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精霊のシジル  作者: 染料
四章
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第二十九話 魔手




 王宮内にある無数の部屋、その一室。

 重厚な色をした会議用のテーブルと数個の椅子しかない質素な部屋だ。広いのに閉塞感があるのは気分のせいだろう。何かを待つのは好きではない。

 そぞろな気を紛らわせるために、アルクゥは同じく部屋で待機するサタナに何気なく目を遣る。部下となって経過した二日弱で掴んだ性格を一文で伝えてみるとするならば、口を開けば三割の確率で揶揄か皮肉が飛び出す人間、だ。一言で言うなら嫌な奴である。


「悪し様に罵られたような気がします」


 御影石の壁に背を預けて立つサタナは、窓に向けていた視線をアルクゥに移して笑う。「そうですか」とアルクゥは肯定も否定もせず、サタナに注いでいた観察の目を扉の方に移動させる。

 主従の楔は魔力を要さない念話を可能にするせいか、知らないうちに心中の言葉が相手に伝わってしまうことがあるらしい。うっかりすると感情や思考がダダ漏れという事態になるのだ。これは契約直後、サタナが苦笑混じりに注意を促した事柄であり、つまりはそういうことなのだろう。内心が知られてしまうというのは非常に気分が悪い。


「まあ、気を緩めるなとは言いませんよ。恥ずかしいのは貴女だけで、私が何か損をするわけではありませんから」


 今度から気をつけようと自戒した矢先にサタナは追い討ちをかける。

 アルクゥは一度大きく息を吸って、引き攣るこめかみをフードの下に押し隠した。


「何か伝わってしまったことはお詫びしますが、気を緩めていると思われるのは心外です」

「心外ですか。そうでしょうねぇ」


 返事をしないでいるとそれっきり会話は途絶える。

 針一本落としても聞こえる沈黙が部屋を満たした。

 ――苦痛だ。

 アルクゥは外套の下で手を握って開いてを繰り返したり、意味もなく視線を彷徨わせたりと無自覚に無駄な行動をとる。胸を締め付けられるような気分で喉元に何か詰まっているような心地だ。

 苦悩の塊を出そうと静かな溜息を数回吐くが一向に気分は晴れない。


 一人悶々としていた拷問のように長い体感時間は、幸いにも部屋に人が増えるにつれ短くなっていった。指定時刻前、一番初めに訪れたのは近衛師団長でスキャクトロ――クロを伴っていた。クロはアルクゥに笑いかけ師団長に何事か耳打ちする。その後、師団長の視線が突き刺さるようになって首を傾げた。

 二番目は暗い顔をした魔術師で、同じ軍服外套を着ているアルクゥを仲間だとでも思ったのかいくらか明るい顔で近寄ってきた。が、またもやクロが何事か言うとまた暗い顔で離れていった。


「クロさん」

「おう、なんだ?」

「ここ」

「どうした?」

「一切動かないでください」


 妙な流言を阻止しようと隣に呼ぶと、クロは「心細いのか?」と不思議そうにしている。虚構の英雄譚が広がればアルクゥは動き難くなる。わざわざ隷属させておいて損ではないのか、とサタナに問うも返るのは笑みしかない。

 ――何を考えているかわからないのは怖い。

 意図の正体不明は厄介で、誤解すれば危険すら伴う。信頼が互いにゼロならば尚更に。


(いつでも切り捨てられる)


 そのことを決して忘れてはいけない。


 クロの見張りに徹しているといつの間にか部屋内の人数は十を越えていた。その中には未だ待つ者の顔はない。時計を見るとサタナが指定した時間を少し過ぎている。すると丁度扉が開いてドキリとした。


「ユルドにヤクシに……と、新顔は俺の同僚か。よろしくなぁ兄ちゃん」


 騎兵服の女性と軍服の男性の後に続いて入ってきたヴァルフはクロと同じ近衛の騎士服姿だった。薄く睨むように部屋を見回し、入り口横に立つクロを見て、その隣にいるアルクゥに視線を移動させる。


「あ……」


 何か言わねば、と思った。だが言葉が出てこない。

 もたついた焦燥の眼差しを向けるだけのアルクゥにヴァルフは軽く息を吐き、何も言わず側を通り過ぎる。アルクゥは俯いて唇を噛む。


「後でな」


 呟きの後に頭に二回、あやすような調子の重みがかかった。

 ヴァルフはそのまま歩いて部屋の端、全員を見回せる位置に移動する。訝しげに新参者を見る面々の視線も意に介さず真っ直ぐサタナを睨み据え「始めねぇのか」と低く言う。


「あなた方が最後ですよ」

「そりゃあ悪かったな」


 サタナはヴァルフの不遜に声を上げた男性を制し、いつも通り、どこか人を馬鹿にしている冷めた笑みを浮かべた。


「全員が揃いましたので、手早く済ませてしまいましょう。以前より話し合っていた今夜の護衛業務について最終確認をいたします。我々が最も頭を痛めていた懸念事項クーデターは幸い有能な部下が潰してくださいましたので、人員の配置に多少の余裕が出来ました。改案を考えてはきましたが、なにぶん私は戦闘とは無縁の聖職者です。至らないところがあればご指摘を――」






