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精霊のシジル  作者: 染料
六章
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第百十二話 古きに問う




 豪奢な装飾がなされた重たい机に積みあがる資料、新聞、市井に出回るゴシップの類。

 それらが造る紙の塔は過去の記録や憶測で出来ている。真も偽も併せ呑んだ情報の塊たちは、中には茶色く変じ萎びたものまであり、賓客に宛がわれる一室に似つかわしくない調度品として鎮座している。そしてそれらはここ数日間サタナに昔語りをしてくれた良き話し手でもあった。

 ラジエル魔導院から帰還した後、怪我の治療と言う名目で文句を言う間もなくこの部屋に放り込まれた。つい先日までは――サタナの記憶の中の話ではあるが、ヤクシもユルドも部下らしい硬さが抜け切ってはいなかった筈だ。遠慮など微塵もない対応に、表情にこそ出しはしなかったがサタナは困惑した。

 ともあれ、記憶喪失を隠蔽するには不可欠な軟禁だと納得して大人しくしていると本当に治癒術師が訪れた。演技にしては手が込んでいるなと思いながら指示に従い衣服を脱ぐと、全身の複数個所に青黒い鬱血で彩られた縫合跡が現れ、一体何があったのかと首を傾げるばかりだ。

 痛みはなかった。鎮痛剤を服用してまで自分はラジエルに赴き、そこで失態を演じたのだ。

 馬鹿な真似をと思慮を欠いた己を嘲笑しようにも、魔導研究の失敗による被害拡大を食い止めたとして何故かサタナは手柄を立てたことになっている。


 周囲と自分との認識の違いは甚だしい。

 面倒なことになったと他人事に考えながら、絶対安静という暇に飽かせて記憶の補填を始め、お陰で約一年程あった欠落は表面的には埋まった。

 しかしそれらは表向きに公表された事実でしかない。


 理解が及ばないものは多い。


 記録の端々に現れる英雄、大きな負の契機となり得る事件の都合の良い収束、殊に国の根幹を揺るがしかねないクーデターの報告書は杜撰だ。

 曰く、国王は自ら指揮を執り王宮に侵入しようとする反乱軍と対峙、竜殺しの英雄と近衛師団によって反乱軍の率いる怪物は討ち果たされ母神ティアマトより賜りし国は守られた云々。

 国王の件からして嘘八百なのは確実として、クーデターで殉職した者のリストには不可解な人物が記されていた。

 アレイスター・フォーガス。

 レイス魔導師長と呼ばれ親しまれていたのか馬鹿にされていたのか、変人と名高かった魔術師は命を賭して敵の歩みを遅らせた勇将として称えられている。似合わない。だというのに、虚飾に彩られた記録においてもそれだけは真実だとヤクシは言った。

 サタナの知るレイスはそのような人間ではない。

 虚より実を取る。義理や矜持など実益に比べれば無価値だと躊躇なく言い切り、協力はするが不利になったら逃げると臆面なく宣言した御仁である。はっきりと示された利己主義は利害関係が構築しやすいので好ましく、そういった部分が似通ったのか不思議と馬が合った。

 関係を表すのであれば、友人と言うのが適切だろうか。

 ゆえに解せないのだ。魔導師長にどんな心境の変化があったのか。彼に死を決意させたものは何か。


 紙面を見ても均されることはない、それは確たる隔たりの一つだ。


 人の変化、それによる関係のずれは机上を眺め渡しても埋めることはできない。

 助力を約束した暗愚は冷や汗と吃りの量が目に見えて減りあろうことかサタナを気遣うまでの成長を見せたし、ヤクシやユルドのように部下として一歩引いたところにいた者たちが気安く接してくる例もある。

 生きている者の変化にさえ困惑は深いのだ。

 尚のこと、それが失った者であるならば、未来永劫理解する日は来ないのだろう。

 ――その方が気楽で良いのかもしれない。

 悟るに至り深く息を吐いて聖女の病死を告げる紙面を放り投げ、脇に除けていた手紙を取る。返信の差出人について思索にふけろうとしたサタナは、舌の根も乾かぬ内にと目頭を押さえて緩やかに頭を振る。そうして手放したはいいが、軟禁じみた療養生活の中で考える以外にやることと言えば食うか寝るくらいだと気付き、結局なぞるのも何度目かになる文面を目で追い直すことにした。

