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精霊のシジル  作者: 染料
五章
82/135

第八十一話 冤罪


 視界は仄かに白い闇に閉ざされている。


 両手首には短い鎖の付いた鉄輪が嵌り、右足首も同様だ。移動を制限する鉄枷と鎖は行動範囲を極僅かにまで狭めていた。魔力すら封魔で動かない。

 椅子に座り微光の世界を眺めるだけの時間はひたすら緩慢に流れていく。長い移動を経てここに連れてこられてから幾日たったのかも判然としない。

 眠った回数で考えればあの日から日付は変わっていないだろう。だが睡魔の訪れと食事を拒否した回数を考慮に入れると恐らく三日は経過している。不眠と絶食は文字通り身を削る苦痛であったが、何の説明も釈明も要求もなく、状況に対して無知のままに敵から与えられる食事と寝床を受け取ることはできなかった。

 すでに眠気は間遠になり腹の虫は死に絶えつつある。その代わり度々意識が薄くなる。魔力保持者がいくら頑丈な出来であろうとも、そろそろ折り合いをつけねば復調までが長いだろう。

 アルクゥは失速した独楽さながらに不安定な思考を働かせる。

 一日目は命令、二日目はお願い、そして今日は泣き落とし――アルクゥに付けられた使用人の態度の変化だ。

 このささやかな反抗で敵方にアルクゥを損なう気がないと知ることができただけでも収穫とすべきだろう。

 涙ながらの懇願を一通り聞き終えたアルクゥは、ここに連れて来られて初めて口を開く。


「右目の包帯を外すこと。両手を自由にすること。そして私を捕らえた人物との対話。それが条件です」


 アルクゥの差し出す対価が食事と睡眠をとると言うのは少し妙な心地だ。

 完全に解放しろと言わない譲歩が功を奏したのか二つの要求は翌日に実現した。最後の一つもじきに叶えることができると聞き、アルクゥは対価と言うよりも首魁との対面に備えるつもりで食事をし目を閉じた。


 そして五日目の深夜に目を覚ます。


 潔い、眠気の余韻すら残さない覚醒に復調を悟ったアルクゥは、上体を起こして右目で部屋を見回した。

 人間として必要最低限の生活を保障された、質素で殺風景な部屋だ。

 調節された暗い光が新品の調度品を照らしている。人の気配が染みつく前の清潔感に溢れた空間だ。それだけに、部屋の中央にポツリと落ちた鉛色が異様に映る。床から唐突に生えたかのような杭は先から鎖が垂れ、アルクゥの足輪にまで繋がっている。

 不快気にそれを見遣ったアルクゥは、今度は出入り口を確認する。室内にある外への通路は扉が三つ、窓が一つ。扉の二つは浴室等に繋がっており、廊下に続くであろう扉は固く閉じられている。窓には格子が嵌められていた。

 周到だな、と部屋の隅で家具のように振舞う細身の女性に横目を向ける。ここまでしておいて更に監視まで付いているとは恐れ入った。

 ――特別製の牢屋。

 設備からして一朝一夕で用意できるものではなさそうだ。何かを捕らえておくために予め整えられていた監禁部屋なのだろう。

 物理的な行動の阻害というアルクゥの弱点を存分に突いた部屋であり、脱出は不可能だと悟らざるを得なかった。

 アルクゥはベッドの端に腰かけ不安からか詰まったように感じる喉を抑える。


(塔から落としたマニは無事だろうか。ヴァルフは。ガルドにひっついてきた気持ち悪いものは何か。それにここはどこだろう。何もかも分からない……)


 嫌な想像が泡沫のように浮かんでは消えていく。

 鬱々とした気分で朝を迎えたアルクゥは砂を噛むように朝食を食べ終える。使用人に問いを投げると昼を待てとの一点張りだ。

 大人しく待っていたが正午を過ぎても何もない。痺れを切らし始めた頃になってようやく扉が開き、しかし入ってきたのは別の使用人だった。彼女は直前まで息を整えていたかのような雰囲気でアルクゥに恭しく一枚の紙を差し出す。怪訝に思いながら受け取り、怯えと期待が入り混じった使用人の眼差しに居心地の悪いものを感じつつ紙面に視線を落とす。

