第七十七話 鳥頭失踪事件
北区、とある騎士団詰所の一室。
差し込む陽光に薄らと埃が舞う。倦怠感の誘う静寂が満ちる中、主だった面々は言葉を発さずに報告を待っていた。
ともすれば深刻な反目の最中にも見える光景を、部屋の中央に湧き出た一つの歪みが打ち破る。そこから飛び出してきたマニは今しがた水中から帰ったかのように息を荒げながら床に突っ伏した。
マニは助け起こそうと一歩踏み出したヴァルフを制しガラガラに掠れた声を絞り出す。
「糸だ」
「糸?」
マニは勢いを付けて体勢を仰向けに変える。幾分か回復したのかざらつきのない声で説明を注ぎ足した。
「頭とか腕から糸が伸びてんだよ。こうやって」
「操り人形のような?」
「それだそれ。んで、付いてない奴が触ったらこう、粘ついて」
「伝染する、と」
「そうそう」
妙な動きにサタナが注釈を挟むと、マニは我が意を得たりと大の字に転がったまま頷き、「中々やるじゃねぇか腐れ聖職者」と貶すことも忘れない。サタナは当然それを黙殺した。
「糸、糸ですか。特徴だけなら傀儡術式ですが、やはり魔術とは非なるものなのでしょうね」
「ヤクシ殿の眼にも映りませぬしなあ。にしても、ヒトを操るなど憲章違反だ。糸の主殿はこの調査に気付いておられるでしょうかのう。一応はジャヒル殿の名を借りた死霊調査ではありますが」
「操られた人間には記憶の空白がある。精神に干渉できるのならば事態を察しているでしょう。今はまだ動きはないようですが警戒は怠らない方が良い」
「不意を打たれでもすれば拙は死にますな。エルイトに倣えば安泰でしたかの」
騎士たちの待機する隣室の方向を見遣り老クルニクは独りごちた。それに対してマニが怪訝そうに目を細める。
「――糸ならぶっちぎったが、それでも駄目なのかよ」
沈黙の後、クルニクがホクホクとした顔で笑い始める。我に返ったヴァルフはマニに意味を問い直した。
「ちぎった?」
「おう。こうやってブチッと。簡単に切れたぜ」
ヴァルフの鸚鵡返しに対しマニは事もなげに身振りでやり方を実演し、呆気として集まる視線に純朴な疑問符を浮かべる。
予想だにしない展開に、ここでようやくヴァルフはマニがアルクゥと同種の、突拍子もなくこちらの想像を超えることを仕出かす人間だと気付く。早くも重大な懸念事項が一つ消えた。思わず口から笑いがこぼれる。
しかしながら触れると伝染すると分かっての行動と見れば短慮であり、褒めるか説教か逡巡した末にヴァルフはマニの頭を掴み指に力を込めた。
「でかした。が、お前が操られたら元も子もねぇだろ。もっと考えて行動しろ」
「いたたたた潰れるだろクソ家主! 離せボケェ! 俺は大丈夫なんだよ! 魔力が強い奴に糸はくっつかねぇんだからな!」
「どういうことだ?」
新しい情報に手を離す。マニは床を転げて距離を取り起き上がり、恨みがましい涙目で頭が割れていないか確認しながら言う。
「意味はそのままだぜ。派手に光ってる奴の糸は細いか、付いてもすぐ溶けるかだ」
「光る?」
「あー……つまり魔力の多い奴ってこった。俺にあんまりあちら側のことは聞くんじゃねェ。全部アルクゥから教わっただけだし、アルクゥもそれが正しいのかは保証しないって言ってたしなァ。んで、次は何すりゃいいんだ?」
そう言って立ち上がったマニは不意の違和感を探すように視線を一周させた。
「エルイトと魔眼野郎がいねぇな。別行動か?」
「ヤクシは監視に付いています」
「誰の?」
「魔女のです。中央塔から動けば双子石で連絡が入るようになっています。簡単なやり取りしかできませんが充分でしょう。エルイトはゴーレムを手掛かりに残して行方不明です。生きてはいるようなのでまあ大丈夫かと」
「行方不明って……おいおいお前ら、危ねぇことしてんのな。事件の調査じゃなかったのか?」
マニはちらりとヴァルフに非難の目を向ける。アルクゥを心情を慮った無言の諫言であることは明らかで、ヴァルフは後ろめたい気分になり目を逸らした。
