第八十四話 罪の威を借る
内容的にあまり変化はありませんが、前話を改稿しました。
冷気の漂う室内に四人分の呼気が白く揺蕩う。
緊張が走る中でパルマは素早く魔導人形を動かした。
無数の氷が擦れ合う音を立てながら、シャレゼルを押さえていた右手は侯爵らの牽制に、左手はアルクゥを守る位置へと動く。
「見事なものだな。やはり魔術師は怖い。扉の前に立ち、誰も入れないように」
侯爵はゴーレムの鋭い氷爪を関心した様子で眺めてから、臨戦態勢の供に指示を下した。自ら進んで孤軍となった侯爵は改めて室内を見回す。気絶しているシャレゼルに少し顔を顰めてから、瓦礫に埋まっていた椅子を掘り出して深く腰を下ろした。
組んだ両手を腹の上に乗せて大きく息を吐き出す様子からは敵意が微塵も感じられない。パルマが神経質そうに眉を寄せて苛立った声を出す。
「呑気な」
「決着はついている。にもかかわらず、そこの愚息が世話をかけたようで申し訳ない。考えの足りない奴でな」
「ふうん。貴方は何をしに来たのかしら」
「説明の義務を果たしに。その前に、これを」
侯爵は二つの鍵をアルクゥに放り投げる。咄嗟に受け止めてから意味を問うて顔を上げたアルクゥに侯爵は頷いてみせた。
「貴女は自由だ。――つまるところ北領は敗北したわけだが、顛末を聞くかね」
あまりにさらりと告げられた結末にアルクゥは戸惑うしかない。なぜ、どうして。私の立場はどうなった。その全ての疑問を内包する首肯を返せば、侯爵は事の顛末を掻い摘みアルクゥに語り聞かせた。
「デネブが北領支持を撤回すると同時に全てが手の平を反した。支持者、抱き込んでいた新聞社、じきに世論も北領批判へと移り変わるだろう。旧国境線付近の国軍駐屯地は要請があっても動かないように指揮官を買収していたが、そちらにも連絡がつかない。北領は孤立した。全く、してやられたよ」
言う割には然程悔しげでもない。
アルクゥはアルクゥで、なぜそのような逆転劇の終幕を迎えたのか困惑は深まるばかりだ。
簡単な手法だと侯爵は言う。
「難しいことは何もない。ごく原始的て野蛮な、しかしとても効果的な方法だ。命を脅されるという恐怖。それは人の意思を容易く翻す」
「王政が脅迫でもしましたか」
「いいや、国家権力ではない。国王はこの一件を元政務補佐官に一任していたそうだ。全体を見るに、功労者は彼だけではないようだが、彼の起用が一番痛かったのは確かだな」
元政務補佐官、と繰り返してからそれが誰を示すものか理解したアルクゥは複雑な気分で眉を寄せた。感謝すべきだと思う。どのような思惑があり、どのような非道を仕出かしていたとしても、この一件を解決へと導いたのだ。間接的にアルクゥは助かった。冤罪の汚名を上回る功績だ。再びサタナが国に必要とされるのなら、それは祝福すべきことだろう。
だが――次に会う時は味方ではない。
アルクゥの存在からして、どうあがいても政に深く関わる人間とは相容れないのは、今回の件でも証明している。
「主だった支持者の面々は直接訪問を受けたらしい。どうやって支持者を割り出したかは知らないが、露見しても証拠はない。追及があったとしても知らぬ存ぜぬを突き通せる面の皮が厚い連中だが、あれが来たのなら無理もないように思う。粛清も辞さぬという国の意思だと解釈したのだろうな」
「あの人は、それほど恐れられているのですか」
「近くにいた貴女の方が良く知っているだろうと思っていたが。まあ灯台の下は寧ろ暗いものだ。彼が国政を追われた理由は知っているだろう?」
アルクゥは頷く。クーデターの協賛者を皆殺しに近い形で殺害した犯人だと、表向きにはそうなっている。しかし、北領を支持することで後に得られる莫大な利益を手放す程に恐怖されているかと聞かれるとそれは疑問だ。
そんなアルクゥに侯爵は「恐ろしいのだ」と断定した。
