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精霊のシジル  作者: 染料
三章
25/135

第二十四話 お祭り舞台の奈落の下で

 精霊祭の開始を告げる祝砲が晴天に打ち上げられてから数刻が経過した頃。

 西門から都市の中へ入った瞬間、むせ返るような花の香と人々のはしゃぎ声がヴァルフの五感を刺激した。習慣的に魔力で身体を活性化させていると、やがて慢性的に感覚が鋭くなる。このせいで魔力を操り戦う魔導騎士などは一人を好むことが多く、ヴァルフも人の集まる場所や強い匂いがあまり得意ではなかった。

 祭りで賑わうデネブはどこへ歩こうとも、嗅覚も聴覚も騒がしい。

 中央に向けていた進路を変更し、逃げるように脇道に逸れると幾分か静かになる。もっと落ち着ける場所を、と考えながら歩いていると、無意識の内に草臥れた店の前まで来ていた。


 待ち合わせの時間まで少しある。茶の一杯くらいはいいだろうとヴァルフは扉を開けてドアチャイムを鳴らした。


 異様に静かな室内は、しかし大勢の客が座っている。大体が一人でグラスを傾けたり食事を摂っており、連れがいても囁く程度にしか会話をしない。一見陰気だが、彼らもまた祭りの喧騒から逃れてきた者たちだ。中には見知った騎士もいる。

 ヴァルフはカウンター席に腰掛け適当な飲み物を注文して一息つく。そして隣に座る艶やかな髪をした美しい女性に気のきかない言葉をかけた。


「で、お前。何でここにいるんだ」

「時間まで避難しているつもりだった。それはお互い様だろう」


 話があるとヴァルフを呼びだしたサリュはグラスを振り半透明の酒精を眺めながらぶっきら棒に答えた。

 女騎士は非番であることを示す私服で、それはもう道行く異性の目を独占する出で立ちだ。なのに手に持つのは酒である。それだから貰い手が見つからないのだと揶揄しようとしたヴァルフは、ほんのり潤んだ瞳の奥にある剣呑な光に気付いて口を閉ざした。


「精霊祭……今年は一段と賑やかだな」


 しばらくしておもむろに話し出した取り留めもない話題は本題への繋ぎだろう。ヴァルフは心得ながら相槌を打つ。


「前の祭りなんて一々覚えちゃいねぇが、お前がそう言うならそうなんだろうよ」

「アル様はどうしておられる?」

「元気に剣振ってるよ。段々がさつになってきてるのが心配だが」

「そうか。……お前は飲まないのか? 今なら私のおごりだ」

「せっかくだが止めておく。有事に備えてな」

「魔術師に酔いなどない。しかもその有事とはなんだ」


 気のないふうに訊いてくるサリュに師が最近不調であることを伝えると、初めてヴァルフに顔を向けた。


「ネリウス様が? 以前お会いしたときは元気そうに見えたが……大丈夫なのか?」

「ここ一ヶ月は良くないな。妙なことに、話題の吉兆ってヤツが起きるごとに具合が悪くなる。本人は何か察してるみたいだが話さない。お手上げの状態だ」

「精霊鳥が原因だと?」

「状況から見ればな」


 サリュは再びグラスに視線を戻し、液体に指をひたした。そして磨かれて光沢を帯びているカウンターに円を描く。その中にも図形を描き、円の半分が隠れるように手の平を乗せる。密談の円卓と呼ばれるこの簡易魔法陣は、陣に触れている者たちの会話を隠す。

