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精霊のシジル  作者: 染料
三章
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第二十三話 薄暮の迫る世界

 変化とは、そよ風に混じる不意の強風のようなものだ。

 精霊鳥という意味不明な現象にしても、それを契機にした師の不調も、拠点に住まう者が一気に七人ふえたことも。全く歓迎しない一陣の風は、アルクゥの気分を舞い散る木の葉のように弄ぶ。


「どいてくださいませんか」


 アルクゥは痛むこめかみに手を這わせたい衝動を堪えながら、立ちはだかる黒い法衣の二人組に頼むが、一向に退く気配がない。

 訪れた七人は精霊鳥が鳴いた原因を調査しに来た聖職者だ。

 聖職者という響きだけで拒否反応が眉付近に現れるアルクゥとしては、彼らの寝食を世話するだけで眉間に当分消えない皺ができるほどだ。なのにその上、彼らの一部が癇に障る干渉をしてくるので心証はもはや最悪の域に達している。


(どれもこれも、得体の知れない鳥のせいだ)


 精霊鳥の調べは神の先駆けという。

 爆発的に広まった「神の訪れ」は疾風の勢いで駆け巡り調査員を招きよせる事態と相成った。現場と言うべきこの場所に調査員の受け入れが要請されたのは当然の流れだろう。

 調査員を見ていると、精霊祭が間近に迫った時期に、王都ではない場所で精霊鳥が鳴いたことを問題視しているようだ。

 ネリウスが教えてくれたことによると、三日に渡り催されるティアマトの精霊祭は元々神を王都に召還する儀式だという。今でこそ国内全土でお祭り騒ぎをする行事になってはいるが、つい百年ほど前までは粛々と行うべき神事だった。国王は現在でも三日かけて儀式を執り行い、聖域に呼ばれ帰ってきたティアマトは翌一年の地の恵みを約束して再び国土を駆け巡るという。

 つまり神がこの場にいてはならないのだ。

 神の有無はともかく、もう精霊鳥が鳴いていないのだから去ったと見ていいだろうに。だがそんなアルクゥのような考えは通じないらしい。

 伝承が覆されることはすなわち王権の土台を揺るがすことに繋がる。儀式が建前上のものだとしても王の面子は潰れ、政治への影響も必至だ。神に見放されたと見做されたら最悪王座を失うことも大いにあり得る。


 調査員の態度は大まかに分けて三つ。調査に熱心な者、杓子定規の手順のみ行う者、全く調査を行わない者。一番最後はおそらく王の派閥に属する者で、一番最初は王を王座から追い落としたい派閥の者だろう。ちなみにアルクゥに干渉してくるのは、真ん中の態度の者たちで、精霊鳥に興味があるかないかすら不明だ。


 不愉快だ。


 大切な居場所が小さな権力抗争の場所となったことも、いらぬ干渉をしてくる者たちも。最大の癌は精霊鳥とかいう不気味な鳥、そしてあの日駆け抜けた良く分からない存在。

 症状は落ち着いたが、目を凝らすとネリウスの体からは魔力が流れ出ている。

 原因が何かはっきり分からないが、もう二度と精霊鳥が鳴かないよう月陽樹を焼き払おうかとアルクゥは本気で考えていた。

 憂慮と苛立ちは混じり合い強い風となって心の水面を歪ませる。油断すれば細切れになって風に飛ばされそうな自制を抑えるのに苦労する日々が続いている。

 それなのに――こいつらは。


「ねえ、お茶でも入れて下さらない? せっかく二人きりの同性なんだからお喋りしましょうよ。貴女は女の子なんし、戦いの練習なんか要らないわ。夫となるべき人に守ってもらえばいいのよ。……ねえ?」


 アルクゥの苛立ちを露とも感じていないらしい五十がらみのふくよかな女は、隣の見目麗しい青年に先の言葉を預ける。応じた青年は僅かに屈みアルクゥと目の位置を合わせた。子供を諭すような動作が一層癇に障る。


