第三十三話 失せ物探し
「犯人が名乗りを上げたも同然だろう。サタナ司祭。ユルド上級大尉の捜索、及び後任は是非とも私に」
ユルドの不明を受けて開かれた会議にて、サタナによる状況説明の後、軍人と思われる男がまず口を開いた。豊かな頭髪に顎鬚、筋骨逞しい体躯。一般兵士は安価な軽装、勲位を持つ者が着用する騎士服は体の要所のみ守る半甲冑だが、その男は見事な甲冑を着ている。恐らくは軍の将官以上、以前の会議では見なかった顔だ。
「チェスター中将だ。以前は王都守護。今は西の国境警備を任じられているが、精霊祭の事件を聞いて単身のご帰還だ」
アルクゥの疑問を見抜いたように右のヤクシから衣擦れ程度の注釈があった。些か面倒臭そうなのは中将に対してかそれともアルクゥに対してか。どっちもだろう。
「失脚者の悪足掻きですな」
これまた囁くような声で応じたのはアルクゥの左隣にいる人間だ。すかさず咎めるヤクシの表情は恐らく渋い。
「レイス魔導師長……慎め。聞こえるぞ」
「へっへっ、どうだか」
奇妙な笑いに思わず左を見ると枯れ枝のような男が薄い肩を震わせている。
アルクゥと同じ外套を着た軍人魔術師で、彼と以前顔を合わせたことがあるとしばらくしてから気付いた。印象に強くあったオドオドとした小動物似の雰囲気は消え、ヘラヘラと常時ふやけた笑みは道化の化粧を連想させる。目が合うと親しげな調子で話しかけてきた。
「ほうら、あの様を見てくださいよ竜殺し。彼、我らの陣営が勝った暁には軍のトップに座って踏ん反り返るつもりで鞍替えしてきたんですがね、あまりの手柄のなさに焦っているんだ。貴女の武功をクロから聞いたのと、先日の聖人殿の活躍が堪えたのでしょうなあ。いかにも勇猛が誉だと喧伝する外見のくせして詐欺のように矮小な器だ。しかもその中に詰まっているのは権力欲や自己顕示欲で、おおよそ人の上に立つような器じゃあ」
「黙れと言っているんだ」
ヤクシがうんざりしたように言うと、レイスは空気が漏れたように笑った。
その気が抜ける音が聞こえたのか、部屋の中央で己を使うべきだと力説を振るっていた中将の視線がこちらを射抜く。途端にレイスはしおらしくなり、アルクゥを横目で見て、咎めるように首を振った。濡れ衣だ。
中将は肩をいからせて近付いてくる。内心動揺して言い訳を考えていたアルクゥを中将の怒気は素通りし、向かった先はヤクシだった。
「おい。おいおい貴様。ヤクシだったか。必死に懇意であろうとしていた同僚の安否がわからんというのに、随分と落ち着いているな。ん?」
絡まれたヤクシは無言で空を見ている。中将は米神をひくつかせて尚のこと迫った。
「彼女は騎竜卿ストラシア伯の第三子、即ち素性の知れない貴様がもつ唯一の立身手段だ。それを見失ってうろたえぬということは、貴様が裏切り者ではないのか?」
「ひいい、それはとんだ言い掛かりですよう」
「貴様は黙っていろっ!」
茶々を入れたレイスは黙り込むが、怒鳴られたからではなく唾が顔に掛かったせいだった。枯れ木の魔導師長が猫のように顔を拭う隣で、アルクゥは何を言われても動じないヤクシを見上げ、サタナが助け舟を出さず老文官と話し込んでいる理由を合点する。
だが頭で納得しても不快を催した心情の上では別だ。部屋に集まった者の中にも顔を顰める者は多くいて、特に若い武官は今にでも中将に殴りかかりそうな按配である。しかしいくら胸が空くとはいえ数少ない味方で殴り合うのは好ましくない。
不和が生じる、とサタナに伝えると好きにさせればいいと返ってきた。アルクゥは溜息を吐く。これまでを鑑みるにサタナには放任主義の気があるらしい。
「貧弱で卑しい異国の人間な上に言い返す度胸もないか? え? 言葉もままならぬなら国へ逃げ帰れば良いものを」
