第三十四話 未だ見つからず
肌を掻き毟りたくなるような酷い苛立ちが続いていた。
原因は世界を行き来する疲れか、それとも仕事に成果が上がらないせいか。いつしか身の内に疳の虫を飼ってしまったようだ。
時折、感情に目を瞑ることができず理性が負けそうになる。そういったときには幽世の空気に触れると不思議と気分は収まった。しかし行った分だけ疲れは溜まる。
こういった悪循環が生み出されたのは数週間空回りを続けた捜索の結果だった。
ユルドは一向に見つからない。
アルクゥが見取り図片手に忍び込む屋敷は、最善を尽くすヤクシたちの手が届かない僅かな、しかしだからこそ発見の可能性が極めて高い場所だ。なのに幾度となく幽世に潜っても服の切れ端すら見つからないのはどういうわけか。
(わかり切ったことだ。容疑者の総数に対して人手が不足している。私がいなかったら入り込めない場所の捜索はどうするつもりだったんだ?)
隠し扉の表面に触れ、薄ら寒さを感じる対侵入者用の術式を乱暴に拭う。ここでアルクゥを阻むことができるのは確かな物質としてそこに存在するものだけだ。
期待もせずに扉を開け放つと、煌びやかな宝飾品や美術品がアルクゥを出迎えた。それらには目もくれず淡々と更なる隠し場所がないことを確かめ、少しだけ伸びた制限時間を存分に使って屋敷を探し回ったが、やはり求める者は見つからなかった。
何の成果も得られず肩で息をしながら建物を抜け出す。侵入脱出はすでに手馴れて自分の天性が物取りにあるのではないかと疑うほどだ。
疲れを隠せない顔で付近に待機していたアフマルという若い赤髪の武官に首を振る。すると彼もまた別の意味で表情を歪めた。胡散臭げなものを見る目はアルクゥが無能ではないかと疑っている。
「失礼ですが、どのように探しているんですか? 俺は貴女が屋敷に入るところを見たことがない」
そうでしょうね、と適当な相槌に武官は渋い顔をして口を曲げる。
言い募ろうとするアフマルを「司祭に聞け」と制すとそれ以上の追求はなかった。サタナの人選に口を挟むほど度胸はないのだろう。アルクゥはホッとしてさざめきかけた胸を撫で下ろす。最近感じる苛立ちは自身にとっても不快でしかないのだ。
アフマルと執務室の前で別れて深呼吸をする。ここからが正念場だ、と気を引き締めて中に入ると、書類の山を机の両脇に従えたサタナとどこかやつれた顔をしたヤクシがアルクゥを出迎えた。
「報告に上がりました」
「どうぞ」
「見つかったのは脱税の証拠だけです」
「そうですか。普段であれば充分な成果なのですが。レイスやヤクシの方も芳しくないようです。痕跡も目撃者もなし。犯人は要求もせずユルドを捕らえたまま沈黙している。後先を考えない相手だと侮っていましたが、ここにきて慎重だ。こうやってこちらを消耗させるのが狙いか、それともまともな頭でも味方につけたか……」
サタナは首を傾げる。
その姿を見て苛々が募る。王擁護派を統率しているのはサタナで息つく暇もない仕事をしているのは察せられるのに、机上で推論されると異様に腹が立つ。明らかに八つ当たりだと分かっていながらも、アルクゥの言葉には勝手に棘が生えてしまうのだ。
「誰かが流したシャムハットとやらの噂で民衆は過敏になっています。噂が噂を呼んで、一部ではシャムハットが魔物を率いて攻めてくるなどと荒唐無稽な話もある。厄に家族を殺された遺族を筆頭に早期解決を望む声は高い。この調子で時間の浪費を続ければ貴方の首は絞まるばかりかと思われます。……私のような者がいない場合の、真っ当な対応をとるべきです」
一息に言い切るとサタナは書類整理の手を止めて真っ向からアルクゥを見詰めた。
「貴女は誘拐事件に対して通常どのような対処をするのか知っていますか?」
「それは……」
思いがけない質問に口ごもる。問われてみれば、方法の大枠は知っているつもりでも明確な言葉で説明はできない。
