十話 腹が減っては戦も出来ぬ
「村を襲うって具体的にどうするんですか?」
「脅して村人達に食料を持ってこさせる」
「山賊みたいですね」
「……どうやら落とされたいようじゃな」
「それだけは勘弁してください」
総司の眼下には荒涼とした大地が一キロほど下に存在していた。
つまり、二人は空を飛んでいた。
総司はニカの血、といっても固体に変えられ、硬度と形も変えられた赤黒い網に吊るされる形で運ばれている。ニカは一応、羽は出しているものの羽ばたくことはない。
その理由を総司が尋ねると、ニカは体内の血を先ほど総司に見せたように浮かせることで浮遊しているそうだ。しかし、当然体中が血に引っ張られるため人間であれば即座に血管が悲鳴を上げるが、不死であるニカの身体は危険信号である痛みをほぼ感じない。とはいえ感触が不快らしく、背中から出した羽状の血を浮かし、それに自分の身体を固定することで飛んでいる。
「ちなみに昨晩の料理の材料って」
「お主を拾った後に徴収したものじゃ」
「その徴収先って今から行く所ですか?」
「そうじゃ。一番近いからのう」
「さすがに昨日今日で搾取されるのは可哀想じゃないですか?」
「何を言う。弱者が強者に搾取されるのは当然じゃろう?」
「でも弱者を憐み助けることが出来るのも強者の特権ですよ」
総司の言葉にニカは少し考えを巡らせた。
「うむ。それもそうじゃな。そこまで言うなら仕方ないのう、一つ遠い村を目指すとするかの」
「有難うございます」
「なぜお主が礼を言うのじゃ?」
「村に住む人々の代わりです」
「可笑しな奴じゃな」
ニカは苦笑して進行方向を変えた。
「そういえばニカさん一つ提案があるんですけど」
「なんじゃ言うてみよ」
総司はある提案をし、それを聞いたニカは意地の悪い笑みを見せてそれを承諾した。
そして、その二つの選択が二人の未来を大きく変えることとなった。
その村の名前はピアノエルといった。その名は草原を意味しており、その名の通り、広い草原の中にあり、酪農や農業で村は成り立っていた。
元々土の栄養価が高く、それに伴い発展した酪農と農業は村の規模を超えており、近辺の村では一番大きく、故に一番人口が多く、そのため悪知恵の働く貴族の一人がその村に目をつけ、土地を買い取り、法外な税を取っていた。当然、国の規制には触れるもののコネと税の大部分を国に献上することで黙認されていた。
それは皮肉にも総司とニカにとってうってつけの村だった。
ある時、村に大きな赤黒い羽を生やした女とそれに付き従うように佇む燕尾服を着た少年が現れた。
たまたまそれを一番最初に見た村の男はまずその女の美しさに目を奪われた。
女はそんな男を見て薄く微笑んだ。その妖しく光る瞳に男は意識が遠のいていくような気がした。
そして、その横に立っていた少年にこの村の地主はどこにいるかと丁寧な口調で尋ねられた。男は呆気にとられながらも地主という言葉に少し、顔をしかめ、村のどこからでもわかる程、大きな屋敷を指差した。
その屋敷は村の景観には全く似合わず、不釣り合いな大きさで、せめて町にあるべき建物だった。
地主と聞いた時には一瞬、貴族仲間かと考えたが女の出で立ちを見てその考えを改めた。あれは魔族の類だと。それも一生お目にかかれないほど高位な存在だと感じ取った。
男に魔術の知識はなかったが、村にはよく冒険者の類が訪れた。冒険者たちの話は田舎の村では恰好の話の種だった。特に貴族に統治されて以来明るい話題の乏しい今では。
そんな冒険者達の話の中に、余りにも高位の悪魔と契約した場合、主従が逆転し、悪魔が主となる場合があるという話があったのを思い出した。
今自分の目の前にいるのがその実例なのではないかと男は考えた。
少年はさらに村のこと、地主についてあらゆることを訪ねてきた。男はつい愚痴を零すように地主や村のことについて話した。
最後に少年は礼を言い、村の人間を集めて欲しいと頼んできた。
今は全員働いているだろうから夜まで待てないかと男は言った。
じゃあ夜になったら村の中心に人を集めてくださいと少年は言った。
それを男は承諾した。男はなぜ自分は初対面の人間の頼みを言いなりのように請け負っているのだろうかと不思議に思った。