 これは思ったより深刻な話かもしれない。

 ヴァルフは眉を顰めなたら、残った半円に触れる。


「大げさだぞ」

「悪いな。外の人間に相談したかったんだ」

「そうか。じゃあさっさと話せよ。聞いてやるよ」


 わざと軽く煽ると、笑う気配があった後に声が引き締まった。


「貴族に不穏な動きがある。クーデターかもしれない」

「……いきなり穏やかじゃねぇな。巻き込んでくれるなよ」

「その心配はない。クーデターが起こるのはデネブじゃないからな」


 会話に間が空く。

 ヴァルフは出された果実ジュースを一口含み、渇いていた口内を潤した。


「まさかと思うが現王権にか。貴族様はそうぶっ飛んだ無謀なことしたがるんだ?」

「予想の範疇を出ないからデネブへの反逆ではない、とだけ言っておく。それにクーデターを企んでいるのは明らかなんだが、告発者からの情報が乏しくてな。貴族たちが頻繁に会合を開き、武器や人を集めているというだけだ。不遇の北領領主なんかとも繋がっているらしいがその辺りはまだ完全に調べられていない」

「情報としては充分だろ」

「我ら騎士団は明確な法の下で動く。それに相手は腐っても貴族様だ。今のところ出動は不可能だろう」


 サリュは一旦言葉を切って酒を煽る。一気に飲み干したが表情には些かの緩みも見当らない。


「我々にできることは、不穏な動きを王に報告申し上げ、継続的に監視と探りを入れていくことだ。……この考えは間違っているか?」


 特に変わった意見でもないのでヴァルフは肯定を返す。


「至極真っ当だな」

「だが議会はただ静観せよと命じた。騎士の分を逸脱する行為は控え、粛々と職務に当たれと」

「それで拗ねてんのか?」

「私が言われたのではない。団長だ」


 静かな溜息の後に、サリュは事情を話し始めた。

 告発者は貴族の使用人で、彼は主が最近不穏な動きをしていることに不安を感じ騎士団長を頼った。告発を聞いた団長はすぐに議会の緊急招集を議長に要請し、そこで告発内容と合わせて今の考えを喋ったのだという。議会は当初、団長の意見に賛同していた。だが後日になって一転、静観という事実上の放置を命じる。


「仲間内でこの話を知っているのは隊長の数人だ。全員が団長の考えに賛同している。その内の一人は身内に議員がいるから、探りを入れたそうだ。それによれば議会に静観を命じた人物がいるらしい」

「まあ、考えるまでもなくガルドだろうな」

「そうだ。彼女以外、議会を操れる者を私は知らない」


 「何が民主的な都市だ」とサリュは吐き捨てる。


「あの方が何を考えているかわからない。下手をすればデネブに責任の矛先が向くぞ。難癖なんていくらでもつけられる。例えば不穏分子を見逃した罪」

「庇うわけじゃないが、ガルドには考えがあるんじゃないのか? アイツの思考は気持ち悪いくらいデネブ一色だぞ」

「それは知っている。……そうだな考えがあるんだろう。いつだってあの方は正しかった。それはデネブの発展が証明している。でもこれからは間違うかもしれない」


 それからしばらく言葉が途切れる。

 「それで」と続きを促すと苦しそうに話を再開した。


「デネブは夢のように民主的だ、とよく言われる。だが見せかけだけで他の領地と変わらない。変わらないどころか悪い。魔女という隠れた頂点が常に都市を観察し、時には操作して彼女が・・・最善だと思う道を選択するように仕向ける。……そしてそれは議会の意思として市民に伝えられるんだ。それがどんなに歪なことか、わかるか?」

「悪いがサリュ。俺はデネブの住人じゃない」


 そうだったな、とサリュは少し笑う。


「議員は市民の意思を代弁する存在だ。なのにその言葉を引っくり返す存在がいる。市民はそのことを知らない。これはとてつもない裏切りだ。……史書を見返せば、道を踏み外した独裁者は大勢いる。今現在でも酷い領主は沢山いるだろう。そうならないようにデネブは議会制なんだ」


 サリュは言う。

 複数いるからといって間違わないとは限らないが正そうとする者は必ず現れる。それに代弁者たる議員は任期があり交代する。そうやって新しい風を吹き込み旧態化と思想の硬化は防がれる。


