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精霊のシジル  作者: 染料
五章
76/135

第七十五話 血の標


 師匠は繋がりの広い人間だった。

 道を三歩行けば知人にぶつかるといった程のものだったが、深く付き合っていた友人となれば両手で数えられる程度に落ち着く。しかしながらネリウスはそれらの知己に自分の死を伝えなくとも良いと言った。自分の死を悼む殊勝な輩ではない、と。

 ただ、難事にぶつかれば送ればいいと預かった手紙が数通ある。

 ヴァルフは最優先課題である妹分の一時転居に頭を悩ませていた折にそれを思い出し、そして「隠れ家」の宛名を見つけたのだ。

 実に直截的な意味を持った手紙を手に取り、空欄の宛先に魔力を込めた指先を這わせ後で調べようと脇に置いたその翌日に隠れ家の主は現れた。まさか当人を呼び寄せるとは思ってもいなかったヴァルフはしばし手紙の在り方について考えねばならなかったが。

 おっかなびっくりに目をしばたかせる魔術師は界隈では誰もが知る隠遁の権威であり、ネリウスの知己ともあっては人柄を疑う余地もない。

 ヴァルフは事情を話し迷惑そうにする彼にアルクゥとマニを預け、一先ずは心配ごとの一つを解決したのであった。


 守る者の安全が確保されたことでヴァルフは一層精力的にデネブを歩き回ったが、しかしながらそれが結果に繋がるかと言えばそうではなかった。

 背後には相も変わらず騎士の露骨な尾行がある。申し訳程度に巡回を装っているが偽装も半ば惰性のように思える。 

 それでもヴァルフは騎士の目を完全に振り切ってしまうことができない。

 情報収集に勤しみつつ結構な頻度で居場所を転々とし、その都度撒いているにもかかわらず、少し歩けば即座に別の尾行者が現れるといった具合だ。通信を交わして連携を取っているのではないかと疑っているが魔具を使用している様子はなかった。元より、色濃い魔力が漂うデネブで転移に類する魔具は動きが悪い。ノイズが酷くて使えたものではないのだ。各所の重要施設は地下に張り巡らされた銀線により安定した通信が可能だが、それも霧の事件のように魔力濃度が高ければ機能停止に陥る。

 路地に入って一時的に人の目を遮断し、次の通りに出てしばらく。ヴァルフは新たな尾行者に片眉を上げる。不気味なほどに淡々と、義務であるかのように付いてくる騎士に小さな溜息を吐いた。


「何かわかったか」

「すまない。何も掴めなかった」


 今度の追跡者はそのままに、ヴァルフは騎士団本部へと赴いて団長のラヴィに調査結果を尋ねた。結果は芳しくないどころか進展すらしていない。ラヴィは眉をハの字に下げてほとほと困り果てた風に結果のない結果を報告していく。


「ヴァルフの跡をつけていた騎士の何人かを適当な理由を付けて呼び出した」

「お前がか?」

「いや、流石に私が呼び出せば余計な騒ぎになるからな。信頼できる隊長に頼んだ。サリュエルだ」

「隊越しの召喚もそれはそれで問題だろ」

「仕方ないだろう。それで尾行の理由を訊いたのだが、彼らは口を揃えてそんなことはしていない、と。証拠があると言っても首を傾げるばかりでな。覗いていたが嘘を吐いている様子はなかった。それに、中にはお前を慕っている騎士もいた」

「そうかよ」


 ヴァルフと騎士団の親交は深い。

 暗に容赦してやれと言われた気がしてヴァルフは気難しく眉根を寄せる。こちらだって好きで内偵じみたことをしているわけではない。


「ジャヒルの婆さんには診せたか」

「うん。ああ、まあ。だが死霊憑きではなかった。……またあの獣共を引き連れてやってきたのだぞ。街中を愛玩動物のブリーダーよろしく練り歩いて住民から苦情が殺到した。それにお前、ジャヒル殿を王都の御仁に引き合わせただろう。報告の顔合わせで俺が嫌味を言われる始末だ」

