第4話 解体場のボルドさんと、捨てる内臓の話
朝の宿は、音で目が覚めた。
廊下を誰かが歩く音。板の軋み。外で荷車が動く音。木の車輪が石畳に当たる、あの硬い音が、窓越しに入ってくる。
ヨーヘイは天井を見た。
木の板。継ぎ目に煤が積もっている。昨夜は宿代28枚を持って女将の部屋に行って、「2枚足りません、明日稼ぎます」と正直に言った。女将は少しの間こちらを見てから、「28枚でいい。今夜だけ」と言った。わずか一言だったのに、胸の詰まりが少し溶けた。正直に言うというのは、やってみると思ったよりも軽い。
腰が少し痛い。藁の詰まった寝台は現代のマットレスとは別物で、背骨の一点に重さが集中していた。でも、眠れた。眠れたのは事実だ。
起き上がって、掌を見た。
空だ。何もない。銅貨が一枚もない。
ヨーヘイ:(……今日の宿代もない。飯代もない。全部、これから稼ぐ。)
口の中だけで確認して、立ち上がった。窓から外を見ると、朝市が動き始めていた。煙が上がっている。パンと何かを焼く匂い。声と荷車の音が混じり合って、村の一日が始まっている。
服を整えて、短剣を腰に差した。金具が冷たい。
階段を下りると、帳場のあたりで女将が台帳を広げていた。五十代くらいだろうか、体格のしっかりした女性だ。昨夜は暗かったので顔をよく見ていなかった。
ヨーヘイ:「昨夜はありがとうございました」
女将が顔を上げた。表情は変わらなかったが、目が少しだけ動いた。
女将:「稼いで戻ってくるなら、それでいい。名前は?」
ヨーヘイ:「ヨーヘイです。ヨーヘイ・レン」
女将:「サーラだ。帰りに払えばいい」
名前だけ言って、目を台帳に戻した。追加の言葉がない。こういう人間は、外資系にも一定数いた。言葉の数を削ることで、逆に信用が伝わってくるタイプだ。
ヨーヘイは頭を下げて、宿を出た。
ヨーヘイ:「……よし。今日も稼ぐ」
◆
ギルドの扉を開けると、ミナ(受付)がカウンターで書き物をしていた。
顔を上げるタイミングが、昨日と同じ速さだ。
ミナ(受付):「おはようございます。昨日ご登録の方ですよね」
ヨーヘイ:「はい。今日、依頼を受けたいんですが」
ミナ(受付):「かしこまりました。掲示板をどうぞ。分からないことがあれば、何でもどうぞ」
ヨーヘイは掲示板へ向かった。
クエスト依頼の用紙が、昨日より増えている。荷運び、魔物討伐、薬草採取。カイフクソウとゲドクソウの納品、と書いてある。
報酬はカイフクソウが銅貨8枚。ゲドクソウが銅貨12枚。合わせて20枚。
今夜の宿が銀貨1枚、銅貨30枚。0枚では届かない。採取だけでも足りないかもしれない——でも道中で何かいれば倒して換金する。
ヨーヘイ:(……カイフクソウとゲドクソウ、採取を受けよう。)
ヨーヘイ:「これ、受けます」
用紙を持ってカウンターへ戻った。
ミナ(受付):「カイフクソウとゲドクソウですね。採取は初めてですか?」
ヨーヘイ:「はい」
ミナ(受付):「では少し説明しますね」
ミナ(受付)がカウンターの下から冊子を出した。薄い革表紙の、手のひら大の本だ。
ミナ(受付):「こちらが薬草の見本帳です。カイフクソウは葉の縁がぎざぎざで、押すと少しぬめりが出ます。ゲドクソウは茎が赤みがかっていて、葉の裏に細い毛が生えています」
ヨーヘイ:「採取場所は?」
ミナ(受付):「村の北側の小道を十分ほど歩いたところです。沢沿いに多く出ます。ただ——道具はお持ちですか」
ヨーヘイ:「ないです」
ミナ(受付):「根ごと採ると品質が上がります。道具屋が北門を出てすぐ右手にあります」
ミナ(受付):「あ、それと——解体場の件、ご案内しますね。昨日おっしゃっていましたよね」
ヨーヘイ:「お願いします」
ミナ(受付)が軽く頷いた。昨日の一言を覚えていてくれた。仕事だと分かっていても、少し助かる。
◆
ミナ(受付)がカウンターを出て、奥の扉を開けた。
ミナ(受付):「こちらです。担当のボルドに引き継ぎます」