しかし、女が唐突に疲れたから休める場所はないかと言ったとき、迷わず自分の家にくればいいと言っていた。少年との受け答えには自分に疑問を持ったものの、女の言葉には何の疑問を感じることなかった。案内しろと言われればまるで従うことが当然のことのように男は二人を自分の家へと案内した。
当然、道行く村の人間に二人のことを聞かれた。
男は迷わず客人だと答え、夜に大事な話があるからみんなを集められないかと言っていた。そして、女の姿を見た人間は誰であれその言葉を疑うことはなかった。
日が暮れ、夜になると村の中心には村の大人たちがほぼ全員集まっていた。松明に灯りが灯され、その集団の中心にはニカと総司の姿があった。
頃合いを見て総司はニカさんと合図を送るように呼びかけた。その呼びかけにニカは頷いた。
「さて村の者達よ。お前達をあの地主から解放してやろう」
村人達がどよめいた。
「不満があるのじゃろう。あの地主に」
その言葉は村人達の頭に染み入るように響いた。
「なぜあのような人間に黙って従っておるのじゃ? きけばあれは法を犯しておるそうではないか」
「国の役人が俺等のために動くか」
「あいつが裏で手を回しているんだ」
「逆らったら子供が殺される」
「娘が連れて行かれるかもしれない」
「最初は反発したさ。でもあいつには護衛の騎士共がいる」
「これ以上税が上げられたら死んじまう」
「第一、あいつがいなくなったって別の貴族が来るだけだ」
村人がここぞとばかりに次々と不満の声を上げた。
そうする内に、その不満は燃え上がる炎のように村人達の中に拡がり、大きくなっていった。
「妾が助けてやろう」
「助けるって一体どうするんだ?」
「あの地主を殺せばよい」
「そんなことをしたら国の役人が来る。そうすればまた税が上がるかもしれない」
「だから妾がお前たちを国の役人から守ってやろう。そうすればもはや国に税を払うことすら不要になるぞ」
「あんたら二人にそんなことが出来るのか? それにあんたらが俺らを裏切らない保証がない」
「そうじゃのう。税の代わりに妾とこの人間、二人分の食料を用意するという条件ならどうじゃ。妾もこやつも食わねば生きていけぬからのう。その糧を定期的に用意してくれるというのであれば妾も礼としてお前達を国から守ってやろう。後、妾の力については……」
ニカが言いかけた所で、人の群れを割くようにしてこの村の地主である貴族の男とその護衛の騎士六人がやってきた。
「こんな夜に集まって何事だ。こんな暇があるならならもっと働け」
貴族の言葉に村人達の表情が変わった。
そんな不穏な空気を察してか貴族は騎士に武器を構えるよう命じた。
騎士たちは周囲の人間に手に持った槍の先を向けた。
村人達が不安そうに後ずさる中、総司とニカは顔色一つ変えずに言葉を交わしていた。
「噂通りの小悪党じゃの」
「まあ、街じゃなくて村に目を付ける時点で小悪党っていうか」
予め、最初に出会った男に聞いた話だとこの貴族の男は法外な税を突き付け、それが払えない家は娘を連れて行かれ、逆らえば働き手ではない子供を殺すと脅されていたそうだ。
実際に何人かの娘が連れていかれ、働かされているらしい。
それを村でやるところがいかにも小悪党といったところだった。
「それもそうじゃの。でどうじゃ? なるべくなら人は助けたいのじゃろ」
「あれとあれに黙って従っているのはいらないかな」
竜馬と一緒に行動していた頃もいじめっ子やらチンピラやらを成敗というより、竜馬に獲物として捧げてきたが、彼らを死ねばいいとまでは思うことはなかった。
改心すれば良し、たとえ改心しなくともそれならば再び竜馬の獲物にできる。
元の世界で、人を殺したのはただの一度しかない。いや日本にいるかぎり一度あっただけでも異常だと総司は自覚していた。ただ自分が間違っていたとも思っていない。あれは自分の中では相手を知り、熟考した上での決断だったからだ。
今回の場合、昼間の内に集めた情報と目の前にいる人間がいなくなることは村の人間の願いであり、生かしたとしてもおそらくそれはニカと自分と村人にとって厄にしかならないだろうということを考えた末、総司は彼を見限った。
この世界にいらない人間だと、そう決めた。
