七話 吸血鬼の飯使い
ひとしきり、総司の話に区切りがつくとニカは大きく伸びをした。
「とりあえずお主が竜馬とやらと無駄に親しいことは分かった」
ニカが呆れたように言うのも無理はなく、総司の話の大部分に竜馬の名前が出ていた。それもまるで恋人でも自慢するかのような口ぶりだった。ニカはむしろ恋人という表現では生ぬるいかもしれないとさえ思った。ニカからすればそれほど総司は竜馬に心酔しているように見えた。
「にしてもお主の世界も面倒くさそうじゃの」
「まあ、そうですね。でもそれも仕方ないですよ。ところで僕が倒れてた時、何か持ってませんでした? 鞄とか?」
総司は自分がこの世界に来る直前の記憶を思い出すことが出来ずにいた。順を追うように自分の記憶を辿り、話していけば思い出せると思っていたが、最近なにをやっていたかということさえ曖昧だった。
携帯電話の日付は十月三日、午後四時二十五分となっていたが、窓の外は暗く、中からでも星が綺麗に見えた。少なくとも時間が元の世界とリンクしているわけではないと総司は考えた。
他に手がかりになりそうなものと考えた結論が持ち物だった。もし学校があったならば時間割に合ったノートが入っているはずだし、その日に自分が何をしようとしていたのか分かるかもしれない。
「持ち物らしい持ち物は持っていなかったのう。だかろこそ妾も不思議に思い連れ帰ったわけじゃが」
この辺りに手ぶらで辿りつける人間などおらんと笑ってニカは付け加えた。
「だとしたら家にいたってことになるのか?」
総司は改めて自分の恰好を見た。それは寝間着ではなく総司が外へ出るときによく着る服だった。外へ出るならばほとんど場合、鞄を持っていく。というのも総司は財布などを鞄に入れるようにしていたからだった。その鞄を持っていなかったということは家にいたか、軽い用事で外に出たか、はたまたこの世界を来るときにどこかへいってしまったのか。
などと考えられる可能性は無数にあった。
「あっ、そういえばお風呂とかってありますか? まあ、体が洗えれば充分なんですけど」
「それならば地下から湧いた湯を溜めてある部屋があるぞ」
「それって温泉じゃないですか!」
屋内の照明は蝋燭などの炎だけ、後は窓から差し込む月明かりなどしかなく、薄暗かったこととあまりの不思議体験で自分に目を向けていなかったこともあり、総司は確認するまであまり気にしていなかったが、地面に倒れていたためか総司の服や体はあちこち汚れていた。
城の中で今までこの状態でいたのかと思うと総司は急に恥ずかしくなったのだった。
「まあ好きに使えばよい。どうせならその汚れた服も変えるか?」
「えーと、じゃあお言葉に甘えさせて頂きます」
一時間後、入浴を終えた総司は装いも新たに再び彼が玉座の間と呼ぶことにした部屋でニカと対峙した。総司としては入浴中にニカが入ってくるのではないかと期待にも似た不安を感じていたがそんなことはなかった。そこまでは心を許したわけじゃないということだろうと総司は思った。
「ふむ、中々似合っとるぞ」
「そう言ってもらえると嬉しいかぎりですけど、これって燕尾服とかいうやつじゃありませんでしたっけ。執事とかが来てる」
「そのとおりじゃ。ここにいる間は妾に仕えてもらおうかと思っての。どうじゃ?」
「ああ、なるほど。まあ、宿代と思って、誠心誠意仕えさせて頂きます」
ただ何もせず世話してもらうというのはさすがに心苦しいと総司も思っていたところだったので、たいして迷うこともなくニカの申し出を了承した。
「では早速、まずは夜食でも用意してもらおうかの」
「それってまた吸血するってことですか?」
おののきながら総司がきくとニカはいや、と首を横に振った。
「先ほどの話で、お主は父親や竜馬とやらに日々食事を用意しておると言っていたのを聞いての。少し興味が湧いた」
「確かに料理は得意ですけど、吸血鬼の口に合うかは分かりませんよ」
「妾は確かに真っ当な人間ではないが、舌は人間と大差ない。案ずるな」
「そういうことなら全力でやらせて頂きます。まあ食材によりますけど」
にしてもまさか料理が食べたいだけで仕えろとか言ったのだろうかと総司は思うと同時にどうせ料理するなら汚れても大丈夫そうな服にして欲しかった。と無駄に触り心地の良い燕尾服を眺めて思った。
そして、再び一時間後、長いテーブルと豪奢な椅子のある部屋に総司とニカは移動した。
座っているニカの目の前には総司が持てる技術の全てを費やして作った料理が豪奢な皿に盛られ、並べられていた。
といっても吸血鬼であるニカは本来飲食をする必要性が薄いため、食材自体が少なく、かけた時間も量も含め大層なものは出来なかったが、調理器具は電気を必要とするものはなかったものの中々種類が揃っていて、総司もこれならば食べてもらえるだろうと思える程度のものは作ることが出来た。