 

 記憶を知る人間だからとヤクシに勧められて手紙を出したが、その素性は明かされていない。


 上司か、部下だったのか。協力者か、それとも別の何かか。

 疑いながら書いた手紙は他人事のように助力を願う誠実さを欠いた内容であったのに、返ってきた返事は不実とは程遠い。

 本来はこちらから手紙を出すべきであり、突然の空白に直面しての不安に重ね、このように手を煩わせてしまい本当に申し訳なく思います――と始まった文面は、記憶喪失の性質について続いている。

 忘却でなく消失であること。

 ゆえに該当部分を思い出すことはないということ。

 責任の一端は自分にあるため、出来る限りのことをしたいということ。

 ――これからはどうかご自愛ください。

 季節に合わせた結びの後、書き加えられた一文で手紙は締め括られた。まるでサタナの無理を傍らで見て来たかのような一文だった。

 淡々とした情報の並びでもなく、面白おかしく醜聞を書き立てたものでもない、この場にある膨大な文字の中で唯一自分だけに向けられた言葉はサタナの興味を掻き立てる。

 あの娘は何か。

 説明された通り記憶の消失であるならば、この心に引っ掛かる感覚はラジエル魔導院で僅かに接した部分に因るものだろう。


 死霊に憑かれていたとき、自分のものでありながら他の視点を通したかのような薄暈けた記憶の中、夜明けと金色を見た。


 炎を纏う人外は死霊の幻覚だったのかもしれないが、彼女が提げていた首飾りは成人したとき死別した父母の形見として教会に仕える後見人から渡されたものだ。顔も覚えていない親の遺品には何の感慨もなく、強いて言うなら良い魔具になりそうだと考えながら受け取ったことを覚えている。その後に宝石の意味を知り、茫漠とした胸の虚が色を深くしたことも。

 強力な護りが施されていたと彼女は言った。恐らく自分が贈ったのだろうが、まさか恋仲ということはあるまい。彼女にはそういった雰囲気がなく、視線は僅かに警戒を帯びていた。となれば、まさかこちらの一方的な想いかとあまりに様にならない予想にサタナは眉をひそめ、ふと固く閉じた扉に視線を遣った。


「入るぜ」


 乱暴なノックの後に返事を待たずに開いた扉は現れた大男のせいで狭く見える。護衛のスキャクトロはサタナを見て快活そうに笑い、机に積もった活字の山を見て「すげぇ量だな」と苦そうに呟き、無造作に脇に寄せてスペースを作って昼食を置いた。どうもこの軍人とも自分は親しかったらしい。


「どうだ。調子は」

「可もなく不可もなくといったところです」


 頬杖を突いて視線を机の上に流し、横目を護衛に戻す。


「しかし書面だけではどうしても違和が拭いきれませんね」

「仕方ねぇさ。あんまり無理すんなよ」

「ではご協力願えますか」

「……いや、俺は護衛だから語るべきことは何もないというか」

「まあそう言わず。丁度誰かを呼んで尋ねようと思っていたところでして」


 渋るクロを言い包めて対面に座らせる。大男に座られた椅子は玩具のように小さく見えたが、縮こまる大男もまたしかりだ。先程読んだ資料を適当に引っ張り出し軽く指先で叩いて見せると面白いくらいに肩を窄めた。


「記憶が欠落した期間に何が起き誰が死んだのかは大方把握しました。ですがこれらは対外的なもので脚色過多、真実を知るには些か役者不足が否めない」

「つってもよ、そう言うのは情報部の奴らに言ってくんねーと困るんだよなあ」

「貴方は近衛でしょう。その眼で直に見たものはあるはずだ。例えば、この三流記事じみた報告をされているクーデターについて」


 クロはいかにも困ったという顔で癖の強い髪を掻き報告書を受け取り、文字に面することすら苦痛だという風情で文章を読む。


「あー……陛下のところと、王宮に入れなかったって箇所がちっと見栄張ってる感じだが、大筋はそんなに間違っちゃいねぇよ。たぶん」

「首謀者と支持者の同時多発的な皆殺しはどう考えても私では無理ですが」

「さて、なあ? いやお前さんなら出来んこともないと思うが、まあ不慮の事故だよ。責任を取ることになったのは気の毒だが、加害者に甘んじたのはお前の意思だし、疑問の声が上がらなかったのは日頃の行いだろうなあ」


