降霊の儀
午前11時35分
恵が加藤明日香から電話を受け、すぐに彼女の部屋に赴く。
同じ時刻
俺は宿舎の階を見つけて、一人で廊下を歩いていた。
午前11時37分
恵が加藤明日香の部屋に入る。
明日香はベッドの上で化粧をしながら、恵に鍵を閉めるように指示した。
そして恵は手を洗いに、正面奥の洗面所へ行った。
洗面所とリビングはドアを隔てている。
恵は何の物音も聞かなかった。
俺は恵を見つけ、明日香の部屋の前にとどまった。
俺もまた、物音は聞かなかった。
午前11時38分
恵が洗面所から戻ると、明日香はベッドの上で死んでいた。
混乱した状態で玄関の扉を開けて、俺とはちあう。
その時恵に、混乱している以外の異変は感じられなかった。
死因は失血死。
頸動脈を刺されたことによる大量出血によるもの。
凶器は発見されていない。
「こんなところか」
「すごいね由良くん。まとめがうまい」
ヒミコが軽く言った。
なんか、こいつ機嫌がいいな。
すごく嫌な予感がする。
ちなみに、俺達も参考人であるため、一通りの取り調べと現場検証が終わるまで、この宿舎の一室で待たされている。
しかも、部屋は「いいちこ」だった。
信者が入りたがらなかったため、空室だったらしい。
まぁ、気持ちはわかる。
「とりあえず、恵が1番の容疑者ってことだな」
俺が言うと、ヒミコがにやりと笑う。
ろくなことを考えていないときの顔だ。
「お嬢様は犯人じゃないよ」
やけに自信たっぷりに言う。
「また守護霊のお告げか?」
俺が尋ねると、ヒミコは邪悪とも形容できるような笑みを浮かべた。
「それもあるね」
「それもって…他にもあるのか?」
ヒミコは少し間を置いて答えた。
「もしボクが恵で、ホントに犯人だったなら、もうちょっとマシな嘘つくね」
考えてみれば確かにそうだ。
せめて、自分が入ったときにすでに殺されていたことにすれば、多少容疑者の範囲が広まっただろう。
しかし、室内に恵がいて、部屋の外には俺がいたのに、一体犯人はいつ侵入していつ出ていったというのか。
部屋の中に、人間が隠れられるような大きなスペースはなかった。
ベッドの下には隙間がないし、クローゼットは小さすぎる。
俺が真剣に考えている横で、ヒミコはとんでもないことを口にした。
「ま、もしホントに恵が犯人だったとしても、誰か適当なやつに罪をなすりつけるつもりだけどね」
………
…………………は?
「………ヒミコ、どういう意味だ」
ヒミコは嬉しそうな顔で、椅子に腰掛けた俺の方を見ると、白いベッドから飛び降りた。
「さっきね、クライアントに経過報告したのさ」
ヒミコは自分の携帯を取り出して言った。
「奪還は上手くいきかけたんですが、お嬢様が殺人容疑で警察に捕まってます、と」
おいおい。
随分ダイレクトだな。
別に奪還上手くいきかけてねえし。
「そしたらさ、社長、太っ腹でね」
………。
言葉にできない嫌な空気が、一瞬で俺を取り巻いた。
「娘の容疑を晴らしてくれたら、キャッシュで三千万、だって」
マジかよ。
「わかる、由良くん。三千万だよ三千万。奪還の方と合わせたら四千万!」
両方搾取する気だ。
「さっさと『いつもの』で終わらせるよ。ボクちょうど買いたい株があるんだ」
俺はもう言葉を失っていた。
静まりかえった教議室の中に、俺とヒミコはいた。
ヒミコはこの部屋を使って、『いつもの』をやるつもりだった。
「なあヒミコ。もう少しよく考えてからの方がいいんじゃないか」
そう言ってみるが、ヒミコは聞く耳をもとうともしない。
彼女は一人黙々と、広い教議室の机を並べていたが、やがて口を開いた。
「情報なら、警部とお嬢様からたっぷり頂いただろう。ボクにはあれで十分」
ヒミコは先程『いつもの』やつの下調べのために、高梨警部に何かを聞きに行っていた。
ちなみに俺もこいつの理不尽な命令で、才和恵に色々聞き込みさせられた。
俺の質問もにめちゃくちゃあっさり答えていたし、やはり恵が犯人とは思えない。
「由良くん、何ぼーっとしてんの。まさかお嬢様のことが気になってるわけ」
ヒミコが言った。
