第三十七話 夜騒動
用事があるのは自分だというのに、サタナが先導するという奇妙な絵面だった。
アルクゥは隠さず顔を顰める。月陽樹に何をしに行くのかも問わず、心なしか仕事時よりも緩い歩調がこれまた奇矯な振る舞いに思えた。
警戒心が頭をもたげ、アルクゥに猜疑と詮索を囁く。
月の影が差す柱廊を黙って進むこと幾許か、アルクゥは相手の腹を探るように口を開いた。
「逃げませんよ」
「逃げる? 何の話です?」
サタナは不思議がるように言う傍ら、振り返ることもせず自身の左手袋を外して白い肌を晒した。手の甲に赤い契約印が不気味なほど映える。
呼応するように左手が疼いた。同じ紋様が刻まれたそこを押さえ、不用意に言葉をかけるべきではなかったと後悔する。
「疑われていると思うというのは、裏を返せば貴女の中にその考えがあるからでしょう。逃げ出したくなりましたか」
「……早く暇を頂きたいとは思っております」
「まあそう言わず。竜殺しの功績は目覚しい、これからも励めと陛下も仰っていたではありませんか。陛下の足元が安定した暁には、どんな栄華も思うがままですよ」
サタナが王の執務室に行くときは当然アルクゥも付いていく。
その時初めて顔を合わせたギルタブリル国王陛下は、確かに功績を称えはしたが、明らかにアルクゥに怯えていた。サタナにも気後れをしているように見えた。
無事に磐石な地位を掴んでも、今度は玉座が彼の寿命を削るに違いない。
が、その心配はあまり必要ないかもしれない。
「勝ちはないでしょう。今のままでは」
「正直ですねえ」
「教会に地位を持っていた貴方が、なぜ王に付いたのか理解に苦しみます」
数歩先を行く色素の薄い男は立ち止まり、半身振り返った。笑んでいるようだが、目元が柱の影を受けてよく見えない。他人と会話をする際の習慣として表情の機微を読み取ろうとしたが、どうせ何も分かりはしないのだ。
夜空に視線を移す。今夜は随分冷え込んでいる。白い息を吐き出しながらアルクゥも足を止めた。
「私が話した、ニコラ司教の屋敷で出会った女性は覚えておられますか。自称上層部の彼女は貴方を傍から離さなければ良かったと言っていました」
「男として冥利に尽きる言葉ですねえ」
「私も彼女の言う通りだと思います」
「おや、では貴女はずっと私の傍にいてくださるのですか?」
「その屈辱的な茶化し方はお止めください」
「本当に私が嫌いですねぇ貴女は。私は好ましいと思っているのに。……その凶悪な面相は止めてください。貴女はフードの覆面効果を過信しすぎだ」
「お構いなく」
投げ遣りに言うと、サタナはようやく真面目に取り合う態度になった。
「さて、陛下に力添えする理由でしたか。理由……理由、ねえ。巡り合せ、星回り、偶然、状況に任せた成り行き、そんな所かな」
「……よく分かりました。質問に答えてくださってありがとうございます」
「このことを知っているのは陛下、ヤクシにユルドくらいです」
冗談ではないのだと暗に告げている。
アルクゥは思わず声を低くした。
「貴方は貴方の意思でこちらにいるわけではないと?」
「呼ばれたから来たという感覚ですね」
「陛下に?」
ええ、と笑い含みに答えてサタナは先よりも緩やかに歩き出す。
「何時だったか、内殿付近で、暗殺されそうになっている平凡な男に会いました。彼は佩剣している私を見て命乞いをした。仕方ないので助けたところ、斬った死体の中に次期と目されていた先王の次男が混じっていましてねぇ」
「それは……大逆罪です」
思わず周囲を探ったアルクゥに対して、「いやあ、アレには驚きました」サタナは白々と溜息を吐く。
知っていて殺したのかもしれない。根拠はないが、そう思う。
「骨肉の継承権争いは残り二人。私は彼に王位を望むか尋ねました。彼は死にたくないから王になると答えた」
「呆れ果てる無責任さですね」