「だがガルド様が一番上に居座ればその一切の機能が無駄になる。彼女は交代しない。ましてや隠れている支配者だ。市民が間違っていると思っても正すことはできない。……私は思うんだヴァルフ。ガルド様はいずれ間違った道に我らを放り込むのではないかと」

「理解はできるが、考えすぎじゃないのか」

「一例を挙げよう。クエレブレが襲撃したとき、北門の警備は薄かった。指示したのはガルド様だ」


 思わず円陣から手を離しかけ、サリュに止められる。


「トカゲの尻尾か」

「そうだ。元々北の区画は見捨てられる予定だった。アル様とヴァルフのお陰で損失は最小限にすんだがな。襲撃の際はクエレブレが北の区画にかまっている間に、中央区画から別の魔除けが張られる予定だったんだ。……戦略的には、正しい」

「あの不意打ちの襲撃で何人死んだか、分かっててそれを言うか」

「悔しいが事実だ。北区は一番広いが、重要な場所は少ない。切り捨てて他を守り、王都の援軍を待つことが最も確実な方法だった」


 重たげな息を吐いてサリュは俯く。


「だけど人道的には正しくない。北を捨てるにせよ、事前に話しておくべきだった。どんなに反発されようと……そうしておけば死なずにすんだ命もあったのだろうな」


 慰める言葉は見つからない。

 女の扱いに慣れておくべきだったか、と逃避思考をするヴァルフにサリュは力ない笑みを向けた。


「すまないな、これではただの愚痴だ」

「いや……」


 サリュは自嘲して空になったグラスを撫でる。


「話せてよかった。考えすぎだと笑ってくれ。ヴァルフに馬鹿にされると怒りで悩みなど吹き飛ぶから」

「お前がバカなのは事実だろ。考えすぎると禿げるぞ」

「……喧嘩を売っているのか?」


 言うとおりに馬鹿にしてみると本気で怒り出しそうになる。

 新しく飲み物を注文し有耶無耶にしながら、幾分か灰汁が抜けた友人を横目に観察した。


(真面目で賢い奴ほど生き辛い、か)


 本当の馬鹿であれば、何も考えずに生きることができれば人生はさぞ楽なことだろう。

 せめてもの慰めとしてしばらくの間他愛もない話題を喋る。サリュの表情が充分に和らいだ頃、もう大丈夫かと軽く笑って立ち上がる。


「そろそろ帰る。師匠も心配だしな」


 サリュも倣って立ち上がるがこちらは少々ふらついている。

 治癒術を齧った魔術師ならば確かに酔いはないようなものだが、泥酔して前後不覚に陥っているなら話は別だ。少し不安に思い目の前で手を振って見ると、険悪な視線と一緒に「何のつもりだ」と唸られる。


「酒に飲まれたりはしない。……私も出よう。長く引き止めて悪かったな。露店で何か買うから、アル様へのお土産にしてくれないか?」


 アル様ね、と笑ったところでヴァルフは妹弟子の受け取っていた手紙を思い出す。


「……いや、今から中央塔に行ってくる」

「中央塔? 何でまたあんな所に」

「アルクゥがガルドと会ってる。もう帰ってるかもしれねぇが……まあ、様子見だ」


 心配になったとは言えず誤魔化すと、サリュの方が心配顔でそわそわし始めた。


「私も行こう」

「酩酊状態でか?」


 言う程に酔ってはいないが、今の話をした後にガルドの顔を見るのは悩みの種を育てることになるだろう。ヴァルフなりに気を使ったのだが「あれからアル様に会っていない」とサリュは行く気満々だ。


「急ぐぞ。魔術で鼻と耳を塞ぐのを忘れるな」


 魔導騎士の例に漏れず感覚が鋭いサリュは戦場に赴く顔で店の外に出て行く。何もせず追いかけたヴァルフの五感は危うく喧騒によって叩き潰されそうになり、例年にない精霊祭の盛況ぶりを見せ付けたのであった。



