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精霊のシジル  作者: 染料
六章
98/135

第九十七話 唆す黒蛇

 暗く静まり返った草原から空へ、黒く燻る煙が棚引いている。


 四肢を切り落とした厄憑きの二体に油を掛けて火をつけ、その死を確認してから他の魔獣の死体も焼却した。胸をムカつかせる酷い臭いが充満している。初めの辺りは吐き気をこらえるのに忙しかったが、今は鼻が麻痺してしまいそれほど感じない。

 一通りの処理が終わる頃には時刻は深夜を回っていた。

 その時にはメイが結界の機能を回復させていたものの、一度破られた防壁ほど不安なものはない。ならば敵に知られていない自分の住処に来ればいいというメイの申し出をアルクゥたちは有り難く受け取り、澱んだ魔力が収まる夜明けを待って隠者の隠れ家に転移することに決定した。

 広い談話室に作業を終えた各自が集まると、消毒液と体に染みついた煙の臭いがたちまち立ち込める。

 見知らぬ者同士が軽い自己紹介を交わす中、ようやく鎮痛剤が効いてきたアルクゥはソファから体を起こして、一人誰とも交わらず黙々と何かを記録するガルドを窺い眉をひそめる。

 誰が欠けても勝利を得るのは難しく、その中にガルドが含まれていたことは疑いようがない。しかし疲れ切って机に伏す弟子すら意に介する様子もない醜怪な魔女振りにはひたすら不快をもよおすばかりだ。

 やめよう、とアルクゥが目を逸らしたときだった。


「テメェがあれを呼んだのか」


 ヴァルフの低く通る声に皆の会話がぴたりと止まる。紙にペンを滑らせる音だけが取り残されて、しかし臆すことなく静寂に響いている。

 皆の視線は自然とガルドに集まるが、老獪な魔女は顔を上げもせず喉で笑った。


「まさか。あくまで望んでいただけさ。急がずとも、いずれどこかにああいった異変は訪れるのだから」


 その答えにパルマが胸を撫で下ろしていたが「ここが狙われたのは僥倖だった」と付け加えられた言葉に顔を曇らせ、ヴァルフの灰色の目に宿る不審も濃くなるばかりだ。酷く気が立っている。

 今にも腰を上げて剣を抜きそうな只ならぬ雰囲気にアルクゥは先手を打つ。痛む傷を庇いながらヴァルフの隣に腰を下ろし寄り掛かって体重を預ける。肩口付近に頭をのせるとしばし苦い顔をし、仕方なくといった風に臨戦の意思を腹の内にしまい込んだ。


「……テメェが投げたのは確かに廃域の核だった。どこから仕入れたかはこの際どうでもいい。あれを使って、何を作った。あの光る空間は何だ」

 

 廃域、とざわつく部屋に初めてガルドは顔を上げて皆に薄ら笑いを振り撒く。


「責められるいわれはないよ。むしろ賞賛されるべき功績だと思っている。なにせあれがなければ、キミたちは」

「説明しろ」


 頑ななヴァルフにガルドはやれやれと肩を竦め、もったいぶった態度を改め滑らかに喋り始めた。元来、魔術師は専門分野に関して喋りたがりだ。己が誇らしいと思うものならば尚更に。


「まず一つ、廃域は月陽樹と同じく世界を調節する機能を持っているという仮説があることを知っておいてほしい。こう言っている時点でワタシがこの説を仮と思っていないのは明らかだけれどね。

 月陽樹は力を蓄えそれを周囲に与える存在だ。一方で廃域は真逆、乱れた力や飽和した力を何らかの形で発散する為に作られる。どちらもその働きは機械的で、奇跡でもなければ災厄でもない。単なる自然現象だ。

