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精霊のシジル  作者: 染料
六章
94/135

第九十三話 黒白



 白亜の王宮は昼の日差しを受けて一層白々とした存在感を放っている。


 正大門から常に人を吐き出しまた吸い込み続ける様子はさながら蟻塚だ。

 働き蟻こと官僚たちの真横を通り過ぎ、頭の中にある地図と照らし合わせながら外殿を進んだ。

 近衛兵が仰々しく守る扉を見つける。

 僅かな隙間ができるようにそっと押し開けて体を滑り込ませた。怪訝そうに兵士が扉を閉め直した音を後ろに聞きながら、厳めしい顔が並ぶ重い色の長卓を見渡す。

 彼らは一人起立する黒い聖職衣の白い男を睨み据えていた。

 澱のような視線だが白い男は笑みを浮かべ、まるで晴天の下にでもいるかのようだ。絶え間なく投げられる鋭い詰問に短い答えを間髪入れずに返していく。一向に降参の色を見せないもどかしさからか、糾弾に悪罵が混じり始めたころ、比較的冷静な一人が尋ねた。英雄を抱き込んでどうするつもりだったのか。その質問にだけ白い男は皮肉げに口を歪めて肩を竦めた。親切にしてやったつもりだが、好意は通じなかったようだ、と。嘲笑が部屋に満ちる。

 厳めしい顔たちはその後も躍起になって白い男を攻撃していたが、確たる言質も取れないままに、やがて解散の時間が来たようだ。

 両脇を兵士に添われて退室しようとする白い男を、これまで一度も声を発しなかった長卓の最奥に座る男が呼び止めた。奇妙なことに顔がテカテカと光っている。声の使い方を忘れていたように第一声は裏返っていた。

 彼は白い男と二人で話がしたいようだが、周囲は渋面で首を振る。圧倒的な語彙の差で言い負かされるかと思った矢先、彼は丸みのある両拳を長卓に叩き付けた。キラキラとしたものが長卓に飛び散る。よく見れば、あれは汗だ。

 望み通り二人と護衛だけが残った部屋で、汗の男は困った風に眉を下げた。庇いきれなくなるようなことは止めてくれ、と。白い男が真剣みのない首肯を返した為かがっくりと肩を落とす。


「陛下。あと少しだけお願いします」


 強い語調に冷や汗を拭きつつ苦笑しながら汗の男は頷いた。白い男は今度こそ部屋を後にする。

 黒い聖職衣の翻るその背中を追いかけ滞在する部屋を特定した。豪勢な客室のようだったが扱いは軟禁に近いだろう。ふと己との類似点を発見する。今日は何日振りの外だったのだろうと意味もなく考えながら一旦客室の前を離れた。優先度はあちらが上だ。


 再び頭に地図を思い起こしながら外殿を行く。


 辿り着いたのは先程のと似たような客室だった。扉の前に兵士が控えていることも同じ、違うのはその制服くらいか。白い男を見張る兵よりもずっと上等なものを着ており、守るものの重要さを窺わせた。

 その二人を殺して静かに部屋に入る。

 娘はこちらに背中を向けていた。まだ気付いた様子はない。

 後ろからの外見は情報に一致している。肩口付近まで伸びた黒髪に華奢な背中。早々と済ませてしまおうと感慨なく凶器を振り上げた瞬間だった。

 ピンと空気が張るような微かな痛みを伴う小さな耳鳴りがした。

 娘が何かに呼ばれたようにこちらを振り返る。

 その瞳は――金色ではない。

 そして明らかにこちらが見えていなかった。これは、違う。

 情報が偽りであったことを悟り一歩下がる。娘は手に持った何かを確認し、見えていないはずのこちらを睨みつけた。

 小動物に似ていると思った瞳が鬼を宿したように見える。実際、想像だにしなかった膂力で体の半分ほどもある剣を引き抜き、空気ごとこちらを斬るように大きく振るった。身を捩って避け、短剣を投げると運よく娘の足に突き刺さる。叫び声を上げて人を呼んだので止めを刺さずに逃走した。

 失敗だ。

 ならば次だ。騒ぎが広がるまでまだ時間がある。

 白い男の部屋まで走る。

 直立不動で佇む見張りを予備の短剣で始末し、扉を開け放った。

 粗暴さとは無縁そうな印象の白い男は、堂々と机に足を乗せて組み、ゆったりとした体勢で片手の聖書を読んでいる。隙だらけだ。唐突に開いた扉にも一瞥の興味すら抱いていない。