何だか刺々しい言い方だ。
しかし、あれを気にするなという方が無理なのではなかろうか。
「何でそんなこと聞く」
俺が返すと、ヒミコは視線をそらした。
「べつにー。お気に入りのおもちゃを横取りされるときの気分なだけだよ」
ふて腐れたようにヒミコが呟く。
なんだよ、それ。
誰がお気に入りのおもちゃだ。
そんなくだらないやり取りをしていたら、教議室の大きな扉が開き、その向こうから高梨警部が顔を出した。
「ヒミコさん。言われた通り、関係者を集めましたが」
ヒミコはそれを聞くと、妙にうやうやしいしぐさで一礼した。
「ありがとうございます高梨さん。こちらも準備できましたので、みなさまお呼び頂けますでしょうか」
言われた高梨は素早い動きで扉を閉めると、足音を立てて廊下をかけていった。
今からヒミコがしようとしているのは、『降霊の儀』だった。
ヒミコは毎回この方法を使い、かなり強引に事件を終わらせる。
対外的には、ヒミコが降霊術を使い被害者の霊を自分に宿し、被害者本人の口から犯人を指摘する、というストーリーになっている。
しかし、前にも言ったがヒミコには霊能力など一切無い。
あるのはカンの鋭さだけだ。
ヒミコのカンはかなり高確率で当たるので、被害者の霊が降りた演技をしながら適当に犯人を名指しすると、そいつが本当に犯人だったりする。
いや、だったりするというか、今までほとんど外れたことがない。
よく考えるとうらやましい能力だ。
つまり今回も、恵を容疑から外すために一芝居うつというわけだ。
…しかし、あまりにも急ぎすぎではないだろうか。
三千万に目がくらんでいるのだろうが、何だか嫌な予感がしてならない。
何となく、上手くいかない気がした。
部屋に入ってきたのはほんの五、六人だけだった。意外と少ない。
高梨警部が指示をして、全員を椅子に着席させる。
テーブルの上に置かれた水晶と札に、あからさまに嫌な顔をする奴もいた。
「ヒミコさん。ここにお集まり頂いた方々が、犯行時刻にお一人でいらっしゃったかたです」
高梨がそういうと、ヒミコの向かいに座った化粧の濃い女が、刺のある口調で言った。
「つまり容疑者ってことでしょ?あーあ、もう茶番はさっさと終わらせてよ」
女の隣にいた低身長かつ太めかつハゲの中年男が続けた。
「まったくだな。警察ってのはこういう無意味なことをしているから駄目なんだ」
高梨はその二人をきつく睨んだが、言われたヒミコは動じる様子もなく、神妙な演技をしたまま高梨に言った。
「みなさんをご紹介頂けますか」
高梨警部は頷いて、自分の右隣を見た。
「わかりました。ではこちらから。彼は三枝智明さん。信者ですが用務員として働いていらっしゃいます」
紹介された三枝は、集められたメンバーの中でも一番うだつのあがらないなりをしていた。
ベースボールキャップに色あせたウインドブレイカーが、競馬場前でたむろするダメ親父を連想させる。
彼はこちらも見ずに会釈する。
「犯行時には、部屋で一人で一杯やっていたそうです。ちなみに彼の部屋は宿舎棟にはなく、一階にあります」
だから、何で酒が飲めるんだ。
それでいいのか宗教として。
「その隣が清水裕也さん。最近入信されたばかりだそうです」
紹介された清水は、明らかに良家の馬鹿息子だった。
似合わない金髪に手入れされた髭。そしてニヤニヤした嫌な笑み。
絶対親の金で遊びまくっている。
「犯行時は、やはり部屋に一人でいたそうです」
清水はへらへらしたまま、ヒミコのほうをずっと見ていた。
本能的に嫌いだこいつ。
「で、そちらが名取麻紀さん」
高梨が、先程嫌みを吐いたケバい女を指して言った。
名取はうっとうしそうに横を向いたまま、持っていたタバコに火を付けた。
って喫煙もOKなのか。
「彼女も部屋に一人でいたそうです」
「そおよ。だから何。あたしが犯人だっていうわけ」
名取が噛み付いたが、高梨もヒミコもフォローせず先に進んだ。
「そして、あちらがこの『明善ひかりの会』教祖の明善一光氏。本名は前田和行さん」
名取の隣で、椅子に踏ん反り返った男を示して高梨警部が言った。
