八話 新手
「う~、尻尾の形が変わっちゃうじゃない」
「そんな胸を揉まれたみたいに言うなよ。てかお前の言動ってイチイチそういう感じだよな」
さすがサキュバスだと竜馬は無駄な感心をさせられた。
「それでアタシは何をすればいいわけ? 一応、契約した以上、何でもするわよ」
艶めかしい肢体を見せつけるようにして言うサキュバスに竜馬は少し考える素振りをみせた。
「じゃあ、その尻尾を切り落として俺にくれ」
「それは無理! 今の体でやったら取り返しがつかないし」
サキュバスは自分の尻尾を守るように両手で持った。
「なんでもじゃないじゃん」
「言葉の綾ってやつよ。普通、限度があるでしょ」
「いや、別に悪魔なんだし、切ってもまた生えてくんじゃねかなって」
「そんなトカゲみたいにうまく再生するわけ……、まあ普段なら術者の魔力で創るから出来ちゃうのか。でも今は実体だし、てか何? あなたって尻尾フェチなの?」
「尻尾フェチなんて言葉初めて聞いたぞ。でも犬とか猫とか動物の尻尾は好きだな。なんか掴んで、引っこ抜いて、取っておきたくなる」
「……変態」
サキュバスは蔑むような目で竜馬を見た。今まで色んな人間を見てきたが、ここまで特殊な嗜好を持つ人間は初めてだった。自分が思い描く理想の姿の女性が目の前にいるというのに、唯一反応したのは尻尾だけで、まるで女には興味がないかのようだった。
思えば、理想の姿が完全な人の姿になってないというのも珍しい。そしてそれは竜馬が真っ当な人間から外れていることを意味していた。とはいえ、サキュバスには欲の中でも特に性欲を司る夢魔としてのプライドがあった。
だからこそ竜馬が自分に性的な興奮を覚えなかったり、そういう素振りを見せたりしないのは、自分の魅力、引いてはサキュバスとしての能力を馬鹿にされているようで気に食わなかった。
「いや別に尻尾だけじゃないぞ。角とかも好きだし。あー、尻尾がダメなら角でもいいや、取れ」
「だからそういうのは無理なの! あなたが命令には絶対服従とか条件に出してなくてホント良かった」
「くそっ失敗したな。変えていいか?」
「嫌に決まってるでしょ!」
サキュバスは当然、反対した。ただ竜馬はそれに関してはなにも思うことはないのか、まあいいやとすぐに諦めた。
その反応は再びサキュバスを困惑させた。
いくら人間と悪魔の契約がビジネスライクとはいえ、あくまでも雇い主は人間であり、上級の悪魔でもない限り、上下関係では確実に人間の方が上だ。有り体にいえば今のサキュバスは竜馬の使い魔状態である。ただ縛るルールが竜馬に協力することただ一つしかない。それはサキュバスの今までの経験からいえば考えられないほどの自由度だ。
普通ならば文句を言うことさえ許されない。命令を拒否するなど論外だ。そもそも、悪魔を使役しようなんて人間は支配欲が強く、何が何でも屈服させようとするのがほとんどだ。しかし、竜馬には無理にサキュバスを従えさせようという意思は見えない。それは契約条件の提示の時点で分かる。
実際は竜馬が先ほどまでの拷問により、欲が満たされ満足しているからこその余裕なのだが、それを知らないサキュバスはまるで相手と対等に話しているかのように感じた。それはサキュバスにとって初めての経験だった。
というより竜馬に呼ばれてからというもの未知の体験ばかりだった。それは不安でもあり、同時にどこか心地よいものでもあった。
そして、その感情すらも未知の体験だった。
「とりあえず、操られた人間を元に戻すとか出来ねえの? 夢魔なら催眠術を上書きするとかしてさ」
「あなたが言ってるのって眠らせる方でしょ。でも確かに人間を操るとかは元々得意だし、それに今のアタシなら余裕で出来ると思う」
「それじゃあ、まずはそれに協力しろ。ってわけで行くぞサキュバス」