 駆け寄って白い喉を刺す――それが迂闊と知ったのは剣閃が己の左目を抉ってからのことだった。溶岩を溢すように熱い血が飛び散る。

 白い男の目が一瞬、刃に付着した血を見て取ったのが分かった。そのまま攻撃の手を止めるとの予想に反して、白い男は三歩ほど後ろによろけたこちらの位置を正確に予測して踏み込む。

 体を大きく仰け反らすのと、白い男が伸ばした手がこちらに届くのは、後者が一瞬速かった。落ち掛けていた眼球を指先が抉る。指先ではなく剣であったら死んでいた。

 命の危機に瀕した、と本能が危険信号を発している。

 気付けば、白い男に向かって肺が擦り切れ喉が血を吹くような咆哮を上げていた。


 客室の床が悲鳴じみた軋みを上げながらせり上がる。


 他の部屋と同様に守護の加護を受けた床は、内より這い出ようとせんものを抑え込もうと耐え切ったように見えた。しかし次の瞬間には勢いを増した内側のものに負けて無残にも砕け散る。

 純白を打ち破って現れたのは狂った速度で成長する樹木だ。

 障害を排したその不可思議な植物は瞬く間に白い男を押し潰した。その後もどんどん幹を、枝を伸ばしていき、ぎっちりと部屋に満ちてから成長を止める。

 逃げ場はなかったはずだ。

 血の吹き出す眼窩を抑えながら改めて部屋だった場所を観察する。殺害が完了したことは疑いようもないだろうと、そう思った。

 騒ぎに気付いた人々が集まってくる。それを見て踵を返した。先程から自分を呼ばう声がする。それに従って帰還した。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 アルクゥは目を通し終えた新聞記事を机に置いて小さく嘆息した。

 今日も特に目を引く内容はない。日常的に起こる犯罪や有名舞台俳優のゴシップ、魔物や廃域の情報ばかりだ。後者は知っておいて損はないが、アルクゥが知りたいのはもっと別のことで、しかしながら本当に重大な事件は秘匿されるのが世の常である。こうして紙切れを眺めていても無駄なことは理解していた。

 例えばその後の北領の様子だったり、王宮内の出来事だったり――アルクゥはそんなことを考えながらもう誰も読まないであろう記事を捨てた。

 時刻は正午前。いつもなら師の研究室に行って勉強を始める時間だが、今日は今一やる気が起きない。こんな日に限ってマニはヴァルフと一緒に傭兵仕事に出かけている。師の墓回りの掃除の日課も早朝に終えてしまった。

 ごとごとと音を立てる天井を見上げてぼんやりとしていると、パルマが談話室に顔を出した。つい先ほどパルマも出掛けて行ったはずだが。


「お出かけだったのでは?」

「何? こんなに早く帰ってくるなって言いたいわけ?」


 憎まれ口を叩きながら買ってきた菓子をさり気無く共用の保存庫に入れている。お土産なら素直に言えばいいのにと思うが、指摘したが最後、一週間は存在を無視されることはヴァルフが証明している。

 天井が一際大きな音を立てる。パルマとアルクゥは同時に上を仰いだ。音の元凶は三階、ガルドの部屋だと了解している。

 ヴァルフから大まかの事情を聞きガルドが幽世を利用する魔術師に報復を企んでいることは知っている。具体的なことはヴァルフも知らない、というよりは知るつもりもなく追い出す意思を固めていた。それを止めたのはアルクゥだが、こうも騒がしくされては何をしているのか気になる。


「ガルドさんは何を……」


 パルマが強く唇を噛んだのを見て質問を飲み込む。使い走りをしているパルマも知らないらしい。そのまま怒って出て行ってしまうものと思っていたパルマは柳眉をしかめたまま懐を探り、アルクゥに紙片を差し出した。


「これは?」

「伝言よ。ちょっと陰気な、普通の顔の男から。テネラエって言ったかしら。貴女ああいうのが趣味なわけ? まあどこぞの聖職者よりはましでしょうけれど」


 今度こそパルマは談話室を出て行った。アルクゥは顎に手を当てて紙片を開く。

 ――お久しぶりです。新月の夜、白い障害を前に別れた以来ですね。お渡したいものがあります。明日の正午、中央広場、西のベンチにてお待ちしています。

 グリトニルの間者、テネラエ本人である証拠が混じった簡潔な文面だ。誤解を誘発する言い回しは褒められたものではないが、人通りが多く明るい場所を指定したのはアルクゥを不安にさせない為だろう。