恥じ入ったアルクゥにサタナは責める風でもなく淡々と流れを示した。
「大まかではありますが、警吏に通報があれば専任が派遣され被害者の捜索、保護、或いは犯人との交渉及び捕縛という手順を踏みます。その中で最も肝要なのは、犯人を刺激しないということ」
一呼吸置いて「誘拐された者が守るべき立場にあるというならば、ですが」と嫌な文言を付け加える。
「今回は目撃者不在、痕跡もなし、犯人からの接触は皆無。手元にあるのは疑わしき者のリスト一枚。これらを元に真っ当な対応をと言うならば、誰かにユルドの職務を引き継がせ大々的な調査を続ける必要がある。焦った相手はユルドを殺すかもしれませんが、彼女の安全は二の次だ。なぜならユルドは軍人だからです」
「ですが、伯爵家の」
「追い詰められた者が家名を考慮してくれるとは思えません」
それでも当然の対応を望むのか、と試すような視線を睨み返す。
ユルドの命か犯人か。選ぶとするならやはりユルドだ。そもそも自分の発言がこれからの指針を曲げられるわけがない。なのに懇切丁寧に説明したサタナに腹が立つ。
だがそれ以上に稚拙な怒りを抑えられない自分が疎ましい。
突然、ヤクシがサタナとの視線の交差を断ち切るように間に入ってきた。虚を突かれて警戒露に睨み付けてくるヤクシを邪気無く見返すと、たじろいで一歩下がった。
「その目は止めた方がいい」
サタナに言われて目元に手を当てたアルクゥは理性を総動員して剣のように尖った瞳孔を鎮める。ヤクシの恐れを抱いた魔眼は自分をどのように映しているのだろうか。
何をしているんだ、私は。アルクゥは己を叱咤する。分別のつかない子供でもあるまいに。
「体調が悪いように見えます」
「いや……いえ、ただ気分が優れないだけです」
「限界なら別の手立てを講じます。貴女が潰れてしまっては困る」
「別が無いから今の方法なのでしょう」
「さっき言った通りです」
はたと目元から手を外す。
「ユルドさんは」
「戦力を両方失うくらいなら片方は確実に残したい。それに能力を引き比べるなら、貴女の方が希少なんですよ」
ヤクシが息をのんだ気配がした。
アルクゥはまじまじとサタナを見返す。部下を捨てるのか。怒りが湧く前に心中で問う。すると、ほんの一瞬だけ苦いものが心を舐めた気がした。膨れようとしていた怒気が萎む。
「……私が引き継ぎます」
考えた末にアルクゥはそう提案した。意外そうにしたサタナが是非を答える前にヤクシが痛烈だが的確な事実を吐き捨てる。
「調子に乗るなよ。貴様にユルドの代わりが務まるわけがない」
アルクゥは怯まずに言い返す。
「当たり前でしょう。私は逃げるか隠れるか、殺すくらいしか能が無い」
言葉を引っ込めたヤクシを見届けてから、改めてサタナに向き直った。
「竜殺しが捜査官の後釜に座ったと流してください。犯人を特定しているように匂わせれば釣れる可能性が高いでしょう。あえて捕まってみるというのはどうでしょうか」
サタナは「死にますよ」と遠慮なく言い放つ。
「捕らえてくれる保証はありません。その場で殺される恐れもある」
「貴方も撒き餌くらいは考えたはずです」
「別の者が貴女を横取りしに来ることも考えられます。名のある人間が表立つというのはそういうことです」
「……危険を論じるなら切りがない。いくらだって考えられます。たとえば今の瞬間に天井が落ちて貴方が死ぬ可能性も否定できませんが」
むきになって言うとしばしの沈黙があり、サタナが俯いて口に手を当てて肩を震わせ始めた。ヤクシが呆れたように天井を見上げ呟く。
「ガキか貴様は」
「成人していないのでガキで構いません。それで、司祭。答えは」
しばしの後、笑いの余韻をまだ残した顔が頷いたのを見て、アルクゥは肩が軽くなった。そこでようやく自分が進展しない状況に責任と焦燥を感じていたことに気がつく。幽世で仲間の命を探すという大命はとてつもない重圧だったのだ。
◆◆◆