「その通りです。でも私はどんな人物が王になろうと興味はなかった。だから手を貸しました。貴女が出会った女性に引き合わせ、教会の後ろ盾を与えた」
さり気なく匂わされた事実にアルクゥはしっかりと気付き、手の平の肉に柔く爪を食い込ませた。
あの女性は教会の動向を決め得る立場にある人間らしい。もしかすると――。
「それで、どうなったのですか」
様子を窺う視線を寄越していたサタナは、続きの催促に頷いて結末までを一気に語った。
「巨大な後押しもあって、彼は玉座につき――即位した当日に何を血迷ったのか全てを父王に倣うと宣言しました。命が惜しいと言ったその口で、教会に反旗を翻し、軍部の怒りを買った。力を貸せと招かれたのはその後です。私はそれを請けた。教会で腐っているよりはましでしたから――これが理由です」
貴女が望むような答えであったかは分かりませんが。そう言ってから挟んだ沈黙は、アルクゥの中に何か問いが残っていないか確認する間のようだった。しばし迷ってから口を開く。
「野心はないのですか? お金や、地位は欲しくないということですか?」
「はい」
「忠義も……ないのでしょうね。何かの、目的などは……例えば復讐だとか」
「ありませんね」
答えるサタナは笑っていながらも空虚だ。尋ねる方に徒労を覚えさせる手応えのなさ。
「それなら貴方には何があるのですか?」
サタナは王の政務補佐官という地位にいる。いわば宰相位だ。何時死んでもおかしくない場所に立っている理由が「ない」のは、アルクゥの価値観からすると信じがたい暴挙だ。
睨む先の後頭部が振り返り、アルクゥは失言に気付いた。
サタナが笑っていない。無表情に夜風よりも冷たい眼差しが張り付いており、ひやりとしたものが背筋を駆け上がる。
怒りを買ったか――にじって一歩分の距離を空ける。すると眉根を寄せ、能弁をどこかへ忘れてきたかのように短く呟いた声は、風に紛れて夜空に消えた。
口の動きのみで届いた言葉の内容は些か心許なく、忘れたほうが無難だろう。
それ以上探る気が失せたアルクゥはおざなりに話の礼を言い、サタナから距離を数歩分の置いた。
(馬鹿なことを訊いたか)
だが何か話さなければ不安だったのだ。
ニコラ司教が自害させられたと聞いた時からこの主人が怖い。
サタナに落ち度はない。ただ、主人は従僕を容易く殺せるという事実を改めて肌で感じたがゆえの、自分の怯懦だ。
恐怖とは未知から訪れる。だからサタナを知ろうとしたのだろう、とアルクゥは自分を分析する。
(契約破棄は双方の合意か片方の死だ)
アルクゥは前を行く背中を見詰め、小さく溜息を吐いた。
コイツは嫌いだ。だが危険に際すれば主従の契約がなくても助けるだろう。それくらいの情だか仲間意識だかが、共に仕事をする内に湧いてしまっている。
(不安も恐怖も憎しみも、情も何もかも消えてしまえば楽になる)
こんな事を考えるときには、無性に幽世に行きたくなる。
「貴女は……」
呆れ返った口調にふと我に返る。
完全に振り返ったサタナと目が合った。
しまった、と意味もなく口を押さえる。どこからどこまで漏れたのか。羞恥で頬が熱くなる。
「……いえ、何でもありません」
嫌味も皮肉も無く、変な気の使い方をされたのが居た堪れない。思わず、やはりさっさと死ねと胸中で悪態を突く。するとくつくつと喉で笑い出した。
「面白い人だ。貴女に殺されても恨みませんよ」
「鋭意努力します」
左手を握り締めながら言うと、サタナは一息吐いて口の端を上げた。
「契約の妨害を受けずに男を殺す方法などいくらでもある。試してみてはいかがですか?」
一瞬意味を図りかねてサタナをまじまじと見上げる。いつもの笑みがそこにあった。鼻で笑って一蹴すると「その意気です」と励まされて無性に腹が立った。
◇◇◇
王宮の西門を抜け王都の北大門へと向かい、防壁に包まれた王都から出る。
外を吹く風は一層冷たいが規律から開放されたような清々しさがあった。背中に感じる温度さえなければ、ケルピーとさぞ楽しい夜の散歩ができただろうに。
