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精霊のシジル  作者: 染料
一章
8/135

第七話 行き止まり


 ティアマト王国、南東部寄りに位置する港キュール。


 最東端に位置する港ワガノワに次ぐ、国内で二番目の規模を持つ港湾都市だ。

 工業の国ムーサとの交易が主になっているが、最近ではグリトニル側の商人も好んで訪れる。目的は交流の少ないムーサの商人と商品で、日夜新しい取引を持ち掛けたりと忙しい。

 ティアマトとの関係が悪化の一途を辿る昨今、グリトニルの商人はムーサだけではなく閉鎖的な傾向のアマツや周辺小国にもアプローチをかけるのに余念がない。逆もまた然りで、ティアマトの商人も同じように精力的に行動していた。


 入口に立ったアルクゥは手の痛みも疲れも、数時間前の惨劇すらも忘れて立ちすくむ。それほどに街は活気と喧騒に溢れて賑やかだった。


 まるでエルザの街にいるようだ。

 誰も彼もが真っ直ぐ前を見据えピンと背筋を伸ばして歩き、表情は明るく活力に満ちている。

 石畳の道に一歩踏み出せばアルクゥも街の一部になる。

 人の勢いに圧され小さくなりながら進んでいく最中、四方から威勢の良い宣伝文句が飛んでくる。

 海の方向に進むと群れた海鳥の鳴き声が聞こえた。導かれるように足を動かすと、唐突に目の前が開けた。

 強い海風が吹き渡り髪を乱す。

 深い藍色の海に何艘も浮かぶ大小様々な船。遠くに目を遣ると大海ユーリアに向かう船影が見える。もしずっと東に舵を取るならば、目的地はグリトニルだ。


 ようやく辿り着いたのだ。


 アルクゥは船影から目線を断ち切り、気を引き締めて埠頭から離れる。グリトニルに行く商人を見繕って乗船の交渉をしなければならない。交渉といっても商人かれら商人かれらたる理由はその商売根性にあるので、下手なことをしない限りは料金を払えば簡単に乗せてくれるだろう。


 船から荷を運ぶ船乗り達の流れについていくと、大きな四角の建物が見えてきた。

 街並みに比べて武骨なその建物は荷分け場だろう。入口付近に商人風の男や女が寄り集まって会話している。浅黒い肌が特徴的なムーサの商人も多い。

 アルクゥは集団には声を掛けず、二人か一人でいる商人を探す。少数の方が万が一の時に逃げ出しやすい。

 しばらく遠巻きに商人たちを眺めていると、入口から憤慨した様子の男が出てきた。後ろから追いかける女が宥めるように笑みを向けているが、憤懣ふんまんやるかたないと言ったふうで足取りが荒い。

 初めは気にも留めなかったアルクゥだが、集団や個人だけを見ず全体を纏まりとして見ると浮ついて落ち着きがない。先ほどの男のように怒っている商人も幾人かうかがえる。


 何があったのだろうか。


 アルクゥは虎に近づくような慎重さで最初の男女の商人に声を掛けた。


「あの、少しよろしいでしょうか?」

「取り込み中だ! よろしくねぇから他をあたれ!」


 噛み付くように言って男は振り返る。

 アルクゥを見下ろす視線は苛立ちに渇いていたが、次いだ言葉は幾分か穏やかだった。


「あー……何の用かな?」

「グリトニルへ行く船を探しているのですが……あの、何かあったのでしょうか?」


 するとどういう意味か男は傍の女と顔を見合わせ、大きく溜息を吐いた。男は頭をガリガリと掻いて首を振り、女は同情的な表情をアルクゥに向けている。


「俺たちはグリトニルに発つ予定、だったんだがな。二日前からグリトニル行きの船には出港を自粛するように要請されている。海路に巨大な海蛇が出たとかで、馬鹿でかい軍船が巡航中だ」


 そんな、と愕然とするアルクゥに追い打ちが入る。


「これが何ともキナ臭ぇ話でな。禁止はしないという体裁だが、如何なる理由・・・・・・で船が沈んでも国は一切責任を負わないって脅しじみた通達も出ている。例え軍船の攻撃で沈んでも、だ。実質グリトニルへ行くなという命令だろう。いよいよ戦争が始まるかもしれん」