 にしても、とアルクゥは紙片を燃やしながら考える。

 竜殺しの英雄が今どうしているかという情報は北領の一件から奇妙に錯綜している。各々の記事を信じればアルクゥは常に十人か、住民の目撃情報も合わせるとそれ以上存在していることになる。その中にすら入っていない正答を選び取り、警戒心の強いパルマに疑いを抱かせず伝言を渡した手腕からテネラエの有能さが窺えた。

 わざわざ何の用だろうか。

 アルクゥは呼び出しに応じることを決めた。


 翌日、時刻通りに中央広場まで足を向ける。

 露店の賑やかしい呼び込みを流しつつ西のベンチに行く。それらしき姿はなく、街灯を背もたれにして待つ体勢を整えたとき、


「突然お呼び立てしてすみませんアルクゥ様」


 ほんの真横から声がして慌てて飛びのいた。テネラエの格好を見て更に驚きを重ねる。腕と頭に巻かれた包帯が太陽の下に白々としている。


「その怪我は……」

「北で少しごたごたに巻き込まれてしまいまして。俺のことはどうでもいいんです。お加減がすっかり良いようで安心しました」


 テネラエは光の下でも翳りのある目を和ませ「早速ですが」と手の平ほどの長方形をした分厚い紙袋を取り出した。


「預かり物、と言っては些かの語弊がありますけどね。侯爵の部屋で拝借してきたものです」


 語弊どころの話ではないが、アルクゥは一先ず聞き返す。


「侯爵とはあの侯爵ですか? ネブカドネザル……様?」

「貴女を利用しようとした人間に敬称を付ける必要性は感じませんが、あの侯爵です。表にはこの通り英雄への謝罪状と。何とも直截的で分かりやすい宛名なんですが、他の者に見つかってはどうも貴女の面倒になりそうだと思ったので直接お届けに来た次第です。失礼ながら、馴染みの鑑定師に危険はないか検査させました。封印魔術しか掛けられていないのでご安心を。おそらくは貴女以外の人間には開けられないようにしたのでしょう」


 アルクゥは受け取りを躊躇う。これは死者からの手紙だという思いが容易に指先を伸ばすことを否定した。それに、果たしてあの侯爵は謝罪などしたためるような御仁であったか。なぜ、こんなものを。


「テネラエさんは中身が気にならないのですか?」

「気にならないといえば嘘ですけど、俺は北領が独立して一つの国になる可能性を探っていただけなので。侯爵が個人に宛てた手紙なんて明らかに任務外だろうし、何が書いてあったとしても貴女は悪いようにしないでしょう。だから渡しても問題ないと考えました。それに直接お会いしたかったので」


 ではこれで、と会ってから数分も待たずにテネラエは立ち去る様子を見せる。せめて治療しようかと提案するもやんわりと断るだけだった。


「そんなにお忙しいのでしょうか」

「最近、ティアマトからの密輸が増えてるんですよ。今度はそっちの対策に回されてるので。入ってくるものが無害なならまだいいんですが魔術的な禁制物が多い。竜の幼体なんかもあったと聞きます。物騒な世の中だ。何かを見下すしか能がないグリトニルの魔術師共が、魔力を探知する魔具の精度を高めろというお達しに泡を食っているのは見物でしたけど」


 意地の悪い笑みを浮かべていたテネラエはふと真顔に戻る。


「ご家族のことはお聞きになられますか」


 まるで何事か不幸が起こったかのような言い回に顔が強張る。


「健やかにお過ごしであれば、いいです」


 テネラエは少しだけ眉を下げて口の端を上げる。


「ではまたお会いしましょう」


 そう言って瞬く間に人混みに溶けて消えた。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 拠点の自室に戻ったアルクゥは分厚い手紙と向かい合う。

 意を決したのはその数分後、裏を返して封蝋印を剥がそうとして、この封筒に綴じ目がないことに気付いた。軽く試行錯誤したが、宛名の本人が手に取ったからと言って簡単に開く魔術ではないらしい。

