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精霊のシジル  作者: 染料
三章
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第二十話 契約魔術


 アルクゥとヴァルフはケルピーの背に乗ってデネブに向かい、騎士団本部にいる団長にネリウスの手紙を二通渡した。一つは警告、一つは脅しだと言うがアルクゥには何のことか分からない。ネリウスが誰かを脅すなど考えられないので、余分の一通はヴァルフが誰かを恫喝するものだろうか。顔に似合ったこともするんだな、と感心する。

 団長は顔なじみのヴァルフには気安げな笑みを浮かべ、アルクゥには静かに深い礼して自分宛のものに目を通した。文字をなぞるにつれ精悍な顔を歪めていき、難しげな顔をして懐に手紙をしまう。二人に視線に気付くと難儀な仕事だと笑った。

 それからアルクゥの要望で真新しい共同建築が立ち並ぶ北区を訪ねた。

 竜災害によって住まいを失った人が暮らす場所だ。一室を訪ねると、鼻先に薬草の切れ端をつけたリリが出迎えてくれた。

 気掛かりだった薬種屋のその後は、マリが薬種商会と和解したことで何とか売り場と材料を確保でき、生活に問題はないという。ただ一つ悩みがあると言い、聞いてみるとパシーが最近変な態度を取るようになったらしい。前のように喋らない、目を合わせようとしない等だ。大事な友人の悩みだ。笑いを堪えるヴァルフの横で一緒になって真面目に首を傾げたが、残念ながらリリは商品の薬を作っている最中だ。長くは悩むことはできず、難しい顔で手を振るリリに見送られながらその場を後にした。


「で、次はどこ行くんだ?」

「用事は終わってしまったし……ヴァルフは? ギルドに行くなら一緒に行きたい」


 ヴァルフは週に三日ほどギルドから仕事を請けて外出する。話を聞いていると粗暴で愉快な傭兵と魔術師の溜まり場ということなので、一度覗いてみたかったが「駄目だ」と返事は素気無い。


「碌な場所じゃねぇよ。お前が行っても目を付けられるだけだ。場合によっちゃ血を見ることになる」

「そんなに危ない場所?」

「若い魔術師は鴨だし、竜殺しだとばれりゃ尚更だ。絡まれたお前が切れて相手を血祭りに上げるか、丸焼きにするか……そんなことより、飯食いに行くぞ」

「私はそんなに短気じゃない!」

「はいはい分かってるさ」


 ヴァルフは宥めるようにアルクゥの頭を撫でさっさと歩き出してしまった。

 着いたのは閑散とした路地にひっそりと佇む店だ。陰気この上ない場所で客はアルクゥたちの他に二人しかいない。どちらも曰くありげな風体で剣呑だったが、店主は荒事とは程遠い風貌で運ばれてきた料理は美味しかった。

 ヴァルフは噛んだのか疑わしい速さで食べ終え、頬杖をついてアルクゥの食事風景を眺めている。目を逸らさず睨み合う体で食べ続けると「ぶっそうなのは厭ですよ」と店主が控え目な口を挟んだ。


「あんたに暴れられちゃ店が潰れちまう」

「俺はここでも、ここ以外の店でも暴れたことなんざ一度もないんだがねオッサン」

「そうだったかな?」


 店主が飄々ととぼけると、客の一人が「そうだぜご店主」と陽気な声で混ぜ返す。


「その兄ちゃんは暴れてる奴を叩きのめしてんだ」

「つまり結局は暴れている、と」

「おう嬢ちゃん、察しが良いな。一杯奢ろうか?」


 品のない笑い声を立てた客は、ヴァルフの視線を受けて縮こまった。威圧のこもった灰色の三白眼を直視できる者はあまりいないのだ。アルクゥは慣れているので怯まず、ばつが悪そうにするヴァルフにニヤニヤ笑いを向ける。


