7 魔法講座 そのいち
ようやくついたのは「第三資料室」とプレートのかけられた教室。鍵はかかっておらず、先生は片手に私を抱えたまま扉を開けた。中は物置のようになっていて、埃っぽい。須黒先生も同じように思ったのか、私を下ろすと真っ先に窓を開けた。
ダンボールにつめこまれた、古い本や科書。片隅の机にはファイルが大量に積まれている。ホワイトボードには随分前に何かを書いたような後があり、現在では使われていないことがありありと伝わってくる。
「楓、こっち」
手招きをする先生に近付けば、再び抱き上げられて机の前のパイプ椅子に座らされる。扱いが絶対に子供なんだが、これはどう対応するべきなのだろう。怒るべきか感謝すべきか。そう悩んでいると、先生が一冊の絵本を手渡してきた。
何故絵本、と疑問に思いながらそれを受け取り、表紙を見る。「にんげんとばけもの」というタイトルで、可愛くデフォルメされた化け物と思わしき生き物と人間が描かれている、少し厚めの本だ。もしかして、これを読めというのだろうか。訝しく思うものの、この流れでまったく関係のないものを渡してくるはずが無いと、大人しく表紙をめくった。
『そのむかし、世界には、ばけものが、たくさんいました。
食べものをうばい、畑のものをぬすみ、にんげんをきずつけていました。
にんげんは、ばけものたちを、たおすようになりました』
『だけど、ばけものの中には、いいばけものも、たくさんいました。
でも、にんげんたちは、そんなばけものも、たおしました。
ある日、とってもすごい「おんみょうじ」という人がいいました。』
『この町を、にんげんと、いいばけものたちがくらせる場所にしましょう。
なかよくできるように、ばけものたちのすがたを、にんげんと同じにしましょう。
この町に、けっかいを、はりました。
ばけものたちを、たおそうというにんげんは、ここには入れません。
にんげんを、きずつけようとするばけものたちは、ここには入れません』
『それから、町はにんげんと、ばけものたちが、なかよくくらす、すてきな町になりました。
にんげんとばけものの間に生まれた子どもは、にんげんのすがたをもち、ばけものの力をもっていました。
にんげんとばけものの子どもたちは、まるでしぜんからとったような、きれいなかみの毛の色をしていました』
『この町にはにんげんとばけものが、今でもなかよく、くらしています』
最後のページに描かれた絵は、黒髪の人間たちと、カラフルな髪の色の人間と化け物の子どもたちと、多種多様なばけものたち。先生を見れば、頷いた。これは、ただのおとぎ話や空想なんかではない。この街そのものの、昔話だ。
作者名がなく、誰が、いつ書いたものかは分からない。子供向けになっているが、これは簡潔に書かれたこの街の歴史。深く息を吐く。これで納得した。この学園の人たちが、髪色について触れない理由。この歴史を、知っていたんだ。
「この街の人間は当然のこと、ここの周辺の街では結構有名な話だ。楓が知らないとは思ってなかったな」
「私は隣町出身ですし、小学校の皆は黒髪でした。誰も、こんな話はしてません」
「もしかしたら、当たり前のことすぎて話題にあがらなかったのかもな」
先生の言葉に、もしかしたらそうなのかもしれないと思った。実際、パンフレットを見た母さんは何の疑問も持っていなかった。それなら納得だ。……って、そうじゃない。長年の疑問が思わぬところで解けたのは嬉しいが、今聞きたいのはそういうことではない。
「魔法使いのことを聞きたいんですが」
「まあ、慌てるなって。これも重要な情報のひとつなんだし」
これが、重要? 眉をしかめれば「子供の姿でその顔はやめろ」と小突かれた。やっぱり子供扱いしてる。中身は元のままだっていうのに。
「あの魔法使い、ふざけた奴だが、かなり頭がいい。顔を隠していた。声も、特定されないように変えていた。それに敬語もわざとってことは、一人称も普段は「自分」でない可能性が高い。浮いていたのだって、はっきりとした身長がばれないためだろう。これだけ徹底的に自分の正体を隠していたんだ。そう簡単に尻尾はつかませてくれないさ」
先生がつらつらとあげた特徴に、私は思わず頭を抱えたくなった。宣戦布告しておいてなんだが、あまりの手がかりの少なさに見つかる気がしなくなってくる。現状、分かっているのは男っていうことくらいだ。
「そこで、この昔話だ。魔法使いっていうのも、昔は化け物の部類だった。つまり、その血を引くってことは、この話に乗っ取って、相手は黒髪ではないってこと。少しは選択肢が減っただろう?」
「あ、なるほど、そういうことか。……って、そうは言ってもこの学園の半数はカラフル髪なんですよね」
机、というよりもファイルの上に突っ伏す。選択肢が減ったとは言っても、数名までしぼられたわけではない。元々の生徒、教員の数が多いこの学園のカラフル髪だけを取ってもかなりの人数がいるのだ。そこから探し出すのは、かなりの苦労だろう。深い溜息を吐く。
「まあなー。命令式を飛ばせるくらいだし、魔力量も、知識も相当なもんだろう。根気よくやっていかねえとな」
「あ、そうだ。その命令式とかって一体なんですか」
頭をあげて尋ねれば、そうだったと先生はホワイトボードに近付く。そこにあったペンが使えることを確認してから、ボードを綺麗にして、私に見やすい場所に移動させてくれた。「須黒先生の魔法講座ー」と間の抜けた声で、何かをさらさらを書き始める。
「魔法使いっていうのは、生まれたときに大体の魔法量が決められているんだ。そして、魔法には二種類ある。魔法使いなら誰でも使える魔法と、命令式を理解した奴しか使えない魔法」
説明をしながら、先生は更に分かりやすくしようと、文字にしたり図面を描いたりしてくれる。それを見ながら、きちんと理解しようと一字一句漏らさぬように先生の言葉に耳を傾ける。
誰にでも使えるという方は、少ない魔力でも行使でき、杖の振り方と呪文だけ分からればすぐに使えるもの。一方、命令式というものが必要な方は複雑で、魔力の量は多く使うし、その原理や理屈まで理解していなければ発動しないもの。だが、その分強力で、しかも命令式を理解していない者には、魔法を解くことすら出来ないらしい。
そうとう優秀な魔法使いでなければ、扱えないらしい。そんな凄いものを、あの男は私を子供の姿にするためだけに使ったのか。魔法使いとしては凄いかも知れないが、根本的なところがバカなんだな、きっと。