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精霊のシジル  作者: 染料
一章
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第一話 光の話


 光の話。

 昔々と始まるが、遥か遠い過去でなく、懐かしむ程度の昔にあった物語。

 公爵である高貴な男性と、東の国より光を持って訪れた聖なる娘の恋物語。

 光を奪おうとする権力者や老獪な魔術師を、手に手を取り合った二人が知恵と勇気で打ち破る。

 幾多の困難を退けた二人が光を掲げると、夜闇は消え、人々は歓喜に湧いた。

 王や民の祝福を受けた公爵と娘は、一人の子を儲けて幸福な暮らしを続けているという――。


 アルクゥアトルはほうっと息を吐き本を膝の上に置く。

 物語の余韻に浸っていると、冷たい風が頬を撫でる。いつの間にか夕闇が忍び寄る時刻となっていた。

 机においてある翠色の丸い石に軽く触れると、部屋に光が溢れた。石の名をウル鉱石という。これが彼らが――アルクゥの父と母が広めた“光”だ。

 椅子から立ち、西に面する窓を開け放てば、物語の舞台となった大陸貿易港エルザが一望できる。

 大海ユーリアは穏やかで、西に大きく傾いた夕色混じりの太陽を反射して宝石のようだ。その中にはちらほらと船影が見受けられる。望遠鏡で覗いてみると、中には魔石を動力にする大型船もあった。最近は大規模な船団が頻繁に出入りしている。市井は大いに賑わっているに違いない。


 狭い、と感じるのは贅沢なのだろうか。


 分別がつくようになってから、アルクゥは自身の世界が狭いこと気付いた。

 外界に目を向けると異様さが際立つ。貴族の友人は社交界への顔出しで忙しいのに、アルクゥが公の場に出ることは非常に少ない。ただの外出にも制約が多く、街に下りることすら容易に許可が下りない。

 ものを知らないのでせめて本で知識を得ようと思うのだが、書物を雑多に読み漁ることはできず、内容を厳しく検分され、時に「有害です」と取り上げられる。

 だが、その指示が誰から出ているのか知りながらも文句は言わず、アルクゥは時折の外出を楽しみにしながら淑女としての教養や公爵の仕事を学んでいた。

 なのに――前の外出からもう三ヶ月が過ぎた。一体、いつまで軟禁のような暮らしをしなければならないのか。


 事情があるのは理解している。

 祖国グリトニルが海を隔てた隣国ティアマトと開戦の兆しがあるのだ。しかし未だに両国間を商船は行き来しているので、理解はしていても不満が心から噴き出してくる。

 私はこのまま屋敷で腐っていくのだろうか。

 広い世界を想うたびに心が疼く。


「ねえアンジェ。外に出ては駄目?」


 それからしばらくして部屋に入ってきた妙齢の女性に甘えた声を出す。自分では満点のおねだりだと思ったのに、女性の額からさっと角が生えたように見えた。


「駄目です。港はただでさえ得体の知れぬ者達が集まり易いのに、誘拐でもされたらどうなさいますか!」

「そう怒らなくても……聞いただけじゃない。アンジェのバカ」


 乳母のアンジェリカは鼻息荒く紅茶を注ぎながら「どうだか」と機嫌が悪い。


「アルクゥ様には危機感が足りません。今は危のうございますと何回言えば理解してくださるのですか!」

「でも何十年も大国同士の戦争なんて起こっていないわ」

「戦争なんてものは忘れた頃にやって来るものです。最近船が多いのも兆候なのですよ」

「どうして?」

「まずはご自分の頭でお考えくださいませ」

「謎掛けは嫌いなのだけど……できるだけ商売をしておこうってこと?」

「まあ、曖昧ですが正解をあげましょう。船が多いのは海路封鎖を見越した商人らが忙しく商品をさばいているからです」

「でもそれならまだ安全では」

「いくらエルザの警備軍が優秀だと言っても、大勢の商人に混じった危険人物を見つけることは難しいのです。ティアマトは虎視眈々と我が国攻略の足掛けを窺っています。高貴な身分であるアルクゥ様は良い鴨です。鴨ですよ!」