◇◇◇



 サリュと会う約束がある、というヴァルフを冷やかして送り出す直前だった。

 アルクゥアトルは拠点の扉前で何気なく蒼天を見上げる。そこに鳥影を見つけて咄嗟に身構えた。

 あまりに高い場所を飛んでいたので精霊鳥かと思ったのだが、アルクゥに向かって舞い降りてくる姿はすぐそこの木立にも生息している小鳥の魔物だ。脇目も振らずにアルクゥを目指しており、隣に寝そべっていたケルピーがおとがいを上げて迎撃態勢を作るほどだった。


「手紙持ってんな」

「ここからよく見えるね。ネロ、攻撃は駄目だ」


 手の平を差し出すと、鳥は狙いを違えず手紙を落として急旋回していった。

 覗き込んでくるヴァルフを押し退け、封筒の中から三つ折りの白紙を取り出す。眉を寄せて封筒を隅々まで確認すると「魔力を込めろ」と小さく書いてあった。

 言う通りにすれば、一文が浮き出てくる。

 “頼まれていたことがわかった。今すぐデネブの中央塔に”

 アルクゥは三回読み直してから、手紙を乱暴に握り潰してポケットに突っ込む。


「使い魔から手紙、ねぇ。誰からか聞くのは野暮ってヤツか?」

「ガルドさんから」

「は? ……何でアイツがお前に手紙なんか寄越すんだ。やめとけ、あの婆に関わると碌なことねぇぞ」

「それはわかってるけど……事情は後で話す。ほら早く行かないとサリュさんとの約束に遅れるよ」


 訝しむヴァルフを押し出し、急いで準備をしに自室に走る。

 必要最低限の荷物をバッグに入れる。机の上に置いていたあの短剣も何となく放り込み、いざ出かけようとしたところで面倒なものと鉢合わせをした。


「ああ、アルクゥさん。探していたんです。自室にいらしたのですね」


 青年聖職者に会釈だけして行こうとしたアルクゥはふと違和感に気付いて足を止めた。

 ひと月近く、毎日のように顔を合わせていたが、声を掛けてくるときは必ず笑みを浮かべていた。今日は違う。感情を映さない顔は造作の良さもあって人形のようで、いつしか遭遇した厄憑きの人間を見ているようだった。


「わたくしの領へ来る話は考えていただけたでしょうか?」


 だが話題は相も変わらず、もはや定型文となった内容だ。アルクゥは呆れの溜息も出なくなっている。


「そのお話は何度も断っている筈ですが」

「もっとよくお考え下さい。わたくしの奉仕している北領セプテントリオの教会は設備が充実しており、指導員も練達の士が集まっている。魔術の勉強をなさるならこれ以上ない場所です」

「私にとって師匠以上はありえません」

「お願いですから……もう時間がないのです」

「時間?」


 青年の口元はよく見れば引きつっている。

 何かの感情を抑えて抑え切って、それが不自然な硬直となり表情に表れているのだ。


「わたくしは、いや、調査員の全ては今日ここを離れます。今このときが期限です。全てにおいての」

「……おっしゃる意味がわかりませんし、期限など私には関係ないでしょう」


 すると美麗の能面が形を崩した。青年は唇を噛み締めて、ゆるく首を振る。「貴女を」という呟きから続きそうだった言葉を言い止し、数秒考えてまた口を開く。


「……いえ、貴女が得た、またとない機会のことです。……竜殺しの英雄はこんな場所で燻っていいような人材ではない。白状します。わたくしは結果を見出せない調査より貴女を我々の教会に引き入れることに腐心しておりました」

