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精霊のシジル  作者: 染料
五章
81/135

第八十話 罪咎の体現

 アルクゥは深閑とする魔導都市にひっそりと侵入し、何食わぬ顔で乗合馬車に乗り中央区に行く。ふと思い付いて途中で下車し薬種屋に寄った際に危うく騎士の検問に引っかかりそうになったが、それ以外は問題なく中央塔を見上げる所にまで至った。

 尖塔の足元に侍る中央大広場まで静かだ。住民が密やかに横断するだけのだだっ広い道と化しており、憩いの場としての役割は完全に死んでいる。大量に配置された騎士の険しい監視があっては誰も憩う気にはなれないだろう。

 少し見ない内にデネブは変わってしまった。

 信仰にすら縛られない自由な気質は見る影もない。閉塞感にまみれ、住民が困惑と怯えを込めて巡回の騎士を眺める様は、独裁者を頂く国の有様に似ていた。デネブの住民に与えられた情報はごく僅かでしかないようだ。ヴァルフが大々的に犯罪者とされていない点では救いだが。

 アルクゥは物陰から中央塔を睨む。

 マニが易々と捕まるとは思えない。しかし逃げおおせたのであれば、拠点なりヴァルフの所へなりと戻ってくる筈だ。ではやはり捕まったのか。それとも。


(迷っているのか)


 捕らえられたということならばアルクゥはサタナに従ったかもしれない。

 中央塔に出向いてアルクゥが捕まったとすればヴァルフの嫌疑を強めるようなものだ。国の助けを待った方が賢い。

 だがマニの状況は不確かだ。塔は閉ざされているとサタナは言っていた。脱出できないまま幽世に立てこもり現世の境界を失っていたら。戻ってこられないのであれば。ぞっとする話だ。もう二日も経過している。

 あんなに気の良い人間が、自分を失っていいはずがないだろう。

 アルクゥはしばらく苦しいものを堪えて左目を歪ませ、やがて決心して行動を始める。長時間あちらに行くことになるが大丈夫だ。師の遺してくれたものが自分を導いてくれるだろうから。

 アルクゥはその場で現世から姿を消した。


 ――気味が悪い。

 美しい光の世界では気分が悪くなる光景が広がっていた。中央塔から伸びる糸、糸、糸。見回すと道端を歩くほとんどの人間に繋がっている。ある者は首に、ある者は手首に。それは巻き付くようであり、縛るようでもある。

 アルクゥは自身を見下ろして糸が付いていないことにほっとする。目に見える異変に怯みはしたが、やることは変わらない。

 塔に侵入したアルクゥは書類を抱えた女性の後について昇降機を利用した。

 彼女が降りた後に最上階まで行くつもりが、事はそう簡単に運ばない。十階から上には行けないように制限されていた。ここから上の全てが閉鎖区域かと十階で降りる。階段に向かって見るも、やはりそこも閉鎖されていた。踊り場には壁が下り、扉の真横には騎士が見張りに付いている。例にもれず彼も糸に巻きつかれていた。

 アルクゥはこの上に何かあることを確信し、懐から親指ほどの小瓶を取り出す。蓋を空けて少し迷い、背伸びをして額に数滴落とす。ふわりと焼き菓子に似た甘い匂いがした。騎士は不審げに天井を見上げて指で滴を拭う。鼻で匂いを嗅ぐ仕草をし、甘さにつられてかペロリと舌先で舐め、数秒後に壁に背を預けてずるずると座り込んだ。完全に眠っている。

 後でリリに薬の知識を授けてくれたことを改めて礼をすると決め、アルクゥは騎士から鍵を奪っていよいよ閉鎖区域に到達した。


 一旦空き部屋に入って休憩を取ってから探索を開始する。


 時折すれ違う者たちは騎士がほとんどであったが、奇妙なことに身なりの良い人間もいた。そう言った者には糸が巻き付いていない。とは言え少数派であり、やはりほとんどが糸を巻き付けている。中には全身が糸に絡まっている者までいた。光溢れる世界で糸もまた淡く輝くものの一つなのに、見ているだけでアルクゥの心は不快に染まる。


 それらを横目に、そっと扉の取っ手を動かす作業に神経を削る。部屋で窓を見るたびに逃走経路を頭に描くも、どれも嵌め殺しで開かなかった。分厚いそれは窓と言うよりも透明な壁だ。防犯上の理由だろう。ガルドの部屋の窓は開閉可能だったので、あの部屋だけが特別なのだ。

