前世銀行 00
深夜。
嫌な気配がしたので目を開けてみると、枕元に一人の男がジッと立っていた。何もせず、ただ、此方の顔を覗き込んでいたのだ。その姿に驚いた私は、つい「あひゃ」っと悲鳴を上げて転げ回ってしまったのだった。
「……だ、誰なんですか。アンタは」
「銀行から来た者です」
「銀行?」
「はい」
私は男を見詰めた。年の頃は40前後ぐらいだろうか。恰幅の良い体格に、身形の整った衣服。口元には他人を慈しむ穏やかな笑みを浮かべており、生まれの良さを感じさせる風貌をしている。最初こそ驚いたものの、とても私の部屋に進入してきた人間とは思えない様相であった。
「……誰でもいいですが、どうやって入ってきたです?」
「それはとても簡単ですよ。私は過去からやってきました」
「過去?」
「ええ、そうです」
「どういう事です? 仰ってる意味が」
「まあ、簡単に申しますと、私は所謂、死神とは反対の事が仕事といいますか、皆様をお助けする仕事をしております」
「べ、別に貴方に助けて貰う事は何もないですよ。兎に角、私の部屋から出て行ってくれませんか」
「いえ、申し訳ないのですが、そういう訳にはいきません。私には、あなた様から頼まれた、あなた様に御用がありますので」
「え」
私は思わず声が出てしまった。私は、この人に何かを頼んだ記憶はないし、そもそも体面するのさえ初めてなのだから覚えがあるはずもなかった。
しかし、それでも、この銀行員はそんな筈はないという顔をしていたのだ。
「遅れました。私、前世銀行の者です」
「ぜんせ?」
「はい。あなた様にお貸しした融資の回収に参りました。つきましては使用してきた支払いを、そろそろ一括でご返済してもらいたくありまして」
「いや、ちょっと待ってください。前世だかなんだか知りませんが、私は銀行から何かを借りた記憶はないのですが」
「ええ、そうでしょう」
当たり前のように答えた銀行員を見て、私は一瞬、言葉に詰まってしまった。
「……は? ど、どういう事ですか?」
「私共の銀行から融資を受けていたのが、あなた様の前世にあたる方でして。その方達の後回しされてきたモノを回収したくある所存で御座います」
「ちょっと待ってください。何だか話しが見えてきません。どういう事なんですか? ちゃんと、一から話してくれませんか」
「……ふーむ。どうも、その方が良さそうですね」
銀行員はゆっくりと私に説明をしてくれた。
「あなた様はテレビやネットを見ていて、この成功した人のような能力が欲しい、と思った事はありませんか? 私どもは、それを望む方々に、来世の方から能力を前借りしてお渡しする、という商売をしております」
「……えっと」
「お分かり憎いですかね」
「……例えば、私の生まれ変わりにオリンピックのマラソンランナーがいるとして、その能力を借りすれば、私がオリンピック選手並にマラソンができるようになる、とかですか?」
「はい」
「そして、その支払いは、生まれ変わった次の人がする、っと」
「素晴らしい、その通りです。ご理解頂き感謝します。そもそも、人の魂は輪廻転生、メビウスの輪のように永遠と繋がっている高速道路。当然、道筋が確かであるのならば、返済プランも立てやすいという事です」
「はぁ」
「えー、あなた様から遡る事、四代前の前世から多大な能力を未来から借り付けています。ので、そろそろ一旦、全て回収しておこうという上からの指示がありまして。本日はお伺いした次第です」
「……わ、私はそんなの知りませんよ」
「当然です。四代前が借りた融資の話ですので」
「……し、しかし、メビウスの輪のように全てが繋がっているのでしたら、幾ら借りたって問題はないような。大本は減っていないのですし」
「これが、そういう訳にもいかないんですよ。この世界に存在する絶対量のというモノは定まっておりまして。何者でも、それを越える事は不可能なのです。いつか、無理をした負担を誰かが肩代わりしなくてはいけません」
「で、でも、なぜ私が支払いを……」
「こればかりは運としか……。申し訳ないですが」
「ど、どうなるんですか、私は」