アルクゥは背後を否が応でも意識する。
密着すると服越しに窺える鍛えられた異性の体躯を、単なる風除けと思い込むことで不快指数を減らした。
辿り着いた月陽樹の根元でケルピーから降りる。
その霊樹は首が痛くなるほど見上げても頂が見えない。透明に近い葉が作り出した不思議な陰影の中に立ち、アルクゥはつい「あ」と小さく声を上げる。
登る方法を考えていない。
自分が馬鹿な生き物に思えて落ち込むが、一応はこのまま登ることも可能である。身体を強化して枝を伝えばいつかは天辺に到着するが――。
「上に行きたいのですか」
悩むアルクゥの隣に並んだサタナが同じように月陽樹を仰ぐ。
「……お構いなく」
「好きで貴女の気まぐれに付き合っているのに、構わないでどうしますか」
つとサタナの人差し指が宙をなぞった。
瞬きの間に展開した術式が風を集め、落ち葉を集めて大きな鳥の形に変わる。人造魔物の生成の速さと技術に目を丸くするアルクゥをサタナは担ぎ上げた。
「なっ……」
「舌を噛まないでくださいね」
唐突に浮遊した鳥のゴーレムは一直線に上を目指す。アルクゥは忠告に従って文句と共に舌を引っ込め、替わりに微かな感嘆の息を漏らす。
月陽樹の頂は、硝子の冠のようだった。
絡み合った太い枝が天辺の少し前から八方へと広がり、先端部は葉と同じく半透明をしている。中心には小さな広場くらいの空間があった。担がれた時と同じく無頓着に降ろされたが、落ちた足元は柔らかい。コケが絨毯のように天頂を覆っているせいだ。
「おや、精霊鳥は見当たりませんねえ」
鳥から降りたサタナは目に庇を作って周囲を見渡し、アルクゥに視線を留める。
「貴女にはどう見えますか?」
アルクゥはすっと息を吸い込み、サタナの前から掻き消えた。
世界が変わる。光を帯びる。
幽世から見る月陽樹の頂は、鳥もいなければ巣も見当たらない。
ただ――光の花が咲いていた。すらりと長い茎に襟巻きの葉を飾った八重咲の、アルクゥの両腕にも余る雄大で美しい花が。
月陽樹の冠を埋め尽くす花々は、幽世にも吹く夜風に動じず彫刻のように微動だにしない。
ハティが言ったように見て損は無い美しい光景だが、第一目的が精霊鳥を暴くことのアルクゥは釈然としない。
指先で手近な一つに触れてみる。
大げさに揺らいだ花は、澄んだ水に鈴を取り落としたような、微かな音を発して大量の光子を噴き上げた。
その様子は、前に幽世の中から人を殺したときの尋常でない光景に重なる。血が噴き出す代わりに光が間欠泉のように湧き上がり、それを浴びたアルクゥは数十分間自失したのだ。
その精神的外傷と刺激されて飛び退くと、運悪く別の花にぶつかった。それもまた大げさにしなり、今度はその揺らぎに別の花を巻き込み、音と光の波紋を広げていく。
「何だっ……これ……!」
半ば頭を抱えるように耳を塞いでも隙間から入ってくる。
一つ一つは儚い音色は、いく筋もの風が絡まり合うように互いを強く濃くし、やがては美しくも身の毛がよだつ不協和音を奏でる。
それは正しく精霊鳥の音だった。
花の撒き散らす光は月陽樹の頂を溢れ、方々へ零れ落ちていく。流れに巻き込まれそうになったアルクゥは、半分霞のかかった頭をどうにか動かして、幽世から逃げ出した。
「何をするかと思いきや……貴女は想像の遥か上を行きますねぇ」
音が響き渡る中でアルクゥを出迎えたサタナは、言葉の割には驚かずに笑っている。当人の方が余程動じている始末で、アルクゥは苔の上にペタリと座り込んだ。腰が抜けた。
「予想外といった風ですが、何をしたんですか?」
「その……花があって……揺らすと、精霊鳥が」
「花?」
サタナは要を得ない説明に首を傾げ、今は聞いても無駄と判じたようでアルクゥを担ぎ上げた。
「とにかく、良くやってくれました」
何が良いのか問う気力は残っていない。
アルクゥは大人しく荷物に変じるつもりで目を閉じた。




