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精霊のシジル  作者: 染料
五章
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第七十六話 繰られる者


 この状況に至った経緯を無駄の欠片もない口数で説明した後、それきりヤクシは喋らなくなった。

 青白い月光に照らされた顔には深い死の陰が落ちている。

 いかにも死体然とした人間を前にしたヴァルフはガシガシと頭を乱暴に掻く。浅く起伏する胸元から生存を確認し、腹部を庇うようにしている腕を除け傷口に手を翳した。得意ではない治癒の術式でも止血くらいにはなるだろうという算段だ。

 腹部には二つ大きな血の広がりがあった。どちらとも刺傷、特に片方は刺し込まれた瞬間に捩じられでもしたのか歪な形をしている。そちらを優先して治しながら、もう片手では近くに転がっている騎士の袖を引き千切って拝借しもう一方の傷に押し当てた。

 何とか溢れる血を止めヤクシを死の淵から引き摺り出した頃、集中を切らした瞬間どっと流れてきた汗を拭うヴァルフの耳に足音が届く。現れたのは顔見知りの騎士だった。

 路地裏の有様を見て動揺を露わにしながらも任務を優先して口を開く。


「隊長からヴァルフさんへの伝言です。ジャヒル殿を呼んだ。お前は家に帰って待機。あとで報告に行く、と」

「確かに受け取った。手間かけたな」

「いえ。そいつら、生きてますよね?」


 恐る恐る言う騎士に頷いて見せるとたちまち眉を開き、今度はヤクシを見て眉根を寄せた。


「そっちの人はたしか王都の」


 その口調に非難めいた色を見つけてしまいヴァルフは無意識のうちに口を歪めていた。


「役立たずか? お前の同僚が軽傷で済んでいるのはこいつが穏便に沈めてくれたからなんだけどな」

「いえ、そういうつもりでは……でもなぜそんな大怪我を? まさか倒れた騎士の誰かが」

「いいや違う」


 サリュがリリの状態を隠したと知ってヴァルフは安堵の息を吐き、そう言えばヤクシも自分を刺した人間については一言もなかったなと思い出す。

 ――情報収集の最中、様子のおかしい騎士とごろつきが結託して襲い掛かってきたので気絶してもらった。死霊も魔術の痕跡も視えなかった。

 ヴァルフが加害者を知っていると知らないヤクシは、明らかに普通でない様子だった娘を罪がないとして庇ったのだろう。冷徹そうな見た目に反して案外甘い男らしい。

 そう考えれば、これほどの人数と相対し刃を抜かずに捌ける人間がさっくりと刺されたことも頷ける気がした。襲撃者を沈めて一息ついたところに庇護した一般人から手痛い一撃。咄嗟の反撃が出来なかったのだろう。それゆえに致命傷に近い追撃を貰った。


「こいつは俺が送っていく。転がっている奴らはジャヒルの婆さんに診せろ」

「拘束は必要でしょうか」

「拘束具が足りねぇだろ。応援は?」

「隊長が今整えています。じきに来るかと」

「それまで見張ってりゃいい。下手に起こすなよ」

「了解しました」


 ヴァルフはヤクシを肩に担ぎ足早に目的地を目指して歩いた。

 教えられていた逗留場所はデネブ北区東の外れにある。住所と宿名に間違いがないかを確認して見上げた建物は、酷く簡素な造りで王都の使者をもてなすにはあまりにも不十分であることは明らかだ。その代わりと言ってはなんだが、非常に逃げやすそうではある。安全の為に格式の高い宿での歓待を蹴ったのは想像に難くないが、体面や関係などどうでもいいと言わんばかりの行動には首を傾げる。

 最上階、三階の窓に向かって石を投げるとぬっと見慣れない顔が突き出した。

 がっしりとした顔付きの男はヴァルフと肩のヤクシを見て僅かに目を見張る。入室の許可を求めると男は頷き場所を空けた。ぐっと足に力を込め、縁を経由して跳ぶ。窓枠に手を突いてから衝撃を殺して着地する。