「ねえあんた。憶測で語るのは止した方が」


 心配する様子の女に男は首を振る。


「事実、軍船はグリトニルの領海ぎりぎりまで行ったらしい。用心するに越したことはない。お嬢さん。キミはグリトニルに行きたいようだが、情勢が安定するまで諦めた方が良い。商人と言えど命まで取引はできんからな。船を出す者はいないだろう」


 男はそう言って黙り込む。

 女は呆然とするアルクゥを可哀想に思ったのか、励ますように付け足した。


「本当に魔物云々なら、数日待てばもしかすると解除されるかもしれない。その時は乗せてあげるから、またここにおいでなさいね」


 アルクゥは返事をせず、ふらふらと力ない足取りでその場を離れていく。「ちょっと、大丈夫?」という女の焦り声も耳には届かず、塞がれた帰路にひたすら愕然とするしかなかった。


 港に着けば帰れたも同然。そう考えていた。甘かった。

 ようやく帰れると喜んだ矢先の絶望は、慣れない旅や出来事の連続で疲弊したアルクゥを叩きのめした。

 しばらく街を亡者のように彷徨い歩き、その間帰る方法を考えてはみたが、魔物や魔術など非現実的な手段しか思いつかない。アルクゥは自粛が解除されるという細い糸のような希望に縋ることしか出来ない。


 失意に沈みながら逗留する宿を探す。


 どれくらいの日数が掛かるか分からないので料金を見て回って一番安かった宿に決めたが、それでも前の街で泊まった宿より高い。

 一泊分の銅貨八枚を払い二階の部屋に通される。アルクゥの自室に六つは綺麗に収まりそうな小さな部屋だが、清潔な内装で簡易な浴室も付いていた。

 浴室で服と手に巻いていたハンカチを洗い、身を清めた。乾かす間、替えの衣服が無いのでシーツに包まり眠りを貪った。


 目を覚ましたのは翌日の昼に近い頃だ。

 慌てて着替えてから昨日の建物に向かい、出てきた商人を捕まえて自粛は解けたか尋ねる。返ってきたのは解けていないという素っ気無い一言で、アルクゥはまた落胆した。

 宿屋に戻り、もう一泊する旨を丸顔の主人に伝え、同じ部屋に泊まる。明日には出港できるようになっているかもしれない、と淡い期待を抱いて。


 そんな規則的な生活を四日繰り返したとき、衛士に一度だけ呼び止められたことがあった。

 家出した貴族の娘の件、ではなく魔獣を殺した魔術師と姿形が似ていたからという理由だ。魔術師には領主から褒賞が出るという。金銭が心もとないので名乗り出ようかと迷ったが、危険なので人違いだと断った。