 一見すると、薄く安価な大衆紙だ。しかしその文面は。


「――それで、これを釈明してくださる方は」


 低く呟くと、使用人らは来たる嵐をやり過ごそうとするかのように一斉に動きを止めて頭を垂れた。アルクゥを監視していた細身の女性が彼らの纏め役なのか、一歩前に出ている。

 アルクゥは一度目を閉じてから再び衝撃的な見出しに続く内容を目で追いかけた。

 ――北領の独立運動開始。かねてより公国への回帰を切望していた北方領は魔導都市デネブと名高き竜殺しの支援を受けて政府に独立を要求した。

 論調は北領に同情的だ。資源の一方的な搾取、最大の廃域問題の押し付けなど、独立を要求する理由が書き連ねられている。とはいえ、どれほど同情票が集まっても国が認めるわけがない。

 合法的な手段が駄目ではい分かりましたと引いてくれるほど北領は易くないだろう。やがては闘争が始まり戦争が始まる。そうなれば内乱罪、身に覚えはない支援をしたらしいアルクゥも無関係ではいられない。最悪死刑だ。


「他人の犯罪の片棒を担がされるなんて、笑えない冗談だ」

「夕刻に主の訪れがあります。どうか」


 平身低頭の使用人らに八つ当たりしたくなる気持を抑え、指先が白くなる強さで紙を握り潰す。

 そして約束の夕刻。監禁六日目にしてようやくアルクゥは誘拐犯と対面を果たした。


 供も連れずに訪れた壮年の男は、全身から有り余る力を静かにほとばしらせているような人間だった。

 北の冷たさを溶かすような濃い赤毛に正反対の青目。がっしりとした厳格な顔付きをしている。堂々とした風貌から滲み出る尊大な態度は、相対する者を竦ませる支配者のそれだ。それは父親だった男性の雰囲気に酷似していた。

 素早く隠したアルクゥの萎縮を見抜いたかのように目を細くし、男は儀礼的に頭を下げる。


「お初にお目にかかる。わたしはネブカドネザル。現北領の纏め役を任された侯爵位でありアハーズ大公の血を継ぐ人間だ。此度、魔女との取引にて貴女を得ることと相成った」

「これはどういうことですか」


 溜まりに溜まった鬱憤を大衆紙と共に突き出すと、侯爵はそれをゴミのように見遣る。溜息と気付くまで数秒を要する吐息を漏らした。


「頭の悪い質問だ」

「は?」

「時間を割いた意味はなかったようだ。まあ英雄を一目見ておけば話の種にはなるだろう。それの意味は、そのままだ。お前はわたしに利用されている。正しくはその称号が持つ影響力を、だがな。目的が達せられた暁には無傷で解放しよう。お前はただそこに座っているだけで良い」


 値踏みされ、お眼鏡にかなわなかったらしいことは理解できた。

 侯爵は簡潔に返答して踵を返す。竹を割ったような侮蔑は怒りを感じる余地すらない。呆気に取られていたアルクゥは、呼びとめようと伸ばした手の先にある隙だらけの背中に気付く。

 自然と視線が流れる。無防備な背中から腰に。長剣を佩いている。こちらは素手だが相手は無防備だ。

 しかし失敗した場合には――だが機会は一度かもしれない。そう考えた時には体が動いていた。

 使用人が上げた悲鳴で侯爵は振り返る。幽世の中でみた侯爵は思いのほか纏う光子が少ない。魔力保持者ではないのだろう。意外に思いながら、その眼前にまで迫ったアルクゥは剣の柄を掴もうとし、指先が掛かった時点で足首を大きく後ろに引かれた。

 床に叩きつけられて振り返る。鎖を握り締めた細身の使用人が宙に鋭い視線をさまよわせていた。あの一瞬で鎖を引くという行動を選択し実行したのだ。ただの使用人ではないのだろう。外見に騙された、と歯噛みして幽世を出る。こちらの負けだ。