「今更です。最初からわかっていました。まさか露見していないと思っていたんですか?」


 心底馬鹿にして言うと青年は苦笑いをしてそれについては答えなかった。


「良い待遇を約束します。どうか、わたくしと来ると。その一言で……救われるのです」


 思考の足を一々引っかけていくような言い回しに埒が明かないと、アルクゥはフードを深く被って会話を打ち切る意思を見せ付ける。絶望するように顔を歪める青年を意に介さず歩き出すと、文字通りに縋られた。

 膝を突いて許しを乞うかのごとき体勢だが、いきなり服の裾を捕まれたアルクゥは許すどころか怒りが頭をもたげ、ついに警告という脅しを口にする。


「私は行きません。言葉でわからないようなら、相応の対処を」


 魔力をチラつかせながらの言葉に、青年の頑なだった指先はほぐれ、落ちるように外れていった。アルクゥはしまったと内心焦る。客の立場にある青年は今の無礼に怒っていい。デネブに抗議されたら迷惑はネリウスに向かう。そうやって冷や冷やしていると、青年は予想外の反応を見せた。


「……貴女は、存外苛烈な人なのですね。普段の立ち振る舞いから誤解をしていたようだ。わかりました」


 一転して憑き物が落ちたような物わかりのいい様子が不気味だ。そんな心情を察したように「もうお誘いはしませんよ」と笑った青年は優雅に一礼する。


「貴女の行く道はおそらく茨です。……ですが幸多からんことを祈っています」

「それは……どうもありがとうございます」

「では」


 暗示めいた別れの挨拶を言い置いて青年は去っていく。

 アルクゥはその意味をしばし考えたが、わからないとわかるや否や頭から打ち消してネリウスに出かけると告げに行った。

 講義の予定があったのだが、ネリウスは快諾する。顔色は少し悪い。ここの所不調が続いている。本当は傍を離れたくない。

 「祭りを楽しんできなさい」という勘違いを訂正せずに、笑みを返したアルクゥは外に出て地面に移動魔術を補助する陣を描いた。


「ネロは待機。ここで異変があれば知らせてほしい」


 出かけるのかと近寄ってくるケルピーに留守番を命じる。使い魔とは多少の距離であれば念話が可能だった。陣に魔力を込めてデネブに移動すると目印アンカーのある門前に出る。そこからは街馬車を捕まえて中央塔まで急いだ。

 厳重な警備に入っていいものか悩み、巌のような大扉を守る騎士にガルドから呼ばれたことを話すと、本人が扉を開けて顔を覗かせた。黒い三角帽子の大きなつばが鮮やかな紫の瞳に影を差し、それが一瞬邪悪な魔物の眼光に見えた。


「早かったね。こっちだ」


 明るい声に妄想を振り払い案内についていく。

 中央塔は一本の尖塔の形をしている。下が広く、上は狭い。階段は非常時に降りるものはあるが、基本的に上るには魔石で動く昇降機を使う。最上階に議会が使う会議室があり、多重の警備がその道のりを守っているのだ。

 アルクゥは二台ある昇降機の内の一つに乗る。


「今年の精霊祭は中々大盛況だ」

「そうですか」

「興味がないのかい? 来る途中に露店があったろう? 楽しげなものが沢山あったはずだけれど」

「見ていませんでした。それより」


 結果だけならこの場で言えばすむことだと思ってしまうと辛抱ができない。勢い込んで尋ねようとすれば、ガルドはアルクゥの頬を人差し指で突いた。


「慌てるでないよ。何かを希むなら、まず余裕を持つことが大切だ。周りが見えなくなるからね。キミが師匠大好きなのはわかるけどね、何事にも順序ってものがあるのさ。落ち着きたまえアルクゥ」

「そう、ですね」


 納得してみせたものの内心は焦れに焦れて、「ここだ」と通された部屋に着くまでの道のりが膨大な旅路に思えるほどだった。

 おそらく頂上近くにあるであろう部屋は薄暗かった。

 カーテンに覆い隠された窓から、わずかな隙間を縫って差し込む陽光だけが光源だ。その細い光の中には埃が舞っている。白い尖塔の内部に似つかわしくない、陰気な場所だった。