「そりゃ愉快だな」


 畜生! と騎士団長の威厳をかなぐり捨てて拳を握る。温厚な友人をここまでさせる陰湿さに感心しながら、灰汁の強いジャヒルがサタナに効いたことを知ってヴァルフはほくそ笑んだ。半分は親切心からの間接的情報提供だが、もう半分は嫌がらせだ。

 三十後半、魔力保持者としてはまだまだ若いにもかかわらず白髪が目立つようになってきた友人を宥め、ヴァルフは凝った首に片手を当ててゴキリと鳴らす。


「しかし、進展はなしか。どうするかねこの状況は」

「その……疑っているわけではないのだが」


 言い淀んでから逡巡を始める友人に遠慮はいらないと促す。するとラヴィは首を横に振った。


「お前のことではない。ガルド様の、ことだ」

「クソ婆がどうかしたか」

「クソ婆ではない。ガルド様だ。度々、療養されている部屋から消えるそうだ。市井や騎士団の詰所で姿が目撃されている。記憶の欠落も未だ治っていないというのに……」

「あれは怪しさが服着てるような婆だが、徘徊癖なら普段と変わらないだろ。あの婆は自分が作った街を見て悦に浸るのが趣味だ。……それとも、他に何か気になることでもあるのかよ」


 ラヴィの沈黙は雄弁だが詳細を知るには言葉が足りない。

 だがこの友人には立場があり、個人的な忠誠心も持ち合わせている。これ以上の詮索は不毛だと早々に引き下がった。


「まあ、俺の中では今も昔も婆は要注意人物だ。せいぜい気をつけておくさ」

「すまない。……そうだ、英雄殿はどうしておられる? 霧を晴らす際に目を負傷されたと聞いた。騎士団の長として礼をせねばと思ってるんだが、何分忙しくてな。見舞いの一つもままならない」

「アイツを英雄と呼ぶな。ただの魔術師で俺の妹分だよ。そこそこ元気だから見舞いも不要だ」


 つっけんどんな物言いにラヴィは目を丸くさせる。


「もしかしてヴァルフお前、過保護なのか?」

「うるせぇ」


 ニヤニヤとした笑みの友人を一瞥し、礼を言ってから騎士団本部を立ち去る。

 背後からの監視じみた騎士の視線を引き剥がしてから、サリュを探し出して後日話を聞く約束を取り付けた頃にはすっかり日が暮れていた。

 薄藍の空を見上げたヴァルフは、無意識に門へ向かう歩みを速め、そしてふと我に返って苦笑する。今の拠点は無人だ。たとえ深夜に帰ろうと細心の注意を払って扉の開け閉めをする必要すらない。

 緩んだ足取りのまま門に辿りついた時には空に月が昇っていた。懐から小さな笛を取り出してケルピーを呼ぶ。来てくれるかは不明だ。ヴァルフの足になるようアルクゥから命令を受けたケルピーの機嫌は、主と引き離された恨みをヴァルフに向けている節がある。あながち間違ってはいないが、髪を毟りに来るのだけは止めてほしい。

 来ないか、と予想通りの結果にさして落胆もせず帰路へつこうとすると、道向こうから蹄の音が近づいてきた。


「あ、いた! ヴァルフ、アルクゥとマニは?」


 ケルピーの背に薬種屋の一人娘が乗っているのを見て、ヴァルフは迂闊だったと素直に謝罪した。


「悪いなリリ坊。伝えとくの忘れてたが、アイツらは知り合いの魔術師の所に使いに出してる。しばらくは帰ってこない」

「ええ、それ早く言ってほしかったよ。どのくらい居ないの? ……危ないことさせてないよね?」

「させるわけねぇだろ。障壁の中よりも安全だ」

「だったらいいんだけどね。じゃあ、これ」


 リリは唇を尖らせヴァルフに手綱を渡す。その瞬間からケルピーは目を剥き耳を倒し憤怒の表情を浮かべる。


「あれ、ケルピーどうしたの? ああ、そうだ。アルクゥたち居ないんなら帰ってもご飯ないでしょう? うちで食べていってもいいよ」


 魅力的な提案ではあったが、ヴァルフは横目に通りの先を窺ってから丁重に断りを入れる。すると騎士が一人、こちらに向かって来るのが見えた。さり気無くリリの前に立つも相手は不思議そうな表情をしただけだ。