 酷い言われようであるが事実なのでサタナは受け入れるのみだ。

 形ばかりに肩を竦めて見せ資料を紙の塔に戻す。受け答えはともかく、存外にも態度に隙はない。クロ自身に情報提供の意思がなければ、民衆の目から隠されているものに辿り着くのは困難だろと早々に匙を投げた。

 話は終わったかと破顔して腰を上げたクロに、ふと思い付いたことを聞く。


「竜殺しの英雄と言うのはそれほど凄い御方だったのですか」


 渋るかと思いきやクロは数度目を瞬かせてから座り直し、片眉を下げて「気になるかよ」と複雑そうに口の端を上げた。

 今までの相手に心情を伝えることを主とした大げさな感情表現とは違う内面の機微が浮かんだようなその顔にサタナは内心首を傾げる。表情の乏しさゆえか疑念はクロに伝わらず、サタナとしても敢えて表に出すほどのものではないと判断しここ数日の情報収集で得たものを軽く並べた。


「災害指定の竜を二頭殺したことで魔導都市デネブを救済した英雄となり、王都に招かれてからもその華々しい功績は尽きることない。王都に在る二人目の聖人。絶世の美女だとか、幼い少女だとか容姿については様々、一貫しているのは女性という点のみ。それらが誇張であったのか実際であったのかは知りませんが、私が実物を見てどのような感想を抱いていたかは気になります。貴方はどうでしたか」

「俺か? 特に考えたこたぁねぇよ。そうさな、生真面目な性格だったぜ。いっつも小難しく眉を寄せて生き辛ぇって顔してたな。滅多に笑わなかった。お前は……どちらかと言えばたぶん、嫌われてたぞ」

「へえ、聖人に嫌われるとなれば私もいよいよ聖職者失格ですかね」

「元から血も涙もねえ司祭殿なんざ迷える子羊も願い下げだろうよ」


 からりとした笑みは悪言すらそうと聞こえないので得な男だ。

 クロは意味深な態度を取った割には未練なく話題を打ち切り、そろそろ仕事に戻ると立ち上がる。また書面と睦言を交わす時間が来るのかと些か辟易気味でいると、余暇への飽きを敏感に嗅ぎ取ったかのようにクロは釘を刺した。


「サタナ。お前暇だからって外に出てくれるなよ。上はお前を扱いあぐねている」

「酷い扱いですねえ、身を粉にして働いたのに」

「事実とは言え覚えてねぇのによくそんな自信満々でいられるなあお前は……いいか、北領の後始末やラジエルの一件でお前の評価は上がっているが、評判は相変わらず地面を這ったままだ。信望なんてあったもんじゃねえよ。死んで喜ぶ輩は上にも下にも数えきれん」

「恨みを買い過ぎましたか」

「そういうこった。国政に戻る道がないわけじゃねぇし、それを望むってんなら止めやしねぇが、平和に暮らしてぇなら田舎に引きこもるか国外に出た方がいいのかもしれんぞ。身の振り方を考えておけよ」

