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精霊のシジル  作者: 染料
五章
70/135

第六十九話 潜む者共


 リリはケルピーの背に跨ったまま茫とした視線を揺らしていた。

 強面二人が己らの威圧感を自覚して距離を取って眺める中で、エルイトが何か話しかけたが反応を返さない。エルイトは眉を下げて頭を掻き、近付くアルクゥに気付いて後ずさるように道を空けた。

 ケルピーが頭を垂れる。その出迎えに鼻面を撫でることで応じ、今にも閉じかねない目で宙を見詰めるリリに呼びかける。


「リリ、私が分かりますか」


 ゆっくりと巡った顔がこちらを向く。焦点がアルクゥに定まったとき、日に透かせば茶色を湛える黒目が光を得た。ぼろぼろと零れる滴を拭うこともせず、体勢を崩すことも意に介さず、リリは細い両腕をアルクゥに伸ばす。


「アルクゥ、アルクゥ。良かった。戻ってきたんだね」


 ケルピーが機転を利かせ体勢を低くしたので、アルクゥはリリを難なく支えることができた。尽きない疑問を口内に留め、肩口に額を擦り付けるリリをあやす様に撫でる。

 何があったのかわからないが、尋ねるのが酷だということだけは判かる。

 霧に濡れたアルクゥよりも冷たい体を抱き締め体温を渡していると、急にリリの体が重みを増した。ふら付いたアルクゥは何とか踏みとどまりリリの顔を覗き込む。

 リリは安らいだ顔で静かに呼吸を繰り返している。

 アルクゥは目を見張り、歪みそうになった顔を素早く平静で塗り固めた。リリを一度強く抱き締めてからケルピーの背に乗せ、自分もその支えとして跨る。


「ダチか」

「はい。行きましょう。誰かに会って、何があったのか聞かないと」

「……大丈夫か?」

「ええ。眠っているだけです」


 首筋を叩き馬首を正面に巡らせる。

 常歩で移動を開始すると何か言いたげにしていたマニも、黙って成り行きを見ていたサタナたちも無言で従った。


 薄霧の先に見えてきた北区騎士団本部は遠目にも異様な緊張感に包まれていた。

 なまじ人のいる安全地帯と思い込んでいただけにアルクゥの困惑は大きい。

 門の鉄柵は閉ざされ、内側には五人の騎士が見張りに立っている。その疲れ切った表情が見て取れる距離まで近付いた時、彼らもまたアルクゥたちに気付き、一人に至っては裏返った悲鳴を上げた。


「ひっ……と、止まれっそれ以上近付くな!」


 予想外の対応にアルクゥが面喰っていると、大男のディクスがずいと前に出る。たったそれだけで発作的に喚いていた騎士が口を閉ざした。間髪入れずにサタナが「落ち着いてください」と強制力を持つくせに優しげな声で割り込む。二人とも己の役柄をよく心得ていた。

 半ば感嘆、そして半分は胡散臭い気分で二つの広い背中を見て、アルクゥはケルピーを下がらせ場を譲る。

 身じろぎ一つしないリリの寝息を聞きながらサタナが騎士を宥めすかす様子を眺めていると、マニが小さく呻き声を上げた。


「どうしました?」

「臭ぇ。血の臭いだ。門の向こうだな。見えるか?」


 そう言われ意識して見ると、門の向こう側の石畳には黒い染みが広がっている。

 血糊にしては多すぎる――少なくとも一人分ということはあり得ない。


「魔物でしょうか」

「人の血だ」


 素っ気なく答える声に振り返るとヤクシが魔眼を閉じるところだった。人の血、と復唱したアルクゥが予想を言葉にすることを憚り口を閉ざすと、ヤクシはこういう時だけいらない親切心を十全に発揮する。


「人間同士での殺し合いがあったのだろう。それも門の内側でな。俺たちを警戒するのもそのせいだ。騎士共の様子からして裏切り者でもいたんじゃないのか」


 口には出さなかったが、アルクゥは心の中でその説を否定する。

 騎士団の結託は固くデネブを守る意思も強い。そして罪人を捕らえる権利を持つゆえに監視の目も厳しく、団員の選考は恐ろしく厳しいのだ。何より、騎士団に入る際に魔術的な誓約を結ばなければならないという。そこに不審者が入り込む余地はないように思えた。