中将の悪言は生まれにまで及ぶがヤクシは顔色一つ変えない。「無視とはいい度胸だ!」と中将が胸倉を掴みにかかってようやく動いた。半身を逸らして手を避ける。誰かが鼻で笑った音がして、中将は顔を真っ赤にして引き下がっていった。
「目の敵にされているのですか?」
「知らん」
幾許かの同情を込めて聞くもヤクシは相変わらずアルクゥを見ない。
肩を竦めて口を閉ざすと、レイスが代わりに答えてくれた。
「それはね、竜殺しの君。あの猪は事を簡単に見てるんですよ。今回の場合、ユルド君は人質にもなりうるのに、単純に犯人を探して踏み込みひっ捕らえればいいと考えている。荒事は独壇場だから手柄を立てる絶好の機会だとね。そういうことですよ」
アルクゥは腕を組んで少し考えて、それがどうヤクシに絡むことに繋がる分からなかったので先を促す。するとレイスは「ははあ、無欲なのか馬鹿なのか」と揶揄した。ムッとして片眉を上げる。
「嘘だってそんな怖い気配を出さないでくださいよ。まあ、竜殺しに掛かればどんな手柄も不要でしょうなぁ。そういうことだって言うのは、中将は手柄を独り占めしたいってことですよ。それで一番目障りなヤクシを排除したい、と」
へへ、と胡乱な笑みを浮かべたレイスは、ふと真面目な顔になりつま先で三回床を蹴る。方陣が浮かんだのも魔力を発したのもただの一瞬、近くにいなければ気付かない速さの魔術行使で、レイスは音が届く範囲を絞った。思いもよらない実力に目を見開く。
「あ、竜殺し殿。今僕のこと見直したでしょう」
軽口がなければそうだっただろう。アルクゥは厳しい評を半眼に込めて返した。
「中々に厳しい人だな。――おっと、ヤクシ。これで思う存分愚痴を言って良いよ」
ヤクシは軽く視線を投げて呆れたように息を吐いた。
「何も言いたいことなどない。それに、何人か気付いたぞ」
「猪に気付かれなければいいのさ。でだ。今なにしてんの?」
「市街に眼をつけた獣を放っている。それで気配の残り香を探しているが」
「見つからないんだね。そりゃそうだ。いくらキミの魔眼でも、時間が経ちすぎている」
今この瞬間も探し続けているのか。魔眼とは便利なものだと感心し、アルクゥは今ある情報を振り返る。
――ユルドの定期連絡は日に一度。途絶えたのは一昨日から。共に行動していた部下三名も消息不明。最後に彼女の姿を見かけたのは別行動をとっていた部下の二人組で時刻は真昼、その時ユルドは王宮方面に向かっていたらしい。だが門番によると戻っていないという。
とするならば、道中で拘束されて連れ去られたのだろうが、王宮に通じる道は賑わっている上に厄憑きの件で衛士の巡回が増えている。更に三人の魔力保持者を部下として連れたユルドに手を出すのなら、腕の立つ魔術師と戦闘要員が必要になる。
――或いは、ユルドこそ裏切り者だという考えもある。
アルクゥはぼんやりと思考して「それはないか」と今しがたの予想を否定する。背信者なら失踪する意味はない。
「そもそも目撃者がいないってのが臭いよなぁ。医者はあたってみたか?」
「医者?」
「暗示か撹乱の魔術か、それも広範囲で効き目の強いやつが使われたかもしれない。魔術耐性がない一般人は記憶喪失の症状が現れる。でも患者を見つけても意味は」
「だから医者か。部下に調査させる。……他に気付いたことがあれば言ってくれ」
疲れが滲んだ声で術式の中では眼が曇る、とヤクシは部屋の隅から窓側に移動していった。
「動揺してますな、ありゃあ」
「私にもそう見えました。ヤクシとは長いのですか?」
「司祭一派とか呼ばれる悪徳集団が出来てからの付き合いですよ。はてさて、これからどうしたもんか……ユルド君が殺されるってことはないだろうけど」
「それは、なぜ?」
根拠を尋ねる。するとレイスはまじまじとアルクゥを見てふいと視線を外した。