「そうさせていただきます。幸い時間はいくらでもある」


 それを前向きな言葉と受け取ったのか、クロは一番の笑顔で頷いて退室した。

 にわかに静寂が落ちた室内にサタナは微苦笑を零した。

 もう何度も考えてはみたが、未来への思案はどうにも長く続かない。気を抜けば想像の端から腐り落ちる。

 国王を生かし飾り物ではない玉座に座らせるという約束は、前の自分が果たした。

 面倒が知らぬ間に終わっていたことを喜ぶ反面、課されたものを失い両手は宙を彷徨うばかりだ。

 これから続く理由のない生にしがみ付くほどの熱意を、サタナは持つことができない。



 その後すっかり冷えた昼食を腹に収め、処方された薬を飲み柔らかな眠気を感じていたサタナは、窓を叩く音に意識を持ち上げた。

 忙しなく羽を動かし滞空する小さな翼竜を硝子の向こうに見つけ、眠りの熱を持った体に覚醒を促しながら然して急がずに窓を開いた。

 待ちわびたとばかりに飛び込んできた小翼竜はサタナの腕を止まり木にし、片脚立ちに銀の筒を差し出す。

 これもまたヤクシの勧めにより出した手紙の返信だろうと蓋を開ける。差出人は面識すらない人物だった。


「……ヒルデガルド?」


 元近衛騎士からの返信であるはずのものがなぜデネブの大魔女からの手紙に化けたのか。

 サタナは訝りながら魔術の有無を確認し、安全だと判断して封を切る。

 四つ折りされていた紙面に書かれていたのはたった一文。

 ――キミの喪失を知る娘は性懲りもなく死地に赴いた。拠点まで急ぎたまえ。

 サタナは口を覆って文章の意味を考える。

 サタナと魔女、共通の知人である娘がどこか危険な場所に赴いたので連れ戻して欲しいと言う頼み事だろうか。

 その割には文面からは無責任な傍観者の余裕が滲んでいるようにも思える。

 娘と言われてすぐ思い付くのは一人しかいない。

 机に広げたままの手紙を見遣る。

 ――死地に赴いた。

 あの娘は何者かを明かさずにして死んでいくのだろうか。


 魔女の手紙を運んできたのは元近衛に送った方の小翼竜だ。

 娘がサタナの想像した人物と合致するのであれば、娘と元近衛の男と魔女は面識があるのだろう。

 一文のくだりは魔女がサタナの記憶喪失を知ることを示している。の癖に場所の指定は以前の記憶に依らねば分からないであろう曖昧な単語だ。


「ヤクシ……いや、ユルドでも構いません。どちらかを早急にここへ寄越してください」


 扉外で職務に励むクロに頼む。

 手紙を勧めたヤクシならば、また翼竜での伝書を請け負ったユルドならば何か知っているはずだ。

 初めに到着したのはユルドだった。サタナが挨拶を遮り手紙を翳して見せると、場を華やがせる微笑が散り軍人の装いに変わる。


「どこぞで戦争でも起きましたか」

「いえ。ですが彼女にとっては同じようなものでしょう。知れば動かずにはいられないとは思っていましたが……情報規制を敷いていたので油断しました。耳の早さを侮っていた」

「彼女は私にとって何者だったのでしょうか」


 乏しい判断材料を増やす目的の疑問は、ユルドの迷いない答えにより慮外の衝撃をもたらした。


「貴方が命を懸けた人間です」


 サタナは聞き間違がったかと手紙から顔を上げ、真剣な眼差しに貫かれて返す言葉を失った。


「……私が?」


 いつまで経っても撤回が上がることはなく、ユルドは強い視線のまま辛抱強くサタナが事実を飲み込むのを待つ様子でいる。

 沈黙した時間はどれほどか。しかしその甲斐あってか戸惑いこそ強いものの飲み下したもの吐き出すことはしなかった。

 ――魔導師長のことを言えた義理ではなかったのか。

 殉職と言う死を選んだレイスを不可思議に思ったが、自分が個人に命を懸けるなどそれ以上に似合わない行動を起こしていたとは。

 可笑しくなって堪らず笑い声を零す。


「互いに、柄にもないことを。――翼竜を貸してください」

「お体はよろしいのですか?」


 煽っておいてよく言う、とぼやけばユルドは申し訳なさそうに身を縮めて先んじて退室した。サタナもその背中を追い窮屈な部屋を後にする。出奔を始める護衛対象に狼狽し追いかけてくるクロにしばらくの休暇を宣言してから、急く足に任せて外へと抜け出た。

 久し振りに見上げた空は青く澄んで高い。

 追いつけるだろうか。

 おそらくは擦れ違っても其の人と気付くことはできない。それでも追い縋る価値を見出した。

 サタナは太陽の眩しさに目を細める。

 焦がれた網膜は強い光しか映さない。


 

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