「ちょっと待って。サキュバスっていうのはアタシ達の名称でアタシの名前じゃないわよ」
「じゃあなんていうんだよ?」
「名前は普通、契約者が決めるものなの」
「へぇー、じゃあもうサッキュンでいいよ」
「ちょっと! てきとう過ぎ!」
「いいから行くぞサッキュン」
「えっ? 本当にその名前にしちゃうの? 待ってよ。待ちなさい!」
サッキュンは足早に部屋を出ようとする竜馬を、声を上げて引き留めた。
「うるせえな。なんだよサッキュン」
「百歩、いや千歩譲ってアタシの呼び方はサッキュンでいいとして、自分の名前も名乗りなさいよ」
「新藤竜馬、竜馬でいい。じゃそういうことで」
そう言ってすぐに竜馬は歩き始めた。
「もう! 好き勝手に話進めて! ねえ、あの人間は残しといていいの? って置いてかないでよ! 聞いてる? ねえリューマ!」
「あー聞いてる聞いてる」
「なら少しくらい待ってよ!」
早くも部屋を出た竜馬の後を慌ててサッキュンは追いかけた。
「あの串刺しになってる人間ってあのままでいいの?」
「そういや命だけは助けるって約束したからな。まあ女共を元に戻したら外に運びだしてくれ」
「えー、アタシがやるの?」
「他に誰がいるよ。俺は一応なにかあった時のために女共についてなきゃならねえし、お前しかいないだろ」
魔術師の男を見るも無残な姿にしたことからサッキュンは竜馬のことを容赦のない残酷な人間だと思っていたので、他人を心配するような言動に目を見開いて驚いた。
「あれ? あなたって意外と良い人間? それとも女性には優しいとか?」
「良い人間は人を串刺しにして遊ばねえだろ。まあ今は気分が良いからな。総司みたく他人の面倒もみてやるかって気になっただけだ」
「ソージって誰?」
「家族だよ。俺が世界で一番信用してる人間だ」
「じゃあその人もきっと変な人間なんでしょうね」
「そりゃあ俺と延々付き合ってこれる人間がまともなわけないからな」
「自覚あったんだ」
「総司がいつも言ってるからな。竜馬は誰より人間らしいけど変人だって」
「ふーん、私から見れば全然人間らしくないけどね」
「会ってから一時間も経ってないのに何が分かんだよ」
「だって理想の女が目の前にいるのに襲おうともしないなんて、あなた人間? ホントに男?」
サッキュンは竜馬に抱き着くように首に手を回し、吐息がかかるほど顔を近づけて目を合わせるように竜馬の顔を覗き込んで、囁くように言った。
かなり露骨な言葉と態度だったがそれでも竜馬はたいして顔色も変えず、サッキュンをくっつけたまま歩き続けた。
「ちゃんと人間で男だよ。てか前見えないからせめて顔はどけろ」
サッキュンは不満そうな顔で竜馬から離れた。
「あなたって本当はホモじゃないでしょうね?」
「それは無えよ。ホモだったらお前だって男の姿になんじゃねえの?」
「それはインキュバスの仕事よ。といってもあいつらも同性は相手にしないだろうけど」
「あっ、でも、もし総司の奴が女だったら絶対に結婚するだろうな」
「……やっぱホモじゃん」
「いやホモじゃねえって。女に興味がないってわけでもないし」
「じゃあなんでアタシを見て興奮しないのよ」
「さあ、お前の魅力が足らないんじゃね」
その言葉にサッキュンの表情が凍りつき、そのまま空中で停止した。
しかし、そのことに気付かず竜馬は言葉を続けた。
「てか大体、夢魔なんだから夢の中じゃないとダメとか」
竜馬の言うことにも一理あり、サキュバスが最も力を発揮できるのは夢の中であり、たとえ契約によりパワーアップしてもそれは変わらない。
しかし、そんなことは今のサッキュンには関係なかった。
「……フッ」
「ふ?」
竜馬はサッキュンの口から漏れた言葉を思わずおうむ返しした。