その応酬を気にもかけずにサタナは次を口にする。
「次は術者を探してください」
「あー、構わねぇけど、どうすんだ」
「糸の先にいるでしょう。ああ、全部切ってしまったと言いましたか? これでは手の打ちようがない。困りましたねえ」
「え、おい……」
わざとらしい悲観を見せるサタナにマニはギクリと肩を揺らし誤魔化す笑みを浮かべる。
「だってよ、あんなの付いてちゃ可哀想だろ。それに俺がアチラに潜れる時間は湯を沸かす時間より短ぇよ。糸を辿るなんざ無理。あ、そうだ。方角はちゃんと覚えてるぜ!」
「あちらでしょう」
「あァ? ……なあ、お前も実は見えてんじゃねぇのか?」
サタナが指差した方向は南。すなわち中央方面を示していることになる。手柄を横取りされた風にぶすっと膨れるマニにサタナは苦笑した。
「当て推量ですよ。お疲れのところ申し訳ありませんが、中央塔が糸の先か確認して来て下さい」
「テメェ俺が全部ちぎって手の打ちようがねぇって言ったろ」
「嘘です。隣室に集められた人間が全てではないでしょう。接触感染するなら少なくともあの五倍は見積もってもいい」
「うへぇマジかよ。じゃあ中央塔とやらに確認に行きゃいいんだな? そう言うことでいいか家主」
マニはあくまでヴァルフの言葉で動く気でいる。
ヴァルフは即答をせずに考えを巡らせる。
幽世から出てきたときのマニは予想以上に疲労の色が濃かった。同居人をアルクゥの二の舞にさせるつもりはないヴァルフは、時間を空けた方がいいのではないかと慎重な意見を出すが、当人はからからと笑う。
「大丈夫だって。慣れなきゃいいってアルクゥも言ってたしな。それに俺様以外に適任はいねぇだろ?」
「……悪いな」
「悪かねぇよ」
マニは好戦的な表情で肩をぐるぐると回してやる気を見せた。
その後、悪目立ちするサタナたちを置き去りにして、ヴァルフとマニは連れ立って中央塔近くまで赴く。そしてサタナの推量が概ね正解であったという確信を得ることとなった。方々から伸びた無数の糸が中央塔に集っていたのだ。
それがサタナの疑うガルドの手元にあるのか、それとも中央塔に巣食う別の何かに繋がっているのかは分からない。何にしても大都市の盟主が黒か白かを判別する必要があるとヴァルフたちは意見を一致させる。
対面して不審に切り込む傍ら、万が一の可能性を考えマニにガルドの様子を見せる。
最悪、後者だけでも物陰から密かに行うつもりであったが、そんなヴァルフたちの思考を鋭い嗅覚で嗅ぎ取ったかのように、その日以降街で魔女の目撃は途絶える。サタナたちの面会要請は全て拒否され、国からの圧力は微々たる効果すら発揮していない。非協力的な態度に改善の兆しが見えなければ監査員が中央塔に常駐しデネブの行政に一々口を出すことになるにも関わらず、不自然なほどに動きはなかった。
時間と共に状況が悪化の一途を辿ることは明白である。
動くに動けないでいたヴァルフは一計を案じ、デネブに持っている魔術師の人脈にヴァルフの妹分が会いたがっている人間がいると流す。それにより、ガルドに最も近しい人間を呼び寄せることに成功したのだった。
□□□□□□□□□□
拠点の客間に足を踏み入れた色白の女は、その一歩目で自身が置かれた状況を悟ったようだった。
騙された。してやられた。顔に過ぎった苦い表情がそう言っている。
「あの子が私に会いたって言っていると聞いたからこんな所にまで来てやったのに、何なのかしらこれは。不愉快よ。帰らせていただくわ」
「悪いがパルマ、帰ってもらっちゃ困る」
自負心と対抗意識の強すぎる魔女の弟子パルマケイアはアルクゥの不在に憤り踵を返す。既に退路を阻んだヴァルフを見て微かに怯んだ様子だったが、次の瞬間烈火のごとく怒り出した。
「ふっ……ざけないで! ――凍りなさい!」
だがパルマの魔術よりヴァルフの牽制の方が速い。
