雨でぬれた関係。ホテルへの誘い。
河合はスマホのSpotifyで、ZARDの楽曲を聴いていた。
駅のホームでは険悪な雰囲気が漂っていた。
なぜなら豪雨で電車が遅延しているからである。
サラリーマンやOLがスマホを耳に当てて頭を下げている。「すみません。電車が遅れていまして」
駅の錆びている屋根から少し見える雨天。どこかそいつは我々に嘲笑を浮かべているように思えた。
そんなことを考えていると、イヤホンから「マイフレンド」の歌詞が流れてきた。「あなたを想うだけで心が強くなれる。……走り続けて」と。
いつか、河合は天候に左右されない人生を送れる日が来るのだろうか。
それこそ、来世ではそうなりたいと強く、願った――
肩を叩かれた。振り返ると雷太が険しい表情で立っていた。
「すまん。待たせた」
「いや、いいよ」
「ところで、“君”は――」
「ん?」
「え?」
河合は疑問が胸を撫でまわしてきたのを感じて、不快に思ったがそれでもその感情を無視した。
「ううん。で、どうしたの?」
「ああ。今日は映画を観に行こうと思う。……で、話が変わるがほら、昨日のラインでバイトの話ししただろ。でさ、どういう系のバイトをしたいとかあるのかな、って。接客系苦手なのにそこで働くとか厳しいだろ。今のうちに詰めておこうぜ」
「なんでもいいけどねぇ……」
イヤホンをケースにしまいながらそう言った。
「なに聴いてたの?」
「ああ。ZARD」
「坂井泉水か。良いよな。彼女って端正な顔立ちなのに、でも自信なさげで、でも歌声は甘酸っぱくてどんな年代でも青春のワンフレーズを思い出させてくれるようなところが、素敵だよね」
「そうそう。恋愛フレーズ一つ一つが、背中を押すんじゃなくてそっと寄り添ってくれるところが良いんだよね。『どれだけ挫けたって私はあなたの味方だよ』って勇気付けてくれるというか」
そこから電車がホームに侵入するまで、好きなアーティストについて彼と熱を帯びた会話をした。
そう言えば、河合には幼少期のころから恋人はおろか友人すらいなかった。ずっと一人で曲を聴いていた。イヤホンを付ければ間接的に隣で河合のことを励ましてくれる。自分にとって音楽というのはそういうものだった。
それを、彼との会話によって再認識した。
そういう意味では交際して、良かったのかもしれない。
「映画、なに観る?」
大型ショッピングモールの最上階。壁には映画ポスターが貼られていた。ひとつは有名アニメ。もう一つはあまり知られていない実写映画。
「迷っちゃうね」
本当は迷ってなどいなかった。好きな映画俳優が出演している実写映画を観たかった。だが、知名度も、純粋に映画としての面白さもアニメのほうが良かった。
彼に合わせるか。そう考えて言葉を待った。
すると雷太はこちらを見遣り、眉を寄せた。それから財布を開けてから、「よし」と謎に活き込んだ。
「両方見るか」
「えっ?」
「なんか、君の性格だと俺に合わせそうだからな。そういうんじゃないんだよ」
「私に合わせる、とかの発想は無いの? 二本とか疲れるでしょ」
彼は少し笑って、
「合わせる、合わせないじゃないんだって。人生、欲張りでいいじゃん。二本観ればその分楽しみは二倍だって」
「そ、そうだね……」
「“一人が我慢する”とかじゃなくて、“二人で楽しむ”これ、交際の掟な」
河合は少し呆然としてしまった。
彼の、瞳に吸い寄せられようとしてしまう自分がいる。そう、もう彼の魅力を無視出来ないようになっているのだろう。
高校生にもなって、そんな恥ずかしい言葉を平然と言って、河合を全力で楽しませようと、否、一緒に楽しもうとしている。
彼になら、連れて行ってもらえるかもしれない。いや、一緒に行けるかもしれない。
人生の遥か先に……
□■□
午後七時半。俺と河合はショッピングモールのカフェスペースで、映画の感想戦を行っていた。
阿久津と言う映画俳優のことを語る彼女はやけに饒舌で、微笑ましくなる。
「楽しかったな」
「うん。すごく」
「また一緒に観ような」
「うん」
「なぁ、君は――」
「ねぇ」
彼女がこちらを上目遣いする。その姿がどうもなまめかしくて、息をのむ。
「なんで、『お前』って呼んでくれないの?」
「その……いきなり呼んだら、馴れ馴れしいかなって。あと、タイミングが分からなくてさ」
そう言うと彼女は大笑いした。
「そんなの、雰囲気でいきなよ。もう、ほら、今から呼んでもいいよ」
「お、お前――」
すると彼女はむすっとして、
「やっぱり駄目」
「ええー」
「冗談だよ。お前、って呼ぶのもいいけど、名前でもたくさん呼んでよね」
俺はそんな言葉に胸が高鳴った。
卑怯だろ。それは。もう、お前のこと、意識しないわけにはいかないじゃないか。
それから帰宅しようと思い、電車の運行状況を調べるとまずいことが分かった。
運転見合わせ。復帰時刻、未定――
ショッピングモールから出ると、雷鳴がいつもよりも高く鳴っていた。
「ホテル、行こうか」
「うん。って、え?」
河合の思わぬ誘いに俺は上擦った声を出してしまった。




