報酬
「考えたわねえ、ヒミコちゃんも。
あらかじめ警察官を大量に配置しておくなんて」
夕暮れ前のノワールのカウンター越しに、グラスを磨きながらママが言った。
「俺も気付かなかった。
ヒミコと高梨がこっそり裏で打ち合わせていたらしい。
教義室のまわりにいたヤクザは、全員しょっ引かれたそうだ」
自分の声が若干ふてくされているのに気づいて、少し恥ずかしくなった。
「高梨さんってあの渋かっこいい刑事さんですよね。
杏奈、ちょっと好み」
「まったくあんた浮気症ね…。
あ、美晴ちゃん、ジュースもう一杯飲む?」
俺の隣に座っていた美晴は、遠慮がちに首を振る。
「いえ、結構です」
「ほんと可愛いわね美晴ちゃん。どう、うちで働いてみない?」
ママがそれとなくとんでもないリクエストをする。
12歳に風俗営業店は法律違反だ。
教団が事実上壊滅し、悪徳教祖がお縄となったため、その養子であった美晴は行き場所を失ってしまった。
もともと孤児で親戚もない彼は、どこにも留まることができなかった。
そんな彼を、ヒミコが引き取ったのだ。
まあ、何を企んでいるかは想像に難くないが。
悪徳ぶりでは教祖に引けをとらないからな。
あの女狐。
そして当然、
こいつは釈放された。
「由良さん、こっち向いて下さい」
両手を頬に当てた恵が、右隣から強烈な視線を送ってきた。
反射的に反対を向く。
美晴がいたずらっぽく笑っていた。
「そういえば、報酬は手に入ったの?
一応依頼は成功したわけでしょ」
ママの質問に、俺は一瞬詰まる。
「手に入ることは入ったが、ヒミコの手にな。
これは俺の事務所の依頼じゃないから」
「あら、そうだったの。
じゃあまた裏帳簿の残高が増えただけなのね」
横で聞いていた恵が尋ねてきた。
「事務所?
由良さんって何のお仕事してるんですか?」
それに答えたのは、なぜか少し挑戦的な口調の杏奈だった。
「気付かなかったの?
由良さんは探偵さんよ。自分の事務所があるんだから。
つまり、探偵事務所の所長さんなの」
ツインテールを揺らした杏奈がまるで自慢するように言うと、恵が目を大きくして叫んだ。
「探偵さん! すごい、かっこいい!
ジェームズ・ボンドみたいです! さすがは恵の王子様」
言われて、俺は自分の笑顔が引きつっているのがわかった。
俺の事務所に来る依頼は、行方不明者探しや浮気調査といったものばかりで、
決してジェームズ・ボンドの世界の話ではない。
しかし、ジェームズ・ボンドまがいの事をすることも無くはない。
あのインチキ占い師が毎度のように、どえらい依頼を勝手に持ち込み、
俺を助手か何かのようにこき使い、たくさんの危険な目に合わせ、
そして報酬を独り占めする。
奴はその報酬を、俺の事務所の「裏帳簿」に記録している。
帳簿も何も、あいつの私財産だが。
「裏帳簿」という名前が、
まるで悪事を働いた金を記録するもののようだが、
意図的にそうしているのかはわからない。
まあ、だいたい悪事だから正しいネーミングか。
「ヒミコちゃんは元気?」
何かカクテルを作り始めたママが尋ねてきた。
「ああ。多分人生で最高に楽しいんじゃないか。
毎日パソコンをにらみながら株式投資に精を出している。
儲かったら家を増築するとか言ってたな」
「増築って…。
由良くんち今でも相当大きいじゃない。
あんな家に2人だけで住んでるんだから、これ以上望んだらバチがあたるわよ」
「さあ。あいつの考えることはわからん」
俺がため息交じりに言うと、隣から突如腕が伸びてきた。
それは俺の右手をつかむと、力強く握りしめた。
「由良さん…。ヒミコさんと『2人』で住んでるんですか?」
恵はなぜか、ものすごく真剣な瞳で尋ねた。
そして、またしてもそれに答えたのは、カウンターの中で楽しそうに髪を揺らす杏奈だった。
「そうですよ。由良さんはヒミコさんと一緒に暮らしてるんです。
お2人はもうずーーっと、ながーーいお付き合いなんだから」
「ず、ずーーっと、ながーーいお付き合い…」
恵がよろり、と体を後ろに動かした。
愕然とした表情が顔に張り付いている。
おいおい。
「杏奈、勘違いさせるようなこと言うな」
「えー、だって本当のことじゃないですか」
「まあそりゃそうだが」
「そうなんですか! 本当なんですか!」
さらに後方にのけぞった恵が泣きそうな声で言った。
そんなやり取りを、ママは愉快そうに眺めている。
「そおねえ。本当だわね。
2人の間には、誰にも切れない深ーい絆があるわ」
「誰にも切れない深ーい絆!」
恵はママのセリフを繰り返して、プロボクサーのカウンターパンチを食らったかのようにさらに大きくのけぞる。
「そんな…だめです由良さん!
