四話 竜馬と総司の世界
「死ぬかと思った」
総司が牢から出されまず言ったのがそれだった。
「ククッ、まあ気持ちよかったじゃろ」
王様でも座っていそうな椅子から伸びる高級そうな赤い絨毯に総司は腰を落とし、ニカはその椅子に腰かけていた。玉座の間と呼ばれるその部屋の雰囲気からすれば、女王に謁見する一般市民の構図だが、寛げと言われた総司は胡坐な上に、その横にはニカがどこからか持ってきたワインとパンに見える食べ物が銀色の皿に乗せられ、それもまた絨毯の上に置かれていた。
飲んで食って話せとニカに言われたものの未成年に酒を勧めていいのかと思った総司だったが、飲酒は既に経験済みだったことにすぐ気づき、言われた通り飲み食いしながら話すことに決めた。
「まず、何から話せばいいやら」
「そうじゃな。お主の世界のことは時間がかかるじゃろうし、まずはお主のことについて話せ」
そう言うニカの手にもワインのグラスがあり。その中で揺れる赤い液体は総司の血液、ではなく総司と同じ赤ワインだった。
総司としてはギャーギャー騒いでる間にいつの間にか吸血行為は終わっており、特に痛みもなかったため本当に血を吸われたのが疑問だったが首筋にはハッキリとニカの牙の跡とキスマークが残っていた。なんでもニカの唾液には殺菌、消毒に加え麻酔のような効果があるらしい。まるで蚊のようだと総司は思ったが口には出さなかった。
「分かりました。そうですね。僕のことを語るとなるとまずは竜馬という人間のことから話さないといけないですね」
総司が竜馬と出会ったのは小学校一年の頃だった。
総司と竜馬はともに両親が離婚しており、総司は父親、竜馬は母親に引き取られ育てられていた。
二人は他の子供達に紛れ遊びはしたもののどこか一歩引いたような印象を周囲の大人に与えていた。それは二人が早いうちになにかに気付いてしまったからなのかもしれない。そしてそれは大人になるということでもあった。
つまり、二人は同年代の子供に比べ、どこか大人びていた。
そんな似たような境遇だからか二人は最初互いに対抗意識を持っていた。しかし、いつの間にか仲良くなり、二人で遊ぶことが多くなった。当然互いの家を行き来することも多くなり、彼らの親は親で仲良くなっていった。
それは周りからみれば一つの家族のようだった。
そして、互いの親の様子を見ていた二人は親同士が結婚して自分達が兄弟になり、本当の家族になるかもしれないと話すこともあった。
「・・・そしたら本当に結婚して竜馬と兄弟になちゃったんですよ。その時はどっちが兄か弟かでもめましたね」
「ほう、でお主はどっちになったのじゃ?」
「一応、僕の方が、誕生日が早いってことで兄になりましたね」
「誕生日?」
「ああ、生まれた日を祝う風習ですね」
「……生まれた日を祝うか」
ニカは浮かない顔でそう呟いた。
「どうかしましたか?」
「ん、なんでもない。続けよ」
総司はニカの変化が若干気になったものの話を進めることにした。
「まあ僕も竜馬も昔からちょっとひねくれてたんですけど、方向性が違って。僕は、世界は思ったほど面白くない。だからせめて自分も相手も嫌な思いをしないようにしようって考えていたんですけど、竜馬の場合は、世界は面白くないから自分達だけでも面白くするために他の人間には犠牲になってもらおうとかいう恐ろしい考えだったんですよ」
「それはなんとも自分勝手な人間じゃのう。まあ人間らしいといえばらしいが」
「ですよね。でも竜馬のすごいところは考えたことを現実にする所なんですよ。身内以外は完全にどうなってもいいみたいな。本当にそう考えて他人の痛みもなんの罪悪感も臆面もなく喜べるようになることを目指して実際にそうなっちゃう。そんな風に頭で考えている自分を現実に出来る」