「通常の手続きですと、このような場合はあなた様個人の能力を全て回収し、今まで使用された分が埋まるまで何代の方々も……」
「方々も?」
「言葉は汚いですが、かなり粗悪な人生を送っていただくとしか、私の口からは申し上げられません」
「……私は、これからずっと何もできない無能な人間に生まれ変わり続けるって事ですか?」
「いやはや何とも」
「そんな」
私は嫌な感じがした。何だか今の状況はよく分からないが、誰かの後始末を押しつけられようとしている事だけは伝わってきていた。このままでは割を食うのは私一人であり、その分を横取りした誰かが幸せになるのである。
よくある話しだ。
よくある話しだからこそ、私はゴメンだった。
「待ってください。何とかなりませんかね。私が支払うのだけは何とかなりませんか」
「しかし、そうは言いましても……」
「頼みます。まったく覚えのない厄介毎を押しつけられるのはゴメンなんですよ。ただ、私は普通に生きたいだけなんです」
「ふーむ」
「お願いします」
「ふむ」
「どうか。私一人が不幸になるなんて酷すぎませんか」
「……正直、それは私も感じておりました。職業柄、個人に肩入れするのはよくない事なのですが、全ての負債を一人に押しつけたら、その人は死んだ人生も殆ど同然ですからね。まるで、私が殺したかのようで後味が悪くなると常々感じておりました」
「で、でしたら私を助けてください」
「……分かりました。では、こうしませんか。あなた様には負債の一部、といっても多少運が悪くなる程度ですが、それを支払って頂きます。そして、残りを少しずつ来世、来来世へと繋いでいく、という形で支払って頂くという形でどうでしょうか」
「あ。はい。それでお願いします」
「まあ、この方法ですと、大成する芽が出ない人生を幾度もお送りする事になりますが、能力が無くなってしまうよりかはマシといえますねぇ」
「はぁ……」
「つきましては幾つか手続きが必用になりますが、それは私の方で処理しておきましょうか?」
「あ。はい、お願いします。私はよく分からないので」
「分かりました。書類の方は用意し、記入しておきますが、印紙代として3万4500円ほど頂きたいのですが」
「へ」
「国に退出する書類ですので、こればかりは規則になりますので」
「えーと」
「細々とした手続きは私がいたしますので、どうかご了承頂けませんか。そうでなければ、一からあなた様に書類の受け取り方からお教えする事になりますし」
「……はぁ」
申し訳なさそうな顔をした銀行屋に、私は言われたとおりイソイソと財布の中から代金を支払っておいた。すると、用事が終わったらしく、何度も頭を下げつつ私の部屋を後にしていたのだった。
しばし、その誰も居なくなった部屋の中から玄関を見詰めていたが、ゆっくりと襲ってきた睡魔に身を任せ、再びベットに倒れ込んでいたのだった。
翌日。
私の寝起きは最悪だった。深夜に起こされた上、国関係の相手と話し合った後ので全ての筋肉が凝り固まってしまったらしい。なんとかベッドから這い出てから仕事に向かったのだが、かなり億劫でしかたなかった。
「はー。来世の中に、肩こりしない人が居たら、その人の能力を前借りしたいなぁ」
私がぼやきつつ部屋の外に出た。
すると、早朝から掃除をしているマンションの管理人さんと鉢合わせたのである。
「おはようございます」
「ああ。はようさん。ねえ、それよりアンタは大丈夫だった?」
「はい? 何がですか」
「最近多いらしいのよ。深夜、独り身の部屋に進入して、中をゴソゴソ歩き回っていくサラリーマン風の泥棒が」
「え」
「なんか進入した所を住人に見つかっても、前世がどうたらこうたらとか言いくるめて何とか財産を毟り取ろうとしていくるらしいのよ。しかも、小難しい言い分でよ。泥棒が偉そうに講釈垂れるなんて百年早いと思わないぃー」
「……」
「よっぽど前世で才能を使い切ったから、泥棒も現世でかき集めようとでもしているのかしらね。騙されやすそうなんだから、貴方も、そんな悪魔と契約するんじゃないわよー。あはははははははは」