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精霊のシジル  作者: 染料
四章
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第四十一話 魔導師長の所見




 国王が軍部に真っ向から喧嘩を売った日から目に見えて増員された近衛兵を尻目に、アレイスターは王宮の外殿を小走りで駆け抜けていく。常に不健康に彩られた土気の肌は今ではその色すら失せ、偶々行き会った知人には部屋で寝ていろと並走されながら諭される始末。それを撒いてサタナの執務室に行き着く頃にはいくらか動揺の灰汁も抜けて口元に笑みすら戻ったが、心中では消えた英雄の行方が途方もなく気掛かりだった。

 ――アレは悪路の露払いになるかもしれない。

 どこからか突然連れて来た小娘を蜜の罠ではと危惧した大臣に、サタナは高揚が隠れた笑みで告げた。

 精霊祭の魔物退治を目にしてレイスも同意した。ああ、彼女は竜を殺した英雄だったのか。ならば致し方ない信じてみるか、と。

 英雄は常と食い違った存在でありその齟齬が周囲の反発と誘引を引き起こす。一挙一動で人が動き状況が動き、ともすれば世界すら動いて移り変わる。それが英雄だ。

 軍部で崇められている嵐の英雄はそのことを重々理解していたのだろう。

 祭り上げられても動かず、喋らず、今でも公的な場に姿を現すことははしない。サタナは責任ある者の怠惰だと気に喰わなかったようだが、レイスにしてみれば嵐の英雄が名だけの亡霊に徹したお陰で絶望的な形勢の傾きは回避できたと考えている。

 閑話休題、竜殺しの英雄は予想以上の勲功を上げサタナの勘は的中したと言えよう。精霊祭には奇跡の炎で魔物を殺し大衆の心を掴み、誘拐された同僚を救い仲間内の結束を強め、どういった手品か精霊鳥を鳴かせたのも彼女の手柄らしい。

 本人の知る所かは不明だが、英雄は立派に道の露を払い不明瞭だった先行きを見せてくれた。防御を固めてようやくといった有様だった我らに勝機を見せた。だからこそ攻勢に転じた。

 その矢先に導いた者が消えるという損失は測り難い。

 そしてこちらは予想に過ぎないが、最も近くにいた者にとっては殊更に影響は大きいのではないだろうかとも思う。


「失礼しますよ。火急お知らせしたいことがありまして」


 レイスは扉外に控えるヤクシの冷たい視線を受けながらノックの返事も待たず執務室に踏み入った。 奥のサタナは異変を察して目を細め、先客に断りを入れてレイスを優先する。頷いて早足に歩み寄り「失礼」と室内全員に告知し指を弾いて声の指向性を絞った。


「問題が?」

「計画は滞りなく。けどアルクゥ殿が消えた」


 サタナは表情一つ変えなかった。「説明をお願いします」と返す言葉も平静そのもの。いつもと変わらぬリーダーの態度にレイスの波立った心も幾らか宥められて状況を説明した。喋り終えるとサタナは思案気に右親指の腹で左手の甲を撫で、軽い溜息を吐いてレイスが張った術式を解いた。明確な干渉術式を受けて顔を顰める。


「勝手に干渉しないで欲しいんだがね」

「これは失礼。ついでに、申し訳ないのですがホルスト参謀長。今日はお引取りください」


 謝罪もおざなりに、サタナは先客のホルストに退室を促した。片眼鏡の参謀長は眉を上げ「問題かね?」と些か愉しげに、しかし引き際は心得ているようで大人しく立ち去っていく。


「それで、どうする」

「彼女の状況によって変わります。捕らえられたのなら取り返す。逃げたのなら力づくでも連れ戻しましょう」


 その言い様に僅かながら寒気を感じた。理由のわからない感覚を努めて無視し、状況が分からず口を差し挟むか迷っているトゥーテに黙っているよう仕草で示しつつサタナに問う。


「と言ってもどちらの可能性も低い。門を出るとき確かに合図はあったから魔導院の内部からは出ているし、捕らわれた様子もなかった。逃げるにしても、あの時点で消える意味が分からない。となれば何か不測の事態が起こって姿を晦ましたままと考えるべきじゃないか? それを踏まえた指示が欲しい。待機か、捜索か。尤も、あの仕組みすら分からない隠形魔術を使わちゃ見つけられる奴なんて……」


 サタナはふと何かに気付いたようにレイスを見返したので視線の意味を質してみる。


「心当たりがあるって?」

「一人だけいます。しかし」


 珍しく歯切れの悪い様子にレイスが首を傾げたときだった。

 身の竦むような轟音が空気を震わせ、併せて襲ってきた振動が執務室を小刻みに揺すぶる。地震ではない。加護により王宮は災害とは無縁だ。

 動物の本能に従って固まったレイスの尻目でサタナは立ち上がる。そのまま冷静な足取りで外に歩いていった。護衛官のトゥーテが慌ててそれを追いかけ、十数秒遅れながらレイスも続く。

 廊下には混乱した官僚が右往左往し、中には叫び声を上げて逃げ出している者までいた。危険な場所に立ち入ったことのない文官らしい振る舞いだ。レイスはその混迷の中を迷いなく進む聖職衣の背中を目印にして進む。やがて外殿の外側にある柱廊に到った。

 そこにも何人か官僚の姿があった。皆一様に正面を向いて目を瞠り微動だにしない。異様な光景に一体何が、と彼らの視線をなぞったレイスは、その彫像じみた並びに見事に加わった。