 獅子霊ティアマトを呼ばうこの国の精霊祭は、王が民に儀式の成就を宣言することで幕を閉じる。

 昔は王宮の敷地を解放し民衆を招き入れていたそうだが、相次ぐ調度品の紛失や暗殺への危険から、今は王宮に近い場所にある議事堂のバルコニーとその目の前にある大広場を使用することになっていた。

 建前としては誰にでも王に拝謁できる夜となっているが、広場に入れる者は限られている。収容人数と治安維持の観点から当日は一般居住区などから広場に繋がる道に検問が敷かれ、富裕層と貴族以外はほぼ通行不可能になっていた。

 だが聴衆を一定以上に選り分けることで不審者の見分けがつきやすくなる、という。

 アルクゥが議事堂の屋上から広場を見下ろしても分からなかったが、ユルドと名乗った女性騎兵は既に五人のスリを発見して下にいる衛士に通報していた。


「おおっと六人目。貴族のお坊ちゃま方はカモよねぇ、やっぱり」

「ユルドさんは目が良いのですね。私には人の顔が見えるかどうかも怪しいのに」

「ふふ、ありがとう。空挺騎兵のたしなみよ」


 夜が迫った薄闇でユルドは花のように笑う。

 ユルドは軍人の硬さが見当たらずアルクゥには馴染みやすい人柄だった。気の良いお姉さんといった感じで会話はすいすいと進む。気になっていたネリウスの容態も教えてくれた。


「私のワイバーンがネリウス様をお運びする途中、一度だけお目覚めになったの。そのときは幾分か顔色が良いようだった」

「良かった……」


 本当に良かった、とアルクゥは重ねて呟く。

 明るい展望が見えたようで嬉しい。今夜が無事に終わったらヴァルフと色々話そう。ネリウスが快癒した時のこと、その先のことも。


「原因がはっきりするまで時籠に入るそうだから、悪くなることはないでしょう」

「ときごめ?」

「体の時間を緩やかにする部屋……って私もよくは知らないのだけどね。王国秘蔵の神器って言われているから、きっとネリウス様は大丈夫」


 掛け値なしの励ましの言葉が温かい。頷いて心からの礼を言うとユルドは照れたように広場に視線を移す。


「もう結構集まってきてるわね。――そうだ、視力と別の意味でなら、あっちのヤクシもすごく目が良いのよ。人より沢山のものが見える魔眼だから。でも今は……魔眼というより邪眼って感じかしら。なにあれ、すごく凶悪な面構えだわ」


 アルクゥが振り返ってみると切れ長の視線が突き刺さった。藍色の目は冬の湖面のようで、一片の温度も感じられない。


「もしかして喧嘩した?」

「まさか。初対面です」

「そうよねえ。あいつ人見知りだったっけな……ヤクシ、ちょっと」


 ユルドが手招きすると最初は嫌そうにしていたヤクシだが渋々近寄ってきた。その間もヤクシはその棘が生えた視界の中にアルクゥを収めて警戒しているようだった。


「何の用だ」

「何の用だ、じゃない。私なんかもう六人もスリを見つけたわ。ガン飛ばす暇があったら働きなさい」

「右斜め下、街灯の陰に七人目」

「適当なこと言って……ほんとだ。衛士さん、また見つけたので捕縛お願いします」


 ユルドが嬉しそうに通信魔具に話しかけると低い声が「了解」と応えた。その後すぐにスリは捕縛されて引き立てられていく。


「ああいう小物は全く問題ない。厄介なのは息を潜めて機会を待つような連中だろう」


 突然、ヤクシはアルクゥに向けてそう言った。


「面従腹背の者は、ともすれば我らを食い殺す。それだけに人選には細心の気を払ってきた。なのになぜ……司祭は貴様のような輩を部下に迎えたのか理解に苦しむ」


 驚いて目を瞠っていたアルクゥは、眉を下げて目を伏せる。

 今ので合点した。敵意の正体は不信から来るものだったらしい。だが以前とは一体、と考えた矢先にデネブで殺そうとした軍人とヤクシの顔が一致する。胸を穿ち、止めを刺す必要もないと放置した兵士だ。

 殺そうとした者と殺されかけた者。

 嫌な汗が背中を伝った。一言も出ないアルクゥにヤクシは口を歪ませる。


「思い出したか? あの時、あれほど殺意を漲らせていた貴様がなぜ司祭様の部下になった? 何を考えている? デネブだけでは飽き足らず、王都でも名を上げようとでも思ったか? デネブの片隅で大人しく英雄気分に浸っていればいいものを!」


 一息に言い切り、ヤクシは血も凍りつく声で言い放った。


「今すぐ消え失せるか、死ぬか選べ」

「ヤクシ!」

「口を挟むなユルド。こいつは邪魔だと思えば誰でも容赦なく殺す人種だ。お前も建物の惨状を見ただろう」


 ユルドは口を噤み、おろおろとアルクゥを見る。

 ヤクシは拠点に散らばった死体のことを言っているのだろう。取った戦法が物量に任せたものだったのでネリウスの工房には手足や肉片が飛散していた。あれを見た者なら加害者の残虐性を確信しても無理はない。