「そうかぁ。だよなあ。こんな娘さんが、グリフォンなんて恐ろしい魔物を倒せるわけないもんな。にしても魔術師サマはさあ、ついでに盗賊も退治してくれたらよかったのに」

「こら! 迂闊な発言は衛士として不適切だ! 慎め!」

「はいはい。じゃあ、呼び止めて悪かったね娘さん」


 二人組の衛士はやる気のない足取りで去っていったが、アルクゥはその場に立ち竦んで思い出したくない記憶を脳裏に浮かべる。


「何で、もっと早く、殺してくれなかったのか」


 青年が別れ際に叫んだ重い言葉だ。

 グリフォンが殺せるなら盗賊も殺せた、なぜもったいぶって魔術を使わなかったのか。

 糾弾されたアルクゥは「使えるとは知らなかった」と言い訳して逃げたが、簡単に言うなと怒鳴り返したかった。盗賊は人だ。魔物ではない。

 しかし、心のどこかで別の声が言うのだ。

 あんな力を使えると知っていたなら、さっさと殺していたのに、と。抵抗しなければ危害を加えられる。悪意を前もって排除して何が悪いのか。

 実際に罪のない青年の父親と老婆は殺され、グリフォンが来なければアルクゥも今頃酷い目に合っていただろう。

 殺すべきか否か。

 今後、迷わねばならないときが来るかもしれない。


「ごめんなさい」


 人にぶつかり、体格差に圧されて倒れこみ思考は中断される。

 謝りながら手の平の痛みに顔を顰めていると、眼前に手が差し出された。反射で手を取った後に、ぶつかった誰かを確認しようと顔を上げる。


「こちらこそ申し訳ありません。お怪我はありませんか?」


 人間が持っている筈の色彩が欠けたような男だ。アルクゥはそう思った。

 白に近い銀色の髪に、血が通っているのか疑わしい白い肌。唯一色を持った瞳も極薄い琥珀色だ。笑みを湛えた口元は柔和で、整った顔をしているが嘘くさい。


「……大丈夫です。ありがとうございます」


 アルクゥは聞き覚えがあるような声に記憶を探りつつ、手を借りて立ち上がった。

 間近だと首を反らさなければならない身長差がある。

 男は気付いたように一歩下がり、アルクゥは首を楽にした。

 その時点で男の服装が目についた。

 黒一色。

 祭服のように見える。所々刺繍されている模様は魔術に携わる者の証だ。

 ――聖職者だ。


「失礼ですが、どこかでお会いしました?」

「え?」


 突然の質問に狼狽するアルクゥに、男は笑い含みに言う。


「いえ、穴が開く程に見つめるものですから、もしかしたらと思いまして」

「それは、失礼致しました」

「構いませんよ。お気になさらず」


 鼓膜を心地よく震わせる低い声は丁寧な言葉を紡ぐが、しかしどこか人を馬鹿にしているように感じられる。

 この慇懃無礼な口振りは確実にどこかで耳にしたことがある。アルクゥは直感に従って一歩下がり、身を翻した。正体はわからなかったが、そうすべきだと本能が告げていた。


「実は私の方こそ貴女に覚えがありまして」


 手に激痛が走った。怪我をしている手を掴まれたのだ。

 アルクゥは小さく悲鳴を上げて男を振り返る。痛みと共に思い出した。この声は、サタナと呼ばれていた司祭のものだ。

 サタナ司祭はアルクゥを覗き込むように体を軽く曲げる。


「なるほど。情報に不備があったようですね」

「い、一体何を、あなたは誰で……仰っているのか」

「仮にも兵一人を屠ったお方が、そんなに脅えることはないでしょう」


 罪の糾弾に思えて大きく震える。

 それを見たサタナは「おや?」とでも言うように首を傾げ、合点したのか笑みを深めた。


「もしかして事故でも起きましたか? まあ人一人殺したという事実は決して消えませんが、こちら側に全面的な非がありますので殺害については気にしていませんよ」

「わ……私を、どうなさるおつもりですか」

「飲み込みが早くてよろしい。私と一緒に来ていただきます」

「答えになっておりません!」


 食い下がるが、それについてサタナは答えず話題を変えた。


「この傷は?」

「痛……離して、ください!」

「魔物に? ああ、まずはお礼を。グリフォン討伐は大変助かりました。近隣への被害が最小ですんだ。その上、貴女の生存と居場所を教えてくれました。魔獣を倒した魔術師の特徴は、瞳の色以外貴女と合致しましたから」

「離してください!」


 傷に巻いたハンカチに血が滲んだ。傷が開いたのだ。しかしサタナは一切力を弱めようとはせず、何がおかしいのか笑ったままだ。本当に聖職者なのか疑わしい所業と、それに伴わない表情が怖い。