「か……かも……」


 鬼の乳母の勢いに、鳥と一緒にするなという反論を飲み込んで渋々アルクゥは頷いた。


「もう、わかったわよ。……でも、何で突然ティアマトは愚かな真似をしようと思ったのかしらね。弔辞の使者を殺してしまうなんて……昔と違って、最近は良い関係だったのでしょう?」

「王の代替わりにはままある現象ですよ。有能な先代から有能な跡継ぎが生まれるとは限りませんから」


 アンジェは素気無く断じた。

 開戦騒動は四ヶ月前にティアマト国王が崩御したことから始まる。グリトニルが送った弔辞の使者が王宮へ向かう途中で失踪し後に死体で見つかった。ティアマト側は何も知らぬ存ぜぬと白を切り、あまつさえは崩御の不幸に不吉を重ねたとして謝罪しろとのたまう始末だ。

 そして軟禁開始の三ヶ月前、ティアマトに新王が即位した。

 これに対してグリトニルは祝辞と祝賀の品を送ったが、品の一つが割れていた、これは呪いではないかという難癖を付けられ、いよいよ両国の関係は悪化した。


「ティアマトの人たちってとっても幼稚よね」

「国の争いとはそんなものですよ。それはともかく、情報は伏せられているのに商人たちは勘付いています。それほどに状況は切迫しつつあるのです。ですから本当に、無茶な行動はお控えくださいませ」

「大丈夫。大人しくしているわ」


 アルクゥは溜息を吐き外を見る。

 手招く活気から無理やり目を逸らしたとき、部屋に強いノックの音が響き渡った。

 アルクゥは一転、表情を緩めて扉に駆け寄る。跳び付くように開き、外に立つ人物を笑顔で迎えた。


「お父様っ!」


 堂々たる偉丈夫、という言葉がピタリと当て嵌まる壮年の男だ。

 黒髪に黒目。強靭な意志を表すかのような何にも負けない強い色。誰が見ても魅力的だと答えるであろう渋みのある顔は、今は残念なことに芳しくない。

 アルクゥは顰められた眉を見て、自分の行動が恥じ入るべきものだと知った。


「その……どうぞ。ケリーお父様。何のご用でしょうか?」


 アルクゥの父ケリュードランである。

 フルクトゥアト公爵の称号を持ち、アルクゥが愛読する物語の主人公でもある。

 娘の贔屓目を抜いてもこの国有数の傑物だ。街の住人全てに尊敬されていると言えばその凄さがわかるだろう。王の信頼も厚く、他国にもその名を知らしめている。

 だが隠し切れない敬愛と親愛を滲ませるアルクゥに対して、ケリーは素っ気なく命じた。


「アルクゥアトル。リーネを探してきなさい。またいつもの庭園だろう」


 アルクゥはしばしの間無言で父の目を見詰める。

 何の温度も感じない黒い目には、何かを期待する自分が映っていて少し滑稽だった。アルクゥは頭を下げる。


「わかりました、ケリュードラン様。必ずお連れいたします」


 しばらくして返した了承に応じる言葉はなく、ケリーは踵を返して去っていった。

 アルクゥは一度も振り返らない父親の背中に目を細める。殆ど無意識に唇を動かした。

 ――なぜ私を疎むのですか。

 音未満の掠れた空気が零れ出る。ハッとして口を押さえ、慌しく身支度を開始した。


「役に立てるのは嬉しい。親に尽くせるのは幸運なことだわ。それに、私はお父様が大好きなのだから。ねえ、アンジェ?」


 言い聞かせるように呟いて、暗い表情のアンジェから衣服一式を受け取る。汚れても良い質素な衣服を着て動きやすいブーツを履くといくらか気分がしゃんとした。


「アルクゥ様」

「なあに?」


 出掛けに引き止められて振り返る。いつの間に老いたのか、さきほどより数段も老け込んだ乳母がアルクゥを見詰めている。


「差し出がましいようですが、一度ケリー様と話し合ってはいかがでしょうか」

「そうね。……アンジェはもう自室に下がって休んでいて。どうせ母様は私でないと見つけられないのだし。いつもありがとう」


 声をかけて歩き出すと、アンジェが頭を下げたのか背後で衣擦れの音がした。


  

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