そんな総司の予想を遥かに超え、その料理を一口、口に運んだ途端にニカは顔色を変え、あっという間に完食してしまった。当然、総司の分など残すことはなかった。
「久々にまともな食事をしたが、これこそ人が獣に勝ることの証明じゃな。で、もうないのか?」
「元々少なかった食材を総動員して作ったんで、後は調味料とニンニクぐらいしか残ってないですよ」
「んー、では夜も明けたことじゃし、また近くの村から集めるとするかの」
総司が窓から差し込む光に気付き、ふと外を見ると空が明るみ始めていた。そこでようやく今までが夜だったことに気付いた。
「あれ? 吸血鬼って昼間は寝てるというか太陽を浴びると死んじゃうってイメージがあったんですけど」
よくある設定としては十字架、太陽、ニンニクに弱いだが、総司の目の前にいるニカは窓から差し込む陽光を浴びたところで顔色一つ変えなかった。
「確かに妾は夜に行動することが多いが、太陽を浴びて死ぬ生物など見たことはないぞ」
「いやまあ僕もそうですけど」
そういえばなんで吸血鬼は太陽の光を浴びると死ぬと言われているのだろう。紫外線に弱いとかだっけ、などと総司はファンタジーの見てはいけない現実を見てしまったような気になった。
「じゃあ十字架とかニンニクって弱点だったりします?」
「十字架に関しては吸血鬼の祖先である父が神に心底心酔しておっての、罪を犯し、神に呪われてからは後ろめたいという思いからか十字架をまともに見れないというだけで。妾は十字架に関してなんの感慨も湧かないの。ニンニクは食糧として嫌いじゃ。まあお主が調理すれば食えるかもしれんが」
「ニンニクは一応避けて入れなかったんですけど、って十字架を苦手な理由が格好悪いにもほどがあるんですけど」
「じゃがしかし、その呪いのせいで妾のような吸血鬼が生まれたのじゃからな。馬鹿にも出来ぬよ」
「えっ? 神様の呪いで吸血鬼が出来たんですか?」
「そうじゃ、人間だった我が父はその罪故に神に死ぬことを許されなかった。それこそ永久に老いず、どんな傷を負い、病に犯されても死ぬことない呪いじゃ。その呪いはその子共達にも半分ほど受け継がれておっての。父の場合は吸血行為などしなくても死ぬことはないのじゃが、妾はともかく半分しか受け継いでおらん子孫が肉体を保つためには若い人間の血が必要というわけじゃ。そう考えると最初の吸血鬼とは妾の代からになるの。なにせ『吸血』鬼じゃからの」
「あれ? 妾はともかくってもしかしてニカさんには吸血行為って必要ないんですか?」
「まあ、今の妾にとっては食事の手段の一つに過ぎんの。先ほどのような人の食事だけでも問題はないどころか食事自体特に必要とせんのう」
「……僕が血を吸われた意味って」
「まあ挨拶程度だと思うがよい」
「挨拶って、あのスキンシップはセクハ……ってもういいか。それにしてもニカさんはその呪いさえなければ吸血鬼じゃないってことですか?」
「まあそうなるの。ただ人の身に呪いを受けた父に比べ、人と呪いから生まれた妾から呪いが消えたら存在出来なくなるような気もするの」
「どういうことですか?」
「父は人として、人の体を持って生まれたが、妾は半分呪いとしてこの世に生まれた。体がそもそも人の作りとは異なる」
「確かに人の体じゃ出来ない芸当をしてましたよね」
ニカが自分の影から現れた光景が総司の頭に浮かんだ。
「とはいえこの世界に来てから出来るようになったことも多いがの」
「それって例えば?」
「影から影に移動するのは元の世界では考えられなかったのう。そもそも元の世界では吸血すれば死なないことと自分の血を手足のように操れるぐらいしか出来なかったの」
そう言ってニカが伸びた爪で自分の手の平を刺すと、その傷口から流れる血が宙に浮き、蝙蝠の形になった。その蝙蝠は羽ばたき、総司の周りを一回転するとニカの手の平に舞い戻り、形を失いニカの中へと戻っていった。
「充分すごいんですけど」
「つまり今の妾はもっとすごいということじゃな。くれぐれも怒らせんようにな」
その一瞬だけ鋭い眼光で睨まれ、威圧された総司は笑顔を引きつらせた。
「……心得ておきます」
そんな総司を見てニカは笑い声を上げた。
「そう固くなるでない。取って食ったりはせん」
「その言葉は割と洒落になってないですよ。吸血鬼なんだし」
相変わらず引きつった表情で言いながら総司は空いた食器に手を伸ばした。
そして、総司が全ての食器を洗い、片づけ終わった所でニカはおもむろに立ち上がった。
「さて、そろそろ村を襲いに行くとするかの」
「襲う?」
総司は思わず間の抜けた声を上げた。