「助祭の仰る通りです。たしかに戦争が始まるという風聞はありますが、貴女は戦地に赴く兵士ではない。戦いの訓練など不要で無駄な行為だ」

「必要だからやっているのです」

「それは、嘘でしょう」

「……断言する根拠はどこに?」

「目を見れば分かります。貴女は不安に揺れてる」


 口の端が引き攣りそうになったので手で隠す。

 調査員はネリウスがデネブから正式に受け入れを要請された、いわば客人だ。無下にはできない。間違っても頭が可笑しいなど言ってはいけない。


「ならそれで結構ですから、とにかくどいてください。人を待たせています」

「いけません。……散々建前を申しましたが、本当は傷だらけの貴女を見たくないのです」

「はあ、そうですか」

「更にもう一つ。差し出がましいようですが、警告をさせてください。貴女が教官と仰ぐ男は、訓練と称して貴女を叩きのめすことに快感を得ている節があります」

「はあ……その根拠は」


 呆れ果てて訊くと、青年は美しい顔を歪ませて大げさに嘆いた。

 

「火を見るよりも明らかな態度でしょう! ああ、やはり貴女は無垢だ。その美しい心根をお守りしたく思っております。どうか……」

「……人を待たせてますので、失礼します」


 使用言語が同じだからと言って意思疎通が可能というわけではない。

 アルクゥは意思の伝達を諦めて二人の間を通り抜けようとする。すると青年に手を掴まれた。「片手が拘束された場合」というヴァルフに教わった護身術が頭を掠める。

 青年は肌の温度が感じ取れる距離で沈痛な面持ちを浮かべ、潤んだ物言いたげな眼差しはアルクゥを一心に見詰めている。助祭の女は、と見るといつの間にか消えていた。

 目撃者はいないな、と自制の枷が緩もうとしたとき、廊下の先から状況を打開する助けが訪れた。


「客人、儂の弟子に何をしているのだ」


 不機嫌露わな声だ。青年はパッと離れ、もごもごと口の中で何か言い、出入り口の方に逃げて行った。


「余計なお世話だったか?」


 ネリウスは作った不機嫌を取り払いながら笑う。アルクゥはその姿にホッとしながら顰め面をしてみせた。


「残念ですが、あれは非常に不快でした。助けてくださって感謝します」

「手厳しい批評だな。ともあれ、精霊祭までの辛抱だ……が、あの様子は、お前が何者か知っておるようだ」


 アルクゥは今度は本当に顔を顰める。


「だと思います。容姿の特徴で判断したのかと……そうでないと、ああも構う必要がないですから」

「あの者達が去るまで一時ここを離れた方が」

「その話は嫌だと言ったでしょう。私の家はここです」

「……頑固だな」


 眉を下げて笑むネリウスに、アルクゥも微笑みを返した。

 とはいえ、竜殺しを知られたことは厄介だ。迂闊だったと反省する。


「でも、嘘か本当かもわからない伝聞のみで、よく私を取り立てようと考えますね」

「人はそういうものに惹きつけられるからな」

「……人間も灯蛾もあまり変わらないな」

「かもしれんな。殊にお前の炎は美しい」


 呆然とするアルクゥの頭を撫で、ネリウスは自室となっている工房へと歩いていった。


「どうしたお嬢様。顔が赤いぞ」


 外に出ると、ヴァルフはケルピーの頭を撫でながらニヤニヤと笑っている。


「ついに篭絡されたか」

「その冗談は腹に据えかねるので止めていただきたいのですが」

「分かった。だからお前もその口調は胃にくるから止めろ」


 ヴァルフは諸手を上げて「悪かった」と早々に謝る。


「で、今日は何言われたんだ?」

「ヴァルフは私をいたぶって満足している変態なんだってさ」

「へえ。いたぶるのはともかく、生徒の出来を言うならそれなりにってとこだが」

「褒めてるの?」


 さあな、と人相悪く笑うヴァルフに、仕方なく疑惑は頭の隅に追いやり深呼吸をする。

 月陽樹と苔生した建物の影でアルクゥはヴァルフと向き合い呼吸を整えた。

 打ち合う訓練でのルールは、相手の急所に刃を添えれば勝ちだ。大雑把だが命の危険はない。アルクゥの実力ではヴァルフに掠り傷を与えるのが関の山だ。それでも初めに比べれば快挙だと言えるだろう。

