第三十九話 前触
「すげぇな」
思わず素の口調が出るほどに無様な防衛会議だった。
防衛大臣、国軍最高司令官、各軍の長官、その他諸々が出席、召喚され昨今危うくなりつつある国防について意見を交わす会議である――はずなのだが。
「今日の会議はこれにて終了いたします。有意義な話し合いでした。とても」
老獪な外相オットーが皺だらけの顔を更にくしゃくしゃにして笑み、閉会を宣言して王の背中を小突く。王は王で言わなければならないことを全て言えた開放感からか清々しい顔をして逃げて行く。手元の書付けを見て喋ったことに気付かれていないとでも思っているのだろうかあの凡愚は。
兎にも角にも、国主の席には滂沱の冷や汗の痕だけが残り、軍部の主導者たちは一斉に罵倒を開始して会議室を震わせ始めた。
ホルスト参謀長は、彼らに合わせた表情を作りながら、罵倒の中身を精査する。
失言の一つでも捕らえようかと思ったが、流石に幹部陣は感情のままに口を滑らすことはしない。
彼らの怒りは、国王陛下が国境を接する三国、そしてグリトニルとの不可侵条約の締結をしたと事後報告したところから始まる。そして公表と同時に、国境を侵し開戦を煽った罪咎によって多数の失脚者と罪人が量産されたことで一気に臨界点まで達したと思われた。統合幕僚長コンラート大元帥の退役勧告に始まり、海軍トップの更迭、西以外の国境警備責任者の罷免、それに巻き込まれる形で何人かの陸軍将校が国境警備に監視つきで飛ばされることが決定している。
「これは戦争だ!」
コンラート大元帥は顔を真っ赤にして怒鳴る。彼は少々利己的でありながらも愛国者だ。国を守ろうとしているのは確かで、悪い人ではない。ただ部下が悪いだけなのだ。
「そ、そんな。滅多なことは仰らないほうが、その……」
文官出身の防衛大臣ヴィリディスは蒼白な顔で大元帥を嗜める。初の女性防衛大臣と相成ったご婦人だが、見ての通り気が弱い。その無批判振りのお陰で暗殺知らずのお人だが、内情を知らぬ者には軍部の首魁と呼ばれ、軍部からは蝙蝠女と詰られる可哀想な女性でもあった。
頼りない名と実の二大トップを見遣ったホルストは、視線を反して静かな一角に目を向ける。
シャックス元帥とフラウロス元帥。
軍閥政治の思想を持つ七面倒な御仁たちだ。実質彼らのせいで「軍部」という強い括りが出来上がったと思っていい。彼らは冷たい目で卓の面々を睥睨している。
一見滅茶苦茶な処断だが今回彼らに大した損害はない。だからこそ、王側の挑発であることが明らかだ。じわじわ力を削ぎますよ、という宣言。
ホルストは内心呻いて瞑目する。
煽ってくれるなよ、まだ勝負を仕掛けるには早すぎる。もしくはわざと反逆の時期を早めようとしているのか。
中立派を自任するホルストは大きく肩を落として立ち上がった。血生臭いのは嫌いなのだ。
「顔が青いぞホルスト! さっさと下がれこの軟弱者が!」
「仰せのままに閣下」
唾を飛ばすコンラート大元帥を見て、何でこの人に尽くしているんだろうと半眼で考えながら、ホルストは事態の緩衝材となるべく動き出す。例えそれが変事の起こりを引き伸ばすだけの徒労と知っても。
◇◇◇◇
祝福の夜から全ての歯車が噛み合い軋みを上げて動き出した。
他国と不可侵条約の締結、グリトニルと安全条約の密約、反発する軍部と不気味な沈黙を守る教会。
ともあれ寸でのところまで迫った開戦は強制的に打ち止められた。
しかしながら戦争回避の代価は大きく、国境の弱小三国はともかくグリトニルに対しては多額の賠償を約束している。
己らの税より金が捻出されると知りながらも国民の反発は小さかった。神に認められた国主に懸ける期待が半分、もう半分はティアマトを覆う暗雲に対する不安だ。血気に逸った若者ならいざ知らず、戦争にうつつを抜かすより魔物や災害から守って欲しいのが民衆の大半が抱く本音なのである。
王宮まで声が届きそうなほどの大多数の協賛は王の正当性を後押しする。寧ろその協賛が見込めたからこそ強行案が発動されたのだ。
即ち、民意を集める切っ掛けを作った者が戦争回避の功労者というわけであったが、当の本人は気を良くするどころか最悪で、奈落よりも下に佇む心持ちだった。
「また、ですか」
最初からそう言う役割だと割り切っていたのに、声は恨みがましく低く沈む。我ながら分を弁えない。いや、違う。言葉を出すことすら思い違いの行動なのだ。主人がやれと言えばアルクゥに逆らう余地はないのだから。
申し訳ありません、と慇懃に詫びて頭から一切の反論を消し去る。従うしかないのだ。せめて雑念を消して生き延びられるように努力しなければ。