先程の三拍子そろった中年男だ。
何てカリスマのない教祖だろう。
顔もそこはかとなく、悪いことをしていそうな雰囲気だ。
「犯行時には、教祖だけが入れる一階奥の祈祷室にいらしたそうだ」
明善は横柄に頷いた。
「最後に、教祖のご子息である前田美春くんだ。…彼もアリバイは無いからな、一応来てもらいました」
そう言って高梨が指したのは、父親と似ても似つかない美少年だった。
まだ小学生くらいだろう。あどけないその顔はやや戸惑っていた。
「彼も、二階の自室で一人眠っていたそうです」
少年が頷くとさらさらの前髪が揺れた。
「それから、もちろん才和恵さん」
なぜか俺の隣に陣取った恵は、高梨の紹介なんて聞いちゃいなかった。
椅子を正面ではなく、俺の方に向けて座っている。何とかしてくれ。
「他の方々は全員、犯行時刻に体育館でスポーツ大会をやっていたそうなので、みなさんアリバイが成立しています」
何でスポーツ大会やってんだよ。
何で体育館があるんだよ。
「ありがとうございます高梨さん。ではさっそく、降霊の儀を執り行います」
ヒミコが静かに言った。
「あんた、私の貴重な時間を無駄にしてるんだよ解ってる?能書きいいから早く終わらせて。それとも無駄になった時間分、賠償金払ってくれるの?」
厳かな雰囲気を、俗っぽすぎる教祖がぶち壊した。
ヒミコのこめかみがちょっとひくついた気がした。
嫌な予感は膨れ上がる。
ごほん、とヒミコが仕切直しの咳ばらいを一つした。
「降霊の儀とは、亡くなった方の魂を私がよりしろとなり…」
「だからぁ、そんな講釈聞きたくないの。とにかく早く終わらせてよ気分悪いわねホントに」
名取がまくし立てた。
ヒミコのこめかみが今度は明らかに痙攣した。
しかし、何せ四千万がかかっている。
普段ならあっさりキレるヒミコも、今日ばかりは必死に耐えていた。
「わかりました。とにかく今から殺された加藤明日香さんの霊を呼び出して、犯人を直接教えてもらいます!」
若干ヤケ気味にそう言うと、目の前に置かれた水晶玉に手をかざした。
…実際の降霊術では水晶なんか使わないと思うんだが。
ヒミコは俯き、目を閉じて、集中する。いや、集中するふりをする。
いつもはこの後、何やら怪しげな呪文を詠誦したり、水晶に仕掛けた磁石でポルターガイストを装ってみたりするのだが、今回はもうそれもどうでもよくなったのか、いきなり気を失った振りをした。
がくっと体を沈ませ、ぴたりと動かなくなる。
しかし周りの奴らは、高梨を除いてまともにヒミコを見てすらいなかった。
しばらくの後、ヒミコはゆっくりと顔を上げた。
全く生気の無い顔。
まるで死人だ。
そして、そっと口を開く。
「……………あぁ、ここは…」
ヒミコの声ではない。
もっと高く、頭に響く声。
「ってゆーかマジ意味わかんないんだけど!!何でアタシ死んでんの。チョーうざいんだけど!!」
ギャルだ!?
しかも声がキンキンして頭が痛い!
「あ……明日香…!?」
いつの間にか清水が、ヒミコを凝視していた。
清水だけではない。
他の人々も、愕然とした表情で彼女を見つめていたのだ。
今回も当たりだな。
俺は心中で思った。
これにはトリックは無い。
ヒミコは様々な声を出すことができる。
もっとも超人的なものではなく、せいぜい物まねタレントレベルだ。
しかしこの雰囲気と状況下で聞くと、不思議と本人そっくりに聞こえるようだ。
話し方の癖などは、あらかじめ関係者から聞き込んでおく。
今回は俺が恵から聞き出しておいた。
「そんなことあるわけないだろう!!トリックだ、これはトリックだ」
教祖が騒いだ。
しかしこれはトリックなんかじゃない。
そんな高等なものじゃない。
ただの物まねだ。
しかも適当な物まねだ。
「アタシ殺されたんだよ、マジ」
殺されたわりに気味悪いほど調子のいい声で、ヒミコが言った。
「一体誰に殺されたっていうのよ!」
やや恐怖をたたえた表情でヒミコを見ながら、名取が叫んだ。
……っていうか、そんなに怖いか?
これ。
毎度のことだが、解せない。
それとも何か、被害者に対してやましいものがあるのか?