 侯爵は驚いた様子でアルクゥを見ながら爪が引っ掛かり抉れた手の甲を擦る。


「今の手品が異界に行くという聖人の力、か? わたしを殺そうとしたのか。殺してどうするつもりだったのだ? 後先考えない行動だとは思わなかったのか」


 殺意と解釈しながらもその態度は理知的だ。激昂して斬殺という雰囲気はない。無謀のつけを払う覚悟はしていたアルクゥだが生を繋げることに酷く安堵し、首を横に振る。


「殺す気など。ただ……人質に取ろうかと考えたのです。あまりに無防備な背中でしたから。確かに思慮が足りない行動だったと自覚はしていますが」

「あの一瞬でその決断か。にしても、惜しかった」


 侯爵は椅子をアルクゥの正面にまで引き摺り腰を下ろす。困惑するアルクゥや使用人すらも意に介さず足を組んだ。


「まだ少し時間がある。椅子に掛けたまえ。何か聞きたいことは?」


 先程まであった退室の意思を行動を堂々となかったことにして仕切り直す。

 ことごとく予想の上下を行く対応にアルクゥは動揺する。それでも言う通りに座ったのはどうにか情報を集めるべきといった理性が働いたからだ。二度目となれば侯爵の言う「頭の悪い質問」は避けなければならない。

 アルクゥは慎重に口を開いた。


「貴方はどこまでデネブに関与していますか」


 ネブカドネザルはしばらく沈黙し、鷹揚に頷いた。及第点といったところか。


「誤解があるという前提で否定をしておくが、デネブを騒がせた諸々の事件についてわたしは一切直接の関与をしていない。直接、というの間接的な関わりがあるかもしれない場合の保険だと思ってほしい。わたしは地方領主と同様に幾人もの魔術師を支援している。中には口に出すことが憚られる研究内容の者もいる。そして、それらの者は相応に人格は歪んでいるから何をしでかすか分からない」

「そうですか」

「また我々はデネブに何も強要していない。質問に正しく答えるならば、どこまでも関与していないという言葉が適当だ。元よりデネブの魔女は蝙蝠、地理的にも遠い。商談相手としては良くても味方につける気は毛頭なかった」


 ではどうしてとアルクゥは打ち捨てられた紙面に視線を遣る。侯爵もそれを真似た。


「最初は非公式な打診だ。金払い次第で魔導都市は北領を助けると。そのときは不審者の戯れ言と一蹴した」

「それは本当にデネブからのものだったのですか」

「わざわざ確認をとると思うのか。政府に付け入る隙を与えるようなものだ。丁度根回しに忙しい時期でもあったのでな。忘れた頃になって霧の事件が発生し、直後に議会の署名がある文書が届いた」


 ここまでは嘘を言っていると思えない。

 北領がデネブの乗っ取りに一枚噛んでいるというアルクゥの疑念は立ち消える。


「今でも、おかしいとは思わないのですか」

「いくら異常があろうとも心強い味方であることに変わりはないのだ。それを指摘して手を引かれては困る。想定外は常に起こり得るものだ。頭を硬くしていては進める道すら閉ざされるだろう。貴女の獲得にしても予想外の出来事だ」

「それは……どういう意味でしょうか」

「求めはしたが、貴女のような種類の人間がいなくとも計画は進む。とは言え聖人の広告塔は魅力的で、自領で別の聖人が見つかったときには引き込むつもりであったがな。忌々しい王都の横槍で分隊が二つ消えて断念したが、今度はデネブが聖人を提供してくれると言ってきた。迎えをやると、無名の聖人が有名な英雄に化けていたわけだが。お陰で金がだいぶ吹き飛んだぞ」


 アルクゥは眉を震わせる。

 金で買ったのだと言われて憤らないでいられるほど寛容ではない。束の間忘れていた怒りがじりじりと再燃する。


「それで、成功するとお考えですか」


 地を這うような低い声で、暗に成功などしないという皮肉の元に問う。侯爵は淡々と答えた。


「七割といったところか」

「高く見積もりましたね」

「いいや失敗する割合だ。わたしは三割に賭けた」


 絶句する。後先を考えないのはどちらだとアルクゥは心中で毒づく。そんな内心ですら耳聡く聞き付けたかのように返答があった。


「資源は取られ、税は多く、廃域グガランナは日々拡大する。質の悪い労働者が流れ込み、治安は悪化し、年々北は枯れていくのだ。我慢の限界に絶好の機会が転がり込んだ。貴女がわたしだとして、思い留まることができるのか?」


 アルクゥは閉口するしかない。機会があれば試さずにはいられないと先程の無謀が証明しているようなものだ。規模は違えど、そこに至る心情は同じなのだろう。

 侯爵は笑う。


「そう思い悩む必要はない。何も貴女を理由に動いたわけではないのだ。貴女は成功率を上げる為の道具に過ぎない。一蓮托生にさせてしまったのは気の毒だが、運がなかったと諦めてくれ。何か望みがあれば聞こう」