冷気はヴァルフの指先を焼くに留まり、逆にヴァルフの白刃はパルマの喉元に浅く触れて赤い線を作っている。
パルマは血が出そうなくらいに唇を噛み締めながらも負けを知って魔力を収める。ヴァルフも肩を竦めて剣を引いた。
「冷静になったか?」
「糞だわ貴方」
女はしばらく目を閉じて自己の怒りと戦い、やがて静かに瞼を上げた。まるで別人のように理知的な顔が成り行きを見守っていた面々を見回した。
「私に何の用かしら」
妥協の姿勢を見せたことで緊迫していた空気が幾らか緩む。パルマはその様子が気に食わないとばかりに鼻を鳴らした。ガルドへの面会という要件を告げると、値踏む視線を一人一人に巡らせていく。
「失脚した聖職者に、魔眼の男、老人に、大男。頭の軽そうな魔術師はどこへ行ったのかしら? どうでもいいけれど、とっても色物揃いな組み合わせよね。王都の人材難も深刻なようでお気の毒だわ。
――それに、ヴァルフ貴方ね。いつから余計な嘴を突っ込むような男になったのかしら」
「俺を語るほどお前は俺と親しかったか?」
純粋な疑問だったがパルマにとっては違ったようだ。怒りで耳を赤く染め上げ絶対零度の視線でヴァルフを突き刺す。彼女の取り巻きのように怖がってやるような可愛げはないが、このまま会話を続けて機嫌を底まで下降させることは避けたい。
「なぜあなた達みたいな人を私の大切な師に会わせなくてはならないの? 私に言ってくるということは、師は会うことを拒否されているのでしょう? 私は師の意思を尊重するわ」
「その意思とやらが他人のものである可能性があります」
そうして口を挟んだサタナにパルマは過剰な反応を見せた。
「どんな根拠があってそんな下らない妄言を吐いているのか教えて欲しいわね。想像力が豊かなのは構わないけれど、押し付けられる側はとても迷惑なの。わかる?」
「さあ。貴女こそわかっているのでは?」
「何をよ」
「では貴女のお師匠様の奇妙な行動や言動について一つ一つ教えて差し上げましょうか。まずは」
パルマは一つも聞かずに怒鳴り声を上げた。
「馬っ鹿馬鹿しい! 有り得ないわ、いい加減にしなさい。王都の調査員風情が、デネブの統治者に対して無礼なっ……身の程をわきまえたらどうなの!」
「叫ばなくとも聞こえていますよ」
パルマは色白の頬に朱を昇らせる。同時に室内の気温が大幅に下がり、調度品を凍らされては堪らないとヴァルフは緩衝材に回る。
「パルマ、止めろ」
「何で私が、貴方なんかに命令されなければならないのかしら。私のことを騙して呼び寄せた挙句、お師匠様を侮辱されるなんて、こんな屈辱初めてだわ!」
聞く耳を持たないパルマにヴァルフは重く溜息を吐き低く警告する。
「命令じゃねぇよ。単なる助言だ。感情的に動いて俺の妹分に何したか忘れてねぇだろ。今お前が五体満足でいられるのはアイツが無事帰って来たからだってことを肝に銘じといた方が良いんじゃないのか」
パルマは面喰ったように押し黙る。アルクゥの件に関してはパルマなりに非を感じていたのだろう。決して会わせはしなかったが、不安げな顔で拠点付近をうろついていたこともある。
サタナは「怖い怖い」と茶化してから口の端を吊り上げ、ようやく話を本筋に戻した。
「さて、ふざけるのは止めましょう。どう転ぶかによっては、貴女の師を侮辱するだけでは済まなくなります」
「どういう意味かしら」
「魔女の対応は、本心からのものならば非常に問題です。私は彼女が損得勘定を大層得意としていることを知っている。デネブに利益があると判断すれば長年の知人すら売るような人間だ。国家の敵に腹を見せることも厭わないでしょう。捨て置けない問題です」
「また侮辱を……!」
「ラジエルと密かな蜜月を育んでいる点だけでも国としては黒に近い灰色だ。それに今回の不自然な事件。さすがに見逃してあげられませんねえ」
「不自然? お師匠様だって襲われたわ!」