そう考えた総司はそこになにもないかのように冷たい目で貴族たちを見通した。
その冷淡な目にニカは少しだけ動揺した。総司自身から自分は悪い人間だときいていたが、それでもたいして長い時を生きていない人間にあんな目が出来るのだろうかと思った。
「お主は本当に変わっとるの。まあ今更殺すなと言われても困るがの」
「あ? お前達は一体……」
二人に貴族の男が突っかかった所で、鋭く長く伸びたニカの爪が男の周囲を囲んでいた騎士全員の身体を鎧ごと貫いた。
一瞬の出来事に誰もが凍りついたように動きを止める中、爪を引き抜かれた騎士達の身体が崩れるように地面に倒れた。
「さて……」
言葉の後、ニカに睨まれた男は逃げようとして、ニカの血の縄で縛り上げられた。
「貴様、貴族の私に……」
「うるさいのう。妾も元姫君じゃぞ」
ニカはさらに男の口を血の布で覆った。
「姫君って、ニカさんが?」
「ん? 言っておらんかったかの?」
「初耳です」
「母が元の世界では一国の王の妃でな。つまり、妾は姫ということじゃ」
「姫よりは女王って感じですけどね」
「そういえば一時期は女王も任されたこともあったのう」
「まさにヴァンパイアクイーンですね」
「その肩書きは中々気に入っておるぞ」
「おい、あんたら呑気に話してる場合か!」
村人の一人が声を上げた。それにニカは面倒くさそうに眼を向ける。
「ふぅ、そうじゃったな。ではさっさとその人間を殺すが良い」
「そんなことをしたら……」
「じゃあ生かして返しますか? そうしたら絶対に報復されますよ」
総司が冷たい口調で言い、その言葉に男は黙った。
「まあ、とりあえず連れてかれたっていう娘さん達を助けにいきましょう。絶対にそれへの殺意が湧くと思いますよ」
総司達は屋敷に押し入り、屋敷を守っていた騎士達をニカが虫を払うかのように排除し、村の娘たちを助け出した。
娘が連れて行かれたという話を聞いた時点で総司はただ真っ当に働かされているだけではないだろうと考えていた。そして、昼間の内にニカが調べると案の定だった。
それは村の誰もが頭では思っても、否定していた、そうあって欲しくないという半ば願望に近い予測だった。
なぜ、国の騎士達が貴族の男に従っていたのか。その答えは共犯者だったからだというほかない。娘たちはみな奴隷のように扱われ、貴族の男や騎士の男達の慰み者にされたいた。
そのあって欲しくなかった現実を目の当たりにし、村の人間は怒りに震え、縛り上げられた貴族の男を自分たちで打ち殺した。
ここまでの一連の流れは総司が考えた通りになった。とはいえ貴族の行いが胸糞悪いことには変わらなかった。
総司はニカに再び合図を送るように呼びかけた。
「聞け!」
その声に興奮した村人達は動きを止めてニカの方へ向き直った。
それを確認してからニカは自分の背後にある屋敷へ指差して言った。
「あれはお前達を縛っていた人間の象徴じゃ。あれが残っておる限り、お前達の心が癒えることはないじゃろう。故にあれをこの村から消し去ってやろう」
そう言って握っていた手を開くと、そこにゴルフボールほどの小さな赤い玉が手の平の上に浮かんだ。
それは打ち出されるように屋敷に飛んでいき、弾けた。
途端に激しい爆発音と暴風が巻き起こり、屋敷は跡形もなく吹き飛ばされた。
村人達には何が起こったのか理解出来なかったが総司にはニカが何をしたか分かっていた。
ニカはまず大量の空気を血で包み、それをゴルフボール大にまで圧縮し、屋敷の前で、玉の屋敷側にある血だけ元に戻した。すると行き場ができ、抑えられていた空気が一気に流れ出る。要は爆弾だった。
ほぼ更地と化した屋敷跡を見て、ニカは誇らしげに笑みを作った。
「妾に協力するというならこの力でお前達を国だけではなく、賊や魔物からも守ってやろう。しないというのならお前達のことなど知らん。お前達自身の手で貴族の一人を殺したのだ、国と妾の両方を敵に回すことになるの。つまりお前達はもう後には引けぬというわけだ。さあ妾と共に在れ!」
しばらくの沈黙の後、村人達は答えを出した。
それを聞く前から総司にはその答えが分かっていた。
なにせこの村が取れる道は一つしか残っていなかったのだから。