「夜分にすまねぇが届け物だ。血は止めた。内側の損傷はテメェらでどうにかしろ」

「これはまた一気に動きましたねえ」


 窓からの闖入者に驚きもせずサタナは椅子に座ったままディクスに目配せする。大柄な魔術師はヴァルフに礼を言ってヤクシの身柄を引き受けた。すかさず、老齢にそぐわない動きでクルニクが駆け寄り治療を開始する。

 軽くなった肩を回しながらヴァルフは室内を見回した。数が足りない。


「あの若いのはどうした」

「エルイトは捕らえられたようでしてね。帰ってこない。手掛かりを残しているはずなので回収に行かなければ。ああ、ヤクシを助けてくださってありがとうございます」

「捕らえられた?」

「排除に乗り出すのは時間の問題と考えていましたが、思った以上に早かったようで」


 悠長に構える姿に目を眇める。


「想定内なら防げたろう」

「私たちには大した権限がないので」


 サタナはいかにも思考の片手間というように上の空で答える。


「デネブの中では出来ることが絶望的に少ない。一々騎士団の許可が必要だ。仕方がないので揺さぶりをかけてあちらから動いていただくことにしたのです」

「それで一人は瀕死で一人は生死不明の行方不明か」

「抗議と介入の口実になれば御の字ですねえ。そう甘くはなさそうですが」

「テメェらの目的は事件の調査か、それともデネブを国の管理下に置くことか、どっちだ?」

「言うまでもなく事件の真相解明が我々の仕事ですよ。しかしながらデネブは非協力的だ。露骨なほどにね。このままいけば国が本腰を入れてデネブの議会解体に乗り出すでしょう」


 その結果は火を見るよりも明らかだ。国とデネブが決定的に決裂する。

 ――果たしてデネブの大魔女がそのような愚かな結末を良しとするだろうか。

 やはり事件以降のガルドがおかしいというのは本当かもしれない。


「ああ、そう言えば――あの二人は今どこに?」

「テメェの目も手も届かねぇ場所だ。邪魔したな」


 気は進まないが様子を見に行く必要がある。そうと決まれば案を練らなければならないとヴァルフは踵を返した。

 血が跳ねた服で堂々と出て行くわけにもいかないので窓に手をかけ、飛び降りようとしてふと思い留まる。一人が消え、一人が重傷を負った。目論見通り相手が動き始めたというのならこれ以上の被害は必要ない。となればデネブの中に留まるのは得策ではないだろう。

 しばし考えたヴァルフは肩越しに振り返る。


「拠点を間借りさせてやっても良いが、どうする」


 サタナは頬杖を上げて微かに目を丸くさせた。


「是非……と言いたいところですが、どういう風の吹き回しでしょうか」

「俺はこの件をさっさと片付けたいんだ」


 見て見ぬ振りをするには事態が進みすぎている。守るものが後ろにない現状で、ヴァルフが事件の渦中に友人らを置き去りにする選択肢はない。

 サタナの探るような眼差しは長くは続かなかった。ふっと笑みを口の端に浮かべる。


「ではお願いします」

「場所は知ってるだろ。許可は渡しておくから勝手に来い。手を出せ」


 後で結界の一部を書き換えなければならないが、一人で事に当たるよりかはましだろう。結界を通り抜ける術式許可を全員に渡してヴァルフは窓から飛び降りた。

 ケルピーの脚で帰るつもりで北門に向かっていると、夜闇に濁った空気の先から小さな喧騒が聞こえてくる。より耳を澄ませば剣呑なものではないとわかるが、問題が発生していることは確実だ。ついそちらに足を向けそうになったヴァルフは自分のお節介癖を苦笑する。金属音の混じる足音が並ぶのを待ってからまた歩き出した。