 複雑な封印形式だと解除できないなと懸念しながらまず定石として血液を垂らす。封蝋が溶けて手紙が開いた。体の一部、おそらくは髪の毛等を使って手紙に宛名主を刻んだのだろうが些か気分が悪い。

 血がインクの代わりとなり手紙にしては大きな白紙にゆっくりと赤い文字が浮かび上がっていく。しばらく触れて一定の血を供給しなければ全文は読めないのだろう。随分と性悪な謝罪状だなとアルクゥは椅子に座り完全に文面が出来上がるのを待った。

 そろそろか、と本を読む手を止めて手紙を見遣る。

 そこには謝罪など一言もなかった。

 ――モンモランシ、錬金術師。人身売買、誘拐の疑いあり。

 ――ファームナハ、北方教会所属。異形の研究。

 ――テオドール・ロイツ、ラジエル魔導院出身。死霊術師。犯罪組織との関係。

 ――エルジャヒルデル、死霊術師。墓を荒らして死体を奪う。

 人名と、それに備考が一文添えられる形式で、それが目算で四十列以上続いている。罪の軽重は考慮されていないようだ。


「これは……」


 ――魔術師の告発。

 なぜ自分にという疑問が何よりも先んじる。これを送るとするなら国政に関わる者が適正なのに、王都の人間に託すのは癪だったとでも言うつもりか。

 アルクゥは髪を掻き回す。一介の魔術師にこれをどうしろというのだ。

 しばらく睨みつけるように手紙を眺めている内にもしやと違う考えが頭をもたげた。

 宛名には謝罪であると明確な目的が書いてある。アルクゥはこれを国王やその側近に渡し、捕えられ利用された負債を帳消しにすればいいということだろうか。

 厳格な面差しを思い浮かべて、アルクゥは深々と溜息をついた。まるで意図がわからない。

 筆跡は荒い。大急ぎで走り書いたようだ様子だ。いったいこれはいつ書かれたものだろう。少なくとも余裕があるときにしたためられたものではない。

 敗北の直後か――それとも死の直前か。


 アルクゥは悩んだ末に自室を出て一階に降りる。

 帰ってきているであろうヴァルフを探す。

 少し探すと、談話室で難しい顔をして窓の外を睨んでいた。


「どうしたの?」

「ああ、いや。ガルドの婆が怪しげな荷物を持ち込んでてな」

「ふうん。あの、これなんだけど」


 ヴァルフは手紙を眺めて不審な色を浮かべる。


「これは、誰からだ」

「侯爵から」

「あれは死んだだろ」

「そうなんだけど、持ってきてくれた人がいて」


 怒られる前に先手を打ってこれまでの経緯を話す。結局不用心だと怒られるはめになるのだが、それはテネラエに関してと言うより一人で異性に会いに行くなという兄心を滲ませたものだった。


「にしても、どうする。手紙が本物とは限らねぇが……本当に北領の元主が書いたんならそれなりの重みを持つ代物だぞ、これは」

「連絡取れないのかな。ユルドさんとか、クロさんとか」

「さあ、どうだか……」


 ヴァルフはどういった意味か外を見遣り、しばらく思案気に口を閉じてから、


「北山を越えた先に廃域ができたのは知ってるだろ。ウリディスって結構でかい街が近くにある。そこに廃域調査の部隊が来ている。その隊長がギルベルトって名前の軍人だそうだ」

「ギルベルトって……何で知ってるの?」

「廃域の規模が小さかったから初めは街で調査隊を編成することになっていたらしい。その募集がデネブにも来ていたんだが、なぜか軍が出張ってきて取り消された」

「何でかな」

「知らん。どうする? アイツになら預けても大丈夫だと俺は思うが」


 クーデターの折に王宮の外で一緒に戦った経験からか、ヴァルフはギルベルトを信用に足ると考えているようだ。ヴァルフがそういうならとアルクゥは頷く。

 一度利用されかけたことを考えると複雑だが、それは上官であり友人でもあったハティのことを思い詰めてのことで、直前には思い留まってくれた。いつも好意的に接してくれたことも忘れていない。

 ヴァルフと予定を決めた後、マニにそのことを話すとそれは旅行かと目を輝かせる。確かにそう言えなくもない。この重苦しい手紙を手放せることと相まって、アルクゥは軽い気分で眠りにつくのだった。


 

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