そして、足を止めてサッキュンの様子を見ると、そこにはどんよりとしたオーラもとい雰囲気の中、不敵な笑みを浮かべて佇むサッキュンの姿があった。
「フッフッフ。いいわよ。そこまで言うならアタシにも考えがあるわ。今日の夜、あなたがカラッカラに干からびるまで精気を吸い尽くしてあげるから覚悟しなさい」
「……お、おう」
その先ほどまでの軽い調子の明るい声とは百八十度違う声色とあまりの迫力にさすがの竜馬もたじろいだ。
そんな気まずい空気のまま竜馬とサッキュンはミエナが待つ牢を目指した。
竜馬が拷問やら召喚やらしている間、一人で不安や恐怖と戦いながらも静かに彼の帰りを待っていたミエナは今にも泣きだしてしまいそうな表情をしていたが、竜馬が姿を見せると安堵したのかその顔を綻ばせた。
それでも竜馬のゴーレムとの戦闘などでボロボロになった上に返り血のついた恰好や傷だらけの拳、果ては後ろからついてきた女の姿をした悪魔を見て再び不安そうな顔になった。
「なんだその反応、なんかまずいもんでもあるか?」
「まあ恰好だけ見ればボロボロだけどね」
「そうだよ、お前と一緒にいるからか」
「なんでそうなるのよ!」
「いやあの子、さっきの魔術師野郎とその悪魔とかに村襲われてるから」
「ああ、まあそういうことなら仕方ないかも。ちょっとショックだけど」
竜馬が小声で話すとサッキュンは頷いた。
「まあ、なにはともあれ待たせたな、えっとミエナだっけか? もうあれは二度と悪事なんか出来ないだろうから安心しろ」
「そりゃあんな風にめちゃくちゃにされたら悪事どころかなにも出来ないでしょ」
「いちいち変な言い方するなよ。まっ、にしてもよくちゃんと待ってられたな。また大声で泣いてんじゃねえかと思ってたけどそうでもなかったな」
「……手」
「ん? 何だ?」
「手、怪我してる」
「ああ、これは怪我っつーか殴った反動だな。まあ怪我は怪我か」
竜馬は自分でも改めて手をまじまじと見た。血が滴る程にゴーレムを殴った拳は擦り剥け、見るからに痛そうだった。
魔術師を拷問した結果、気分が高揚して忘れていたが、気付くと途端に気になって痛くなるのが傷である。竜馬も拳の痛みが徐々に復活してきて、最高だった気分が低下し始めた時、その手をミエナの両手が包んだ。すると淡い光が包まれた手の間から漏れ、竜馬が感じていた痛みは徐々に消えていき、ミエナが手を放した後には竜馬の拳には傷一つ残ってなかった。
「おお、なんか痛みが消えた」
「へえ、治癒術なんて使えるんだ」
二人が感心して声を上げていると、ミエナはもう片方の手も治し始め、それも三十秒ほどで終わった。
「これは素直にすげえよ。ありがとな。せっかくの良い気分が台無しになるとこだったわ」
そう言って竜馬はミエナの頭を撫でた。するとミエナの表情も若干緩んだ。
「うん、そうだな」
竜馬は呟き、一人で頷いた。
「あの女共を戻す前にきいておくが、お前のいた村はもう無いんだな?」
ミエナは再び暗い表情になり、黙って頷いた。
「そして、あいつらはお前の村の人間じゃない」
この質問にも黙って頷いた。
「あの魔術師野郎が言うには牢はここだけらしい。だからお前の仲間はもういない。つまり、お前は帰る場所もなく、一人になっちまったわけだ」
ミエナは俯いて竜馬の言葉を聞いていた。
「だからもし、行く当てがないなら俺と来ないか?」
その言葉にミエナは顔を上げた。
「もし親戚がいて、そっちに行きたいってんなら別だけど。俺ここのことよく分かんないし、こいつは悪魔だから人間界知らないし、案内してくれる人間が欲しいんだ」
「ちょっとさりげなく馬鹿にしないでよ。それに私知らないとは言ってないけど」
そんなサッキュンの言葉を無視して竜馬は話を続けた。
「それに治癒術だっけ。あれは俺にとってかなり有り難い魔法なんだ。だから一緒にいて欲しいんだがどうだ?」