「ここは……資料室ですか?」


 古びた棚には綴じ方の種類を問わず本という本が詰め込まれている。簡単に紐で纏めたものから革張りに装丁されたものまで、あまりに雑多で乱雑だ。資料室と濁したが、本音は物置だ。それは床に転がった白墨チョークを見て益々確信が強まる。


「一応記録室ってことになってるらしいよ。ここでキミに読んでもらいたい資料があってね。ええと、どこに置いたっけ」

「資料なら後で読みますから」

「だから、焦るなと言っただろう。まず前知識を入れておかないと」

「端的にお願いします。またいつあの忌々しい鳥が鳴いて何かが来るかわかりません。できるだけ師匠の傍は離れたくない」


 ここまできて更に結果を待たされることだけは願い下げだ。些か強引に頼み込むと、ガルドは薄闇の中で振り返って白い顔を向ける。しかしその口から出たのは結果ではなく疑問だった。


「――何かってなんだい?」

「今はどうでもいいことです」


 にべもなく切り捨てる。


「難しい娘っこだね。まあ、いいだろう。先に話そうか」


 ガルドは何気なく脱いだ帽子をアルクゥに押し付け、高いところにある本に手を伸ばしながら喋り出した。


「精霊鳥の鳴き声と発作に関する症例を探ってみたけれど、予想通りというかやっぱり何もわからなかった。――ああほら、そう乗り出さない。せっかちは損だよ。最後まで聞きなさい。……なにぶん、ネリウスの症状も実際に見ていないからね。そちらから当たるのは不毛だと思ったんだ」


 ガルドは指先でみっちりと本棚に詰まった本を何度も引っかけようやく出てきた一冊を開く。それを落ち着きがなくなり始めているアルクゥに示した。


「だからアプローチを変えて、もっと簡単に考えることにしたんだ。ここを読んでごらん。魔毒についての欄だ」

「毒……?」


 黄ばんだ古い頁の下部に物凄まじい配色で魔毒について書かれてある。専門用語が多く理解に苦しんでいると、ガルドが口頭で簡単に説明をしてくれた。


「毒とは言うが、トリカブトやヒ素みたいに権力者の口に放り込む種類のものではない。形を持たない魔力の毒素・・・・・だ。毒の性質は様々だが、蛇のようなしつこさだけは共通している。アルクゥ、冒険譚は好きかね?」


 唐突な話題転換に虚を突かれ、思わず素直に首を横に振る。すかさずガルドは「夢がないな」と肩を竦める。


「ワタシが好きだよ。主人公は物語の途中ものすごく強い魔物と戦って怪我をするんだ。手に汗握る戦いを演じて辛くも撃退する。しかし、負った傷が事あるごとに酷く痛む。やがて魔物が近付くと疼くことに気付く。そこで主人公は格好よく」

「それで、何が言いたいのですか?」

「……つれないな。少しは付き合ってくれてもいいだろうに」


 ガルドは口を尖らせた後、愉快そうに笑う。


「まあ、とにかくだ。魔毒とはそういうものだって言いたかったんだよ。キミが言うには精霊鳥が鳴けば何か・・が来るそうじゃないか。それがネリウスに魔毒を植え付けた犯人なら説明がつく」


 確かに、と思いかけて首を振る。


「ですが、師匠に傷などありません」

「おや、体を見たような言い様だけど」

「二度目の発作の後に、何か傷が原因かと思って、偶然を装って浴室を開けました」

「うわぁ……あ、いや、なんでもない。傷の有無で魔毒の判別はできないんだよ。魔毒の恐ろしさは、相手が死ぬか浄化しない限りいつまでも付き纏うところにある。何十年でも何百年でも」

