第十三話 仇を継ぐ者
あの夜以来、リリとマリの関係は冷えている。
原因のアルクゥは貝のように口を閉じるしかない。マリに命じられるままに仕事をこなし、リリに心配されるならば笑みを返す。日和見が精一杯の安全策だ。
マリの苛立ちは間もなく頂点に達するだろう、と言うのがリリの様子を見に来たパシーの見解であった。
入山禁止となった二日前からアルクゥは薬草採りに行っていない。その間にもシグニ草は続々と売れている。備蓄は残り僅かで、それがマリを焦らせていた。
このまま、デネブで最も需要が高い商品が供給できなくなれば、この店はそこいらの薬種屋との差がなくなる。店の立地が悪い分、集客力に欠けてしまえば生計が立てられない。
このままでは一人でやっていけると啖呵を切って抜けた薬種商会に戻らなければ。プライドが高いマリはそれが許せない。
「ああ、苛々するわ……山はそこらに沢山あるじゃないの! アル、探してきなさい!」
「いい加減にしなよ母さん! 子供じゃないんだから!」
十一回目の喧嘩が始まったとき、アルクゥはすっと立ち上がって気配を押し殺し外に出た。つい数分前にマリに渡された買い物のリストを片手に歩き出す。胃の辺りを押さえると何となく痛い。
上から下まで書き込まれた品物の名前に目を眇め、これなら中央よりの商業区に行ったほうがいいと街馬車に乗り込んだ。馬と魔石を原動力にする半自動走駆車には専用の道があり、瞬く間に目的地まで運んでくれる。
中央区画はデネブの主要区なだけあって人が多い。
僅かに浮かれた気分になって歩き出すも、違和感がすぐに高揚を沈ませた。
何かが違う。
アルクゥは人の流れに乗りながら視線を左右に走らせる。
眉尻を下げた人や、周囲に目もくれず足早に去って行く人、道の端にたまって額を寄せ合う人々。その中を子供が無邪気に駆け回っている。
不安を知るのは大人だけ。
アルクゥは空を見上げておおよその時刻を確認し、そうだったとひとりごちる。そろそろ出発した調査隊が帰ってきても良い頃合なのだ。
結果次第でアルクゥは嘘吐きの称号を戴くことになるが、見つかるだろうというどこか投げ遣りな予想はしている。
あの巨大な蛇は酷く賢いが、それを上回って食欲が強い。
何度も逃れる内にその性質の一端を垣間見たアルクゥにはわかる。
土や木すら齧り取る悪食は一人二人ならまだしも、大量の餌が鼻先を通り過ぎては我慢などできないだろう。
調査隊は襲撃を受けることになるだろうが全て魔力保持者――多少の身体強化なら使える者達で構成されていると聞く。それに騎士団員だ。問題ない筈。
買い物をして薬種屋に程近い通りまで帰ると、店の前に騎士が数人いて、奇妙なことに中には入らず中を覗き込むようにしていた。警戒が頭をもたげ、通行人のふりをして近付いてみると中からはヒステリックな声が聞こえる。
喧嘩が度を過ぎて騎士が呼ばれたのかと思い、慌てて従業員だと名乗り店に飛び込む。
「おや、キミは……」
「ああ、やっと帰ってきた! 遅いじゃないか! お前の店主をどうにかしておくれよアル!」
店内には仁王立ちするマリと向かい合うようにシグニ草をくれた男が、その後ろに隠れるようにガルドがいて、リリはカウンターの中でパシーに押さえられている。
不思議なことにリリとマリの親子は怒りで顔を真っ赤にしている。リリの方はアルクゥを見て一瞬表情が和らいだが、マリは吊り上った目を更に険しくして怒鳴る。
「うちの店員に何かあったらどうするの! アンタたち二人で行けばいいでしょう、関わらないでちょうだい!」
アルクゥは面食らって、説明を求める目を男に向けた。男はアルクゥの視線に気付き、眉を下げて安心させるように笑った。
「また会ったな。目撃者とはキミだったのか」
「あの、一体何が……どうしてマリさんは怒っているのですか?」
「話せば……まあ、短いが、キミは外に出ていた方が良いだろう」
そう言って男はガルドを振り返り、リリよりも濃く黒い瞳を冷たく細めた。
「話が違う。どこが屈強な魔力保持者だ。娘御ではないか。連れては行かぬ」