竜馬の誘いにミエナはすぐに答えることはできなかった。それも当然でそもそも竜馬はミエナに名乗ってすらいない。そんな状態で普通は竜馬の申し出を承諾するはずがない。
ただミエナは村を襲撃されて以来ずっと追い詰められていた。
魔力への耐性があるために、一人また一人と捕らえられた仲間が連れていかれるのを見ていた。ただ見ていることしか出来なかった。父や母の時と同じように。
仲間がどうなったのか、自分がこれから先どうなるか、それも考えたくはなかった。
その無力感と未来への不安は彼女を追い詰め、術への抵抗を止めさせた。
そんな絶望の中、現れたのが竜馬だった。魔術師でも捕らえられた人間でもない人間が彼女を正気に戻し、牢の扉を壊して、自分達を助けると言った。魔術師に勝つ保証は無い。ただそれでも彼女は竜馬の自信に溢れる姿と優しさに縋り付いた。だから、魔術師を倒したと竜馬が言う前から、見たわけでもないのに竜馬が魔術師に買ったのだと信じていた。
それほど竜馬を信じ切っていた。いや追い詰められていた彼女には信じざるを得なかった。
だからこそ、ミエナは竜馬の申し出に首を縦に振った。
「お願いします」
「いい返事だ。俺は新藤竜馬、竜馬って呼べ」
「ミエナ・クレストンですよろしくお願いします」
「ああ、よろしくな」
そして二人は握手を交わした。
「さてそんじゃサッキュン女共を元に戻してくれ」
「簡単に言わないでよね」
「まあ、正気に戻ってパニックったり、お前を見て暴れたりしたら抑えてやるから」
「私って他の悪魔に比べてそんな怖い見た目じゃないと思うんだけどなー」
「羽と尻尾と角さえなきゃ人間だしな。てか変身とか出来ねえの?」
「魔力で出来た体だったら簡単に変えられるんだけど……、あっ、上書きする時人間に見えるよう幻覚を見せればいっか」
「ともかく頼むぜ」
「分かってるわよ。私だって一応初仕事なんだし」
そう言ってサッキュンは催眠の上書き作業に取り掛かった。
そして、正気に戻って取り乱す女達を宥める作業をらしくないと思いながらも竜馬は行うことにした。
数十分後、竜馬は正気に戻った女達とミエナを連れ、トラップやガーゴイルの残骸残る地下施設を上へ上へと進み、地上に出ていた。その間、サッキュンには魔術師の回収が言いつけられ、サッキュンは文句を言いながらも渋々承諾した。
「おお、久々に太陽を浴びた気がするな」
どれだけの間、地下にいたのか竜馬には分からなかったが暗い場所から出たばかりの目に日差しは眩しかった。他の者たちも同様だったが、竜馬とは温度差が有り、感極まって涙を流す者ばかりだった。
竜馬が彼女たちに話を聞くと、彼女たちは街と言えるレベルの場所から連れてこられたらしく、そのやり口はミエナのように街を襲撃したわけではなく、彼女たちだけを夜な夜な連れ去ったらしい。だから彼女たちにはミエナと違って帰る家があるそうで竜馬も余計な手間がかからなくて済みそうだと安心した。
そして、一応、全員同じ街に住んでいたようで顔見知りも多かった。そうなると助けられた中で唯一、別の場所から連れてこられたミエナが浮きそうなものだが、同じ苦難を体験した彼女たちはミエナに優しく、ミエナもすぐに馴染んだ。ただ竜馬の傍を離れることはなかった。
さて、これからどうするかと思案していた竜馬は人の気配を感じ、その気配の方へ向き直った。すると、それに気付いた女たちも不安そうに竜馬の視線の先を見つめた。
やがて、森の奥から一人の人影が姿を現した。
一方、魔術師を運ぶように命じられたサッキュンは自分が召喚された部屋に戻っていた。
「あれ? なんだもう死んじゃってるじゃん。でも一応持ってっちゅうかな」
そう言うサッキュンの前には冷たくなった魔術師の姿が横たわっていた。