一連の心中は絶対に漏れ出ないよう厳重に注意したのだが、サタナはまるで聞こえたかのようにピクリと眉を動かした。常に張り付けた無表情の中でそれは何よりも雄弁だったが、肝心の良く回る口は開かない。
本当に何を考えているか分からない人だ。
アルクゥは嘆息を堪えて先を促した。
「ラジエル魔導院は研究所と魔術師養成学校を兼ねていると聞いております。貴重な人材が集まる場所なだけに警備は厳重でしょう。前にもお話した通り、私は物理的な壁を抜けることは出来ません。侵入して殺して来いと仰るならば、その辺りの対策をお願い致したいのですが」
「レイス魔導師長が請け負ってくださるそうです。彼はラジエル出身で学長の覚えも良いですから」
「分かりました」
受け取ったリストをざっと眺める。暗殺するのは魔術師十二人。誘拐後、表向きは療養中となっているユルドが調べ上げてきた、魔物製造に関わっている可能性がある疑わしき者達だ。
眉間に皺を寄せると「発破をかける訳ではありませんが」と常と変わらない声で言う。
「グリトニルにも妙な魔物騒ぎが起きているとか」
「……だから陛下は間者に託したのですか」
「聡いですねぇ。そうです。賢君の懐が広くて助かりました。まあ、あちらにも何か負い目があるようでしたのでお相子ですかね」
「お目こぼしいただくなんて、どこまで内情を……いや、筒抜けでしたか」
「間者の有効利用と言ってくだされば」
口の端で笑うサタナに我慢していた溜息が漏れた。
人造の魔物が国を越えた人に害を成した時点で侵略行為だ。しかしグリトニル王は密書で告げるに留め、恐らくは少数の臣下にしか事情を触れていない。そのような対応を取り得たのは、ティアマトの王に害意がないことを充分承知したが上だ。
「――他に何か留意しておくことは?」
今の話で失敗は許されなくなった。疑わしきも罰するという腹が決まる。
サタナに手招かれ、何をするか悟って近付く。
白皙の聖職者は、薄い色の視線を外さず、確かめるようにアルクゥの真名を呼ぶ。
「アルクゥアトル」
「はい」
続く命令はアルクゥの予想を真っ向から裏切る。
「何があっても、とりあえずは必ず帰ってきてください」
「はい。え?」
「それではお願いします」
はあ、と答えた自分はさぞ間抜けな顔をしていたのだろう。退出時、扉の外に控えていたヤクシが大いに顔をしかめて「腑抜けた面を改めろ」と痛言を送ってきた。それを丁重に返して既に待機しているレイスに声を掛ける。
「日時は?」
「あ、あの、部屋に移りましょう。私の研究室にでも……あっいやその、つまり密室でお話した方が盗聴の心配がなくてですね」
「承知しております」
この枯れ木のような男が熟睡すると人格が変貌するのは周知の話だ。快眠のレイスはおどおどとアルクゥを見、ではこちらにと消え入るような声で呟く。
雑談をしながら研究室の道のりを歩いていると、軍部から程遠い場所にも関わらずギルが向かいから歩いてきた。堂々とした歩き姿に反して、視線は迷い子のように頼りない。
「ああ、アルクゥ殿に魔導師長か。ハティを知らないか?」
「私は見かけておりませんが……まさか、また」
消えたのかという言葉を飲み込む。そう言えば最近会っていなかった。失踪癖が息を吹き返したのかと眉をひそめると、意外にもレイスが行方を知っていた。
「あの、門の近くにいらっしゃいました」
「門?」
「はい。外出されたのでは?」
ギルは少し考え込んでアルクゥに窺うような碧眼を向ける。
「アルクゥ殿。共に探してくれると嬉しいのだが」
「申し訳ありませんが」
「いや、俺が悪かった。無理を言ったな」
ギルは眉を寄せて申し訳なさそうに笑い、踵を返して去っていく。その背中が兄弟子やトゥーテと重なったのは、過保護という共通点のせいだろうか。
「教会の連中含め、種々多様な狸共は聖人が欲しくてたまらない。副官の彼も大変だし、当人は更に大変でしょうね」
いきなり声を低くしたレイスに驚く。適当に相槌を打つと、レイスは寝不足のような顔になってニヤリと笑った。
「ところで竜殺し殿。常々お聞きしたいと考えていたんですがね、噂によれば、英雄殿は神の如き炎を操るそうですけど」
「面倒な人だな貴方は……私が聖人かという問いならば馬鹿げていると答えますが」
「何だ残念。神っていると思います?」
「似たような質問を受けたことがあります。そのときは信仰をどう考えるか、でしたが」
「似てませんよ。思考と存在の話では天と地ほどの差がある。ところで誰に聞かれたんです? サタナ?」
「石の聖女とやらにですよ」
鬱陶しげにしながら答えると、レイスは唸って腕を組んだ。
「あの女は恐らく狂っている――怪物退治は英雄の嗜みですが、貴女は関わらない方が良いでしょうな」