 十一階に見切りをつけて階を重ねた十二階。アルクゥはふと気を惹かれた部屋を覗く。

 そして見つけた。

 手足を投げ出して薄ぼんやりと宙を眺めている。人はこうも人形じみた物体になれるのか。体内で血の気が引く音を聞きながら駆け寄り頬を叩くと、アルクゥを映した硝子玉に鮮やかな光が宿った。


「お前……は? 何でいんの? 俺ァたしか……何してたっけな」

「迎えに来ました。帰りましょう。その前に一度出たほうがいいから、手を」

「お? おう」


 良かった。まだまともだった。

 安堵で表情が緩む。マニは微笑むアルクゥに目を白黒させて、それでも素直に手を差し出した。大きくて少しかさついた冷たい手を両手で包み、照れて俯くマニを軽く引っ張る。さざ波のように光が退いて二人は現世に戻った。

 マニは辺りを見回して大きく頭を振る。


「悪かったな。お前にはいっつも助けられてる気がする」

「思い出しましたか」

「あァ。後で話す。あんのクソ女はぜってぇぶん殴る。んで、どっから逃げる」

「あちらを通って階段から。窓を割ることもできますが、半端な魔術では無理です。炎を使えば人を集めて逃げにくくなってしまう」

「お前がいるなら階段で大丈夫だ。何なら俺様の手を引いてくれても構わないぜ」

「ではお手をどうぞ」

「ははっそりゃいい。きっちりエスコートしてくれ」


 微かに震える冷たい手を強く握り込む。

 マニは精神肉体共に限界が近い。急いで階下へと向かうが、空しくも扉は閉じていた。こちら側に鍵穴はない。

 ――騎士が起きたか。もしくは見つかったか。

 どちらにせよ侵入は露見した。

 なのに静かすぎる。


「人が来る」


 そう言ってマニは上を見る。階上からの複数の足音が下りて来ている。


「引き返しましょう。こうなれば窓から飛ぶ方がましだ」


 姿を隠しているとはいえ、鉢合わせは気分が良いものではない。十一階に戻った二人は階上の一団がどこへ向かうのか見届けてからより遠い部屋から逃げ出そうと頷き合う。

 階段から人が来るのは分かっているのでアルクゥは左右に広がる廊下に注意していた。すると唐突にマニが「クソ女」と呟く。言葉の先に視線を遣る間もなくマニは叫ぶ。


「走れ! 見えてる!」


 腕を掴まれて引きずられるように走り出したアルクゥは、それを振り返り衝動的に立ち止まった。

 そこにいたのは黒を纏う何かだ。紫の瞳に艶やかな黒髪。いかにも魔女と言う服装をした何か。


「――見ぃつけた」


 粘ついた痰が絡んだような声が人の言葉で何かを話している、と思った。同時にあの汚物をこの世から排除しなければとも。

 ふと我に返ったとき、アルクゥはマニに担がれて移動していた。


「私は……」

「捕まる寸前だ馬鹿! 気持ちは分からんでもないが俺だってあの状況で殴りかかりゃしねぇよ! お前ってほんと好戦的だな!」


 違う、と訴えかけようとして思い直す。説明している暇はない。

 階段から一番遠い部屋に転がり込んだマニはアルクゥを落として幽世を出る。扉を閉めて内鍵をかけ、大きな議会机で塞いだ。その瞬間、扉が揺れる。脱出の間もなく破られた。

 大勢の敵が雪崩れ込んでくる。幽世に、とマニの手を取るも無駄だと返答がある。


「糸が付いてる奴ァあの女の手下だ。そしてあの女には俺らが見えている」

「それを最初に……あのタイミングだと知っていても同じか」

「すまん。馬鹿は俺だ」

「マニは私の後ろに。全員殺します」


 マニはぎょっと目を剥く。


「そりゃあ……お前、たしかに、そうすべきかもしれねぇけど、でもこいつらは操られて……」


 尻すぼみに消える言葉に舌打ちしたアルクゥは窓を壊す程度、相手に気取られないほんの小さな炎を練り上げ始める。

 窓際に二人を追い詰めた騎士たちは一定の距離を保ったまま、気味が悪い程に統率のとれた動きで二つに割れた。


「これは思わぬ獲物が釣れたようだね」


 その中央からゆったりとした歩みでガルドに似た声を発す不快なものが近付いてくる。再び抗うことの難しい破壊衝動が湧くのを感じたアルクゥは咄嗟に顔を伏せて目視を避けた。