いつもの流れで行くと、このままヒミコが適当な奴を名指しして『お前が犯人だ!』と言い放ち、それが本当に犯人で、そいつがあっさり自供して終わり、なのだが。
今回はそうはいかなかった。
声は意外なところから発せられた
「これは明日香さんじゃないよ」
視線は一気に、声の方へと飛ぶ。
ヒミコさえも勢いよく振り向いた。
その先にいたのは、教祖の息子。
前田美春少年だった。
「ん、何だ美春。どうした」
教祖が声をかける。
少年は純真な瞳をヒミコに向けて、そっと口を開いた。
「だって、明日香さん、自分のことを明日香って呼んでたもん。このお姉さんは、アタシって言ってた」
「う!」
ヒミコがうめいた。
一人称に突っ込まれるとは思っていなかったらしい。
美春はさらに続ける。
「声も似てないよ。喋り方が似てるだけ。それに、明日香さんはギャルだったけど、あんな言葉遣いじゃなかった」
何て冷静な洞察をする子供だ。
俺は少し感心してしまった。
…大人が馬鹿なだけか。
「そ…そうだ、冷静に考えればそうだな、明日香はこんな声してない」
清水がつぶやいた。
そしてそれが他の人間にも飛び火した。
「とんだ茶番だな!!危うく騙されるところだったぞ!このインチキ占い師め」
教祖が言った。
「最低よね。そういう姑息な真似して生きてる奴ってさ」
名取も言った。
ヒミコは黙ったままだ。
もっともこの状況下で、演技を続けたってもう信じてはもらえないだろう。
この展開は初めてかもしれない。
やはり焦りすぎたのだ。
「あんた、人を殺人犯にしたてあげようとしたんだからさ、訴えられても文句言えないよね」
教祖がまだヒミコを責めた。
「詐欺罪と名誉毀損だ、あんた、私は本気だからな」
黙ったままのヒミコの額に、青筋が浮かんだが、俺は見ないふりをした。
「何とかいったらどうなのよ、このインチキ女」
名取が言った。
ブチ
と、何かが切れる音がした。
俺の背中を冷や汗が伝った。
「黙れこの愛人女」
ヒミコがつぶやいた。
愛人女?
あまりに突然のヒミコのつぶやきに俺は驚いて、言われた名取を見た。
彼女はなぜか青くなっていた。
「ちょ…あんた今何ていったのよ」
震えた声で名取が聞く。
ヒミコは今にも人を食い殺しそうな形相で答えた。
「愛人女って言ったんだよこの愛人女!いったい教祖様は何人目なのかな!」
ヒミコが壊れた。
「ボクは占い師だからね、何でもわかるんだよ。教祖様は横領が大好きなんだよね!そして会社をクビになっちゃった」
至極楽しそうヒミコが叫ぶ。
一瞬で教祖の顔色が変わった。
「き…き…貴様……何を、わけのわからんことを!名誉毀損だ!訴えるぞ!」
「事実だからって興奮しないでよ教祖様。大人げないよ」
「お前、この…」
拳を振り上げ、今にもヒミコに殴り掛かってきそうな教祖を、高梨が制止する。
ついでにいらんことを聞く。
「横領が大好きなのですか」
「……無礼にもほどがあるぞ!お前らみんな訴える!警察もだ!!裁判だ、弁護士呼ぶぞ!」
「あーあ、これだからちょっとばかり金持ってる馬鹿な大人は嫌だね。何かあるとすぐ裁判だ、弁護士だ、ってさ」
「黙りなさいよインチキ女」
段々、収拾がつかなくなってきた。
俺は今すぐここから逃げ出したかった。
小一時間ばかり経っただろうか。
子供だっているというのに、醜い罵り合いはしばらく続き、やがて教祖と名取は『絶対に訴えてやる!』と捨てぜりふを吐いて退場した。
美春は大人げない親にくっついて、少しだけこちらに会釈してから出ていった。
他の容疑者達も、何だか呆れた表情で自室へと戻った。
俺は長距離走の後のような疲労感に襲われていた。
「ヒミコさんをインチキ呼ばわりするなど、とんでもない奴らだ」
高梨警部が言った。
お前いい加減気付けよ。
インチキなんだよ。
「お気を落とさないで下さい。しかし、容疑者が絞れない以上、最有力容疑者の才和さんを、本庁にお連れすることになりますね」
その言葉に四千万を思い出したのか、ヒミコがすがるように高梨に言った。
「そんな、お嬢様は犯人ではありません。高梨さん、信じて頂けないんですか」
高梨警部は困った顔をしたが、静かに言い切った。
「そればかりは私の一存では何とも致しかねます」
ヒミコは下を向いて明らかにチッと舌打ちをした後、黒いオーラを全身からにじませてつぶやいた。
「絶対、教団潰してやる」
ヒミコは何か、違う方向に動き始めたみたいだった。
もう嫌だ。