「……だからこそ、僕も竜馬といれば世界が面白くなるかもしれないって思えたんですよ」
自分らしくないと竜馬は思った。
どれだけ痛めつけようと誰の心も痛まないであろう獲物がここにいる。それだけ聞けば普段の自分なら真っ先にその獲物の元に向かうだろう。本来なら誰だろうとボコボコに出来ればそれでいい。ただ日本でそんな風に誰彼構わず襲うわけにはいかない。だからこそ自分は正義を演じることにした。正義が悪を完膚なきまでに叩きのめすというなら世間の目もそこまで冷たくはならない。
誰かを助け、誰かを痛めつける、誰かに感謝され、欲も満たされる。
ただこの夢の世界でまでそんなことを気にする必要はない。
まあ本当に夢の世界なのかどうか、疑問に思えてきたがそれはどうでもいい。世界が違うなら同じことだ。
つまり、自分があの女達を助ける必要もないし、あの少女に気を使う必要もない。普段ならああいうフォローや後始末、いやそもそも相手を見つける前準備も総司がやっていたことだ。
そこで竜馬は違和感の正体に思い至った。
「そうか、あいつがいねえからか」
だからこそ自分が普段はやらないようなことも総司を真似るようにやっているのかと思い、竜馬は笑った。総司がそばにいなければ、てっきり自分は何も歯止めが利かなくなるとばかり竜馬は思っていた。でも実際は総司と行動した記憶だけでもブレーキの役割を果たしていた。それほど総司の存在は竜馬に影響を与えていた。
「にしても口うるさい総司がいないと逆に気を使う羽目になるなんてな」
竜馬は軽く頭を掻くと、目の前に広がる空間、そこに置かれたものを見上げた。
それは竜馬の六倍の大きさはあろうかという岩のゴーレムだった。
「まったくこんなもんどうやってここに運んだんだ。入口に入れねえだろ」
竜馬がそんなことを言っている間にゴーレムは身体を震わし、動き出した。
大きく足を踏み出し、腕を振り上げ、竜馬めがけて拳を叩きつけた。竜馬は床を蹴り、前方に駆け出すことでその一撃を避けると同時にゴーレムの懐に潜り込む。
そのままの勢いでゴーレムの胸の辺りに飛び蹴りを喰らわせる。ゴーレムの体は大きくぐらついて傾いたが倒れることはなく、その体を捻り、回転させることで両腕を振り回した。
未だ着地できていなかった竜馬はその腕を避けることが出来ず、鈍い音と共にゴーレムの腕が竜馬の身体にめり込み、その衝撃で竜馬は勢いよく飛ばされ壁に激突した。
殴られたことと壁に激突したことで竜馬の全身を鈍い痛みが襲っていた。特に咄嗟に構えた左腕は折れてしまったのかとてつもない痛みを脳に発信していた。
痛みを与えられることをなにより嫌う竜馬にとってこの痛みは耐え難いものだった。
痛みは竜馬に極度の不快感を与え、不快感は怒りとなり、竜馬の頭に血を昇らせた。痛みを消すためにアドレナリンなどの物質が分泌され、身体中が熱く熱を持ちはじめた。それは竜馬が一種のトランス状態に入ったからだった。
思考はぼんやりとしてくるのに対し、頭に浮かんでいたあらゆる考えが消え、ただただ自分が感じる不快感を消すことだけが竜馬の頭を支配していた。
それは痛みを与えた相手への殺意に変わり、脳や肉体のリミッターをも外して相手をバラバラに、粉々に砕くために竜馬は身体を動かした。
横薙ぎに振るわれるゴーレムの腕を避けようともせず、それを振り払うかのように負傷したはずの左手で殴りつける。
ゴーレムの腕は破片を飛ばしながら軽々と弾き飛ばされ、大きく態勢を崩す。竜馬は畳み掛けるようにその巨体にもう一度飛び蹴りを喰らわせる。
