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精霊のシジル  作者: 染料
五章
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第六十五話 愚者はかく語りき



 ヤクシがマニを引き摺って退室する。何か問いたげな表情だったクルニクらもそれに倣い、全員が出ていった扉の閉まる音がやけに部屋に響いた。

 外の廊下で騒ぐ声が遠ざかっていく。

 完全に聞こえなくなると、アルクゥとサタナの間には静寂が横たわった。

 投げかけられた視線には、中身を探るような執拗さは消えている。それでも落ち着かないことには変わりなく、後ろに手を伸ばしてフードを被り精神的な防壁を築く。

 会話の口火を切ったのはサタナだ。


「椅子にかけてください。立っているのはつらいでしょう」

「ここで結構です」

「そんなに警戒しなくとも、取って食いなどしませんよ」


 黙殺するとサタナは強情ですねえと目を細めて呟いた。


「――またこうして言葉を交わせるとは思っていませんでした」


 それに関してはアルクゥも同意見であるので小さく頷く。

 アルクゥは消えず、サタナも死なず、そして再び偶然によって鉢合わせた。馬鹿らしいほどの確率を引き当てたのは、運が良いのか悪いのか。どうせならそのくじ運を別の何かに使いたかったと思うが、世の中ままならないものであろう。

 束の間、そうやって思考を飛ばしていると、サタナが注意を引き戻すように「アルクゥ」と名前を呼んだ。

 またか。

 頭が冷たいのか熱いのか分からない熱が灯る。気付けば「名前を」と唸っていた。


「名前が、何ですか」

「名前を呼ばないでください。貴方にそんな扱いをされても困る」


 奇態な物言いであったがサタナは特に何の反応も示さない。言わんとするところは、もしかすると最初から了解済みのことだったのかもしれない。

 それならば、尚のこと疑いは深くなる。

 サタナは隷属の主だった人間であり、アルクゥの命を物のように捨てる権利を持っていた人間だ。つい数カ月前まではそうした関係だった。敵ではなく、しかしながら仲間というわけでもない。多少の情が芽生えたことはあれども、二人は交わした条件を互いに裏切れぬよう契約の楔で縛った、信用も信頼も何もない取引相手だ。

 その上、契約は反故となった。初めに軍部へと下ったアルクゥが破り、次に新月の夜にサタナが引き留めようとした形で。

 そして裏切りの割合はアルクゥの方が大きい。にもかかわらず、だ。


「私たちの結び付きは利益の交換でしかなかった。それも最後には破綻しました。別れ際など、最悪の一言に尽きる」

「ええ、その通りです」

「なのに貴方は、私に協力した。あまつさえ、ここまで運び治療と世話と休む場所の提供までした。何を考えているのですか」


 一時、声が絶える。

 そよ風に揺れるカーテンだけがざわめいて、部屋に差し込む陽光を無邪気に遊ばせている。

 サタナは緊張を飲み込むアルクゥをしばしの間眺め、ふと視線を外に移した。


「何も――と言うと馬鹿のように聞こえますね。……打算ではありません」

「善意とでも言うつもりですか」


 サタナは僅かに口の端を上げて自嘲した。


「貴女の私に対する評価が窺い知れるな。まあ、信用しろと言う方が難しいとは知っています。それにまあ、確かに」


 善意ではないな、と低く零れた言葉にアルクゥは一歩後退し、壁に手を添えてぐらついた体を支える。


「悪意もありませんよ。どうか椅子に」

「……何を企んでいるのですか」

「ですから、何も」

「では何を考えているのですか」


 問うつもりはなかったが、こうなれば聞き出すべきだろう。

 すう、と吸いづらい空気を肺に取り入れ、「胸の傷は」と吐き出した。


「ヴァルフが、刺した。なのに貴方は生きている。ヴァルフが殺すつもりであったのならば、呼吸の暇すら残さない筈だ。ヤクシさんからあの夜は茶番だったと聞いて今更ですが違和感に気付きました」


 サタナの目はどこかに逸れたままだ。

 視線の圧がないのを幸いに忙しく考える。

 ヴァルフは過保護にすると宣言する妹弟子に剣を向けていた人間を殺さなかった。それに別れ際の「何もかも思い通りになると思うな」という言葉が引っかかる。遅まきに芽吹いた疑問点がヤクシの告げ口に真実味を与えていく。

 ――茶番と言うよりは狂言だろうか。


「貴方は、私を殺す気がなかった」


 サタナは殺意を偽った。

 ヤクシをして茶番と言わしめた理由がこれだ。

 沈黙という如実な肯定に再度意図を問う。


「なぜですか。殺意がないのなら、別の方法をとるべきだった。殺す気もないのに脅したんだ、反対に殺される可能性だって頭にあったでしょう。実際にヴァルフが現れなければ、私はいつまでたっても私を殺さない貴方を殺していたかもしれない。そこまで国に尽くしたかったのですか。とんだ忠誠心だ」


 アルクゥは半ば嘲笑し、くだらないと唾棄する。


「好き勝手に濡れ衣を着せられ、都合良く切り捨てられて、そうなってまでも裏方の仕事を押し付けられているのに。案外、人の好い性格をしていらっしゃったのですね。馬鹿馬鹿しい」