 距離を詰める、逃げられ、空振りし、時々意表を突ければ相手の肌を掠る。

 最初は避けに徹するヴァルフはある程度時間が経てば反撃する。そこからが本番で、今度はアルクゥが逃げる番に回るのだ。


「こら、集中しろバカ」


 しばらく避け続け、前髪が汗で張り付きだした頃だった。

 注意されたアルクゥは眉間に深い皺を刻んで大きく踏み込んだ。

 間合いを詰める。切っ先の距離を見誤らせるつもりで真っ直ぐ突いた剣は、ヴァルフの頬を掠るが躱される。その伸び切った腕を引き戻す間もなく掴まれて、剣を振れなくなる。

 「悪手だ」と頭上に聞きながら、機能を失った剣を落とし、掴まれた腕を限界まで強化してヴァルフを引き寄せる。その勢いで顎に掌を振り抜こうとするが、あっさり見抜かれて拘束が外れた。

 ヴァルフが一歩後ろに下がった隙に剣を拾い上げようとしたとき、切っ先が首筋に突き付けられて勝敗が決まる。


「落とした武器は捨てたものと思え。一手前の判断は良かったが、お前本当に顎砕こうとするの好きだな」

「まあ……ほんのちょっと」

「あのな、俺の顎はお前のストレス発散の為にあるんじゃねぇよ。それに、気を散らし過ぎだ。実戦だったら死ぬぞ。周りを警戒しておくのはいいが、まず目の前の敵に集中することを覚えろ。ああいう手合いは無視だ」


 顎で示された先、月陽樹の根元には調査員がたむろしている。梢を見上げる仕草の中にこちらを気にする視線を寄越す。感覚を鋭敏にする訓練中には酷く邪魔なものだった。

 その後もしばらく打ち合いを続けたが、やがて身が入っていないと怒ったヴァルフに足を引っかけられ、転がされて今日の訓練は終了した。


「今日はここで終わりだ」

「……ありがとうございました。いつ勝てるんだろ」

「そりゃ戦闘は俺の本職だからな。お前も結構様にはなってる」

「お世辞はいらない」

「んなもん言わねぇ」


 伏せていた体勢を仰向けにする。空は随分と高く青を何層にも塗り重ねたような色をしていた。


「――本当に知らない?」

「……何がだ」


 アルクゥはヴァルフを横目に見て「別に」と振った疑問を取り消した。

 横に投げ出した手の平を何となく見ると血が滲んでいる。皮が破れて酷い有様だ。ぐっと握って開けば治っているが微かに引きつった感覚が残る。ふと頬に温かいものを感じて隣を見ると、腰を下ろしたヴァルフがアルクゥの頬に指先を沿わせていた。小さな痛みが引いていく。


「俺も師匠の全部を知っているわけじゃない」

「うん」

「悪いな」

「私も……ごめん」


 瞼に手の甲を当ててしばらく、頭から草を払い落とし起き上がる。


「追い払うか」

「いや、ばれたのは私の責任だから」


 あの二人組が視界に入り殺意に近い嫌悪感が湧いた。

 熟年の女は数メートル手前で止まり、美麗の青年だけヴァルフを冷たく一瞥しながら近付いてきてアルクゥの傍に膝をついた。


「こんなに傷をお作りになって……せめて治療をさせてください」


 触れようとした手を避ける前に、ケルピーが間に顔を突っ込む。青年は形の良い眉を顰める。


「何ですかこの魔物は?」


 翳そうとした手に魔力の流れを見て、この国の聖職者は全員魔術師だと今更ながら思い出した。不愉快を隠そうともせず、あまつさえケルピーに害を加えようとする青年に「私のものですが」と無表情に告げる。慌てたように「綺麗な馬ですね」と付け加える様子に溜息が漏れそうになった。