「貴女はヤクシと違って淡白ですな。いや、娘さんにしては、割り切っているというか冷徹というか……まあそういった印象を受けただけの話です。というかお幾つですか? 見た目プラス五十とか百とか言われたら僕ぁ泣く自信がある」
「貴方が泣こうが喚こうが構いませんが、私は見たままです」
「ああ、良かった。そうそう、なぜかと言いますとね、才能ある魔術師は貴重だからですよ。特に女性なら、魔力を持っていれば貴族になることも容易い。玉の輿ってやつですよ」
「確かに、魔力は血筋だと言いますが……」
生々しく感じて顔を顰める。
「厭な顔は当然だと思いますがね、望んで嫁ぐ女性は圧倒的に多い。世の中地位と金で出来ていますからなぁ。お貴族様の方は魔力を一族に入れることができて万々歳、持ちつ持たれつの関係というわけで。余談ではありますが、ラジエル魔導院って魔術師養成学校があるんですがね。女性の卒業率は三割を切る。就学中に嫁ぎ先が決まるんですよ。だから女性魔術師の少なさといったら……」
肩を落としたレイスは気を取り直すように頭を振り「そういうわけで」と話を戻した。
「ユルド君は大丈夫でしょう。彼女に痩せる思いの恋慕を寄せる若君も結構いるみたいだから」
「それは無理やり妻合せられるということでしょう。大丈夫なように聞こえませんが」
「彼女も軍人だ。あらゆることに関して覚悟はしている。貴女もそうでしょう?」
アルクゥは想像する。
魔術師だというだけで見知らぬ男の妻になり最終的には子供を生む――死んだほうがましである。むしろ殺す。
覚悟の問いには答えずおぞましい想像を振り払うことに腐心していると、肩に黒い手袋をした掌が乗った。見上げると人を小馬鹿にする聖職者の笑みがある。
「レイス、私の大事な部下をあまり脅さないでくれませんか」
払い落として数歩離れた。
「おっかしいな、僕は今まで一度だってそんなに優しくされたことないのに」
「優しく接してほしいと? 気持ち悪い男ですね」
「態度はどうでもいいから待遇を優しくしてくれよ」
「強気ですねぇ。また寝不足ですか」
地位が高い者同士の交わす程度の低い会話に耳を傾けながら、室内を見回すと人数が減っていた。文官の顔ぶれが軒並み消えている。残っているのは軍人か魔術師だけだ。
となればこれから行われるのは荒事の指示だろう。
アルクゥの予想通り、レイスとの会話に一区切りをつけたサタナは一度手を打って全員の注目を集め、これからのことを話し始めた。
「中将が仰った通り、ユルドを攫った者は厄憑き事件の犯人と同一、もしくは関係者という可能性が高い。非戦闘員の方々には通常業務の傍ら、卓上でも可能な情報収集にあたってもらいます。あなた方は無論、その職業に見合った仕事を任せます」
「勿論だとも」
幾分か機嫌を良くした中将がしたり顔で頷き、つと太い眉をひそめた。
「今更ではあるが、ユルド上級大尉は生存しているのか?」
「勿論生きていますよ中将殿。それはストラシア伯、厳密に言えば所有敷地内にいる彼女の翼竜たちに確認を取りました。彼らに刻まれた紋様は健在です」
「しかしな、使い魔ならば主人の危機に反応するだろう。トカゲ共が動かんのはなぜだ?」
「使い魔は楔の気配を感じ取って主人を探しますが、これは意図的に隠すことが出来る。特にこの王都は防護や昔の魔術で探査系の能力は曇り易いのですよ。」
「ふうむ……ストラシア家に何らかの接触や要求は」
「今のところはありません」
更に何か言おうとした中将に先んじてサタナは続ける。
「ある人からの情報によると犯人は教会側という線が濃厚です。ユルドが大まかに調べ上げた中で疑わしき聖職者は現在のところ三十余名。彼らの最近の動向と住居を調べてください。そうですね、私兵の増減を探れば楽かもしれない。疑わしきは」
「容赦せずとも良いな! 聖職者のすまし顔に一杯食わせてやれるのは楽しみだ!」
「……面倒なお方だ」