「魔力持ちは皆屈強だ! なあ、アル。キミは魔力持ってるだろう? 持っているな? きっと持っている筈だ!」
ガルドが美貌を崩して助けを求める顔にアルクゥはつい同情して頷く。
「ほら、大丈夫だって言っているじゃないか!」
「あたしは許しませんよ!」
「コラご店主。キミに従業員を想う気持ちなんてないことは重々承知しているのだよ、ワタシはね。魔女の目と耳を舐めるでないよ」
「そんな何を根拠に……」
「前の三人はどうなった? それが答えさ」
マリは蒼白になって口を噤む。ガルドは満足げにそれを見て、改めてアルクゥに向き直った。
「頼みがある。今から一緒に山へ来てほしい」
「事態が今一わからないのですが……」
アルクゥは返答を濁す。同情したはいいが、自分が動かねばならないなら話は別だ。そんな考えを察したのか、ガルドはアルクゥの両手を握りずいと身を乗り出してくる。
「早朝、出発した調査の者達が戻らない。もうじき夕刻だ。いくらなんでも遅すぎる。それに、付けていたワタシの使い魔が死んだようだ」
「止めろガルド。儂と二人で充分だろう。巻き込むんじゃない」
「事態を確認する者が必要なんだ。ワタシと、そこのネリウスという魔術師と、キミにも頼みたい。キミがこの問題をデネブに知らせた。それに、何度魔物と遭遇しても生き残っている」
ガルドは制する男を押し退けお願いだと頭を下げる。
アルクゥは困惑して何となくリリを見遣る。リリは首を大きく横に振った。駄目だ、と友人は反対している。
「何も竜と対峙しろと言う訳ではないんだ。確認できればそれでいい。そうしたらキミは、後はいつも通り逃げるだけで良いんだ。邪魔だと思えば、ワタシとこの爺を置き去りにしても構わない」
「私の言葉には信用がないので、お知らせしても……」
「あるさ。調査隊が帰ってこない時点で、キミの言葉は重みを得た。皮肉なことにね」
「それでは私の言うとおり、竜がいるとすれば良いでしょう。わざわざ危険を冒して確認しに行く必要が、なぜ」
「王都に助勢を頼むからだ」
扉外にいる騎士がどよめく。
口々にそれは早計だと言っているが聞こえたが、ガルドはそちらを見もしない。
「竜は災害として認められる魔物だ。王都の精鋭に援軍を頼むことが公式に認められている。呼ばない手はない。だがその前に、竜がどれだけ成長したのか確認しておかないと。調査隊の二の舞になる。それは最も避けなければならない事態だ」
アルクゥは真摯な眼差しを見返して、フードの下で瞑目する。
行って見て帰るだけなら薬草採りの時と然して変わりはない、か。
「……お手伝いします」
「ありがとう。では夜になる前に急がないと。ほら爺、ぼやっとしてないで行くぞ」
男は不満を隠そうとしない表情でアルクゥに耳打ちする。
「騎士やガルドを気にしての協力なら、そんなものに構わず断りなさい」
「違います。えっと……」
「ネリウスだ。何が違うのだ」
「ネリウス、様。今まで大丈夫でしたから、今回も大丈夫だと思ったのです。それに、あれだけ誠実に頼まれては断れません」
するとネリウスは顔を顰めた。
「あの魔女に誠実という言葉は存在せぬ。手伝ってくれるのは有り難いが、儂の傍を決して離れないように」
頼りになる言葉だったが、アルクゥは後頭部に当たったものに気を取られて生返事をする。
振り返って拾い上げると、薬草の匂いが染み付いた袋だった。視線を上げると、リリはマリに向かって飛び掛ろうとしていた。
◇◇◇
山道は深閑としている。
鳥の音も虫のさざめきも一切聞こえない。三つ分の土を踏む足音が驚くほどよく響き、敵に居場所を知らせるようで幸先が悪く思える。
まさか歩きだろうか、とアルクゥは茂みに隠れているケルピーに手を払って見せて、二人の魔術師を窺った。
「なぜケルピーがこんな所にいるのだろうね。そう言えば、港で盗賊を虐殺した犯人はケルピーに乗っていたらしいが」
「いらぬ憶測は不要だ。今は無視しろ。それより足はどうする」