近衛騎士団は約六千人から成る、軍属の中でも特殊な位置にあり一般的に名誉ある部隊とされている。
特に王室の護衛を預かる親衛部隊ともなれば最高の誉れとして羨望の眼差しを受ける職務だ。その選考は厳しく、実力身分品格の全てを備えていなければならない。
休憩所の壁に背をもたせたヴァルフは頭の中でそんな情報を思い返し、窓の外に目を遣った。
そこからは訓練場が見え、十数人の近衛騎士が見える。サタナや老臣が慎重に選りすぐった王の側に置いても安全な者たちだが、ただの一瞥でも身分と品格の二つが欠落していると分かる輩が混じっている。
実力があって寝返らない人物なら誰でもいい。寧ろ、この権力争いの最中であれば利害に敏感な貴族の方が信用ならないこともある。数度会話したきりの近衛騎士団長はそう言って低く笑っていた。
とは言え、いくらごろつきのような顔が多くても近衛に徴用された者たちの殆どは軍人として働いていたので礼儀は知っている。国王の前では一応厳格な顔もする。
問題は休憩と訓練の時刻に発露するのだ。
有体に言えば、庶民出身と貴族出身の衝突だ。
身分関係なく友情を築く者たちもいるが、そうでない者の方が多い。殊に、近衛の中に裏切り者がいるという噂のある今は口論で収まらない場合もあった。訓練ともなればこれ幸いにと殺気立つ。
かく言う現在も窓枠の先で二人の騎士が激しく打ち合っている。刃引きした剣とは言え刀身は鋼、切れはしないが人を殺せる鈍器である。
周囲は囃し立てるばかりで止めようとしない。あまり見ているとお節介の虫が騒ぎそうなのでヴァルフはその光景から目を引き剥がした。
「なあ、この飯不味くないか?」
「……暢気だなアンタは。止めなくていいのかよ」
「よく見かける光景だからなあ。大丈夫だろ、うん。あー、金髪が貴族出身のヒューエで、茶髪が平民出身のラトだな」
隣に座っているスキャクトロ、通称クロという鳥の巣頭の大男はあっけらかんとしている。ヴァルフが近衛に入隊した経緯を知っているからか、それとも孤立を貫こうとしている態度を見かねてか、何かと構ってくるのだ。
ヴァルフは剣を手入れで油に塗れた指先を拭きながら、我慢できず視線を外に戻した。窓枠の中をチラチラ出入りする騎士二人は互いに遠慮なく急所を狙っている。
ヒューエの方が幾分か優勢に見えたが次の瞬間、ラトが投げつけた鞘が額に当たり血が噴出した。だがヒューエは怯まず、向かってくるラトに土を蹴り上げた。土塊が目に入ったのか即座に後ずさるラトに今度はヒューエが踏み込むも、駆け引きはラトが一枚上手で相手を蹴りで出迎えた。
「泥臭ぇな」
「話してみりゃ良い奴らなんだけどな、如何せん血の気が多くて……ってのは近衛の半分以上当てはまるかもしんねぇな」
お前はどうだ?と言いたげな視線を鬱陶しげに払う。
「ヴァルフもご機嫌斜めだな。どうした?」
「別に。強いて言えば、暇なんだよ。近衛に来てやった仕事らしい仕事は、精霊祭の夜に魔物を斬ったくらいだ。後は突っ立って護衛するか、訓練か。こんなことなら聖職者の護衛をしていたほうがましだろう」
クロは苦笑する。
「魔物を斬ったくらいって、軽く言うがあれで二人死んでるんだぞ」
「……悪い。知り合いだったのか?」
「親しくはなかったな。……まあ、お前の言うことも分からんでもないよ。有事以外は暇なのが衛兵任務の辛いところだろ。でもサタナの護衛なんて趣味が悪……ああ、嬢ちゃんが心配なのか」
図星だったが認めるのは気恥ずかしい。無言でいるとクロは鷹揚な笑みを浮かべた。
「大丈夫さ。なんせ英雄殿だ」
ヴァルフは腑に落ちなかったが頷いておいた。
妹弟子が「英雄」と呼ばれるのは違和感がある。自分も度々からかいの種にしてはいたが、それはアルクゥという人間を知ってのことだ。度胸はあるが案外小心で、追い詰められると怒って爪と牙をむく。力はあるが決して英雄ではない。
しかしクロやその他の者たちは違う。