 しかし血生臭い出来事が起きたこともまた事実だ。何をおいても話を聞かなければ分からない。

 門越しの話し合いは幸い良い方向へと進んでいるようだった。

 騎士はいくらか態度を軟化させ、内一人が門を離れて建物内へと消える。しばらくしてから別の騎士を伴って戻ってきた。

 癖の強い金髪には見覚えがある。確か廃域の小隊長だったかと思いながら、相手の記憶に期待して門に近付く。

 蹄の音でこちらに視線を向けたビルグレイは充血している目を丸くさせた。


「キミ、無事だったのか! その子も、馬も保護してくれたんだな。ああ、本当に良かった。どこまで飛ばされたんだ?」

「北領辺りまで……彼らが送って下さいました。それより、入れてくださいませんか。帰って来たばかりなんです」


 ビルは喜色を浮かべたまま頷こうとし、ややあって罪悪感に表情を歪ませた。


「すまないが駄目だ。……帰ってきたのは障壁が閉じてしまう前だろう? どうして、昨日呼びかけがあった時にここに来なかった?」

「帰り着いたのはつい先ほどのことです」

「どうやって入ったんだ」

「穴を空けて」

「障壁に? 信じがたいな。それに、危険だとは思わなかったのか?」

「思いましたが、知人も友人も中にいるので仕方ないでしょう」

「どうやってあの霧を抜けたんだ」

「魔眼持ちがいます。……埒が明かないな。あまりこういうのは好きではないのですが」


 アルクゥはケルピーから降り目を伏せる。意識を内面に落とし、そこにある力に集中して手の平を上に差し出す。音もなく燈った炎は周囲を照らし、霧を払う。

 身構えていたビルたちは煌々と燃える小さな夜明け色とアルクゥを見比べる。誰かが竜殺しと呟いたのを聞いて、アルクゥはこれが自分の価値の全てだと悟らざるを得ないのだ。


 当然のように態度の変わった騎士たちは門を開けてアルクゥらを招き入れる。

 隣に来たヤクシが嫌な笑みを浮かべて「悪辣だな」と一言。


「連中、貴様がこの惨状を解決してくれるものと思っているぞ。貴様、そんな気は更々ないだろう」


 それに対してアルクゥも皮肉と自嘲をたっぷりと含んだ微笑を返す。


「出来る限りのことはしますよ。それに使える価値のあるものを使わないのは馬鹿です。貴方だって入れたのだから文句は言わないでください」

「ふん。価値か。あれがなかったら貴様は役立たずか」

「塵と同じくらいでしょうね」


 あまりの返しに閉口したヤクシを置き去りにし、リリをケルピーの背から降ろし建物に入る。手を貸そうとしたサタナやエルイトを睨みつけて遠ざける。身体強化して抱きかかえたリリは軽かった。

 ビルに案内してもらった仮眠部屋には眠る騎士で溢れ返っている。中にはリリと親しいパシーの姿もあり、聞けばリリの目の前で倒れたそうだ。道理であの様子かとその心情を慮り目を伏せた。

 ビルはベッドに寝かされていた一人を床に移動させてリリに提供しながら、堅苦しく変貌した口調の中に痛ましさを滲ませる。


「彼女の事は任せてください。ここは、他よりは安全でしょうから。……いてもたってもいられなかったんでしょうね。馬に乗って飛び出して……ああ、あのケルピーはパシーとご友人が貴女の家付近で彷徨っているのを連れて来たそうです」

「そうですか。……リリは魔物に襲われていました」


 責めても仕方がないのに、どうしても恨みがましくなる。ビルは生真面目に頷いて監督不届きを謝罪した。


「申し訳ありません。俺の責任です」

「別に責めているわけでは……それよりどうして中に魔物が?」

「下水から上がってきた鼠や、元々住民が飼っていた動物、小型の魔物が凶暴化しているという報告が上がっています。因果関係ははっきりしていませんが恐らくは霧のせいかと。別室で現時点で判明している事を説明しましょう」


 そう促されたアルクゥは一度リリの寝顔を見遣り後ろ髪を引かれながら退室した。

 別室に赴く最中、廊下の左右に並んだ扉の内から人の気配を感じたアルクゥはふと思い付いたことを口にする。


「民間の魔力保持者は……」


 ビルは過敏なほど素早く振り返り、視線で通り過ぎた扉のいくつかを示す。階段に差し掛かったときになって「すみません」小さく気疲れした声を零した。


「避難してきた方々にはいくつか部屋を開放して、そこで保護していますが……他にご友人が?」

「保護されるような人ではないので、部屋にはいないと思うのですが。廃域調査に参加した方々は、今どこに?」

「無事である、としか俺にはわかりません。この件についても皆さまのところで話した方が良いでしょう。とりあえず、ご友人がいないのならいいんです。元々彼らは、その……過度な抑圧に慣れていないので。少し神経質に」