「人のこと言えないような気がするんだけどなぁ」

「俺は良いんだよ。けどお前は駄目だ」

「治安を守る騎士としてはどちらも止めていただきたい」


 突然挟まれた第三者の声に視線を上げる。ヴァルフは驚きもせず今の慇懃な言葉を「気色悪い」と評した。

 騎士姿のサリュはヴァルフを無視してアルクゥに深く礼を取り馬鹿丁寧に相席を願う。苦笑して頷くと、光栄だと笑って斜め前に座った。


「デネブに来ていると聞いて探しておりました。お寛ぎのところ申し訳ないのですが、少しお耳に入れておきたいことがあります」

「悪い話ならそれこそ遠慮願いたいんだがな」


 サリュはヴァルフをチラリと見て、深く息を吐き「すまないが」と呟いた。


「最近、行方不明者が多出している。正確な数は把握していないが恐らく数十人は下らない」

「それにしちゃあ騒がれてねぇな」

「近親者ごと失踪している。消えても大騒ぎする者がいないんだ。だから発覚が今まで遅れた」


 サリュは組んだ両手を口元に当て、アルクゥに言葉を向けなおす。


「大量誘拐事件と確信したのは五日前です。捜査担当官が通報記録を整理した際、数日前から隣人家族がいない、向かいの老夫婦が消えた等の報告が目に付き、他の地区に問い合わせたところ、そのような事例が多数見受けられました。その上、妙なことなのですが」


 一旦言葉を区切って首を傾げる。


「目撃情報を集めると、失踪者は自らの足でデネブを出て行ったようなのです」

「脅されて、ということですか?」

「普段と変わらない様子だったというのが近隣住民の証言です。我々騎士団は門の警戒レベルを引き上げて、公報紙でも外に出ないよう呼びかけています。大規模な人身売買組織かもしれない。どうか充分にお気をつけください」

「分かりました。ありがとうございます。……あの、このようなことをお願いするのは卑怯かと思うのですが」

「ご友人のことはお任せください」

「あ……ありがとうございます」


 微笑み頷いたサリュは「恩人の望みですから」と立ち上がり、少しばかり声を張った。


「状況が判然としない以上、他言無用だ。詰所や本部に押しかけられては捜索も調査もままならない。大切な者がいるなら目を離さないでくれ」


 客は神妙に頷き、店主は皿を拭きながら「ぶっそうだねぇ」と呟く。


「協力感謝する。では私は職務に戻ろう」

「人手が足らなかったら呼べよ」


 気がない風に言うヴァルフを見てサリュは愁眉を開き、小さく笑って颯爽と店から出て行った。凛とした後姿を見送ったアルクゥはハッとしてヴァルフを見遣る。案の定、過保護の虫が騒ぎ出したらしい兄弟子がそこにいた。


「言わなくても分かると思うが、一人で出歩くなよ」

「あのねヴァルフ。今まで一体どれだけ一人でいたと」

「わかったな」


 目が笑っていないヴァルフから、数拍置いて目を逸らす。見掛けによらずとにかく過保護なのだ、この兄弟子は。


◇◇◇


 デネブ、中央区画の塔。

 その頂上で知己からの脅迫文書を受け取った魔女ヒルデガルドは、片頬を引き攣らせ紙面を折り畳む。百も二百も年下の男だ、いくら王の側近だったとはいえ自分が優位に事を運べるだろう、と知り合った当初はそう思っていた。あの侮りがなければもう少し良好な関係を築けていたと思うと溜息が重くなる。


「しかしラジエルを調べろなど、脅しではないか……いや脅しだけれどね。爺の言うとおり怪しげではあるが、あの何がいるか分からん魔窟に探りを入れるくらいなら、防衛に徹する方が有益なんだけど」

「竜の卵は外部から持ち込まれたのでしょう。そんなことをするのは魔導院くらいでは」

「どっかの気狂い魔術師マッドだよ」

「ガルド様……」


 多忙の騎士団長に代わり手紙を届けた騎士は肩を落とし、辺りを憚って声を落とす。


「妙な魔物や失踪事件もご存知でしょう? 最近変じゃないですか。もしかして全部ラジエル魔導院の仕業かも。お調べしたほうがよろしいのでは?」

「だから嫌だって」


 ガルドは手紙を破棄してばら撒く。

 椅子の上で膝を抱え、呆れた顔の騎士にニンマリと笑った。


「気になるなら自分で調べろ――と、キミのご主人に言いたまえよ。ワタシは王都の御仁に使われるのはごめんだね」


 騎士は目を瞠る。


「縁を結びたいなら暇なとき来るがいい。そろそろデネブも味方を持たないと危ないかもしれないから」

「……お伝えします」

「あ、キミ。報告したらちゃんと帰って来るんだよ。魔力保持者は貴重な戦力なんだから」


 引き攣った笑みで一礼して退出する騎士を見送り、ガルドは散らばった手紙の残骸を冷たく眺める。いっそ彼の弟子を祭り上げて教会の傘下に入るという手もある。だがそうすると創始から保ってきた独立性が消え、自分は肉の塊にされるだろう。