英雄と呼ぶその声音の中には期待や懐疑、羨望、畏敬などが入り混じっている。本人と打ち解けて話しさえすれば即刻解ける誤解でも、接点がなければ噂の一人歩きは止まらない。
ズレを無視した評価が味方だけに広まるならいい。
しかし敵が額面通りに受け取ればどうなる。厄憑き三百余名を救った炎の強大さを見て、危機感を抱くものがあればどうなる。
せめて側にいられたら、と強く思う。もしアルクゥに何かあったら師との約束を違えることにもなってしまう。
ヴァルフは時の停滞する部屋で眠りにつくネリウスを思い返す。
見舞いに行った二回とも目を開くことはなかったが、医師団の長であるラーケウスという老人が色々と説明をしてくれた。曰く、難しい症状であるということ。時を止めていられる内は原因究明に努めるが、出来なければ薬を使った対症療法に切り替えること。
完治はしないかもしれない。
だが症状は和らげることができる――それは穏やかに死を迎え入れることを示している。
「今日は止めるかなあ。どうもみんな殺気立ってやがる」
いつの間にか沈思していたヴァルフはクロの声で我に返った。途端に耳から弾かれていた騒々しい音が戻ってくる。
外を見ると、血まみれになった二人が未だにしのぎを削っていた。呆れたヴァルフは喧嘩の切っ掛けを尋ねてみる。
「裏切り者がいるって話があるだろ? それでピリピリしてんだ。食って掛かったのはラトで、ヒューエが裏切ったんじゃないかってな。気に喰わない奴に喧嘩を売る口実だよ。元からあの二人は反りが合わなくてな……」
「裏切り者、か。疑心暗鬼になって内部分裂は笑えないな」
「あ、そうだ。お前も疑われてるみたいだぞ」
あっさり言ったクロ自身には疑う様子はない。ヴァルフは鼻で笑う。
「構わねぇよ。俺は俺じゃないことを知ってるからな」
「おいおい消極的な奴だな。損するタイプだ。これは先輩としちゃ見過ごせんぞ」
「誰が先輩だ」
クロは椅子から立って壁にかけてある訓練用の剣を取る。やっと仲裁に行くのかと思いきや、笑顔でヴァルフに武器を差し出した。
「仲裁して来い、新人」
ヴァルフは剣を見て、時刻を確認する。現在は正午過ぎで、あと半刻もすれば護衛を交代する時間だ。確かヒューエも同じ持ち場だったと記憶している。
外を確認すると泥仕合が展開しており、とても決着がつくようには見えない。ヴァルフは剣を受け取らないまま出て行きながらクロに訊く。
「手荒くなるぞ」
「後遺症が残らん程度に頼むぞ」
肩を竦めて訓練場に出る。騒ぎを無視して訓練に励む者たちの後ろを過ぎ、二人を遠巻きに煽る一団を掻き分ける。視線を背中に感じながら、剣の音が耳に痛い距離まで近付いてとりあえず声をかけた。
「おい、止めろ」
聞こえていないのか迫り合いを止めようとしない。後ろでは邪魔するな新人、怪我するぞ離れろ、などと野次が飛んできている。ヴァルフは頭を掻き、まあ許可も貰ったし、と二人が少し距離を空けた瞬間に割って入る。踏み込んで剣を振ろうとしていたヒューエの腕と、斬撃を受けようとしていたラトの肩を掴んで両方を思い切り引き寄せた。
手元で鈍い衝突音を確認して手を放すと、そこには地面に膝を突いて悶絶する二人が残る。
「金髪の方、もうすぐ仕事だ」
それだけ言ってから集まる視線を避けてさっさとその場を離れる。
じきに訪れた交代の時間に持ち場である執務室前に行くと、人影が三つあった。一つは引継ぎを待つ近衛騎士、一つは先に来ていたヒューエで、もう一つは見知らぬ人物だ。
近付くと顔面の傷跡が生々しいヒューエの凄まじい目付きがヴァルフを出迎える。交代を待っていた騎士は天の助けとばかりに敬礼してヴァルフに場を受け渡し逃げるように去っていった。
「おや、君は新顔か。丁度良い。このお堅い騎士は私を陛下に会わせてくれないのだ。ちょこっと取り次いではくれないかね?」
片眼鏡をかけた中背の御仁だった。