 しばし考えたアルクゥが不満だけは一人前と呟くと、ビルは肯定も否定もせずにただ苦笑した。


++++++++++


 会議室と銘打たれた、本来整然としてあるべき一室は、ここもまた荒んだ様相を呈している。

 集まった騎士団員は二十程、怪我人が多い。半数は眠そうな顔付きで、もう半数は怪我とは別にどう見ても殴り合ったような跡があった。仲間だというのに決して目を合わせない様は、諍いの段階が一触即発にあることを告げているが、今のところ彼らの視線は入ってきたばかりのアルクゥや目立つサタナを胡散臭げに見るにとどまっている。


「他は屋外で眠ってしまった住民の保護にあたっています。今のところ、魔物化した動物は魔力を求めて起きている者を狙っているようですが、それもいつまで続くか」


 北区で起きているのはこれだけかという内心を読み取ったようにビルが釈明し、サタナたちの方を向く。


「お待たせして申し訳ない。貴方達が来たときは丁度、これからどうするか話し合っていたところだった。まず昨日午後に発生したおかしな霧と、それからの出来事を話して」


 そこまで言ったとき、落ち窪んだ目で座り込んでいた騎士が顔を上げて口元を歪ませた。


「話したところでそいつらが役に立つとは思えねぇよ。魔術師らしいが、今まで隠れてやがった臆病者共だ」

「言葉を慎め。彼らは今日デネブに到着したばかりだ。障壁を突破してな」

「あの壁を? あまつさえはあの可笑しな霧を越えてか? はは、嘘吐くならもっとましなこと言えよ」


 瞬く間に同意する者と擁護する者に別れて口論が始まった。

 殺気立つ騎士から離れて壁際に張り付いていると、マニがにやにや顔で傍に寄ってくる。


「おーおー仲間割れか」

「バカ。笑いごとではありませんよ」

「お前なら止められんじゃねぇの?」

「あれだけでも魔力を消費するのです。ビルさんに口止めしているのも、一々証明がてらにあれをやっていたら肝心なときに動けなくなるからです。……でもあれはまずいな。別の方法で止めないと。ああもう、話を聞かせてくれさえすればいいのに」


 頭の中から幻惑系の魔術を引っ張りだしていると「じゃあ俺様が止めてくるわ」とマニが腕まくりをして行ってしまった。止めようと伸ばした手は、マニが一般人ならば到底持ちあげられない会議机を軽々持ち上げた時点で耳の保護に回した。

 轟音が部屋を揺らす。

 床に穴が空いてもいいように扉際に避難していたが、幸い深く抉れただけだ。マニは硬直する騎士たちを満足そうに見回し、アルクゥの隣に帰ってきた。


「な?」

「……まあ、一応は止まりましたけど」


 胸を張ったマニはそれ以上の事はしない。ただ単純に止めただけで、集めた視線も投げっ放しだ。アルクゥは溜息を隠して後を継ぐ。


「私たちは喧嘩の仲裁に来たのではないのです。気に入らないというなら早々に出ていきますので、何が起こったのか簡潔に説明してください」


 そしてようやく、霧に隠れた事件の一端を知ることになる。



 目の周りに痛そうな痣を作ったビルからの話が終わると、死体の状況を見てくると言ってヤクシとエルイトが部屋を出て行った。

 ビルたちによって切り伏せられた者の身分は騎士であると言う。それも四人分だ。

 しかしながら、この部屋にいる騎士団員たちの見解としては、彼らは裏切り者ではないという。

 ではなぜ殺したのかという直截的な疑問に再び騎士らは対立し険悪な空気を発したが、今度は統制すべき立場にあるビルが双方を抑え、こう答えた。彼らは狂っていたんです、と。


++++++++++



「中央区との通信が途絶え、様子を見に行かせた騎士が帰って来た途端に住民を襲った、か。死ぬまで斬らねば倒れないとなれば、確かに気狂いと言うべきではあるが」


 騎士団員のいなくなった閑散とした会議室にディクスの嗄れた声がよく通った。憂いを帯びたその内容にサタナが軽い調子で応じる。


「まともな人間がまともでなくなる手段は様々ですが、順当に考えて中央で何かされたのでしょうねえ。霧が流れて来たのもあちらからだと言いますし。魔術か、それとも魔物にでも憑かれたか」