 本当に馬鹿らしい。持っている能力を活用しないのは馬鹿だ。

 失脚までが計画としても、もっと安全に立ち回れただろうに。

 毒突くと微かに吐息が零れる音を聞いた。見ればサタナが口元に手を当てている。笑いを堪えているようだが抑えきれずに喉が震える声が漏れている。

 何ら可笑しなことなど言ったつもりのないアルクゥは、呆気に取られて笑いの発作が治まるのを待つ他なかった。

 ひとしきり笑い終えたサタナは、笑みを滲ませたままの目をアルクゥに向ける。


「申し訳ない。まさか貴女が私の境遇を怒ってくださるとは思ってもみなかったものでして」


 アルクゥは数度瞬き、苦々しく眉根を寄せた。


「勘違いしないでください」

「ええ、わかっていますよ。それと生憎、貴女の予想は間違っている。私には忠誠心などありませんからねえ」

「それなら貴方は何がしたかったのですか」

「私は」


 サタナはしばらく答えるか答えまいか躊躇しているようだった。結局は自嘲を浮かべて言葉を暈す。


「利己的で無様だった。それだけです」

「本当に意味が分からない……会話する気はあるのですか」

「分からないのならその方が良いでしょう」


 サタナは背もたれに体を預け、束の間天井を仰ぐ。

 一挙一動をつぶさに警戒するアルクゥに、改めて視線を据えたときには、自身を嘲る表情は消えていた。


「それで今は、誰と契約をしているんですか」


 寸の間、言われた意味が飲み込めず問い返す。


「契約?」

「見ていた限りでは、貴女には感情がある。子爵のように消えていない。他者との繋がりが自分を留めると貴女は言っていた。髪と目の色が違うのは、契約者の影響を受けているからではありませんか」


 性急に羅列された根拠に、サタナはそれが聞きたかったのだと合点する。

 なるほど、とアルクゥは皮肉気に笑った。誰かに使われているとすれば、私の存在は都合が悪いことこの上ないだろう。

 何が話したい、だ。取り繕わずに端から尋問と言えば済むものを。


「このように酷い侮辱をされるとは予想外でした。この色も人としてやり直す機会も、全て師から貰ったものです」

「そうでしたか。申し訳ありません」


 言葉と裏腹に安堵したように緩んだ表情に、アルクゥはぐっと唇を噛んで首を振った。


「もういいでしょう。元々、話すことなんて何もないのだから。先程も言ったように私は帰りたいのです。どうせここまで来た事情はヤクシさんから聞いているのでしょう」

「せめて体が治るまで留まる気はありませんか」

「止めないと貴方は言ったはずですが」

「帰ることを止めはしませんが無謀は止めます。三日ここに待機していただければ、楽に帰れるように手配できる。待つ気は」


 無言で一瞥を返すとサタナは苦笑を零す。


「私に信用がないのは聞くまでもなかったか」

「お互い様でしょう。話は終わりです」


 前触れなく立ち上がったサタナに驚いて二歩下がる。

 迷いのない足取りで目の前まで来て、アルクゥが反射的に身を守るよう胸の前に上げていた左腕を取った。

 小石を落とした水面の波紋のように三重の円が広がる。

 魔術――のろいだ。

 手近な調度品を掴んだとき、その術式に向かってサタナが一字一句区切るように言った。


「“私は 偽らない”」


 花瓶を振り上げようとした手が止まる。

 首を反らして見上げた瞳と視線が絡み、アルクゥは花瓶の縁を離す。重さのある音で元の場所に落下した。

 今のは、とアルクゥは頭の中にある師の知識を求める。

 宣誓と懲罰。契約相手のいない、自分自身との契約とも言える。宣言し、それを破れば契約時に込めた魔力がそっくりそのまま牙をむく。

 ――自己に対する呪い。

 解呪には半年程の時間経過か、あえて罰を受けるか、新月を待って解くしかない。


「アルクゥ。私は貴女の敵ではありません。利用もしない」


 絶句したアルクゥは左腕を掴む手を苛立ちに任せて振り払う。


「何の、つもりだっ……!」

「単なる証明です。嘘は吐かない」


 混乱に叫するアルクゥとは対称的に、サタナはどこまでも理知をもって答える。


「貴女はよくよく運がない。その上、抱え込まなくてもいい厄介事も持って帰るつもりだ。問題なく帰れるとは、私には到底思えない。ですから私に、貴女を安全な場所まで送り届けることを許して下さい。国に属する人間が嫌というなら、私は役目を抜けます」

「そんな、無責任な真似」

「ええ分かっていますよ。ですが、また何もかもが手付かずになるよりかは幾らかましだ」


 再会から一貫して言えることだが、その中でも今の切羽詰まった言い様はあまりにもらしくなかった。上から注がれる視線が苦しげに歪み、アルクゥの不安を掻き立てる。


「何の話ですか、それは」

「無様な男の話です。詳しく聞きたいですか」

「いえ……」


 愉快な話題でないことは明白である。

 アルクゥは度合いを増した頭痛に呻いて額に手を当てる。早くヴァルフの傍に帰りたかった。


 

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