「そういえば貴女はクーデターのすぐ後に王の元を離れていたな。ならば、敵味方が入り混じっての排斥運動は知らないだろう。独裁者、権力に溺れた堕落者、聖職者の皮を被った獣……凄まじい拒否反応だったと聞く。面と向かい中傷するような勇者はいなかったようだが。暗殺の企てもあっただろう。最終的には地位の剥奪と今までの功績との相殺で放免、生き延びた。あれほど上から下への失脚はお目にかかったことがないな」
共通の敵を得て団結した。侯爵は目を細めてその時の様子を語る。
「それほどにあの粛清は凄惨で、特殊だった。警告も前触れもなく、証拠より先に首なし死体が量産され、後の調査で軍との共謀が明らかになるといった具合だ。罪が露見する筈のない者まできっちりと余さず殺されていたゆえ、後ろ暗い者たちにとっては恐怖でしかないだろう。隠し立ては無駄だと暗に言われたようなものだからな。
更に恐怖を煽ったのが、死亡時の状況にある。ほぼ同時刻に、大量の人間が、誰かの目の前で、勝手に首を落とした。あの男は優秀な魔術師であり、事件発生時には遠く離れた王宮にいた。呪いか、使い魔か。どこにいても殺される。次は自分かもしれない……そう考える疚しい人間が多かったのだろうよ」
そんば馬鹿な話があってたまるものか。少しでも考えれば不可能だとわかるだろうとアルクゥは呆れ返る。
「そんな無茶な。実在しない怪物を恐がるようなものです、それは」
「竜を単身で殺すような人間がいるのだ。実際に、王宮にはつい先ぞまで英雄がいた。元々得体の知れない男でもあるからな。超常的な現象も、もしかするとあいつならば、なんて一度でも思ってしまえばその観念からは逃れ難い。今回はそれを逆手に取り利用したのだ。愚鈍な国王が思い付くわけがないので、外相オットーの案か、それとも本人が自分を売り込んだのか。いずれにせよ、あの男は再び返り咲く。果たしてどのような混乱が起きることやら、見物だな」
語り終えた侯爵は一息吐いてしばらく沈黙してから「忘れるところだ」と付け加える。
「貴女は潔白を証明されている。大衆紙にも高級紙にも載っているだろうから後で読めばいい。曰く、英雄は竜に捧げられた生贄を助ける為に北領に赴き、二頭の竜を討ち取って力尽きたところを北領に捕らえられ」
アルクゥは思わず、侯爵の目も憚らずに額に手を当てる。
なぜその滑稽な捏造が罷り通るのかが不思議で頭が痛くなる。身に覚えのない悪行を着せられた侯爵はどうしてそう余裕を持てるのか、至極楽しげに笑った。
「調べてみると、我が家から竜玉が二つ市場に出ていた。お陰で一気に資産が増えたが、まあ当然回収されるのだろうな。自称生贄も取材を受けていたよ。薬種屋の一人娘で貴女とは友人だと言っていた」
「……そうなってしまったなら、私からは何も言うことはありません」
「国王側は監禁の真実を知っているので、貴女を無傷で返せば命は助けてやると言われた。明日にでも本邸に迎えが到着する。それを待たずに帰っても、今ここでわたしを殺して溜飲を下げても構わないが、どうする」
比較的和やかだった空気に罅が入る。
アルクゥは侯爵を見た。この人は、初めから覚悟をしてここに来ていたのだろう。やはりどこか父親を連想させる面差しに目を逸らす。
すると今までつまらなさそうに腕を組み沈黙を守っていたパルマが口を挟んだ。
「迎えを待たせていただくわ。のこのこと出て行って危険に身を晒すつもりはないのよ。当然、私も御一緒させてもらうけれど」
「という魔術師殿の意見だがどうだね」
「それで構いません」
「そうか」
侯爵は了承し、天井を仰いで目を閉じた。
「夢は潰え、独立などと口にする者はいなくなる。どうしようもない輩だけを道連れにすれば、後続に妙な負担を残さずに済む。北領の状況が広く認知され同情も集まった。少し目論見とは違ったが……これもまあ長い目で見れば勝ちになるのかもしれないな。
――車を用意してあるから先に行きなさい。本邸に入るまでは気を抜かないように」