「あれ、パシーだ。仕事は?」

「先輩方がお前を送って来いだと。ヴァルフさんがいるから大丈夫って言ったんだけど」


 リリの幼馴染はヴァルフを気後れするように見て会話の邪魔をしたことを詫びる。

 二人を見比べたヴァルフはニヤニヤと口角を上げ軽い調子で手を振った。


「構わねぇよ、大した話でもないからな。リリ坊を送ってやれ。俺の手には余ると思ってたところだ」

「何だとバカ! サリュさんに言い付けてやるんだから!」

「おーそうか。がんばれ」


 リリはパシーに手を引かれながら、喚きながらも楽しげに、ヴァルフから見えなくなるまで後ろ向きで歩きながらあらぬことを叫んでいた。

 賑やかなじゃじゃ馬を見送ると、後に残った人気の疎らな大通りがやけに殺風景に感じられた。

 ひっそりとした夜の街は死のように呼吸を止めている。



 翌々日の夜、ヴァルフは小さな飲食店で多忙を極めるサリュと向かい合った。

 キリリと引き締まった凛々しい目元には疲れが滲んでいる。霧の事件の後始末に追われているのだと苦笑混じりの声も掠れていた。サリュの担当する地区には大きな医療院があり、霧の眠りから目覚めなかった者や医療行為の手が足りずに亡くなった者もいる。どうしても発生してしまう揉め事を収めながら通常業務をこなし、尚且つ廃域調査の一員だったこともあって何度も事情聴取に呼ばれる為に、息つく暇もないと珍しく愚痴を零した。


「なのに時間を割いてアルクゥの髪を切りに行ったのか」

「彼女の為にならいくらでも時間を使おう。目の様子も気になったし、それに」


 サリュは酒杯に唇を付けて上目にヴァルフを見遣る。


「……何だよ」

「何でもない。単なる自己満足で、罪滅ぼしだ。それで、お前を尾行する物好きたちの話が聞きたいんだろう? 私も調べてみたが特に共通点も出てこない。後ろ暗いところなど何もない団員たちだ」

「そうか。手間かけさせて悪かったな。わざわざ呼び出してすまん」

「別にいい。私が思うにな、ヴァルフ。お前はデネブを一時離れるべきだ」


 片眉を上げるとサリュは酒精に目尻を赤くしながらも生真面目に言った。


「友人がいるからと言って、巻き込まれてやる必要などないということだ。騎士団長や私が動くのは仕事、お前のは親切心。お人好しだ。魔術師ならば腐るほど仕事はある。別の街に行け」

「へえ、心配してくれてんのか。珍しい」

「腕が落ちてもくっつくような男の心配など誰がするか阿呆。心配なのはアルクゥ様だ。それに新しく同居人も出来たのだろう。マニとか言ったか。彼らはまだ子供だぞ。お前が傍にいてやらなくてどうする」