魔術師はケルピーのいる方向を見もせず言い当て、ついでのように出た話題にアルクゥは生きた心地がしない。幸い、二人がケルピーとアルクゥを結びつけることはなかったので助かった。
「まさか歩きはないだろうさ。ケチらずに魔物を出したまえよ耄碌爺」
「貴様は自分の使い魔を出せ。――ケラス、ティグリス。応えろ。我らの足となれ」
ネリウスは呪文めいた言葉を発し、取り出した短剣で手の平を切りつけた。
大粒の雨のように滴る血にアルクゥは目を瞠る。
血は地面に沁みこまず、ぷっくりと丸みを帯びた形状のまま、独りでに広がり魔法陣の形を成した。円の端が繋がったとき、中心に穴が空く。そこから大きな影が二つ飛び出した。
深緑の双角を額に頂く黒馬と、翼がある虎のような獣だ。
二頭は荒々しく首を振り、爪で地面を掻く。
「アルは馬の方に乗りなさい」
当然のように言われて、アルクゥは恐る恐る双角の馬に近付く。
しかし乗るどころか鞍にすら手が届かない。ネリウスが「ケラス」と鋭く命じると渋々脚を折ってくれた。白い鬣を引っ掛けないように跨ると、ガルドがその後ろに乗ってアルクゥの腰に抱きつく。
「うわっ……ガルドさん」
「乗せておくれ。ワタシは乗れるほど大きな魔物は持っていないのだよ。こいつは魔獣だ。我々のようなか細い乙女二人を乗せても重さとは感じないさ」
「ま、魔獣?」
「なに、怖がることはないよ。このバイコーンはネリウスの従僕だ。それに、近頃頻出して暴れている格下の魔獣じゃないから、賢いし強い。滅多に見られないよ。撫でてみてはどうだね?」
毛並みは光を吸い込んでいるのか全く艶がない。そっと指先で触れると絹のように滑らかだった。調子に乗って撫でてみると荒い鼻息の反応がありサッと手を引っ込める。
「おや、勇者だなアルは。ワタシは怖くて無理だよ」
「ガルドさん……」
「そこ、早く行くぞ」
ネリウスも騎乗していざ出発という段になり、ガルドが不真面目な顔を引っ込める。
「ワタシたちの目的は第一に魔物の確認、第二に行方不明者の捜索だ。ネリウスとワタシは索敵を怠らないように気をつけること。アルは道の指示をしておくれ。いつも薬草を採りに行くルートで良いから。万が一、襲われた際にはネリウスが前、ワタシが後ろで援護。アルは魔物の大きさをしっかり目に焼き付けてから逃げる」
「お二人だけで応戦するのですか?」
「そこの爺は剣はダメだが戦闘は手練だ。ワタシは正面切って戦えないが、後ろで古代魔法や大魔術の援護くらいはできる。まあ、逃げ出すのが困難だった場合の対処さ」
軽く肩を竦めたガルドは、それでいいかとネリウスに視線を向ける。ネリウスはなぜか怪訝そうに片眉を上げたが、異論は唱えなかった。
魔物二頭は猛然と道を突き進む。
山道を中腹まで来たところで道を外れるよう指差した。ここから緩やかな斜面を登っていけば湖があり、そこにシグニ草が群生しているのだ。大蛇に遭遇するのはいつもこの付近だと注意を促すと共に、血痕や人の欠片などの無残な光景を見ることも覚悟する。
ガルドが行方不明者の捜索と言ったように、アルクゥも生存者がいるとは思っていない。帰って来ないというのはそういうことだ。
しかし一向に大蛇にも人の残骸にも遭遇せず、三人は湖に程近い場所にまで到達した。
「この静かさは奇妙だな。虫も鳥も鳴いておらぬ」
「潜んでいるのだろうさ。おや……」
魔物を駆る速度を落として警戒していると、ある所で急に視界が開け、青空が広がった。
束の間、新鮮な気分で清々しい青を見つめたアルクゥは、ネリウスの声で視線を引き下ろし、凍りついた。胸焼けに似た感触が喉の奥を擦る。
一帯は嵐が通り過ぎたが如く、木も茂みも軒並み無残に引き倒されていた。
巨大なものが這いずった跡が生々しい。
「これは……でかいな。前よりはましだが」
ガルドは苦味混じりの声で呟く。腰に抱きつく腕の力が増したようだった。彼女もまた不安なのだ。ネリウスは一人無感情を装うように淡々と言う。
「周囲に動くものは……好奇心の強いケルピーだけか。跡は上に続いている。もしかするとこの先にいるかもしれん。行くのか?」
「正直なところ逃げ帰りたいものだね」