 アルクゥは助けを求めようと周囲を見るが、通りを行く人々は意味ありげな視線を投げるだけで我関せずと言ったふうに通り過ぎて行ってしまう。


「さて、どこに連れて行くのが一番良いのか……」


 低く呟かれた言葉は本気で考えあぐねている様子だった。

 痛みと恐怖で視界が滲んでぼやける。ハンカチの半分以上が赤くなったとき、堪らず叫んだ。


「放して! ――触らないで!」


 カッと頭が熱くなった。

 するとサタナは弾かれたように手を離して一、二歩距離を空ける。その手は火傷したように赤くなっていた。

 アルクゥは咄嗟に踵を返して人の波に飛び込んだ。人を掻き分けて一歩でも遠く司祭から離れようと走る。

 逃亡の最中、背後で「気落ちするなよ聖職者様!」と呑気に囃し立てる声が聞こえた。アルクゥはサタナの視界から完全に逃れた事を確信し、息を切らして宿屋に駆け込んだ。


 壁を背にして呼吸を整え、数日留まって嗅ぎ慣れた空気を思い切り吸い込むと、頭が危機を脱したと判じて鼓動が静まっていく。

 完全に落ち着いたところで思案する。

 ――キュールから離れるべきか。

 唯一にして最大の問題だ。

 離れるとするなら行く先はどこか別の港になる。しかしここキュールのようにグリトニルに渡れない可能性が大きい。必要な金銭と道中の危険を考えれば他の港に行っても損だ。この街から無事に出られるかも怪しい。

 一方で、キュールに留まるにしても捕まる危険が付き纏う。

 次に衛士から呼び止められた時は覚悟しなければならない。

 八方が壁で塞がって身動きが取れない。

 アルクゥは頭を振って一歩踏み出す。何をするにしても準備がいる。今日は宿屋に隠れているしかない。

 宿代を払いに行こうと数歩進み――アルクゥは壁に手を突いた。視界が歪んで足元がぐらついたのだ。上下左右に拡散した視界は、しばらくすると元の形に集束する。

 体が鉛のように重い。

 唐突な不調に戸惑いながら何とか宿屋の主人のところまで行き、今日の分だと銅貨を差し出す。訝しげに受け取った主人は次の瞬間に目を丸くして悲鳴を上げた。


「て、手が! た……大変、一体どうしたんだねそれは? 血が……」


 あまりの大声に、テーブルに着く客の殆どが振り返ってしまった。

 宿屋は一階部分が食事する場所になっているのだ。

 主人に構わず階段に向かうと視線の殆どは外れたが、一段目に足をかけたときふと見ると、目付きが悪い青年が鋭く睨むようにアルクゥを見ていた。


 ぞっとして急いで客室に入り込む。

 ドアの施錠を確認するとドッと疲れが湧いて、その場に座り込んだ。

 のろのろと左手を掲げて傷を確認する。

 ハンカチは真っ赤に染まっている。傷を負った時より酷く見える出血だが痛みはない。麻痺しているようで動かしても感触がない。 

 順調に治っているように思えたのに、あの司祭のせいで黴菌でも入ったか。


 壁に縋っても立ち上がろうとして、ストンと床に腰を下ろす。こんなにも急速に悪くなるなどあり得るのだろうか。

 おかしい。

 アルクゥは異変に気付いてハンカチを解き傷を見る。目を凝らすとぱっくり裂けて血を流し続ける傷口の周囲に違和感があった。そこだけ空気が歪んでいた。夏の地面から立ち上る陽炎に似ている。

 司祭の衣服には、魔術師の紋様があった。

 魔術か、とアルクゥは唇を噛んで文字通りに這って進みベッドによじ登る。

 仰向けになるのも一苦労で意識が保てるのはあと僅かだろう。


 左手を握り込むと、歪んだ空気に触れた感触がある。

 その歪みを潰すつもりで魔力を送った。術の解き方など知らない。これしか方法が思い付かない。

 歪みからは押し返すような抵抗があり、額から裂けるような頭痛が襲ってきた。声にならない悲鳴を上げる。それでも引かず、傷に爪を立てながら苦痛に耐える。


 その戦いはガラスを割ったような音を立てて終結した。


 引波よりも早く消えて行った痛みに安堵し意識が薄れていく。休息を必要とする体は勝手に睡魔を呼び込む。眠りに落ちる直前、ドアが激しく叩かれる音を聞いた。必死に起きようとしたが抵抗は敵わず、瞼は勝手に閉じていくのだった。


 

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