 命は惜しくないが、せめてデネブが安泰になるまで生きておきたい。


「さて、こちらからは何を差し出すか」


 技術か物か金か――先の間者を放った主が欲しがるのは人材に違いない。デネブの為ならばと進んで生贄になってくれる者は多いだろう。愛郷心を育てる教育の賜物だ。

 けれどもなるだけ損は抑えたい。

 脳裏で高値の手札を数え、英雄の姿を思い浮かべたガルドは、ふと笑う。仮定に思い悩んでも疲れるだけだ。中央の派閥争いはまだ表立って互いを刺し殺す段階ではない。各自根回し、水面下での足の引っ張り合い、時折暗殺くらいだろう。趨勢を見てより良い立ち回りをしていけば良い。


 ガルドはそう考え、抱え込んだ膝に顔を埋めた。大きく何度も深呼吸をする。それは、元来小心な自分を押し込める為には必要な儀式であった。


◇◇◇◇


 サリュの警告から二ヶ月が過ぎ、季節は装いを変え、夏は終わりに近付いている。

 ティアマトの夏はグリトニルに比べて驚くほど過ごし易かった。茹だる暑さというものがなく、気だるげな湿気を含んだ風もない。その変化がふと胸を突くことがある。故郷を想えば記憶から匂いすら香ったのに、ティアマトに馴染むにつれて薄れていく。狂おしい郷愁は既に過去のものだ。

 例の失踪事件は未だに解決していない。

 騎士団の防止策が功を奏し、また住人の間にも不穏な噂が流れたことから新たな失踪者は目減りしたが、それでも数週間に一人は消える。騎士団は躍起になって探しているが、怪しい情報は見つからず、失踪者の痕跡も見つからず。時折発生する失踪を追いかけては空振りに終わっているようだった。

 一方でアルクゥの周囲は穏やかだ。知り合いで消えた者はいない。友人のリリもパシーも無事だ。二人に身を守る簡単な魔具を作って渡しているが使う機会は訪れていないという。

 アルクゥ自身にもこれといった異変はなく、時折拠点付近に群れる魔物を撃退しながら魔術と武術を学び続けていた。


「――今日は契約について話そうか」


 普段ネリウスの工房兼自室で行われる講義は、今日は珍しく屋外だ。

 アルクゥは講義を受ける体を真似て畏まるケルピーと一緒に耳を傾ける。その様子に少し硬い表情を浮かべていたネリウスは笑って話し始めた。


「契約魔術とは文字通りの術だ。相手と魔術で破れない契約を交わす。重要になるのは契約者が対等かそうでないかという点だな。例えば、商人は呪術師が作成した契約書を使って契約を結ぶ。これは対等だ。法により双方対等になるように書式が定められている。逆に、対等でないものの筆頭として主従契約がある」


 ネリウスは宙に手を翳す。魔法陣が現れ、そこから小鳥の魔物が飛び出して肩に止まった。


「見てわかるように儂が主で此奴が従者だ。魔物と主従契約を結ぶ方法は、まず力を認めさせる。次に真名を交わす。高位の魔であれば名を持っておるが、此奴は名無しであったので儂が名付けた。最後に自分の身体の一部を……まあ大体が血液だな、提供する。それで主従の楔は発現する。お前達の契約には何かが足りぬようだな」

「真名を交わしていません」

「ケルピーならば幻獣種か。格は中位程度だな。名を持たぬだろうから、付けてやるといい。魔物と契約する場合、人が下になることはない。魔族という種が存在した大昔ならば逆も有り得たが、今は確認されておらぬな。人が下になる場合は二つある。一つは神格との契約、もう一つは同じく人との契約」