扉の向こうは、石畳の小さな作業場だった。中央に太い作業台。壁に刃物が並んでいる。棚に番号の入った木の牌が積んである。
がっしりした体格の男が立っていた。腕が太い。革の前掛けに古い染みがついている。四十代くらいか。
ボルド(解体担当):「初めてか」
ヨーヘイ:「はい。昨日登録したばかりです」
ボルド(解体担当):「今日は持ち込みか」
ヨーヘイ:「今はまだ何も倒してないので……先に、見学させてもらえますか。できれば、自分でもやってみたいんですが」
ボルド(解体担当)の目が、少しだけ動いた。見学と、自分でやる、という二つの要求をどう扱うか考えているらしい。
ボルド(解体担当):「……昨日の仕事が残ってる。見るだけなら構わん。自分でやるなら夕方持ち込め。手元で見とく」
ヨーヘイ:「ありがとうございます」
ボルド(解体担当)が作業台に向かった。棚から番号の入った牌を一枚取って、確認する。別の棚から袋を出す。その流れに、無駄な動作がない。仕事としての動きだ。
ヨーヘイは邪魔にならない位置に立って、見ていた。
どの刃を使うか。どの角度から入るか。部位をどう分けて、どの順番で置くか。全部が理由のある手順になっている。
ヨーヘイ:(……これは一日では覚えられない。でも、見るだけで違う。)
十分ほど見て、ヨーヘイはギルドに戻った。
ヨーヘイ:「夕方、また来ます」
ボルド(解体担当)は振り返らなかった。小さく頷いただけだった。
◆
道具屋は、木の看板に鍬と袋の絵が描いてあった。
スコップを探した。値札を見た。銀貨2枚。
ヨーヘイ:「……高い」
現代でも庭用のスコップが6000円はしない。今の俺には払えない。今夜の宿が消える。
隣の棚を見た。木柄の小さな採取へら、銅貨8枚。手に取ると、柄が掌にすっぽり収まった。刃は小さいが、根の脇に差し込むならこれで十分だ。
解析の声:「採取道具としては十分です。スコップは後でいい」
ヨーヘイ:(そうだな。)
へらを持ってカウンターへ持っていった。
店主(男):「へらか。8枚だ」
ヨーヘイ:「……今は持っていません。夕方、換金してから払いに来ていいですか」
店主(男)が少し目を細めた。
店主(男):「……ツケか。初めての客には、普通は利かさないが」
ヨーヘイ:「ギルドに依頼が入っています。夕方には必ず戻ります」
店主(男)がしばらくこちらを見る。
店主(男):「……夕方までに戻れ。へらはそこに置いといてやる」
ヨーヘイ:「ありがとうございます。必ず戻ります」
ヨーヘイ:(……信用で動いた。この世界でも、顔を見せることが先だ。)
道具屋を出て、空を一度見上げた。青い。今日はいい天気だ。
ヨーヘイ:「よし。行くしかない」
◆
北の小道は、足元に石が混じっていた。人が踏み固めた跡があって、草が道の形に沿って薄くなっている。ヨーヘイは見本帳を手に持って歩いた。
十分ほどで、沢の音がしてきた。
水際の草が密になっている。膝で草を分けると、ぎざぎざの縁の葉が目に入った。見本帳の絵と並べると、輪郭が重なる。
ヨーヘイはしゃがんで、葉を一枚つまんだ。押すと、指の腹がわずかに滑った。
ヨーヘイ:(……ぬめり、ある。これだ。)
解析の声:「カイフクソウです。合っています」
道具屋のへらはない。今日は素手でやるしかない。土を手でかき分けて、根の際に指を入れた。ゆっくり起こすと、白い根が土ごと持ち上がった。
解析の声:「根がついています。品質が上がります」
ヨーヘイ:(なるほど。根ごとが正解だ。)
沢に沿って移動しながら、カイフクソウを探した。見本帳の絵と、目の前の葉を何度も見比べた。三本目で迷った。
解析の声:「それはカイフクソウではありません。縁の刻みが浅い。押してみてください」
押した。ぬめりがない。
ヨーヘイ:「違いますね」
解析の声:「確認してから採ると、納品エラーを避けられます」
外資系の頃の先輩が、こういう助言の仕方をしていた。答えを言わず、確認させる。
さらに十分ほどで、赤みがかった茎の草が目に入った。