 ヤクシは忌まわしい獣でも見るように、忌々しげに顔をゆがめる。


「腹に蛇を飲み込めば食い荒らされるのは自明の理だ。裏切られる前に殺しておくのが賢い」


 ヤクシは刀に手をかける。

 アルクゥは喉まで出掛かっていた反論を飲み込んで応戦の構えを取った。説得は通じそうにない。疑念で殺されるくらいなら殺したほうがましだ。

 すっと殺意を込めて目を細めると意外にもヤクシは怯んだ。それが妙に感じて思わず口を開く。


「私が……怖いのですか?」

「化け物が、調子に乗るなよ」


 ますます妙な按配に困惑する。


「化け物?」

「貴様は……貴様の本質は」


 ヤクシは言葉を途切れさせて鯉口を切る。そのときユルドが悲鳴のような声を上げた。


「二人とも、落ち着きなさい! ヤクシ、武器から手を離して。今のは貴方が悪い。根拠のない言い掛かりだわ」

「……俺は」


 ユルドがアルクゥの前に立ちはだかると、ヤクシは急に悪夢から覚めたような表情で構えを解いた。しばし自失を恥じていたようだがアルクゥに向ける敵意は変わらない。


「悪かったなユルド。月に……あてられた。だがそれを除けてもさっきのは本心だ。俺はそいつを信用しない。お前も気をつけろ。……頭を冷やしてくる」

「――待ってください」


 散々言ってから屋内に引き払おうとするヤクシに急にむかむかと腹が立った。心底嫌そうに振り返った顔が更に苛立ちを助長させ、アルクゥは長手袋を乱暴に脱いで左腕を突き出す。


「ご覧の通りです。裏切りは有り得ない」


 腕の紋様を見て息を飲む音は二つ分。これで充分な説明義務は果たしただろう。苛立ちを隠さず手袋をはめ直し、熱くなった呼吸を白く吐き出す。

 淡い光を感じて空を見上げると、いつの間にやら夜が訪れていた。

 薄氷を砕いたような雲。その先に輝く巨大な満月を長く見ていると不意に、背中辺りにゾクリとした高揚感が駆け上がる。


(今のは、月にあてられたのか)


 額に手を当て頭を振る。

 ユルドの心配そうな視線に苦笑し、アルクゥはしばらくの間目を閉じて心を静めることに腐心する。

 それから一時間ほど経過したとき、肌を撫でた強力な魔力に瞳を開けた。無色透明の防壁が議事堂を包み込んでいく。建物を外界から完全に遮断する魔具の結界だ。となれば、とアルクゥは真下に見えるバルコニーを覗き込んだ。

 そこにはこの国の最高権力者――ギルタブリル王がいた。

 姿を見るのは初めてで、アルクゥはユルドに目線を送る。ユルドは頷き、広場に目を凝らし始めた。


『この良き夜は我らが神ティアマトの恩恵に他ならない』


 王の登場により静まり返った広場に、変哲のない男性の声が響き渡る。威厳に欠けた男の声は、文章を読み上げるように演説を始めた。民衆への呼びかけ、そして神への感謝を述べたところでアルクゥはこの声が王のものだと知った。

 凡庸だ、とクロの言葉が蘇る。

 声のみで判断すべきではないが、王者に必要な強さが声には見当たらない。


「妙なのがいる」


 あれから沈黙を守っていたヤクシが低く言ったのは開始から数分経過したときだった。ユルドが「どこ?」と鋭く聞き返す。


「中央後方だ。魔力保持者だが……妙な色と形をしている。魔力の流れがおかしい。何かしようとしているのかもしれん。近くの兵……いや魔術師だ。気絶させて捕縛しろ」


 魔具に向かって命じると、紛れ込ませていた民服の魔術師が動いた。人の合間を速やかに縫って歩き、対象に手を触れる。その時点で魔術をかけたものだとアルクゥは思ったのに、魔術師は振り返った対象と会話を始めた。


「まずいな」


 呟いたヤクシは非常に厳しい表情をしている。魔眼だという視線は食い入るように会話を続ける二人を映していた。


「問題が?」

「同じだ」

「え?」

「魔術をかけようとした瞬間、魔力が逆流して二人は同じものになった。なんだ、あれは。侵食のような……ユルド?」

「ねえ、あの人の周り、黒い虫みたいなのが沢山……気持ち悪い」


 ユルドは自分の言葉に寒気を感じたのか体を掻き抱く。

 アルクゥは身を乗り出して目を凝らした。魔力で目を強化してかろうじて見えてくる黒い靄、否、集っては散じる小蝿の大群のような煙。

 ――厄だ。

 それも、よりにもよってデネブで遭遇した最悪の生命喰らいが、絶好の狩場のど真ん中で舌なめずりをしていた。


 



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