「相手を殺すか毒を浄化する……」

「でも無理だろうね」


 対処法がわかって光明が見えたと思った瞬間ガルドはアルクゥを突き落とす。


「なぜですか」

「考えてごらん。ネリウスは今までその毒を放置しておいたんだ。ネリウスほどの魔術師が治せない魔毒を一体誰が浄化する? 相手を殺すにしても、だ。キミは自分で言っただろう。相手は精霊鳥が訪れを告げる何か・・だ。正体もわかっていない。……よしんばわかったとしても、殺せはしないさ。竜と神を同列に見てはいけないよ」

「精霊鳥の調べは神の先駆け、ですか。あれは……迷信でしょう」


 ガルドは哀れみを目に浮かべて首を振る。


「たしかに迷信かもしれないが、その証拠もない。キミにできることは、精霊鳥がこれ以上鳴かないよう祈ることだけさ。魔毒は持ち主が近づくごとに毒性を増す。最近、悪いんだろう?」

「……師匠にあそこから離れるように言います。ガルドさん。貴重な情報をありがとうございました」


 決定的な対処法がなかったことに肩を落としたまま、アルクゥは帰ろうと踵を返した。「駄目だよ」と後ろに聞いて持っていた帽子を思い出す。返そうとして振り返ると、ガルドの周囲に無色の陽炎を見た気がした。


「悪いね、アルクゥ」

「え?」


 それが自分の拙い眼力で見ることのできた魔力だとわかったとき、手の中の帽子がほどけた。

 大量の黒い糸は水のように指の間から滑り落ち足元に水溜りを作った。足に絡みつく。倒れて座り込んだアルクゥはざらついた感触の床に手を突いた。見ると白墨で何か書かれている。それが陣だと気付き咄嗟に手を引くが、床から追いすがった白い文字は縄となって全身に巻きついた。


「このっ……何のつもりだ!」


 転がったアルクゥを見下ろすガルドの目は恐ろしく冷たい。


「ワタシはワタシにできることをやったんだよ。だから今キミに帰られると困る」

「……何の話ですか」

「ネリウスを助ける話さ」


 腕も足も、どれだけ力を入れても動かない。魔術も使えない。

 アルクゥは唇を噛む。帽子に罠を仕込んでいた。魔女は初めからこうするつもりだったのだ。


「ふざけるな――ヒルデガルドッ!」


 怒りに任せて叫ぶと僅かに魔力は動く。しかし威嚇以上の効果はない。

 どこからか椅子を引き摺ってきて腰掛けたガルドは無表情で膝を抱えた。


「知る権利があるから言っておこうか。精霊祭の余韻が冷めたくらいにね、徴用が始まるんだ。親切な知り合いに教えてもらった。でも困る。デネブは魔力保持者なくして成り立たない。もちろん全員取られることはないけど、デネブの損失は計り知れない」


 「だから」と膝頭に顔をうずめる。


「その知り合いに誤魔化してもらえないか頼んでみた。臆面もなく厚顔にね。すると即戦力になり得る魔術師が欲しいだってさ。自分の側は圧倒的戦力不足だから。心当たりがあれば教えてくれ、と」