アルクゥは目礼をして部屋を出る。シャレゼルを見る穏やかな顔が、アルクゥが最後に見た侯爵の姿となった。
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魔物が引く車に乗り、悪路に揺られながら辿り着いた侯爵家の本邸は、触れると切れるような痛々しい緊張感に包まれていた。
解放されたわが身を喜ぶ暇もなく、アルクゥはその空気に息を呑む。これは敗北者の諦観とは程遠い。侯爵の割り切った態度がいかに異質であったかを再認させられる。
アルクゥとパルマは着るようにと渡された魔術師らしい深いフード付きの外套を羽織り、裏口からひっそりと屋敷内に入る。二人を案内するアルクゥの見張りをしていた女使用人は、話しかけられても口を開くなと釘を刺す。二人はその言葉に従い、客室までの道すがらに剣呑な声をかけてくる軍人には決して答えず、代わりに女使用人が澄ました顔で「お招きした魔術師様方です」とだけ言ってあしらった。
無事に客室まで到着すると、使用人は申し訳なさそうに頭を下げる。
「彼らは、本来ここにいるべき者たちではないのですが、我が主の説明を待てず勝手に訪れたようです。無礼な態度を大変申し訳なく思います」
くれぐれもお気を付けくださいと言い置いて使用人は退室した。
アルクゥは横目でパルマを見る。
「物々しいですね。ここに来たのは、間違いでしたか」
「いいえ、正解よ。足の速い迎えを寄越してくれる手筈になっているから、その足で貴女はデネブに戻るのよ」
予定通りだという口調にアルクゥは片眉を上げた。
「パルマさんは、司祭と組んでいるのですか」
「パルマで良いわよ気持ち悪い。ええ、そうよ。手を組むと言うには少し語弊があるけれど。ここに使者として来る前に接触したわ。あのクソ野郎は本当に人の弱みに付け込むのが上手よね」
「それはデネブが支持の撤回をしたことに関係が?」
侯爵はデネブの反目についてそれほど語らなかったが、北領に最も大きな衝撃を与えたのは実のところデネブの裏切りではないだろうか。パルマに訊ねると、無関係だと首を横に振った。
「デネブが北領を裏切ったのは、ヴァルフを中心とした有志が中央塔を落としてくれたからよ。タイミングからしてアイツらも司祭と手を組んでいたようだけれど。議会の目を覚まさせてから令状を手に入れて堂々と実力行使よ。邪魔する私兵やお師匠様を信望する騎士団員を千切って投げて……今、お師匠様は拘束されているわ」
音が立つほどに唇を噛み締めたパルマは、滲んだ血に顔をしかめて続ける。
「とりあえずは、北領に騙されたという方向で通すみたい。……悪いけど、先に休むわ。明日は荒れるでしょうから」
消え入るように言ってから、パルマはベッドに倒れ込んだ。頬に赤みが差し息が僅かに上がっている。
「パルマさん、熱が」
「パルマで良いって言ったでしょうこの唐変木。大したことはないわよ。刺青を入れたから、そのせいよ」
「刺青?」
「私は貴女やヴァルフの筋肉馬鹿みたいに戦いには向いていないの。フリュムは……氷のゴーレムは前準備が大変なのよ。でも手持ちではあれが一番、戦えるから。実戦で役に立たせるには体に刻むくらいしないと」
体に術式を描くのは戦闘を生業とする魔術師が良く使う方法だが、一方で他の魔術が使い難くなるという欠点がある。魔力が刻んだ術式を優先しようと動くからだ。
なぜそのリスクを背負ったのかは考えるまでもない。
水を持って行くとパルマは素直に飲み干す。
「何よその顔。別に貴女のせいじゃないわよ。貴女に死なれては困る私の為にしたことよ。貴女も休んでおきなさい。嫌な予感はすごく良く当たるものだから」
結果として、その不吉な言葉は予想を裏切りはしなかった。
翌日の夕刻、迎えの到着と共に敗北を認めない者たちによる暴動が始まったのだ。