サタナが小さく溜息を吐いた音が聞こえたのは側にいたアルクゥとレイスのみだっただろう。次の瞬間には嘘のように爽やかな笑みを作って声音を和ませた。
「流石中将殿だ。勇猛であらせられる。となれば一番の難関をお任せしても大丈夫でしょう。大聖堂の調査をお願いいたします」
中将の表情が凍る。
ザワリと部屋の空気が揺れ、ほとんどの者が関わり合いになりたくないというように目を逸らす。
「いや、しかしな。大聖堂は……いやいや……そうだ! 真に残念ではあるが、私には陛下より賜った西方守護の任がある」
「それは困りましたね」
大聖堂とやらが禁断の地であるかのようにだらだらと冷や汗を流す中将。アルクゥは吊り上る口角を必死に押さえていたが、次の一言で表情が体ごと錆びて固まった。
「まあ潜入に関しては適任の心当たりがあります。中将は心置きなく護国の務めに励んでください」
一体誰のことを言っているのか、アルクゥは内心で惚けはしたがギシリと軋む体は答えを既に知っている。
逃げ去るように退室した中将を見送り、レイスが「脅しは良くないですな」とアルクゥを安心させる一言を吐いた。
「あの魔境に入るのは自殺志願者でしょうになぁ。それより、サタナ。さらっと流したけど腹黒共の家の調査も相当キツイぞ。秘密裏にとはいかない。令状持って各人の邸宅を一斉に捜索するとかじゃないと、情報が流れてユルド君を移動させるに決まってる」
それに、と演技がかった仕草で人差し指を立てる。
「もしユルド君が見つからなかった場合どうするんだ。言い訳のしようがない」
「無理に押し入れなど言っていませんよ。出来る限りの理由を付けて疑わしき者たちの屋敷に入れるよう手配します」
「出来ない場合は?」
「先程言った通りです」
「その適任とやらに忍び込ませるのか? 護りの堅い聖職者の家に? 無理でしょうよ、それは」
ねえ? と同意を求め覗き込んでくるレイスからアルクゥは顔を逸らした。
無意識に何か縋るものを探して視線を彷徨わせるが、室内にいるのは見知らぬ者ばかりでアルクゥに好奇心を向けるだけだ。ヴァルフやクロなどの近衛は今回の件は管轄外なので不在である。
「あれ、竜殺し殿? 顔が青いような」
「レイス、雑談は暇なときにお願いします。では後ほどそれぞれの担当を通達します。ユルドを発見した際には速やかに報告、突入がある場合の指揮はヤクシです。以上、解散」
ぱらぱらと参加者が散開していく中で、サタナとアルクゥ、ヤクシだけが残る。
「そいつの妙な能力に頼るんですか」
「使わないのは損ですから」
ヤクシの黒に近い青眼は遠くを見てサタナすらも視界に入れていない。文句を付けられるかと身構えていたアルクゥだったが、ヤクシは「探してきます」とだけ言って普段より幾分か遅い足取りで去っていった。
「誰の家を探ればいいのでしょうか」
「おや、やる気ですね」
「どうせ拒否権なんてありませんし、厄憑きの犯人は早目に捕まえたい。師匠やヴァルフに危険が及ぶのは厭ですから。ユルドさんも心配です。……それに、あれは見ているこちらの気が滅入ります」
「案外お人好しだな。過労で死ぬのは止めてくださいね」
「そこまで馬鹿に見えますか」
まあそこそこ、と笑みが返ってくるのは予想済みなので気にしない。
「指示するまで待機です。私の目が届く範囲で控えていてください」
窮屈な範囲だ。
返事はしたが不満に思っているとすかさず説明があった。心臓が跳ねたが皮肉がなかったことから内心が漏れたわけではなさそうだ。
「失踪者が増えては困ります。それとガルム子爵のこともあるので」
「あの人が、また何か」
「貴女を寄越せと言って来ました。聖人様は相当貴女にご執心のようですねえ。無論お断りいたしましたが、再び接触があるかもしれません。――戸締りには充分お気をつけください」