狐に似た顔立ちに誂えたかのような狐色の髪が印象的だ。将官用の正装である黒を基調としたフロックコートを着込んでいる。昔の記憶に尋ねてみると、危なげなくその名前を思い出した。
「ホルスト参謀長殿。本日国王陛下への謁見申請は一つもなかったと自分は記憶しておりますが」
久しく使っていない言葉遣いが正解か心配しながら答えると、ホルストはぎゅっと眉をひそめた。
「君もお堅い種類なのか! 国防に関する提案なんだよ。陛下に陳情したいのに、毎度毎度門前払い。ああ、陛下は外敵に対して些か無頓着であらせられる。嘆かわしいことだ」
ヴァルフは内心盛大に顔を顰める。
こいつはサタナと同系統だ。あまり関わり合ってはいけない種類の人間だ、と。都合よくヒューエが会話に参加してきたのでそのまま黙っていることに決める。
「参謀長殿。国王陛下は多忙であらせられます。申し訳ありませんが、お引取りください」
「いやいや、私だって邪魔する気はないのだよ。だからこの時間なんだ。今は勉学の時間ではないだろう? というか君、その顔どうしたの?」
「……訓練に熱が入ったのです」
ギルタブリル王は継承権を持たない側室の子だった。施政者としての教育を受けておらず、仕組みは理解しているが政務に疎い部分が多い。それを補うために一日数時間、教師をつけて勉強をしているのだ。
ホルストは勉強する以外で王が多忙になる機会はない、と暗に皮肉った形になる。その緩衝材のつもりかヒューエの怪我をからかったが、見事に逆の効果を発揮した。ヒューエは不穏の体現者と化し、変化に気付いたホルストは笑って身を引く。
「いやいや、物騒だな。わかったよ。謁見は次に持ち越すからそう怒らないでくれよ」
踵を返したホルストは数歩進んで「そうだ」と半身だけ振り返る。
「アレの調査はどうなってる? ほら、厄憑きの」
「管轄外です」
ヴァルフが答えるといかにも落胆した顔を作った。
「つまり知らないのか。たしかストラシア家出身の子が捜査の全権を貰っていたな。そのせいで軍の一部から不満が噴出したんだけど……っと、こっちの内情はともかく、捜査の内情が欲しい。仕方ない、あのいけ好かない司祭にでも聞くか……」
ブツブツ呟きながら今度こそ立ち去っていった。姿が見えなくなった頃、ヒューエが特大の溜息を吐き、先程の恨みも後回しといった風情でぼやく。
「陛下の周囲に助言者がいない時間を狙って来るんだ、参謀長殿は。うっかり謁見を許そうものなら、立て板に水の如くあることないこと言って陛下を都合よく頷かせるだろう」
「悪いのはあっちだと言わんばかりだな」
「あちらが悪いに決まっているだろう。必要ない予算を集る虫だぞ」
ヒューエは当然という風に鼻をならし、傷が痛んだのか目を細めた。
貴族らしい上品な顔立ちには大小いくつもの生傷がある。
「医務室に行ってないのか?」
「行く暇があったと思うか?」
「ないだろうな。……その一割くらいは俺のせいだろうから、治そうか?」
ヒューエはギリと歯を食いしばる。
「お前、魔術師か。魔術師の情けはいらん」
「アンタも魔力持ちだろうが」
「だからこそだ。構うな」
魔力保持者とは魔術師になれない者でもある。隠さず嫉妬されて対応に困ったヴァルフは、ふと思いついたことを口に出した。
「参謀長の言っていたストラシア家のって、ユルドか? 司祭の護衛官の?」
「そうだが、それがどうした」
思いつきで聞いておいてあることに気が付いた。
アルクゥも捜査に加えられているかもしれない。元の能力が諜報向きなので尚更その可能性は高いように思える。サタナは極力危険に突っ込ませないと言っていたものの、厄憑きを焼き払わせたり、クーデターを首謀していたと噂される伯爵の不審死だったりと、その言葉に信用性は薄い。
一抹の不安が胸に芽生える。
ネリウスの状態についても話をしたい。近いうちに無理にでも会わなければとヴァルフは妹弟子の姿を頭に思い描くのだった。




