを向く。おれは卵の入った箱を床の上へそっと置き、何よりも初めにこう訊ねた。
「あなたは、サンタさんの、娘さんですか?」
彼女は少しも驚かずに、人差し指を右目の前で交差させ、静かに言った。
「半分正解です♪」
いや、起きてるよ。なんだっけ?
ああ、そうだ。この辺のねえ。
うん。だからそれは――、
『なんか去年、サンタさんにもらった!?』
「それでは説明致しましょう」
オリザ姉が身体からおれの腕を抜き取る。
「私たちは人類のお供の象徴、超古代新次元抽象的実在概念、《三目人形》。ちぢめて《アイドール》」
「アイドール!?」
「アイドルじゃなくて!?」
「はい♪ それで、私が食事を司る『ごはん目』のアイドールで、その子が共感を司る『猫目』のアイドールです♪」
「ご、ごはんもく……!?」
「ねこもく……?」
「いやいや。いやいやいやいや! 共感を司る猫目のアイドールって言われても! わけわからん! 犬じゃん! かつ兎! つまり依然として全部謎! むしろ増えたわ!?」
「犬はそもそも猫目です。要するに人類が愛玩動物に求めるのは、結局のところ犬猫の所作であるということでございまして。観賞用として所有する場合は、絵画や玩具と同じカテゴリーに分類されるといいますか。ですからルンバも広義では猫目のアイドールになりますね?」
「な……なあるほどぉ……?」
かにんちゃんがもぞもぞする。細流がああ、うあ、どうしよ。埋火がすかさず交代を催促。抱っこして完全に幼児退行。頭を撫でてモフついて、座った方が落ちつくのかな? 膝の上に乗せてナデ。ナデナデナデナデ、ナデナデしすぎて目が狐。天真爛漫川がまた盗撮。
「かわいー」
「お前がな。って思ったでしょ?」
「おし! じゃあ、そろそろ行くか」
「へっ? やだ、行くとか何が!? っていうかこれってどう考えても今からここで……!」
邪念を滅して軽くハグ。よし、成功。おれは防寒着を羽織ってから軍手を掴み、元気な女子連中に手を振って、困窮のヒゲナシヒゲヒゲを手伝いに向かった。