 ――ああ、そこの御嬢さん。キミは信心深いのだろうね。聖なる樹と魔の領域を一緒くたにされるのが我慢ならないのはわかるが、でも今は口を挟まないでおくれよ」


 口を挟みかけた渋い顔のトゥーテを制してガルドは続ける。


「両者が蓄え与えて、時に発散する力は結果として地の恵みや自然災害といった形で現れるだけで通常我々の目に映らない。その過程は隔絶された場所、すなわち人の手が届き得ない幽世の中で行われる。澱のように黒く濁った廃域の核も元は神世の純粋な力の一端というわけだ。目にすることの出来る数少ない奇跡の一つとでも言えばいいだろうか。っと、話が脱線したね」


 信仰の侮辱に余念がないガルドは剣呑な視線を受けて口を噤み、


「単純な話、ワタシは核の可逆を実現しただけさ。そして砕いた。けれど完全ではなくてね。不純物が混じり、本物の幽世には遠く及ばない」


 一時的な擬似幽世、それが光の結界の正体だ、と結んだ。

 発生予測ができない廃域は今でも原因不明の現象であり続けている。どうやって廃域の性質を知ったのかと疑問を呈したヤクシにはこう答える。


「ワタシが寄生されていたことは知っているだろう。そいつの見るもの、考えることを意識の後ろから覗いていたんだ。自負心が強い女でねえ。何度も何度も、幽世に至るまでを思い返して悦に浸っていたから、核を使った干渉方法を覚えるのは容易かった。ワタシはそれを応用しただけさ。お仲間の名前もいくつか分かったし、それはキミの上司に教えただろう? ああ、今は死にかけだったっけ。せっかく幽世のものを察知する魔具をあげたのにねえ」


 ヤクシとトゥーテがピクリと眉をひそめる。微笑みを張り付けたユルドが二人を柔らかく抑えるが、ガルドに向ける眼差しは普段の彼女からは考えられないほど冷たい。ガルドはすでに視線を手元の紙に落として何かを書き付けている。


「にしても存外残念な結果だった。憑代を幽世に移せば憑いているものも消えるらしいのだけれどね、核を使っても遠く及ばない。あちら側はどうあがいても神と聖人の世界でしかないのか。オルトロスを斃したのは流石だったよ。本物の幽世は偽物よりずっと美しかったろう? ねえ、アルクゥ」


 粘った視線が鱗を掠めた気がしてアルクゥは右腕を強く握る。忌々しい。目を眇めるとガルドは前と変わらず怯えた風に顔を背けた。


「綺麗な視線だ。受け切れる気がしない。……ねえ、きっとキミは今ワタシを殺したいんじゃないかと思うのだけど」

「なぜ?」

「キミだけじゃないさ。マニもだ」


 目を丸くして扉口に佇むマニを振り返ると、鳩が豆鉄砲を食らったような表情のマニと目が合う。


「聖人というものは歪みを正す存在なんじゃないかなと思っている。あの寄生女はキミやマニを見た瞬間から天敵を前にするような恐怖を感じていた。決して認めようとしなかったけれどね。そしてワタシも今同じような気分だ。形はどうあれワタシはあちらに干渉した」


 高揚していた声が海に落ちるように沈んでいく。裁きを前にする咎人であるかのように囁いた。


「核の数には、限りがあるよ。ワタシの頭の中にある理論も誰かに教える気は毛頭ない」


 歪みを正す。

 なぜ幽世の中にいる厄や死霊を見て破壊衝動が湧き上がるのか。その疑問に対する解がそれなのか。ハティの言っていた、世界を律するという聖人の役割の一つに入っていてもおかしくはない。

 幸いにもガルドに対して抑え切れないほどの強烈な欲求はない。

 目溢しを願うよりも視界に入らなければ大丈夫だと助言すると、遠回しな脅しと受け取ったガルドは顔を青くし紙束を抱えて立ち上がった。「あのよォ」とマニが声をかけて体を震わせる。


「あ、いや、別に俺ァ脅かそうってんじゃねェんだ。ただよ、そんな大層な役目があるってんならよ。アルクゥはいいとしても何で俺何かが選ばれたんだ? 俺は、何か特技があるわけでもねェ。ただの破落戸まがいだ」