「……私をここに連れてきた人を呼んでください」


 マニが落ちた後のことを少しでも知りたいと思っての頼みに、侯爵は面白がるように片眉を上げた。


「息子を気に入ったのか? 見目は良いし、その分女の扱いだけは長けた男だ。そうだな退屈はさせないだろう。後で話相手として寄越す。ああ、言っておくがあれに人質の価値はないぞ。では機会があればまた会おう」


 未練なく扉が閉まった直後、苛立ちに任せて鎖を引く。金属音が空しく部屋に響くだけに終わった徒労にアルクゥは唇を噛み締め、やがて肩の力を抜いて大衆紙を拾い上げる。それを暗記するほどに読み返してから細かく割いて捨てた。



+++++++++++


 ヴァルフは目の前を過ぎようとした紙片を何となく掴み取る。断片からでも文面は知れる。興味を失って元の風に流し、苦笑する仲間に目で合図して路地裏を去る。

 拠点に戻り、そこから更に転移陣で飛ぶ。世話になっている隠者の家に戻ると、案の定マニが素っ頓狂な声を上げて飛んできた。


「おい、おい家主! 見たか、読んだか!」

「うるせぇな。知ってるよ」

「んだと! 何で教えなかったんだよ!」

「やかましいからに決まってるだろうが」


 新聞を片手に所在無げに佇んだマニは紙を丸めて放り投げる。


「なあ、どうすんだ。俺ァてっきりアイツは中央塔に閉じ込められてるものと……なあ家主。いつから知ってた」

「司祭共が即座に王都に戻った時点で、何となくだ。お前が中央塔から突き落とされた直後だな。知らせを受けて急いで出入りの記録を漁ると妙な一行が北門を通過していた。ったくアルクゥの馬鹿は心配ばっかりかけやがって」


 ヴァルフ、と耳の奥に残る鮮明な声に目を細める。

 こうして報じられているということは無事なのだろう。あの日から生きた心地がしなかった体に血が巡り始めた気分だった。

 だというのに対するマニは暗い顔だ。 


「北の阿呆共の狙いは俺だった」

「知ってる」

「俺がへまをしたからアルクゥは捕まった」

「パルマが裏切ったからな。俺の見立てが甘かった。すまん」

「……殴ってくれねぇのかよ」


 握り締めた両手の拳が力を込め過ぎて震えている。

 良くも悪くも真っすぐで、思い込めば突っ走る。聖人というのは性格が似通うものなのかとヴァルフは苦笑し、その一途な心こそが神を惹き付けたのかもしれないと柄にもないことを考える。


「お前は悪くねぇよ。俺が殴りたいのは直前に会っていながら止められなかった無能と、アルクゥの気質を知りながら遠ざけた俺自身だ」

「でもよ」

「俺はガルドもどきを中央塔から引き摺り下ろして議会の目を覚まさせる」

「じゃあ、アルクゥは」

「不本意だが聖職者に任せた。俺の手は届かない」


 ――魔女を任せました。出来る限り迅速に落としてください。彼女は私が助けます。

 サタナが去り際に言い残した言葉を思い返す。現状、内乱罪の片棒を担ぐアルクゥを一体どれくらいまで助けてくれるのだろうか。救うだけならヴァルフにでも可能だ。だがその名誉と尊厳までは救えない。

 サタナは狡猾な男だ。もしかすると北領に渦巻く国の頭痛の種を一掃すべくアルクゥを再び利用するかもしれない。付き合いは浅く、何を考えてどう動くのかも分からない。任せるのは博打だ。今度こそ殺すことになるかもしれない。

 そう思いつつ、ヴァルフは思考するほどの不審を抱いてはいなかった。慇懃な態度を忘れた様子で粗雑に言い置いていく姿が印象に残っているからかもしれない。

 ヴァルフは大きく頭を振り、武器を振るう為にあるような両手を握る。今は魔女の方に集中すべきだ。消沈するマニに言う。


「お前の力が必要になる。頼ってもいいか」


 マニは俯けていた顔を上げる。暗く陰っていた猛禽に似た目に力強い光が灯った。



  

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