解析の声:「ゲドクソウです。茎の色と、葉裏の毛が目印です」
一時間ほど歩いて、カイフクソウ7本、ゲドクソウ5本が集まった。全部、根付きだ。
解析の声:「納品本数は満たしています。そのまま戻れます」
ヨーヘイ:「……宿代がまだ足りない」
解析の声:「戻り道の草地に、ホーンラビットが1体います」
少しだけ考えた。
夕方にボルドさんのところへ持ち込む。解体を自分でやる。内臓の鮮度が保てるなら、その方がいい。
解析の声:「体温が残っているうちにギルドへ持ち込めば、内臓の鮮度は保てます」
ヨーヘイ:「行きます」
◆
ホーンラビットは草地の端に、一体だけいた。
ヨーヘイは息を整えて、距離を詰め始めた。風上から回り込んで、草を踏まないように足を運んだ。会議室の廊下を気配なく歩く、あの感覚で。
十メートル。七メートル。
解析の声:「首の後ろ、付け根の少し左側。そこが急所です」
ホーンラビットが振り向いた。目が合った瞬間、ヨーヘイは石を真横に投げていた。音の方へ頭が動く——その隙に一気に距離を詰めて、後ろから首を押さえる。短剣を当てた。
一撃で止まった。
息を吐いた。草の匂いがする。
ヨーヘイ:(……よし。)
今日は、震えなかった。二話の初めて、三話の門番、そして今日。一つ一つで何かが少し厚くなっている。
ヨーヘイ:(半年前の俺なら、腕がつって使い物にならなかった。)
そう思ったら、もういい。引きずらない。今は体が動く。
◆
夕方、ボルド(解体担当)の作業場に戻った。ホーンラビットをインベントリから出すと、ボルド(解体担当)が作業台を一度叩いた。
ボルド(解体担当):「乗せろ」
ヨーヘイが台に乗せると、ボルド(解体担当)が顎でカウンターの刃物の列を示した。
ボルド(解体担当):「一番右の、細いやつを使え。最初は関節から入れる」
ヨーヘイ:「分かりました」
刃物を手に取った。細くて、軽い。短剣とは重心が違う。
関節から。関節から入れる。
後脚の付け根を確かめた。ボルド(解体担当)の朝の手順を思い出した。刃を当てた。
入らない。
ボルド(解体担当):「……刃の角度が悪い。このくらい寝かせる」
ボルド(解体担当)が自分の手で角度を一度だけ示した。言葉はなかった。
ヨーヘイは角度を修正して、もう一度当てた。刃がすっと滑り込んだ。
ヨーヘイ:(……そういうことか。)
頭の中で何かがぱちっとはまった感触があった。力の問題じゃなくて、角度の問題だ。
部位を分けていくうちに、頭の中に何かが流れ込んでくる感覚があった。
解析の声:「《解体》スキルが取得されました。熟練度1です」
ヨーヘイ:(……取れた。)
声には出なかった。でも、口の端が少し動いた。
内臓が出てきた。
レバー。ハツ。
赤い。艶がある。鮮度が、まだ死んでいない。
ボルド(解体担当):「これは本当に食うのか」
ヨーヘイ:「食います」
ボルド(解体担当):「……ちゃんと処理しないと腹壊すぞ」
ヨーヘイ:「分かっています」
ボルド(解体担当):「……まあ、好きにしろ」
言い終わると、ボルド(解体担当)はもう視線を落としていた。話は終わったという背中だった。否定ではない。ただ、ここでは捨てるものを食う人間が珍しいだけだ。
ヨーヘイ:(処理の仕方、次に聞こう。今日は持ち帰る。)
ヨーヘイはレバーとハツをインベントリに仕舞った。
熱が、少し体に集まる感じがした。興奮でも焦りでもない。目標に、手が届いた感触。それが、静かに胸のあたりにある。
ヨーヘイ:「……今夜、焼く」
◆
カウンターに戻ると、ミナ(受付)が計算書を広げていた。
ミナ(受付):「では、まとめてご説明しますね」
ミナ(受付)がペンを走らせながら、順番に言った。
ミナ(受付):「カイフクソウが上品質で7本、銅貨17枚。ゲドクソウが上品質で5本、銅貨18枚。薬草手数料8%引きで合計35枚。ホーンラビットの毛皮が1枚で銅貨6枚、正肉が銅貨5枚、素材・肉の手数料引きで合計11枚。解体チケット5枚を差し引いて——手取りは銅貨41枚です」