ガルドが小さく呟くと、無色透明の膜のようなものが周囲に広がった。
「探査魔術だ。あの巨体さから見れば心許ない範囲だが、動かず魔力を殺している魔物でもどこにいるかすぐに分かる。さあ、行こうか」
アルクゥはそっと斜面を振り返る。木が残ったギリギリの所にケルピーがいて、視線が合うと耳をピンと立てた。
湖は先日訪れたときとあまり変わりない。
魔物の跡は忽然と消えた。あの巨体が足跡を残さず立ち去れるわけがなのに、だ。アルクゥはマリに投げ渡された袋を取り出し、ふと足元にある植物に手を伸ばす。
形はシグニ草だ。だが色がおかしい。
手で触れると赤黒い表皮がパラパラと零れる。
「これ……ネリウス様」
驚いて後ずさった先でぶつかった魔術師を見上げると、苦い顔をして頷いた。
「ここで大半が喰われたな。形は残っておらぬが……遺物も、こうなってしまえば誰のものかわからんだろう」
ネリウスが何気なく拾い上げたのは鋼色の欠片だった。砕けた武器だ。注意深く見回すと、同じようなものが数多く転がっている。
「どうする、ガルド」
「どうもこうもないさ」
大きな溜息を吐いたガルドは、周囲をぐるりと見回して、しばし沈黙してから首を振った。
「跡を探さないといけないね。……アル、キミは少し自由にしていいよ。辺りには何もいないから」
アルクゥは複雑な気分だったが、マリの癇癪を考えると更に憂鬱になるので綺麗な薬草が茂る湖畔まで歩く。薬草を無造作に掴み、根を一部残しながら引き抜いて袋に入れていく。
手早く集め、引き返そうと踵を返したそのときだった。
ゴポリ、と液体に空気を吹き込むような音が聞こえたのは。
頬にしぶいた水滴を拭う。水面を注視すると大きな泡が湧き上がっては弾けて消えていた。
覗き込むか否か。
その答えを出すよりも早く、眼前に奈落のような大穴が広がる。
「え?」
そう呟いたときには、奈落は後方へ吹き飛び湖に落下して派手な飛沫を上げていた。思考が追いつかないアルクゥの首根を誰かが捕み引き摺って湖から離す。見上げると、ネリウスが張り詰めた視線で湖を睨みつけている。
「ガルド貴様……この子を餌にしたな」
「引っ張り出さなければ確認できなかったから、仕方ない。来るぞ!」
やり取りを聞いて憤る暇もなく、水面が盛り上がる。巨大な影が水を押し退けながら、湖を割るように姿を現した。
以前見たときよりもずっと大きい。口を開けば馬車くらい一飲みに出来そうだ。
「やはりクエレブレか」
「全員避けろ!」
大蛇は鎌首をもたげ、勢いをつけて突っ込んできた。
唐突なことでアルクゥとガルドは揃って足に根を生やす。ネリウスが微かに舌打ちをして声を張った。
「二匹とも行け!」
すまない、と。
ネリウスの命を受け、魔獣二頭は大蛇に向かっていく。勝負は一瞬だった。長い牙に刺し貫かれ、痙攣しながら、蛇の喉に沈んでいった。
「……ネリウス、ワタシは要るか?」
「邪魔だ、行け!」
「死ぬなよ! アル、逃げ……」
我に返ったガルドとは違い、未だ呆然としていたアルクゥは、茂みから飛び出してきたケルピーに顔を舐められてハッとする。鼻を鳴らして脚を踏み鳴らし、膝を折ったケルピーの背中に飛び乗る。驚くガルドを引っ張り上げる。
「ネリウス様!」
早く、と叫ぶ最中に視界が流れた。咄嗟に首に抱きつくと、ケルピーに遠慮なく加速して疾走する。
「待って、ケルピー、もう一人……」
「いい! 止まるな! 行くんだ!」
「でも!」
「戻ると邪魔だ! それに、アイツは馬鹿みたいに強い。もしかすると倒して来るかもしれない。駄目なら逃げるさ」
もどかしい思いで振り返ると、雷鳴と共に閃光が目を襲った。地面から空に迸る雷光が視界に焼きつく。「派手だねえ」と呟くガルドの声が、今のがネリウスの仕業だと告げていた。
◇◇◇
ケルピーは麓まで駆け抜け、岩陰で止まった。
乗っていた両名は尻や太ももを痛めて顔を顰めながら降りる。
「そうか。アルの魔物だったのだね」
しばらくしてガルドが呟く。
やはり聞いてくるか。アルクゥは表情を消して応えた。
「私の……知り合いのようなものです」