態勢を崩していたゴーレムは今度こそ倒れ、その身体に飛び乗るように竜馬はとびかかり、頭部らしき場所に拳を打ち付けた。
それら一連の動作が竜馬になんの負担もないはずはなく、相手を殴る拳の皮膚は剥がれ、血が滴り落ちた。
しかし、熱が冷めてくると感じる拳の痛みがさらに竜馬の感情を煽り、怒りを増長させていき、再び熱を帯びてくる。そして、それを解消するために再び拳を振り下ろす。
終わりの見えない激情の前に、ゴーレムの体は削られ、砕かれ、バラバラに解体された。
悲鳴も上げない岩の体を殴って満足などできるはずもなく、熱が冷め、消えない不快感と共に竜馬はゴーレムが守っていた扉を蹴破った。
そこに一人の男の姿を見つけると竜馬は精神が再び昂揚してくるのを感じた。
「いやいや中々楽しいアトラクションだったぜ、クズ野郎」
竜馬は勢いよく駆け出した。
レイムがなにやら呪文を唱え始めた所でその首を掴み、体を床に投げつけた。
うめき声を上げて地面に転がされたレイムの右腕を竜馬は力の限り踏みつけた。
骨の折れる感触とレイムが叫ぶ悲鳴に竜馬は自分が抱えていた不快感が和らぎ、欲が満たされていくのを感じて笑みを浮かべた。
そのまま左腕、右足、左足と順に踏みつけ、その度にレイムは悲鳴を上げた。
もはや邪悪な魔術師という肩書を持つ男にはまるで見えず、竜馬の方が悪役に見える様だった。
「いやー、やっぱ人間がいいな」
そう言って竜馬はレイムの手の平を踏みつぶした。
悲鳴を上げるレイムの顔の前に屈むとその髪の毛を掴んで自分の方を向かせた。
「そろそろ尋問の時間だぜ、お前が襲った村の人間はどこだ? てか俺が見つけた牢屋は一か所だけなんだけどよ。他にあるのか?」
「ま、待て、お前は一体・・」
レイムが言い終わるまえに竜馬は掴んでいた髪の毛を頭皮ごと引きちぎった。血が噴き出し、再びレイムが声を上げる。
「会話が噛み合ってねえんだよ。いいからただただ俺の質問に答えろ。ほら」
竜馬が再び髪の毛を掴むとレイムは慌てて言葉を吐き出した。
「な、ない! 牢屋は一つだけだ」
「じゃあ、あそこにいない女達は?」
言いづらそうに黙るレイムの耳を竜馬はもう片方の手で掴んだ。
「聞こえなかったか、この耳は飾りかよ? ならとっちまおうか」
「言う!言うから待ってくれ!」
「じゃあ早く言え」
「……殺した」
「何で?」
「悪魔の生贄や、ゴーレムの動力に変えた」
「へぇ、じゃあそこまでしてお前はなにがしたかったんだ?」
「異界の神魔霊獣を呼び出し私の理論を証明するためだ。成功すれば私は、私を馬鹿にしたやつらを殺すばかりか、国を獲ることさえできる」
「そりゃすげえな」
竜馬が辺りを見渡すと大きく何やら複雑な記号や図形、文字が書かれた魔法陣のようなものが複数あり、その中でも目を引く大きな魔法陣があった。
「あの一番でかい魔法陣みてえので呼ぶのか?」
「そうだ。あと少しで完成するんだ。生贄もいる。どうだ、私と……」
「いやそんなんどうでもいいんだよ。ただちょっと興味が湧いただけだし。それよりも催眠術みてえのにかかってる女達を元に戻せ」
「……無理だ」
「あん?」
「無理なんだ! あれは元々術を解くことを考えられてないんだ。そもそも術を解くのはかけることよりも難しいんだ。それに私を殺したところで術は解けん」
「じゃあお前が生きてようと死んでようと変わらねえってことか」
「ま、待ってくれ! い、命だけは!」
その言葉に竜馬は意地の悪い笑みを浮かべた。
「ああいいぜ、命だけは助けてやる。命だけはな」