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精霊のシジル  作者: 染料
一章
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序章



「探せ! まだ遠くには行っていない!」


 夜天を破らんばかりの怒声が響き渡る。

 憎しみと殺意をこれでもかと込めた声ではあったが、冷静な第三者として聞く者があればその中に悲しみと嘆きを察しただろう。それもそのはず、男は同僚を亡くした直後だった。

 荒れ果てた街道に停まる二台の軍用馬車。その傍らに遺体は寝かせてある。

 見るからに屈強な軍人の男の遺体は、首筋に鋭利な刃物を突き刺したままだ。傷口は美しい。殺人者には一切の躊躇もなかったのだろう。

 復讐を。五人の兵士は心を一つにして犯人の捜索に向かおうとするが、年嵩の一人が止める。


「駄目だ行くな! 恨みはわかる。だが、夜の森は危険だ。獣も魔物も活発になっている。先ほども何かの吼え声を聞いただろう。……伝令を待って撤退する。作戦は失敗だ。決して森には入るな」


 沈黙の後、大きく溜息を吐く音や小さな嗚咽が辺りをさざめかせる。

 同情と涙を誘う光景だったが――しかし、大木の裏に座り込む娘にとっては安堵すべきものだった。

 簡素だが質の良い衣服に身を包む、成人前の娘は両手を祈りの形に組む。


(神様……どうか……私を助けて。この地獄から救い出してください)


 しかし、その手は神に祈るにしてはあまりにも不浄だった。赤く濡れた皮膚は差し込む月光を艶かしく反射し、鉄の臭気が微かに香る。滴って地面に染み入る色は森の闇よりも尚暗い。


(たす……たすけて、お願いだから……誰か……)


 娘は敬虔な信者ではない。

 今までの人生で切に祈ったことはなどなかった。神の存在にすら懐疑的だったのだ。

 だが今の状況となっては祈るより道はない。だが四神の四大精霊は現れず、神に類光輝すらどこにも見当たらない。娘を包み込むのは頭上から降り注ぐ仄かな月明かりだけだ。

 全身全霊を込めての嘆願も届かない。

 いつしか娘は唇を噛み締め、祈りを憎しみに変えようとしていた。

 根本を辿れば、娘がこのような状況に陥った原因は神にあるのだ。神が人間を愛し、特別な力を授けたせいで無関係な自分が誘拐される羽目になった。

 ――自分を救えるのは自分だけだ。神などそこいらの土塊ほどの価値もない。

 腹の底から湧き上がった強い怒りと憎しみは、生きようとする本能を呼び覚ます。今にも消え失せようとしていた気力が再燃した。乱れた息が段々と落ち着きを取り戻す。


 獣のように身を潜め、敵の声を聞きながら半刻ほど過ぎた頃。


 ふいに訪れた静寂に顔を上げる。

 いつの間にか風に追いやられた雲が月の光を遮り、辺りは束の間の暗闇に飲まれた。暗がりへの恐怖を鎮めるために大きく息を吸うと、鉄臭さが鼻を突いた。

 ぐっとこみ上げた吐き気を飲み下す。人を殺した感触が何時までも手の平に残っているようだった。


 

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