「その辺りならばヤクシ殿が見れば判明しよう。それよりも問題は」

「進むか、退くか。どうしますかねえ。案外、放っておいても早目に収束しそうな気もしますが……ああ、そう言えば指揮権はヤクシに渡していましたね」

「またそんなふざけたことを」


 そんな会話を片耳に聞きながら、アルクゥは自分の思考にも意識を傾ける。

 ――廃域調査の部隊は予定が延び、昨日が撤収予定日だった。

 そして霧発生時には未帰還だった。ヴァルフは外にいる。

 なぜ帰ってこないのか考えると手放しには喜べないが、例え廃域の中で足止めをくらっていてもデネブの内側にいるよりは安全だろう。

 友人の安否は確認できた。兄弟子がどこにいるかも分かった。前に親切にしてくれた何人かの騎士も廃域調査の隊員なので、ヴァルフと同じ場所にいるだろう。

 つまるところ、アルクゥの目的はほぼ達せられたと言える。あとはリリとパシーをケルピーに乗せてデネブを出れば完璧だ。霧はヤクシを脅せば何とかなる――。


「憂鬱そうですね」

「……早目に収束するかもしれないという根拠はなんでしょうか」

「おや、聞いていましたか。あれはただの」


 恐らくは勘だとか言って曖昧にするつもりだったのだろうが、サタナは一瞬停止して仕方ないという風に笑う。


「ああ、これも嘘になるのか。嘘を吐く気はなかったのですが」

「たかだか私などの信用を得るためだけに馬鹿げた真似をするからでしょう」

「実に有意義な行動だったと思っていますよ。そうそう。根拠でしたか。貴女はおかしいとは思いませんか?」

 

 形も言動も相変わらず白々しいが、引っかかるものはあったので首肯する。重ねてどこがおかしいと問われる。いつ司祭から教師に転職したと嫌味を言いそうになったが、答えなければ話が終わる予感もあったので素直に違和感を口にした。


「敵は廃域調査の機を見計らって腕の立つ人たちを締め出し、無力な住民を閉じ込めました。戦力を削いだのは抵抗を封じるために、障壁を閉じたのは外の干渉を遅らせて、情報の早期拡散を防ぐためでしょう。……目的がデネブの制圧なら、詰めが足りない」

「戦力が残っているのはおかしい、と」

「そうです。他の区と合わせればそれなりの集団になる。なのに彼らは普通に出歩いている。今のところ、敵の攻撃を受けたのは乱心した四人くらいで、それも酷く消極的なものです。近付いたから、追い払ったというような」

「そうですねえ。敵は一体何が目的なのか」


 無言で睨むとサタナは降参するように軽く両手を挙げた。


「侵略、制圧、政治的威嚇の類ではないようですね。要求も声明もない。そうなれば目的は他ということになりますが、となればこうも大袈裟にする必要が果たしてあったのか疑問だ。もしかすると相手は愉快犯で、四大都市の一つを落としたことに喜びを感じているのかもしれないし、気の触れた魔術師が研究結果を発表する場所にデネブを選んだだけかもしれない。

 ――ですが相手がまともな頭と確たる目的を持っているのなら、国が出てくる前に事を収束させるのではないかと」


 そう思っただけですよ、と結んでから釈然としないアルクゥに柔らかく目を細める。


「丸一日、流通が滞っています。すでに近くの街や都市には異変が知れ渡っているでしょう。数日たてば国が出てくる。軍が押し寄せる。腐った部分を切り落としたので、今の国軍は中々身軽で融通が利くんですよ」

「相手は軍を嫌がる。だから放っておいても勝手に終わらせてくれるとお思いになるわけですか」

「あくまで考えの一つに過ぎません。本当に放置するとなれば分の悪い賭けになるでしょうねえ。アルクゥ。貴女はどうしますか」


 アルクゥはその問いから目を逸らし、話の内容を今一理解していないマニに不必要なほど懇切丁寧に説明してヤクシたちが戻るのを待つ。

 ――安全を取るのなら引き際は今だ。

 一方でアルクゥの本能は警告していた。

 早々にこの悪意に報いておかなければ取り返しのつかないことになる、と。


 

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