「そこの小僧を泳がせておいたのが良かったのかね。このワタシが下等な人間のために動いてやるのは癪だったから、わざと捕まえないでいて欲しい奴らに探させていたのだけれど。ああ、本当に良いものが転がり込んだ。英雄殿……金の生る木だ」

「自分が神とでも思っているのですか」

「さあ? 神とまではいかずとも、この通りワタシは摂理の壁を越えている。もはやこの美しい世界はお前たちだけの特権ではないのだよ」


 アルクゥは口元に嘲笑を浮かべる。


「こちらは権利を主張した覚えもない。でも劣等感が払拭できて嬉しいのはよく理解できますよ」

「口には気を付けたまえ。ワタシはここに立っているだけでお前たちをどうとでもできるのだよ」


 酷く気分を害した様子からしてあながち間違っていない指摘だったのだろう。嗜虐的な欲求を飲み込みアルクゥは尋ねた。


「ところで――本物のガルドさんはどこに?」


 半ば確信があった。これはガルドの姿をした別物であると。

 すると不機嫌さは打って変わり、今度は心底愉快そうな笑い声が上がる。


「このワタシこそがヒルデガルドに決まってる。顔も体も、記憶さえも。ワタシはワタシでしかありえないさ。証明代わりに、キミと初めて出会った時の話でもしてみようか?」

「唯一決定的に性格が違うようですね」

「――私は! この女よりも優れている! だからこうしてコイツの全てを奪えたのだ! 権力も金も人も技術も何もかもを!」


 前触れなく火薬に火を点けたような爆発だった。

 騎士が一斉に襲い掛かってくる。マニを後ろに押し遣りながら手の中に溜めていた不完全な炎を窓に叩き付ける。一瞬で溶けた窓だった場所からマニを落とした時点で、アルクゥは片腕を捕らわれていた。

 掴みが甘かったお陰でどうにか振り払えたが、爪が皮膚を裂いて血が飛ぶ。痛みに気を取られる間もなく次から次へと掴みかかってくる手は、容赦なく髪を引き千切り、床に引き倒し潰すことも厭わず押さえ付ける。

 半死半生で小さな血だまりに顔を埋めたとき一方的な制圧は終わった。騎士は数人を残してアルクゥから離れる。その何人かが蒼白な顔で血の付いた手とアルクゥを見比べるのをぼやけた左の視野が捉えた。

 そこにガルドを乗っ取った何かが割り込む。怪我の功名とでも言うべきか、今度は衝動を抑えてそれを見ることに成功した。

 ガルドの肉体にほぼ重なっている黒い影。死霊とは違うようだ。強く浅ましい一つの自我を持つ、死霊以下の汚らわしい何かだ。


「乗っ取ったのか」

「おやおや大した打たれ強さだ。いや、軍部の拷問にも屈さないのであればこれくらいは当然かな」

「よくご存じで」


 そうすべきだという確信がアルクゥを動かした。ニヤニヤと厭らしい笑みで覗き込んでくる顔にすすった己の血を吐き掛ける。笑みは固まり、そして。


「ぎ、ああああ!」


 たった数滴、飛び散った血にも幽世の中では大量の光が混じっていたことだろう。幽世において自我を持つものに対しての毒は確実にそれを蝕んだ。それは苦痛の声を上げてのた打ち回る。

 アルクゥは無意識のうちに笑っていた。これほど可笑しいことはないと肺を引き攣らせながら。


「たったそれだけで、その程度で」

「黙れえええ!」

「人に寄生した存在が随分と偉そうにしますね。獅子の皮を被ったロバの方がお前よりよほど賢い。化物め。必ず殺してあげます」


 それはよたよたと覚束ない足取りで騎士から剣を取り上げ振り上げる。剣は激しく震え、振り下ろした先は見当違いな場所だった。床を噛む重い金属音が滑稽だ。

 再度アルクゥを殺そうと剣を掲げたそれは、駆け込んだ身なり良い男に怒鳴られて動きを止める。


「何をしている! 話が違うだろう!」

「……目障りだ。連れて行きたまえ。そんな女は、欲しい奴に、くれてやる」


 恐れをなして逃げ出す背中に剣を突き立てられたのならどれほど心地が良いだろうか。焦りも恐怖も痛みもなく、ガルドの皮を被った化物が消えるまでアルクゥの頭にあるのはそれだけだった。



 

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