 前方に見えるは遠くにあっても壮麗な王都の中央に座す大聖堂。古より聳え王都げかいと睥睨してきた巨塔は佇まいを一変させていた。上部の階層が抜き取られたように消失し、周囲に目の粗い白煙を燻らせている。

 ――教会への攻撃。

 理解したレイスは考えうる限りの仮説を頭に並べ立てる。サタナもしくは軍部の計略、邪教徒の反逆、教会の自作自演、他国からの破壊工作その他諸々――どれも現実味がない。第一に各種防御に護られた大聖堂をあのように破壊できる兵器は存在しないのだ。

 一体誰がどんな芸当を以ってしてあのような破壊を成功させたのか。

 レイスは己の驚愕に満ちていた心が段々と好奇心一色に変わっていく様を感じていた。研究者の性は抑え難い。

 口元に浮かび上がる満面の笑みを両手で隠し、目を眇めて大聖堂の有様を観察する。


「破壊手段は魔術だろうねえ。様子からして内部から、複数階層を一気に消失させたのかなあ。じゃなきゃ残った上階部分がああも綺麗に着地できるわけない。んん? 煙の動きが変だな、渦を巻いている。上空の風は強いから? いや、にしても奇妙だ。魔術の余韻? 何にせよ近付いて詳しく調べる必要が」

「レイス、伏せろ」

「え? 何で?」


 珍しく慇懃さが抜けた声を聞いた直後のことだった。突如として空から吹き降ろした暴風に体勢を崩され無様に転がり壁に強かに背を打ち付ける。

 自然と蛙が潰れたような声が漏れ、痛みに瞑った瞼の中に生理的な涙が浮かんだ。軍人魔術師ながらも痛みと荒事は不得意なのだ。弱々しく呻き背中の痛みを気にしながら目を擦る最中、レイスは鼓膜を刺した音にギョッとした。

 金属が噛み合う音――剣戟。

 慌てて目を見開くと吹き荒れる風でぼやけた視界に鍔迫り合う者たちが映り込んだ。


「随分な挨拶だね。戦いに来たわけではないのだけど」


 銀灰の髪に黄褐色の瞳――嵐の英雄が僅かに顔を歪めて呟く。その右目は硬く閉じられ血が一筋流れ出ていた。

 相対するサタナは酷薄な笑みで応じる。


「殺気を纏ってそれを言いますか。争う気がないならせめてこの鬱陶しい魔力の風を収めてはいかがですか」


 ハティは開いた左目を細め「それもそうか」と認めた瞬間に風は止む。それを受けてサタナも腕力の上では優勢だった剣を引いた。

 沈黙が空気を凍結させる。

 やがて居合わせた官たちから戸惑いを含んだどよめきが広がった。内の何人かはまろびながら方々へ散っていく。


「先に言っておきますが私の部下は所用で不在です」


 言葉にて機先を制したのはサタナだった。ハティはほんの小さな不機嫌を呈した唇を不承不承開いた。


「そう。どこに?」

「教えるかどうかは用向きによります」

「ねえ、わたしが彼女に何かするとか思っていないよね?」


 ハティが鼻白むと呼応するように風が吹く。

 すると話にならないと言った様子でサタナは肩を竦めた。


「貴方は鏡を持ち歩くべきでしょうね」

「何だと?」

「私は自分の状態すら理解できない愚かな人間に大切な部下を会わせるつもりはありません」


 薄ら寒い視線が交錯する。

 しかし長くは続かない。ハティが先に折れ視線を外してしばし瞑目した。次に目を開いたときは内から迸っていた苛烈な威圧の大部分が鳴りを潜めており、レイスは無意識に詰めていた息を密かに吐き出した。握った手にじっとりと汗をかいている。


「サタナ司祭。わたしはアルクゥと会って話がしたい。彼女の居場所を教えてほしい」


 それを聞いた刹那、サタナは不快感を露わにし嘲るような笑みを作る。

 それから抜き身の剣を鞘に収め足早に歩み寄り、自身よりいくらか背の低いハティに耳打ちした。二言、三言の後、弾かれたように片目を見開いたハティは「アルクゥ」とまるで恋焦がれた相手の名を呼ぶような熱を込めた呟きを発し、空気に溶けるように姿を消した。


「ああと、察するに、聖人殿もあの完璧な隠形が使える。そして推測するに、隠形を使える者には穏形している者が見える」

「ご名答」

「アレは竜殺し殿のみの特質ではないということか。聖人も持ち合わせる特異能力、ねえ」


 アルクゥの正体について探りを入れるが、全てを知るであろうサタナは別の方向に気を取られていた。自身の左手を掴んで爪を立てる様に「怪我か」と問えば否定が返る。


「私は執務に戻ります」

「僕は?」

「睡眠を取ったほうがよいでしょうね」


 酷い隈だ、と取り繕うような揶揄にますます怪我を疑うが、サタナは半ば茫然自失のトゥーテを伴って執務室に帰ってしまった。

 残されたレイスは再度大聖堂の方を見詰める。いつの間にか空を覆っていた黒雲から静かに雨粒が降り注ぎ、周囲を舞っていた細かな瓦礫の煙が晴れていく。

 レイスは外に手を差し出す。冬の雨は切る様に冷たい。お陰で天候に反して頭は晴れ晴れと澄み渡った。

 ――聖人の片目は潰れ、着用した騎士服には怪我以上の血がこびり付いていた。明らかな戦闘痕。

 レイスは今一度大聖堂の崩壊した部分を見てからその場を立ち去る。とにかく今は寝ること、そしてアルクゥが無事発見され戻ってくるよう祈ることがレイスの最重要事項だった。


 


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