 アルクゥは頷いてそっと横目にケルピーを見る。何かを期待するような眼差しがあって、再びネリウスに向き直るが、ケルピーは鼻で腕を突いてくる。頭を手の平で押し遣るのに苦労しながら疑問を発した。


「神格とは何ですか?」

「神格とは四神に及ばぬ精霊のことだ。サラマンダー、ドリアド、シェイドなど色々いるな。彼らとの契約は祝福とも言い換えられる」

「四神とは契約できないのですか?」

「聞いたことはないな。ただ、時折四神の寵を得る者が現れる。聖人と呼ばれる彼らは、祝福とは比べ物にならぬ力を得ると聞くな」

「と言うことは、母もそうなのでしょうけど、そんな力は見たことありません。聖人については殆どが迷信だと聞きました」

「お前が受け継いだ力を見ればそうとは思えぬな」


 アルクゥは曖昧に頷く。もしかすると「父親」の遺伝かもしれないとは口が裂けても言えない。


「炎は言わずもがな、空間の境を越える能力もそうだ。お前は隠れるだけの些細な能力と思っているようだが、あれはとんでもないぞ。魔術が通じぬ、姿も見えぬ。活用すれば世紀の大怪盗として名を馳せることも可能だ」

「怪盗……って泥棒じゃないですか。しませんよそんなこと」

「だろうな」


 ネリウスは喉で笑って、ふと表情を引き締めた。


「最後に、人との主従契約。あれは結ぶべきではないものだ。騎士が主に己を奉げる手段として美化されておる節があるが、単なる奴隷契約と思っていい。従者は主人に真名をもって命じられては逆らえぬ。期間を定めておらねば一生奴隷だ。自死も出来ぬ。双方の合意によって契約破棄をするか、不慮の事故でどちらか片方が死なぬ限り主従の楔は埋まったままだ。更に、人と人の主従契約には最悪のものがある。これはもはや魔術の範疇ではなく原始的な呪だ。隷属の杭。死後の魂まで縛る術だ。禁術の一つに数えられる。知る者は殆どおらぬ。だが……」


 ネリウスは言葉に間を空けて躊躇いを見せ、慎重な口振りで尋ねた。


「昨日見た、お前が魔力で作った刃。あれは、隷属の杭をする際に現れる楔に似ていた。いや、そのものだ。アルクゥ。なぜあれを知っている? もしかして、誰かと……」


 アルクゥは目を丸くし、首を横に振る。

 記憶を手繰ると、そう言えば昨日魔物を退けた時からネリウスの様子がおかしかった。恐らく一晩どうやって聞き出すか悩んで、ケルピーを引き合いに出して契約魔術を話す切っ掛けを作ったのだろう。

 そう考えると申し訳ないやら、少しおかしいやらでアルクゥは微笑む。大仰に眉を寄せてはらはらと答えを待つネリウスに、刃を知る理由の一切を説明する。


「なんと……良く拒否した。そうか、ベルティオという魔術師か。――覚えておこう」


 冷えた声にぞくりと粟肌が立つ。師の怒りを垣間見てやはり尋常な人ではないのだと改めて認識した。 

 にしても、とアルクゥは傾国の美貌を思い出して眉を寄せる。死の先まで縛るつもりだったとは恐れ入る。やはりあの魔術師は自分を騙していたのだ。次に出会うときがあれば容赦はしない。


「師匠、ご心配かけて申し訳ありませんでした」

「いや、儂の早とちりだ。この歳になっても落ち着きがないのは情けないな」


 照れたように笑うネリウスにアルクゥも破顔したとき、道の向こうから騎士が現れた。「私が」と応対に出ようとするアルクゥを制してネリウスが結界を出る。騎士は唐突に現れたネリウスに驚きながらも敬礼し、二言三言話す。ネリウスが頷くと踵を返して帰っていく。


「どうなさいました?」

「白丘陵のセティが根こそぎ枯れたそうだ。調査を頼まれた。すまないが、行ってくる」

「お気をつけて」


 ネリウスは鷹揚に笑いアルクゥの頭を撫で、姿を掻き消した。



 

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