「私に構う暇などないでしょう。どうかお気になさらず、神様の痕跡を調査をなさってください」

「あなたは押しかける形になった我々を世話してくださってます。ですから私も、少しでもあなたのお役に立ちたい……アルクゥさん」


 再度伸びる手に対してケルピーが前脚を片方浮かせた。

 踏み砕こう、という意思を感じ取ったアルクゥは素早く押し留め、ヴァルフが青年に忠告する。


「止めとけ」

「……あなたに何の権利があって、いや、それ以前の問題だ。あなたが彼女を傷付けたのに、気にするのは剣の痛みだけですか?」

「は?」


 ヴァルフは目を丸くして、ふいに人懐こく笑った。唯一凶悪さが抜ける表情に、青年も毒気が抜かれたのか握っていた拳を解く。


「そりゃ俺だって頼まれりゃ手当てくらいするが、あいにくこいつの方が治癒術は上手いんだ。でもまあ、そんなに言うなら一応訊いとくが……アルクゥ、俺が治そうか?」


 頷いとけ、という目線に従って頷く。


「ありがとうヴァルフ。治してほしい」

「っ……あなたと言う人は……あれほど忠告申し上げたのに……!」


 青年は信じられないという顔をして、怒りからか耳を赤くしている。しばし理性で怒りを抑えつけるように固く目を瞑り、「また後で」と吐き捨てて肩で風を切り屋内に入っていった。

 ヴァルフは肩を竦め宣言通りアルクゥの怪我を治していく。あちら側の様子を隠れ見ると、月陽樹の下で状況を眺めていた他の聖職者たちは、袖にされた青年を見て嘲笑を顔に浮かべていた。

 


 精霊祭は夜毎に近付いてくる。

 調査員たちに心を煩わさせられる日々が続いたが、段々と浮足立ち始める周囲に感化されてアルクゥも祭りを楽しみにしていた。デネブでは準備に勤しむ人をよく見かけるようになり、家の軒先を飾るセティの花も騎士団の努力によって再び咲き誇るようになった。住人は大層喜んでいる。

 同時に、季節は秋に差し掛かった

 アルクゥたちの拠点は森林地帯の中にあるため冷え込みが厳しい。

 夜は毛布が必要なほどだ。調査員から寒いという苦情があったが、ネリウスが使い魔の火蜥蜴を差し入れすると返されて、それから誰も文句を言わない。


「こんなに暖かいのに……」


 一人で魔術の修行を終えた後、借りていた火蜥蜴を胸に抱く。形はトカゲよりもサンショウウオに似ており、中型犬ほどの大きさで真っ赤な体毛を持つ。危険を察知すれば発火して身を守るが、比較的大人しい魔物だ。

 真っ黒な目がのっそりとアルクゥを見上げる。それに笑って見せて、アルクゥはネリウスの元に返しに行った。


 部屋をノックして入ると、ネリウスはガラスの試験管を小刻みに振って何か調合していた。手を止めて「冷えただろう」と気遣ってくれるのが嬉しい。


「いえ、この子のお陰で暖かいです」

「それは良かった」

「どこで捕まえたのですか?」

「アマツの火山だ」


 アマツ、と呟いて火蜥蜴を目の高さまで抱きかかえる。

 アマツは水と火の国だ。清らかな水が湧き出で、猛る火山が大地を揺るがす国。四季は美しく繊細だと――母から聞いている。


「……一度は行ってみたい国です」

「そうか。ならば――情勢が安定したら行くとするか」


 はい、と掠れた返事をしたときだった。

 ぞわりと肌に粟が立つ。決して歓迎しないのに、その期待に似た感覚は近付いてくる。

 ――二度目。

 直後、月陽樹の頂に住まう鳥が狂騒を始めた。

 アルクゥは青褪めてネリウスを見る。ネリウスも浮かない表情でアルクゥを見返した。交わった視線は互いに別々の意味を含んでいる。一方はどんな変化も見逃さない鷹の目であり、もう一方は痛い腹を探られた直後のように気まずげな色を。


「師匠」

「……外が、騒がしいな」

「師匠!」


 胸を押さえて身体を曲げたネリウスを支える。腕から伝わる体温は低い。苦痛に耐えているためか冷や汗をかいている。最初よりも酷くなっている。


「すぐ収まる」

「なぜ……何が原因なのですか! 教えてくださらないと、何もできない」

「人生最大の汚点とでも言っておこうか」

「答えになっていません!」


 ネリウスの強がりがもどかしくてアルクゥは唇を噛む。零れた涙を、古傷だらけの指先が拭い取るが、絶えず溢れる終わりの予感はどうあっても拭い切れるものではなかった。


 

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