「家に帰っていろと言ったのに」

「怪我人を送ってきたんだ。大目に見ろ」

「よりにもよって王都の捜査官殿か……頭が痛い」


 サリュは額に手を当てて重たげに頭を振る。


「リリ坊はどうしてる」

「幸いと言うべきか、記憶がごっそり抜けている。起きる前に血も落としたから何も勘付きはしないだろう。ジャヒル殿に見せたが原因はわからないそうだ」

「……拘留するのか?」

「いや、私の家に泊まってもらう。それくらいの特別扱いは許してもらえるだろう」


 北門の前まで来て二人は足を止める。笛を吹いてケルピーを呼ぶヴァルフの傍ら、サリュが小言じみた忠告を繰り返した。


「いいか。何かわかったら連絡をいれる。だから絶対に余計な首は突っ込まないように」

「はいはい分かってるよ」

「返事は一回だ!」

「はいはい」


 鬼教官の一喝を笑いながら流した、その時だった。

 軽い衝撃が背中に当たり、視界の下部にぬらりと光る銀赤が映る。自分の胸元からじわりと突き出てくる鋭い切っ先の意味が分からずにヴァルフは首を傾げ、不意に口内を満たした鉄錆臭いものを吐きだした。


「貴様はいつも私の忠告を聞かないが、今に痛い目に合うんだからな。もう少し慎重な行動を」


 サリュは変わらず後ろで喋り続けている。

 熱した鉄の塊が体を貫いているような感覚と、どこか冷たく感じる血液が皮膚を伝って滴り落ちて行く気色悪い感覚に耐えながら首を回らす。余所を向いていたサリュが視線に気付いてヴァルフを見た。


「なんだ。どうし……」


 サリュの目線が下がる。そこにはヴァルフを刺し貫いた剣があり、その柄をサリュの手が握っていた。サリュの目が零れんばかりに見開かれる。


「え……?」

「手離せ」

「ヴァルフ」

「いいから。大丈夫だ。離せ」


 動揺に震える手が剣を離す。ヴァルフは後ろ手に柄を掴み、血混じりの息を吐き出しながらゆっくりと刃を抜いて行く。抜いた先から塞がるように、体内の魔力を傷に集める。剣が体から離れたとき、傷は跡形もなく消えていた。

 口内に残った血を吐き出して、自身の両手をまるで化物がそこにいるような目で見詰めているサリュに問う。


「何をしているか意識はあったか」

「なかった……なにも……」

「心当たりは。そうだな、直前まで誰と話していた? その近くに誰がいたか、覚えているか?」

「こ……ここに来る前までリリについていた。周りには団員が何人かいて、全員知っている面子だ。心当たりは、ない」

「そうか」


 血を拭って剣を返す。サリュはそれを受け取らず、蒼白な顔で俯いた。


「わ、私は……」

「わかってるよ。気にすんな。一応、ジャヒル婆さんのところ行け。あと言っておくが、誰にも報告する必要はないからな」


 サリュは視線を彷徨わせ無言で鞘をホルダーから抜く。それを剣ごとヴァルフに押し付け、震える声で「すまなかった」と詫びてさっと身を翻し去っていく。去り際の、唇を噛み今にも涙が零れそうな後悔に塗れた表情がヴァルフの目に焼き付いた。

 ――サリュの自失はリリ坊に比べて遥かに短い。

 ヴァルフもまたサリュの変質に気付けなかったことを悔いながら、一方で冷静に考察する。リリと直前に接触したことも何か関係があるのだろうか。


「ジャヒルの婆さんも無理、魔眼野郎の目でも無理、となれば」


 ヴァルフは燃えるような橙色を思い浮かべて眉をひそめる。新しい同居人はアルクゥと同じ世界を視る者だ。僅かにでも関わらせることすら本意ではないのだが、現状は別視点からの協力が避けられない事態だった。


 

遅くなって申し訳ありません。次は今回より早く更新できそうです。

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