「お前……私の師匠を売ったのか」

「失礼だな。あくまで元近衛の魔術師がいるから交渉してみろって言っただけさ。治療と引き換えに」

「治療?」

「王属の医療師団なら或いは」

「その知り合いとやらは、貴女のお嫌いな王都の人間ですか」


 皮肉を込めて言うとガルドは顔を上げる。


「そいつはキミにも興味を持っていたよ」

「私のことはどうでもいい。師匠がその話を断ればどうなりますか」

「どうかな。でもワタシは断らないと思うよ。……連絡がきたら放してあげよう。恨まないでおくれよ」

「場合によっては殺します」


 低く言う。

 「怖い怖い」と呟いたガルドは俯いていたのでどんな表情をしているのか分からなかった。

 それから短くない時間、目を閉じて何度も魔術を解こうと足掻いたアルクゥが諦めた頃だった。

 唐突に肌が粟立ち、背筋に気持ち悪い感覚が這い登る。

 頭を上げると、突然動いたアルクゥにガルドはビクつきながら「何事だね」と訊いた。アルクゥは悲痛な叫びを返す。


「今すぐ、私を放せ。早く!」

「駄目だって……何かあった?」


 ガルドは途中で扉を激しく叩いた音に声を向ける。扉の外から堅苦しい声が「精霊鳥が鳴きました!」と、興奮を隠せない報告をした。ガルドは目を丸くしてアルクゥを見る。


「わかった。教えてくれてありがとう。……なあ、アルクゥ。キミは察知できるのかい?」

「放せ!」

「……懲りないね」


 向こうはどうなっているだろうか。

 魔力が封じられているのでケルピーの声も聞こえない。師匠はまた顔を青くして苦しんでいるだろう。考えただけで心臓が縮まる思いだ。もしかすると倒れて助けを待っているかもしれない。それに、ガルドの知り合いとやらが危険な人物でないとも限らないのだ。

 アルクゥはどうにか帰ろうと芋虫のように這い摺る。そこまでするか、と苦笑した風のガルドは止めようとしなかった。

 額を扉に打ち付けるようにして止まったアルクゥは、高い場所にあるドアノブを睨む。足に絡んだ黒い帽子だったものは重く、立ち上がることすら困難だ。ましてや扉を開けるのは不可能に近い。


(開け! 早く帰らないといけない。だから……)


 叶わないと知りながら念じた直後だった。

 内開きでなかったのが幸運と思える勢いで扉が開く。一瞬喜ぶも、先ほどの声の主、ガルドの部下だろうとすぐ苦い顔をして見上げた。


「……これはどういうことですか、ガルド様」


 そこには凛々しい顔があった。

 久し振りに見たサリュは声が震えるほどに怒っている。

 なぜ彼女が、と突然の助けに喜ぶより困惑していると体が起こされた。背中が支えられて体勢が安定する。


「おい婆さん。またコイツを使って悪巧みか?」

「……これは、参ったね。サリュの話はもっと時間がかかると踏んでたんだけど」

「なぜ私がヴァルフと会っていたことを知っているんですか」

「デネブにはワタシの目と耳が沢山あるんだ。不用意に予定など話してはいけないよ、サリュ」


 ヴァルフは椅子の上で降参の諸手を挙げるガルドを一瞥し、アルクゥに視線を寄越して顎に手をあてる。


「アルクゥ。あっち側・・・・に行けるか?」

「あっち側って……それよりヴァルフ、師匠が……さっきまた精霊鳥が、それに!」


 ネリウスの非常事態を察して一瞬動揺したが、ヴァルフは「術を外すのが先だ」と断言した。


「私はいいから先に」

「つべこべ言わずやれ。駄目だったら望みどおり置いてくから」

「何をするかしらないけれど、その術はワタシが死ぬか解くかしないと」


 ガルドの説明をみなまで聞かず、アルクゥは息を吸い込み光の層に入った。

 すると足に絡んでいた帽子は元の形に戻り、体に張り付いていた白墨の紐は粉になって落ちていく。

 呆気にとられたままヴァルフたちのいる層に戻り全身を確認する。やはり拘束は綺麗さっぱり消えていた。一番驚いたのは術者であるガルドなのだろう。口が開いている。


「あ……アルクゥ……キミ、一体どんな魔法を使ったんだ」


 アルクゥは答えず、足を縺れさせながら立ち上がり記録室を飛び出した。

 ――時間が惜しい。今の理屈も魔女への制裁も後回しだ。

 アルクゥは昇降機まで走りながらバッグに手を入れる。するとアルクゥに最初の殺人を促した短剣がまるで意思を持つかのようにすんなりと手に飛び込んできたのだった。


 

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