「才能ある人間の行動を、とか言ってなかったか?」


 頬杖を突いて言うと、サリュは耳まで赤くした。

 ヴァルフが何食わぬ顔で小皿に盛られた料理を摘まんでいると、しばらくしてから立ち直り、料理を素早く食べ終えて腰を上げた。


「仕事か」

「不寝番だ。積もる愚痴もあるがそれ以上に書類が山積みなんでな。この件が片付いたら帰って来い。奢ってやらんこともない」

「出て行くこと前提か」

「強制はしない。だが避難する気がないのなら、ガルド様には気を付けておいて損はないだろう」

「なぜだ」

「勘だ。……というより状況からの推察だ。敵に占拠された中央塔で、都合良く無傷で発見され、都合良く記憶が欠落している。馬鹿でも分かるぞ」


 不機嫌そうに鼻を鳴らしたサリュの後をヴァルフは苦笑して追った。

 デネブは眠るような静寂が落ちている。一昨日の夜は閑散とした大通りを不気味に思ったが、今日はとても良い夜に思えた。隣を歩く者がいるせいかと横目に見下ろしたサリュは、すでに背筋をピンと伸ばしてほんのり色付いていた頬も白に戻っている。


「静かで良い夜だな」

「前はもっと賑やかだった気もするが、記憶違いか」

「夜に出歩くと厄を拾う。黄昏の空には人が消える。あとは何だったかな。いろいろとそういった噂が流れて、暴れる酔客も減った」


 王権神授のティアマトという国で最も信仰心の薄い者たちが集まった大都市でも、そういった噂は信じるのは可笑しなことだ。整備が行き届いた道には夜を退ける灯りが煌々とし、夢想が蔓延る暗闇の余地などどこにも見当たらないというのに。


「クエレブレの襲撃からデネブは落ち着かないからな」

「ずっと月陽樹が喧しかったらしいな。俺たちが帰った途端に止んだが」

「あれは良い観光資源になってくれた」

「天罰が下るぜ」

「雷でも落ちてくるのか?」


 サリュと軽口を叩き合っていると、てっきり人が絶えたと思っていた道にゆらりと一つの人影が現れた。突然現れたように見えたが、隅に追いやられた暗闇にポツリと佇んでいたようだ。小柄な女性のシルエットをしていた。

 サリュが表情を仕事のそれへと改め、明朗な声をかけながら近寄っていくのをヴァルフは眺める。


「こんな時間に歩くのは感心しな……」


 辿りつく随分手前でサリュは硬直し、氷が解けるように歩みを再開し、足早に歩いて、ついには走り出す。ヴァルフもあとを追い、そして目を見張る。

 人影はリリだった。

 薄暈けた表情でヴァルフとサリュを見て、今しがた眠りから覚めたような顔付きでキョトンと瞬く。


「あれ、ヴァルフとサリュさんじゃないか。もしかして逢引き中だった?」


 そうやって明るい笑みを見せる娘に、ヴァルフもサリュも言葉を返せない。

 リリは察しの悪い人間ではない。二人の深刻な雰囲気にもすぐに気付き、自分が邪魔なのだろうと「じゃあごゆっくり」と即座に身を翻す。


「あれは、分かっていないぞ」

「ああ、解っている。リリ」


 サリュは一息に距離を詰め、振り返ったリリの目元に優しく手の平を押し当てた。糸が切れるように崩れ落ちたリリを支える。


「お前は帰れ。私は応援を」

「駄目だ」

「どうして」

「出来る限り内密に事を運べ。特にリリ坊のそれは隠し通せ。さっきの様子を見てただろ。リリは、違う」


 サリュは迷う素振りを見せたが深く頷く。


「跡がある。辿るが、構わないな」

「悪い。……任せた」


 暗闇に消えた背中を見送り、ヴァルフは生々しくも鮮やかな痕跡に向き直る。点々と落ちた赤をなぞって行くと路地の奥にたどり着いた。

 街灯は壊れ月の頼りない光だけが地面を照らすそこには、十数名の騎士やごろつき風の男やらが倒れている。視線を最奥に向けると、腹部を真っ赤に染めた男が壁に背を預けて項垂れていた。

 わざと足音を立てると重たげに頭を持ち上げ、ヴァルフを認めた深海色の目が細まる。


「どういう状況か説明願いたいんだが、喋れるか」


 ヤクシは呻きに似た声で「見ての通りだ」と今にも途切れそうな呼気の一欠片を吐きだした。


 

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