 マニに破落戸という名称が似合うわけがないが、確かに選別理由は気になるところだ。名声を聞きつけた精霊が力を授けに来るとハティは予想していたが、アルクゥもマニも力を授かった時点では無名も甚だしい。

 ガルドは自分に訊かれても困るという顔をしながら早口に答えた。これも新しい見解だった。


「さあ……キミが相応しかったからじゃないのかい? 身近で異変が起きていたとか。そこのアルクゥなんて常に騒動に巻き込まれているようだから、もしかするとそういう運命にあるのかもしれないね。まあすべてワタシの推論で、明確な根拠などないのだけれど」


 失礼するよ、と逃げて行く。

 マニは何か思うところがあったのだろう。似合いもしない陰りを帯びた表情で、しばらくの間ここではないどこかに焦点を結んでいた。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



「疲れているのなら明日にするが」


 部屋の隅に蟠る影より薄暗い空気にすらヤクシは臆さない。

 再び食べ物を腹に詰め込んでいたヴァルフはアルクゥを覗き込み、それからパルマを見る。体調はどうかと気遣う視線にアルクゥたちは頷いた。このままでは眠ることも難しい。


「今でいい」

「そうか。まず簡単に状況を説明しておこう。ネブカドネザルの告発文が切っ掛けで魔術師の摘発が始まった。二度の襲撃に続いてこの騒動だ。王宮は連日蜂の巣を突いたような騒ぎが続いている」


 アルクゥとヴァルフは一度視線を交わす。

 ギルベルトがやってくれたようだ。


「火種を持ってきたのは聖人ハティフロウズの副官だったギルベルトという軍人、というのは貴様らは了解済みだろうが。貴様へ火の粉を警戒したのか、侯爵が嵐の英雄に宛てたものとして告発をコンラート大元帥に持ち込んだ。嵐の英雄ならば北領から何か受け取っていても不自然ではない。それを元副官が見つけ持ってくることにも違和感は薄いからな」

「だからと言っても、奴が以前アルクゥ様に働いた狼藉が帳消しになるわけではありませんが」

「ユルド。そいつの口を塞いでおいてくれないか」


 ユルドは頷いて不満げなトゥーテの口に蓋をする。それを見届けてからヤクシは話を再開する。


「軍部に縁ある魔術師の名もあったろうが、隠して他に暴かれるよりは己らで暴いた方が軽傷で済むと踏んだのだろう。自ら国王に奏上することで心証を良くすることもできるからな。が、如何せん奴は無能ではないが声がでかい。緊急会議が開かれる頃には方々に告発文書の存在が知れ渡っていた。内容までは漏れなかったが。浮足立った者が隠蔽や暗躍を始めては堪らないと国王側は総力を挙げざるを得なかった」

「その割りには騒ぎが聞こえて来ねぇな」

「野にある魔術師だけの摘発ならば大々的に報じられ、国に傅かぬ魔術師は悪だという印象付けに使ったかもしれないが、ラジエルや有力者のお抱えが混じっている」

「権力者共は相変わらず汚いことで」


 かもしれないな、とヤクシは認めた。


「契約を結んでいたらしい何人かが自害したが、色々と吐いた奴もいる。頭、というより薄い繋がりを保つ糸の役回りを負っているのが手配中のベルティオだ。名など今更だが、今回はシャムハットではなく黒蛇の徒という集団らしい。幽世への干渉を成功させたのがクエレブレの素体を使った魔物だという理由だと」

「ねえ。それならデネブを襲ったあのクソ竜は」


 パルマの言葉遣いにかヤクシは顔をしかめながら頷く。


「孵化実験、ついでに素体の回収。そこの化け物が討伐した後にデネブが竜玉を売り払ったろう。それを買ったのが黒蛇共だ。初めの竜害に関してはまだ不明だが、二回目は確実に黒蛇共の仕業だと判明している。捕えた一人から聞き出した大規模研究施設からクエレブレの卵も見つかった。この分だと最近のデネブ回りの異変はすべて奴らの仕業かもしれないな」


