九話 連鎖
レイアが覚えている父は常々自分には魔術の才能が無いとぼやいていた。
いつも頭を抱えて本を読み、何かを書いては消し、呪文を唱えては苦笑交じりに溜息を漏らしていた。
それでも、数多の部品を組み合わせ、カラクリを作る時の父は活き活きとして見えた。
そして、何かを作り終え、それを動かすと決まって自分には技師の方が向いていると言った。
「魔術師の才能はない。でも技師の才能はある。ではなぜ技師にならないか、なぜだと思う?」
いつの日か、父からの問いにその時のレイアは何も答えることが出来なかった。
「まだ分からないか。でもいつか分かる日が来る。そのために魔術師を止めるわけにはいかないんだ」
父は笑ってレイアに言った。その笑顔はどこか悲しげだった。
月日が経ち、雑務とはいえレイアは父の研究の手伝いをするようになった。
その頃には努力の甲斐があり、父も一人前の魔術師といえるようになっていた。
その上、元々得意だったカラクリを利用したゴーレムやガーゴイル、機械人形を作ることに至っては一流といえるほどになり、国に仕事を依頼されることもあった。
しかし、ある時の父は怒りに身を震わせて戻ってきた。
「私が作った防衛用のゴーレムを侵略に使うなど、そんなに戦争が好きか! あの恥知らず共が! 私の作品は命を奪うためのものじゃないというのに!」
しばらくの間、怒鳴り散らし、物を蹴り飛ばしと、力なく椅子に腰を下ろし、項垂れるように机に頭を置いた。
「……いや違うな。私の研究はそもそも……。ああ、このままこの研究を続けて良いのだろうか?」
そのままの態勢で呟く父の横にレイアが紅茶を置くと、父は身体を起こして、微笑み、レイアの頭を撫でた。
「ありがとうレイア。そうだ、例えどれだけ人の命を奪うことになったとしてもこの研究を止めるわけにはいかない。他ならぬお前のためにも」
それからというもの父は今までなら躊躇っていた実験も行うようになった。
それが禁術と呼ばれるものだと分かるほどにはレイアも知識を持つようになり、父の魔術や技師としての知識や技術を教わるまでになった。
そしていつしか父は国から追われる身になり、各地を転々とした末、森の奥深くに拠点を作った。
その時にはもう父の研究は最終段階に入っており、より研究に没頭するようになった。
「今日には研究が完成するだろう。ようやく長年の目的が達成するときが来た。私を認めなかった人間も認めざるを得ないだろう。それに……」
優しげな表情で父がレイアに笑いかけ、何かを言おうとした時、耳が痛くなるような警報が部屋に響いた。それは侵入者を意味する警報だった。
「くそっ! あと少しだというのに、国の犬が!」
父は悪態をつきながら悪魔やガーゴイル、ゴーレムに指示を出した。
その様子をどんな表情で見ていたのかレイア自身には分からなかったが、レイアに目を向けた父は再び優しく微笑んでレイアの頬を撫でた。
「そう不安そうな顔をするな。たとえ騎士団が攻め込んできたとしても研究を終えて逃げるだけの時間稼ぎは出来る。でも念のためお前は奥の部屋に隠れてなさい。私が戻ってくるまで絶対に出てくるんじゃないぞ」
そう言ってレイアを抱きしめた後、父は最後の作業にとりかかった。レイアはいつものように言われた事に従い、奥の部屋に身を隠した。
レイアがしばらく隠れていると突然轟音と共に若い男の声と父の声が聞こえてきた。
そして、父の声は苦痛に満ちた絶叫に変わり、それが何度も何度も部屋に響いた。
レイアの身体を今まで感じたことのない何かが支配した。
それは生まれて初めて感じる恐怖だった。
男の声も父の声も聞こえなくなり、再び部屋に静寂が戻って数分が経った。
それでも父はレイアを呼びにくることはなかった。
レイアは生まれて初めて父の言いつけを破り、奥の部屋から足を踏み出した。
そこには変わり果てた父の姿があった。
レイアは震える身体で恐る恐る父に近づいた。そして父の名前を呼んだ。すると父はゆっくりと目を開けた。その瞳に宿る灯りは今にも消えてしまいそうなほど弱々しかった。
「いいつけを守らなかったのかレイア」
喋れる状態にないというのにレイアの頭に父の言葉が響いた。
「自分の意志で動けるようになったのか。そうか、もう一つの研究は既に終わっていたのか。いやあの男の影響かもしれんな。皮肉なことだ」
「私は愚かな人間だよレイア。お前のため研究を止めるわけにはいかないと言っていたが、あの研究は私のためでしかなかった。
私を最後まで信じていた娘のためにも研究を完成させなければならない。そうやって自分を騙していた。結局は自分の力を誇示するためでしかなかったというのに」
「お前を作ったのは罪滅ぼしのつもりだった。そうじゃなかった。私は私が私のために研究を続けていたことを忘れるためにお前を作ったのだ」
「娘が信じた私の夢を叶えるための研究も、娘を蘇らせるための研究も全て私だけのためのものだった。なんと醜いことか、私利私欲のために動く奴らと同じではないか。」
「お前は私が死なせてしまった娘とは違う。でもお前は間違いなく私の娘だ。いやそれを言う資格は私にはない」
「許してくれレイア。私のためにお前に持たせた知識、思考回路を心と呼べるか私には分からない」
「ただもしお前の心が、知識が、思考回路が、私のことを父だと感じているのなら最後にもう一度私の願いをきいてくれ。そしてその後はお前の好きに生きなさい。他ならぬお前のために」
レイアは父の願いを聞き入れた。
今まで習ってきたように、父に言われた通りに魔術を発動させ、最初はただの機械人形に過ぎなかった自分の身体に父の魂を取り込み、己の動力源とした。
それが終わると、自分の頬が濡れていることにレイアは気付いた。隠れていた時に感じたものとは全く別の感覚、まぎれもない感情であり、悲しみがレイアを襲っていた。
「……お父さん」
生まれて初めて口にした言葉はすぐに止まった。
自分の身体だというのにうまく制御できなった。あらゆる思考や知識が動いては停止した。それでも涙は止まることなく流れ続けた。次に行うべき行動が定まらず、レイアは父の亡骸の前で立ち尽くしていた。
誰かが来る気配を感じてようやくレイアは動き出し、父の亡骸を残して再び奥の部屋に隠れた。
女の声がし、何かを引きずるような音が聞こえた。
レイアが再び部屋を出ると、そこに父の亡骸はなかった。
レイアは再び立ち尽くした。
時が経ち、涙が枯れる頃、レイアの中にまた別の感情が湧き上がった。
それは怒りであり、憎しみと呼べるものだった。
しかし、それがなんなのか、どういうものなのか、どうして生まれるのか理解できないレイアにはその感情をどうすればいいか分からなかった。
今まで感じたことのないあらゆる感情の奔流にレイアはただ耐えることしか出来なかった。