「知り合い? ふふっ知り合いね。……隠したいことは誰にでもあるさ」
声の調子が変化する。
ゆっくり振り返ると紫の瞳が油断なくアルクゥを射抜いている。
しかし、相手は魔術師だということを足しても恐怖はなかった。何気なくバッグに手を遣って短剣に触れる。
「一つ訊きいておきたい。数週間前、キュールで殺人事件が発生した。犠牲者は盗賊六人に市民が一人。犯人はケルピーに乗ってワガノワ方面に逃走したらしい。何か知っているかね?」
「さあ。キュールでの事件は知りませんが……私が殺すとするなら、私の敵だけです」
回答はするりと口から零れ出る。その即答に対してガルドが体を硬くしたのが分かった。
そういえば、戦いは苦手と言っていたか――好都合だと考える。
「市民はどうして死んだのだと思う?」
「盗賊に殺されたのではないでしょうか」
「そう……そうか」
「でも、そんなことはどうでもいいのです。貴女は私の敵ですか?」
肯定するなら遠慮は要らない。なぜならこの魔女は私を大蛇の舌先に差し出したのだから。
魔力が体の中で動き、敵に備えて準備を始める。握った短剣が今か今かと出番を待ち望み脈打っている。
しかし――ガルドは一歩下がり、両手を上げて降参した。
「敵ではないな。キミは無償を承知で協力してくれた。敵になる理由なんてないよ。大蛇の囮にしたのは申し訳なかったね」
「……よろしいのですか」
「ワタシは存在しない魔術師だ。わざわざ通報などしないし、ましてやキミが殺したのは悪党だけだろう」
しばし睨み合う。
この場を凌いで騎士団に駆け込まれでもしては堪ったものではないが――。
アルクゥは緊張を解いてケルピーの首筋を叩いて労った。
「助けを出さなければ」
蛇の怒号が絶え間なく山を震わせている。
ネリウスが心配だ。だがガルドは一蹴する。
「助けを出しても、逆に足手まといになるだけだよ。ヤツの弟子なら打ってつけなのだろうけど、アイツはいっつもどこかに出かけている。とにかくワタシたちは待つしかない。……ところでアル。魔力があるなら、ワタシの弟子になるつもりはないかな?」
「ありません。早く帰りましょう。あの騒ぎを聞いて住民が混乱しては、リリさんに迷惑が及ぶかもしれない。騎士団の方々などにさっさと状況を説明して対処するようにしてください」
「……そうか」
ガルドと別れ、店に帰るとリリが泣きはらした顔で出迎えてくれた。
安堵が押し寄せ、座り心地が悪いはずの店番椅子が妙に柔らかく感じられた。その後、しばらくの間記憶が途切れる。
意識がまどろみを漂う中で多くの声を聞いたような気がした。
明るい声が祝福と賞賛を述べている。お祭り騒ぎに加わりたいと思った矢先、甲高い声がそれらを蹴散らして、ふいに静寂が訪れた。
「早朝……確認に……」
「……だから、……方が……アル、アル起きて」
今度は誰かが密やかに会話している。覚醒を促すには弱い刺激に、アルクゥは再び夢に沈もうとした。すると額に小さな痛みを感じ、勝手に意識が浮上する。
目を開きのろのろと頭を持ち上げてみると、目の前にはつい先程別れたガルドがいて、人差し指でアルクゥの額を弾こうとしているところだった。
「何の……用ですか」
「あ、起きたか。疲れているところ申し訳ないのだけど、キミの足を貸してくれないかな?」
足、と鈍い思考を回す。ケルピーのことだと気付いて眉をひそめた。
「どこへ?」
「死体の確認にね」
心臓が縮んだ心地で一気に眠気が吹き飛ぶ。
「まさか……」
「儂も確認に同行するのが筋だとは思うが、帰らせてもらうぞ。疲れた」
ネリウスが、と脱力した直後に本人が視界の中に現れた。
治療を受けた後なのか所々に白い包帯が目立つ。だが自分の足で立っているので大きな怪我はなさそうだ。
「ネリウス様、よくご無事で……もしかして、竜を倒したのですか?」
「竜未満だな。あれはまだ成体ではなかった。鱗が魔術を弾かないどころか、強度も鉄程度。とは言え、殺しきるまで大分魔力を使ったが。栄養不足で助かった」