「実害は都合の良く記憶の欠落くらいでしょう」
緩衝材空しく室内温度は刻々と下がっていく。
ヴァルフに向けたものの比ではない冷たい魔力が、何が何でもサタナを凍てつかせようと殺意を募らせている。
「私の師を、犯罪者扱いするのかしら?」
「我々としても心苦しいのですよ。ガルド様とは是非とも良好な関係を築いていきたいと考えていますからね。その為には貴女の協力が必要になってくる」
「間者のまねごとをしろと言うの? この私に、師の腹を探れと?」
サタナは首を横に振って柔和な笑みを作る。
「いいえ、先程も言いましたが、会わせてくださるだけで結構ですよ。厳しく追及などしません。痛い腹のようですから、優しく探って差し上げましょう。過去のことなど不問に処します。万が一、敵に与していたとしても改心の上で情報全てを開示するのであれば罪は目こぼし致します。それで全てが元通りだ」
悪い話ではないでしょう? と鳥肌の立つような優しげな声にヴァルフは顔をしかめる。嫌な言い方だ。
パルマの反応を窺うと、顔を俯かせて酷く不機嫌そうな表情だったが、見方を変えれば寄り辺を失くして不安に泣きだす子供のようにも見える。
「私だって……いつでも会えるというわけじゃない。この一週間で二度しか会っていないわ。隠れ家にだって帰ってこないもの」
「お忙しいのでしょう」
サタナはわざと的外れなことを言った様子だった。パルマはまんまと引っ掛かりその間違いに反目する。
「違う! いくら忙しくても、今までは私の為に時間を割いてくれたもの。けれど、今は……まるで私の存在なんてどうでもいいというように、気にかける素振りだってない。
――そうね。いいわ。今からお師匠様に会わせてあげる。ただし、一人だけ。それに顔をよく知られていない人がいいわ。でないと中央塔に入ることもできないから」
パルマは挑むように周囲を睥睨して首に掛けていたカードを胸元から取り出す。
「許可証二枚ね。用意がいいな」
「……本当は貴方の妹弟子を連れて来いと言われたのよ。私が会いに行くと知った師匠が」
「何だと?」
「ああ、もう、殺気立たないでくれないかしら。器の小さい男ね。お茶に誘ってこいって意味よ。前に約束したからって。安全はとりあえず補償してあげる。それで誰が行くの?」
顔を覚えられていない人間はエルイト、ディクス、クルニク、マニの四人。エルイトは依然として行方が分からないので除外する。残り三人。
否――こうして考えなくとも誰が行くべきかヴァルフは知っている。
だが危険過ぎる。パルマは約束を守る女だが敵地においてどこまで信じられるかも怪しい。
「俺だな」
「マニ、お前はいい」
マニはひょっこりと扉口から顔を出して志願する。やや疲れが見えるのはパルマに糸が付いていないか確かめた為だ。
パルマは不快気な視線を隠さず唐突に現れた第三者を指差す。
「貴方、誰よ」
「あァん? 命の恩人に薄情な女だなテメー」
「はあ? 命の恩人? 誰が誰の?」
「いいから俺を連れてけよ。アルクゥの弟分とか言えばいい。それでいいだろ」
嫌な予感を胸に抱えたまま、マニ自身に押し切られる形でマニの中央塔行きは決定する。ヴァルフはパルマにいくつかの約束を頷かせ、中央塔の下でマニの帰りを待つことにした。
結果を言うならば、いくら待ってもマニは帰らなかった。
陽が傾くまで待っていたヴァルフは騎士団長の率いる分隊に取り囲まれる。友人が複雑な面持ちで述べた罪状はデネブに対する政治的暴力。
全く身に覚えがないと返すヴァルフにラヴィはもちろん信じていると頷いた。何かの間違いだとは知っている。自分がどうにかしてみせる、と。
ヴァルフはあくどい笑みを浮かべて――表向きにはよく人懐こいと称される笑みを作り、友人の顔面に八つ当たり気味に靴裏をめり込ませつつ、周囲を手早く片付けてから逃走する。やはりあのクソ婆は始末しておくべきだったと後悔しながら。




