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イミテーション・レイン  作者: 彼方夢


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8/12

バイト初日

 バイト初日。彼女はギターで即興の楽曲を弾いていた。なんというか、曲調がかなりチルい。客もワイングラス片手に傾聴して楽しんでいるようだった。

「ねぇ。ギター弾いている女の子。さくらんぼ、歌ってよ」

『さくらんぼ』とは大塚愛の代表曲だ。

 だが、河合はそのコールを無視したのか、一向に演奏を止めようとはしなかった。

 ご老人、いや、店主は「まぁ、初日だからね」と言って引き続き調理を行う。

 だが次の瞬間、店主が「おや? コードがさくらんぼのものに自然と変わったな。やるね」とにやつき言った。

「どういうことです?」

「彼女は今まで三種類のコードしか使わず、“それっぽい哀憐漂う雰囲気の”曲を演奏していたんだ。それはかなりすごいことだが、客からのさくらんぼのリクエスト。さくらんぼはGコード。小指や薬指の独立した動き、力加減の難しいもの。だからGコードをやるなら、一度演奏を中断して立て直すのが賢明だ。だが、彼女は比較的近いコードからスムーズにチェンジを成功させた。そして今、暗譜でさくらんぼを歌唱演奏している。天賦の才だよ」

 理論を言われてもあまり理解は出来なかったが、彼女はどうやら困難なことをやってのけたそうだ。

 ステージの上で綺麗な歌声を奏でている河合を見て、あることを思った。

 惚れ直してしまった、な。



「雨、いつやむんだろうね」

「そのせいで最近憂鬱でさ。こういうの、低気圧症って言うらしいよ。テレビでアナウンサーが――」

 彼女がバックヤードに帰ってきたとき、俺は作っておいた賄いのチャーハンを手渡した。

 一口食べると彼女の表情が軟化する。

「美味しい。体の力が抜けてすっきりする」

「汗かいただろうから塩分多めに作った。お疲れ様、河合」

「……ねぇ」

「うん?」

「こういうの、いいね。雷太の言う通りだったよ」

「だろ。たくさん働いて。たくさん稼いで。たくさんデートしような」

 彼女が幸せそうな笑みを見せてくれた。

「うん!」

「おっと、老人はお邪魔かな」

 店主が妙に熱のこもった目線を投げかけながら言った。

「いや、その……すみません」

「いいんだ。青春は今のうちに謳歌しないと。いつかは社会の荒波に揉まれまくるんだから。がはは」

 そう言って店主はバックヤードを後にした。

「キャラが読めないな」

 俺が小首を傾げていたら河合がまた喋りかけてくる。

「ねぇ、ひとつお願いがあるんだけど……」

「なんだ?」

「さっき、『さくらんぼ』を唄っていたんだけど。その歌詞に『手帳開くともう、二年経つなぁって、やっぱ実感するね。なんだか照れたりするね』というフレーズがあって」

「うん。それで?」

「雷太との……思い出を形にするために手帳を作ろうかなって、それを唄いながら閃いたんだよ」

「唄いながら……器用だな」

「……話、聞いてる?」

「ごめん」

「でも、私だけ書いていたら独りよがりな、その、ものになっちゃうんじゃないかなって思ってさ」

「手帳ってそういうものだろ?」

「そうだけど……ふたりで交換日記みたいに日常をやり取り出来たら、それは最高な事じゃない……!」

 河合が身を乗り出した。距離が近くなる。

「“交換手帳”やらない?」

「う、うーん。ラインで十分じゃないかな?」

「でも――」

 このとき、背後の窓外で打ち付けられる雨の音を意識する。河合は、一年後には人柱として処刑される運命にある。様々な感情がふつふつと湧き上がる。寂しさ。怒り。そして運命に対しての殺意。それらが脳内で交差して、複雑に絡まってすぐにはほどけそうには無かった。いわん、混乱したのだ。

 すると河合が俺のことを抱擁した。それにも当惑する。

「ごめん。私が余計なことを言ったからだよね。だから、泣かないで」

 泣いている。この、俺が?

 先輩を怪我させてしまい、そのせいで部員から毎日のように暴行を受けても、校内で悪目立ちしても、涙を一筋も流さなかった。いや、流せなかった俺が泣いている? 嘘だろ。

「なぁ、俺も、“お前”のことを抱きしめてもいいか?」

「うん。強くしちゃ、駄目だよ」

 俺はゆっくりと彼女の存在を確かめた。柔らかく、華奢な身体つき。

 

 そうか。このとき、俺は否が応でも自覚してしまった。

 最初は偽善のつもりだった。自己愛撫という邪な感情も隠れていたのかもしれない。

 だが、ようやく分かった。俺は、河合に恋をしたのだ。

 なにを考えているか分からなくて。天命という重たすぎる呪縛を背負い、それを全うするためだけに生きている儚さ。いつか壊れてしまいそうな、いや、きっと罅ぐらいは入っていそうなガラス人形のようで。でも、芯の強さだけは誰にも負けていない、水菜河合のことが大好きなのだ。

 俺は大粒の涙を流しながら、決意した。

「んっ」

 いつの間にか強く抱きしめていたことにも気付かずに。


 彼女を、絶対に殺させやしないと――




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