 パルマは怒りに頬を紅潮させ椅子を倒して立ち上がる。だが疲労からすぐにふら付いてメイに支えられ、ゆっくりと座り直して顔を両手で覆った。


「デネブは信仰を蔑ろにする都市として孤立しがちだからな。魔物の育成に適した地理も悪かったのだろう」

「それよりもここが襲われた理由を聞きたいんだがね」


 無理やり本題に戻したヴァルフにヤクシは僅かに言い澱む。ヴァルフは鼻に皺を寄せて凶暴な笑みを浮かべた。


「へえ。そっちの手落ちか。なるほど、道理で助けが早い」

「……魔術師が攫われたことは知っているな。あれはエルイトだ」

「あの青臭ぇ魔術師が吐いたか」

「恐らくは」


 話に入ることを放棄していたマニが現実に引き戻された顔をする。


「王宮の一度目の襲撃、あれもベルティオによるものかもしれん。狙われたのはサタナ様と……」


 マニを見詰めていたアルクゥは視線を引き戻した。ヤクシたちの視線が自分に集まっている。後に続けられる言葉は簡単に予想がついた。


「ギルさんの言った通りでしたか。では軽傷を負ったもう一人というのは?」

「貴様に扮したトゥーテだ」


 だから髪を黒く染めているのか。

 申し訳ないと眉を下げるアルクゥにトゥーテははにかむ。


「かもしれない、というのは?」

「誰も姿を見なかったからだ。襲われたトゥーテすらも。魔女が作ったという探知魔具が反応して難を逃れたが」

「だったらなぜ司祭は」


 トゥーテが軽傷でサタナが重体なのはどういった分かれ目があったのか。

 急き込んで聞くアルクゥにヤクシは「追い詰めたからだろう」と首を傾げるような答えを返す。


「追い詰めた?」

「そうだ。現場にはサタナ様のものではない大量の血痕があった。だから手痛い反撃を受けたのではないかと思う。部屋の中で奇妙な木が壁を割るほどに育っていた」

「……木?」

「ベルティオは貴様のような厄介な化け物を飼っているということだ」


 アルクゥは目を瞠り、苦いものを噛み潰して飲み下す。

 何も驚くことはない。聖人とは単なる称号であり、精霊がその者の性格を考慮に入れて選ぶのでないことはアルクゥが一番良く分かっている。ベルティオに与する聖人がいても不思議ではないのだ。拠点の結界を破壊したのは、もしかするとそいつかもしれない。


「でもなぜベルティオは私を……」

「貴様は一度ベルティオを阻んでいる。デネブの乗っ取りを挫いたのも貴様だ。俺であれば確実に殺しておきたいと思う相手だ」

「ではエルイトさんが攫われたのは」

「貴様のせいではないな。弱かったから攫われた。それだけだ」


 ヤクシは強く断言しながらも不意に語調を弱める。


「エルイトを許せとは言わない。だが……相手には、与える苦痛を加減する理由はないんだ」


 アルクゥにエルイトを責める気はない。

 ただひどく遣る瀬無い気持ちだった。魔導師長の復讐を心に秘めながら、結局はその怨敵に一矢報いることができなかったのか。


「生きておられるでしょうか」

「望みは薄い」


 ヤクシはあえて切り捨てる風情だ。

 マニが壁を殴りつけて談話室を出て行く。エルイトと行動を共にしたのは短い間だが気の合う友人のような関係だった。


「これから黒蛇共の足掻きが予想される。国は今以上に荒れる。しばらくは貴様の護衛としてつかせてもらうが構わないか」

「貴方は司祭の護衛でしょう?」

「とうの昔に解雇されている」


 苛立つヤクシに急かされて護衛を了承する。

 ヤクシの言う通り、国中の至る所に災禍が発生するのは居をメイの家に移してからすぐのことだった。


 

 

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