結婚前に同棲なんて王子様のすることじゃありません!
しかも恵以外の女の人と…!」
俺はため息をついた。
「ヒミコは俺の妹だ」
恵の目が点になった。
「え?」
「だから、ヒミコは俺の実の妹だ。
同じ両親から生まれてる1つ年下の妹」
「妹さん?」
「ああ」
「ほんとに?」
「そうだ」
「ほんとのほんとに?」
「そう」
とたんに体から空気が抜けたように、恵はカウンターに突っ伏した。
「なんだあ、妹さんですかあ」
頬をテーブルに当てた状態のまま、恵が言った。
「じゃあ、由良さんって下のお名前だったんですね。
みんな由良さんって呼ぶから、名字だと思ってました」
まあ、名字でも通用する名前に違いないが。
「じゃあ、恵も由良さんのこと、ずっとお名前で呼んでたんですね。
やだ、恵ってば大胆」
左手を頬に当てて、少し顔を赤らめた恵が言った。
何だか疲れた。
もう一度ため息をつくと、美晴の後ろにあった黒い機械が視界に入った。
それは、黒猫がマキノからもらったはずのプラネタリウムだった。
俺の視線に気づいたママが言った。
「それね、黒猫がおいてっちゃったのよ。多分飽きたのね。ほんと、猫みたいに飽きっぽい奴だから。
よかったらあげるわよ。どう、美晴くん?」
聞かれた美晴は、興味深そうにその機械を眺めた。
「あ、黒猫で思い出した」
俺は独り言のように呟いた。
「前回、報酬を払わなかったんだった」
それを聞いた杏奈は、驚いたような声で言った。
「えー、それでどうしたんですか?
にゃんこさん後払いはさせてくれないじゃないですか」
「体で払えと言われたな」
そう答えた瞬間、ママと杏奈の顔つきが変わった。
「あんの馬鹿猫、よりによって由良くんになんてことを」
「いくらにゃんこさんだからって許せません!」
ママは半ばカウンターから身を乗り出して俺の方に顔を向けた。
スキンヘッドに施された蛇が眼前に迫る。
もちろん俺はのけぞった。
「それで!?
当然断ったわよね?」
勢いに気押されながら俺は頷く。
「ああ…、まだ死にたくはないしな」
そう答えると、2人は困ったような、しかし苛立ったような顔をして、諭すように言った。
「違うわよ、由良くん」
「にゃんこさんはそういう意味でいったんじゃないです」
「は?」
ママはなぜか声のトーンを落とす。
「由良くん、どうして黒猫がここの常連なのか、考えたことなかった?」
「え?」
そんなこと、考えたことなかったが。
「このお店がどういうタイプのお店か、知ってますよね」
杏奈も声をひそめて言った。
俺は冷や汗を背中に感じながらそっと頷いた。
「黒猫はバイよ。てっきり由良くん気づいてるんだと思ってた」
気づくかそんなもん。
「つまり、にゃんこさんの『体で払え』は、間違いなく言葉そのままの意味ということです!」
「いい、由良くん。今度また同じこと言われても絶対断るのよ!」
俺は顔が強張っているのを感じたまま、無感動な声で言った。
「…今回の報酬は、次に会ったときに『体で払う』ことになってるんだが」
ママと杏奈が髪を逆立てた。
「絶対食い止めるわよ!いいわね杏奈!」
「もちろん!由良さんをにゃんこさんの魔の手から救うんです!」
「王子様は恵が守ります!」
なぜか恵も便乗する。
「…いろいろ、大変ですね。
もし何か手伝えることがあったら、言って下さい」
美晴が同情するように言った。
この常識的な少年の存在が非常にありがたいことに気づいた。
えいえいおー! と叫んでいる3人を視界の端に眺めつつ、
目の前に置かれたカクテルグラスを手に取ると、
俺はまたため息をついた。
FIN
10年くらい前に「よし、ライトノベルっぽいやつ書こう」と思って書いた小説です。
小説コミュニティの作れるSNSで連載していたやつで、
友達の意見とかを反映させて作っていたので、いろいろ無理やり感あるんですが、
思い出深い作品です(´v` )
お読みいただきありがとうございました!