ヨーヘイは頭の中で繰り返した。
41枚。道具屋のへら8枚。残り33枚。宿が30枚。残り3枚。
ヨーヘイ:(……3枚か。明日の朝飯は屋台で一本、ギリギリだな。)
ヨーヘイ:「ありがとうございます。採取Lvが上がると、品質が安定してくるんですか」
ミナ(受付):「そうですよ。上品質が増えると、買取額も安定してきます。今日は根付きが多かった——いい採取でした」
ヨーヘイ:「……助かります」
ミナ(受付)が笑顔を一つ出した。今日も、速い笑顔だった。でも昨日よりほんの少し、間があった気がした。気のせいかもしれない。
銅貨を受け取った。41枚。厚くて少し重い、今日の全部だ。
ギルドを出て、まず道具屋へ走った。へらの代金8枚を払うと、店主(男)は受け取りながら上目遣いで一言言った。
店主(男):「ちゃんと来たな」
ヨーヘイ:「言った通りに動くのが、一番早いので」
店主(男)が少し目を細めた。悪い反応ではない。
その足で宿へ向かった。サーラに30枚を渡した。
サーラ(女将):「昨日の分も込みか」
ヨーヘイ:「今夜分です。昨日の分は……明日、稼いできます」
サーラ(女将):「……正直に話してくれるなら、融通はきかせる。炊事場を使いたければ言え」
炊事場。
その言葉が、頭の中で止まった。
ヨーヘイ:「……使えますか」
サーラ(女将):「宿泊客なら使える。今夜は空いてる」
ヨーヘイ:(……炊事場。)
声には出さなかった。でも、頭の中で一度繰り返した。
インベントリの中で、レバーとハツが待っている。
空が、夕方に傾きかけている。
ヨーヘイ:「炊事場、今夜貸してください」
足が、少し速くなった。
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【第4話 リザルト&ステータス】
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▼ ヨーヘイのステータス(現在)
Lv:1 HP:85/85 MP:37/40
スキル熟練度:
・《解析》Lv1 熟練度 27/100
・《収納》Lv1 熟練度 8/100
・《採取》Lv1 熟練度 12/100 ←NEW
・《解体》Lv1 熟練度 1/100 ←NEW
▼ 討伐記録
・ホーンラビット(G)×1 1撃仕留め(石で注意逸らし→首の急所)
▼ 採取記録
・カイフクソウ(上品質)×7 根付き採取(素手)
・ゲドクソウ(上品質)×5 根付き採取(素手)
▼ 換金収支
・カイフクソウ上品質×7 → 銅貨17枚(手数料8%後)
・ゲドクソウ上品質×5 → 銅貨18枚(手数料8%後)
・薬草小計 35枚
・毛皮×1 銅貨6枚(素材8%引き)
・正肉 銅貨5枚(肉10%引き)
・毛皮+肉小計 11枚
・解体チケット ▲5枚
・手取り銅貨41枚
・採取へら購入 ▲8枚
・宿代支払い ▲30枚
・手持ち残高 3枚
▼ 入手・保持アイテム
・ホーンラビットのレバー×1 鮮度:高 インベントリ保持
・ホーンラビットのハツ×1 鮮度:高 インベントリ保持
・採取へら×1
・シーオの実(残量) 布包み
・短剣×1
・冒険者証(Gランク・探索者)
▼ ヨーヘイの考察
「今日ようやく解体場を使えた。ボルドさんの一言——刃の角度——あれが全部だった。
力で押してどうにかなるものだと思っていた。道具の使い方は道具ごとに違う。当たり前のことだが、手で知ってはじめて分かった。
採取は根ごとが正解。上品質になると換金額が上がる。採取Lvが上がるほど品質が安定するとミナさんが言っていた。
問題は処理だ。ボルドさんに『腹壊すぞ』と言われた。内臓の正しい処理を知らない。次にボルドさんに会ったとき、聞く。
手持ち3枚。明日の朝飯一本分。今夜、炊事場でレバーとハツを焼く。
まず焼く。食べられるかを確かめる。それからだ。」
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