溜息をついたネリウスは、ふと眉を下げて「危険な目に合わせてすまなかったな」と詫びる。アルクゥは眉根をきつく寄せて首を振った。
「貴方は何も悪くないでしょう。ガルドさんが悪いのです。それに、貴方の魔物は……」
「それこそキミのせいではない。疲れただろう。ゆっくり休みなさい」
ネリウスは有無を言わせずといった風に、アルクゥの頭を強めに二回撫でて踵を返した。
「死骸には結界を張っている。そこの婆が逸っているようだが確認は早朝の方が良い。後処理に人手がいるなら、後で弟子を寄越すから使ってくれ」
そう言い置いて、その場で掻き消え帰っていった。
ガルドは忠告の余韻が消えぬ内に「さて」と手を叩く。
「アル。是非とも貸しておくれ」
「ネリウス様は、明日の方が良いと」
「早目に処理しておきたいのだよ。クエレブレの血は土に良くないから」
「そうですか。……お一人なら、充分に気をつけてください」
ガルドは人の悪い笑みを浮かべる。
「そこはワタシが着いて行く! と言う健気な場面なんじゃないかな」
「お断りします。リリさん、手を挙げないでください。駄目です」
興味津々に目を光らせたリリを制して、アルクゥは立ち上がる。
外はすっかり夜だったが、竜を恐れた魔物たちは一時山から避難しているので危険は少ないらしい。
ケルピーを呼ぶと待っていたかのように茂みから顔を出したので、ガルドをその背に押し上げて一人と一匹を見送った。
すぐに帰ると言ったガルドが戻ったのは、深夜を回った頃だった。
喧騒が耳について覚醒したアルクゥは、上着を羽織って窓から顔を突き出す。北門の方が煌々と明るく、騒がしい。
祝いの酒でも飲んで浮かれているだろうと、些か機嫌悪く寝に入ろうとすると、扉を激しく叩く音があった。
「アル、アル! 起きてる? 大変なんだ!」
リリの引き攣った声にすぐさま鍵を開ける。
「リリさん、どうしましたか?」
「来て!」
強く引っ張られ、転げそうになりながら慌てて速さを合わせる。
連れて行かれたのは騒ぎの元である北門で、草木も眠る時間だと言うのに人だかりが出来ていた。リリはその隙間を強引に通り抜け、アルクゥを先導する。
「アルか。足は無事だよ。アレのお陰で助かった。礼を言う」
そこには不自然に折れ曲がった左手を押さえ、体のあちこちから大量の血を流すガルドがいた。
「その怪我は……魔物に襲われたのですか?」
「騎士団長が来てから……こら、遅いぞお前。遅くて死ぬかと思ったじゃないか」
息を切らして到着した、色合いの違う団服を着た背の高い男は笑みも零さず人払いを始める。その間に二度、ガルドは咳き込み血を吐いた。思わず支えに走ると、体温の低さにぞっとする。
「すまないね。……全部で三頭だ。つまり、残りは二体いる」
野次馬が消えたことを確認してからガルドは口を開いた。
しばしの沈黙が続く中、魔女はケホケホと血をこぼしながら笑う。
「それも成体だ。ワタシが行ったとき、ネリウスが倒した一体を喰っていた。それで育ってしまった。止められなかったのが悔やまれるが、まあワタシは戦闘向きではないし、相手は竜だし」
仕方ないね、と言いながらもガルドは悔しさを込めて吐き捨てた。
「デネブの人間だけではどうにもなるまい。ネリウスが万全なら何とかなるかもしれんが、一体目に景気良く魔力を使いすぎだあの爺。二週間は無能と見なければならない。そうとなれば……」
傾いて倒れそうになったガルドを一層強く支える。
「ありがとう、アル。そう、王都に助勢を頼むしかなくなったわけさ」
団長と思われる男は見るからに渋面になる。
「しかし、ガルド様……」
「お前の言葉で議会に進言すれば通るさ。災害が二つ一気に来たと言って、戦闘特化の騎士殿を出来る限り貸してもらえ。大事なのはデネブを守ることだ」
言い切ったガルドは騎士団長が頷くのを見届けて、糸が切れるように倒れた。間もなく到着した治癒術師に付き添われて運ばれていく。
残された者達は誰ともなく視線を交わす。アルクゥの手に付いた血液のようにどろりとした不安が、辺りに重く沈殿しているようだった。




